CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
<< 2019年10月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
ランキング東大超え。世界から一流研究者が殺到する沖縄科学技術大学院大学が急成長を遂げた秘密 [2019年10月17日(Thu)]
沖縄県にすごい大学が出現した。沖縄県恩納村にある沖縄科学技術大学院大学、通称OIST

データ
三ツ村 崇志 2019/10/17 05:00

コピーライトマーク 提供:OIST OISTは2011年の設立。初代の機構長は、2002年にノーベル生理学・医学賞を受賞したシドニー・ブレナー博士が務めた。

10月8日、一つの大学院大学の発表が注目を集めた。

沖縄県恩納村にある沖縄科学技術大学院大学、通称OISTがバクテリアを利用した低コストの排水処理装置の製造を目的とした大学発スタートアップ企業、BioAlchemyの設立を発表した。

OISTの設立は8年前。今、急成長を遂げており、アカデミアの世界では脚光を浴びている私立大学だ。

2019年6月にはイギリスのシュプリンガー・ネイチャー社が発表した質の高い論文の割合が高い研究機関ランキングで東京大学の40位を上回る日本トップの9位にも選出された。

同大学院広報は「こういったランキングが出たことで、対外的にOISTの成功をアピールする指標が得られたと思っています」と話す。

急成長支える潤沢な研究資金

2019年6月に発表された質の高い論文の割合が高い研究機関ランキング。発表当初、OISTの順位は10位だったが、8月に修正されて9位となった。

OISTが設立からたった8年でここまでの成功を納めた理由は、なんといってもその豊富な資金力にある。

予算の大部分は、沖縄科学技術大学院大学学園法によって定められた補助金によるものだ。
この潤沢な資金を武器に、OISTは創設時から世界トップレベルの研究機関を目指してきた。

在籍する研究者は74人。うち、外国人は44名。出身国は15カ国以上にのぼる。

また、理事には、素粒子の一つである「クォーク」に関する研究で1990年にノーベル物理学賞を受賞したジェローム・フリードマン博士や、細胞の表面についた「イオンチャネル」と呼ばれるタンパク質の機能に関する研究で1991年にノーベル生理学・医学賞を受賞したエルヴィン・ネーアー博士などが名を連ねている。

OISTではこうした世界的に著名な研究者や最先端分野の研究者の招聘(しょうへい)、大学への設備投資を進めてきた。この補助金は研究費としても利用されている。

2018年度は、大学の運営費や研究費など含めた約200億円が補助金で賄われた。
Posted by メディカルゆう  ゆう東洋医学研究所 at 17:09 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
人生とは、どういう人間と出会うかということにつきる。読書のすすめ『逝きし世の面影』  [2018年04月25日(Wed)]
(渡辺京二が)87年という時間を生きてきて思うのは、人生とはどういう人間と出会うかに尽きるということです。

現代社会では、生活を便利にするはずのテクノロジーがかえって煩わしさを増やしているというパラドックスの悲劇もあります。

大切なのは、テクノロジー以前に人間関係です。

同性同士でも男女の関係でも、傷つけ合うようなややこしいことや煩わしさがあります。

これをむやみに避けないほうがいい。生きがいとは、結局のところ、人との関わり合いの中にしかないのです。  



傷つくことを恐れず、世間や人の言うことなどいちいち気にせず、自分の好きなように生きればいい。そしていまはそれができる時代です。

明治などに幻想を抱くのではなく、いまはもっといい時代になっている、そう認識することが大事なのだと思います。


watanabekyouji.jpg

思想史家・渡辺京二

明治元(1868)年から150年。政府をはじめ、各所で「明治維新150年」を祝う行事が企画されている。

武家による幕藩体制だった時代からの転換。あの明治維新とは何だったのか。

また、あの時代から見て、現代とはどのような時代なのか。

来日外国人の書籍の丹念な研究からあの時代の日本を描き、ロングセラーとなった『逝きし世の面影』。

著者の思想史家・渡辺京二氏が、あの時代といまを振り返った。
(ノンフィクションライター・三宅玲子/Yahoo!ニュース 特集編集部)

付記
当然、異論があろうとも思うが、渡辺氏の生きざまには共感できるところがおおいのではないか。

歴史から学び、現在と未来をみすえるということであろうと思う。

E・H・カーの歴史とは何かを読み返す時でもあろう。

明治時代から現代までの日本の歴史の中でアメリカ軍に国土のほとんどの都市を爆撃により灰燼にされてから、今日までよみがえってきた日本という国を、かつてない良き時代になっていると思うことはあるだろう。

人によっては、決してそうは思わず、戦前の時代を懐かしむ人もいるとは思うが、日本の歴史は戦前の日本という国のありようを飲み込み、乗り越えていると思う。

やはり生きているということは多くの人との出会いがあるということに尽きるのかもしれない。

人生を達観することはできない煩悩を抱えているにしても、人との出会いを大切にして生きていくことだろう。

watanabe2.jpg
Posted by メディカルゆう  ゆう東洋医学研究所 at 09:32 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
現代から明治150年で振り返ると、そんな課題が残っているのです。 [2018年04月24日(Tue)]
saigou1.jpg

現代から明治150年で振り返ると、そんな課題が残っているのです。

実際、今はなかなかそういう社会になれない。

根本的な原因は、経済成長を絶えず求めざるを得ないような社会構造。

だからといって、理想の社会の青写真を描いたところで、権力で実行するとなると社会主義に向かってしまうが、それは違う。

ではどうすればいいのか。

結局は我が身から始めるということです。

国家をつくるのは役人の仕事。けれども、社会をつくるのはひとりひとり。

個人がどのように生きがいを見つけられるかが大切。

出世や肩書、収入など、いわゆる社会的に評価される職業的地位の価値観が単純化していますが、そんな幼稚な尺度に縛られる必要はありません。

そのかわり、人のせいにもしない。
watanabekyouji.jpg
Posted by メディカルゆう  ゆう東洋医学研究所 at 13:57 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
読書のすすめ 「パリのすてきなおじさん」(柏書房)が話題になっています。自称「無類のおじさんコレクター」。こんなふうに生きていいんだ [2018年04月20日(Fri)]
 −−パリで出会った男性たちに「人生で大切なこと」をインタビューしてスケッチした近著「パリのすてきなおじさん」(柏書房)が話題になっています。

自称「無類のおじさんコレクター」。はまったのは一体なぜですか。

 ◆私の父は、家族に「こうあれ」と押しつけてくる結構窮屈なタイプで。何かやりたいと言っても、すぐに否定してくる。

そんな中、世界の広さや楽しさを教えてくれるおじさんが親戚や知り合いにいて、救われました。

大学生になると、中国語の非常勤講師が「不良じじい」だったんです。横浜の中華街にアジトがあって、教え子たちが集まってお酒を飲んだり中国将棋をしたり。

先生は自由で勝手でいながら情に厚いおじさん。もう亡くなりましたが、今も「正しいか間違っているかじゃなくて、好きか嫌いかを基準に生きろ」「人生はやったもの勝ちだ」なんて言葉が耳に残っています。

父にはない自由な生き方に、「こんなふうに生きていいんだ」と開眼させられ、人生に風穴を開けてもらいました。私の「選おじさん眼」が磨かれたのは、窮屈な父のおかげですね(笑

金井真紀

付記
”好きか嫌いかを基準にしろ”というのは間違っていると思う。
論理的整合性があるか,ないかではないだろうか。

inamori2.jpg
Posted by メディカルゆう  ゆう東洋医学研究所 at 14:38 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
ナショナリズムを経済で乗り越える [2018年04月20日(Fri)]
明治時代の日本人の親子ずれの情景
meiji2.jpg

ナショナリズムを経済で乗り越える

渡辺京二氏は1930(昭和5)年、京都府に生まれる。中国・北京や大連で小学時代を過ごし、戦後、熊本に戻ると旧制中学から五高へ進学した。

大連時代に左翼思想に目覚め、18歳で共産党に入党するが、1956年左翼思想と決別する。1969年から熊本の公害病である水俣病に関して、15年ほど闘争運動に参加。

作家・石牟礼道子の編集者でもあり、当時から現在まで同志の関係は続く。46歳で『評伝 宮崎滔天』を発表。

予備校で現代文の講師として教壇に立ちながら、日本の近世・近代の研究に在野で取り組み、独自の視点から日本近代史、近代思想史家論を描いてきた。

1945年の敗戦後、マッカーサーらGHQ(連合国最高司令官総司令部)の民主主義教育が行き届いたこともあり、日本は戦争に対して痛烈に反省に転じた。

復興の過程では経済成長が国家の最優先課題となり、経済性が社会の価値観の中心となりました。

池田勇人首相がフランスに行った際、シャルル・ド・ゴール大統領に「トランジスタラジオのセールスマン」と揶揄されたほどです。

つまり、日本は経済的な成長さえできればいいと割り切った。その結果、どうなったか。

付記
異論もあると思うが、自分自身で自問自答してみるのもよいと思う。

アメリカは日本を骨抜きにして2度と武力を持たせないというのが初期のマッカーサーの方針であった。アメリカ自身の方針であった。

朝鮮戦争で占領していたアメリカ軍が朝鮮半島に動員され、日本が軍事的にがら空きになり、治安と防衛が手薄になったところでその穴埋めのため、GHQの命令で日本人による警察予備隊を編成した。

現在の自衛隊の前身である。

アメリカ軍は現在でも日本が軍事的に強国になるのを恐れており、その対策として在日米軍と自衛隊の一体化を図っている。横田基地などでの統合ははその例となろう。

朝鮮半島で、南北の首脳会談で朝鮮戦争終結宣言が出されるのであろうから、これからの軍事情勢はかなり流動的になると思われる。
Posted by メディカルゆう  ゆう東洋医学研究所 at 10:29 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
危機的な存在としての西洋が現れたことで国家という概念が国民に生まれ、国民という概念も育った。逝きし世の面影 [2018年04月19日(Thu)]
meiji1.jpg
こうした日本の変化について心配していたのは、日本の魅力に気づいていた外国人だった。

長崎海軍伝習所の教育隊長カッテンディーケは2年ほど長崎で過ごしながら、その変化を目にしてこう記した。

<日本はこれまで実に幸福に恵まれていたが、今後はどれほど多くの災難に出遭うかと思えば、恐ろしさに耐えなかったゆえに、心も自然に暗くなった>(『逝きし世の面影』)

危機的な存在としての西洋が現れたことで国家という概念が国民に生まれ、国民という概念も育った。

個人と国家という関係が生じると、国民は自分の所属する国に勝たせたいという感情を持つようになる。

その感情が個人を戦争へと駆り立てます。ナショナリズムです。

大陸侵略は軍部主導だったと言われますが、当時国民はこぞって支持していました。

日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)で大国に連勝し、日本人の間に国民としての自覚が生まれていきます。

当時、日本の社会がナショナリズムという感情に覆われたのは、それがその時点での日本国民の成熟度合いだったのです。
meiji3.jpg
Posted by メディカルゆう  ゆう東洋医学研究所 at 10:43 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
読書のすすめ 『逝きし世の面影』 明治維新とはなんだったのだろうか。 [2018年04月18日(Wed)]
つまり、情勢に迫られてやっただけのこと。ウェスタン・インパクトによる緊急避難が明治維新だったのです。
meiji1.jpg

1910年代の銀座(写真:MeijiShowa.com/アフロ)

1873(明治6)年に来日し、38年間を過ごした英国人バジル・ホール・チェンバレンは1905(明治38)年に、『日本事物誌』でこう記している。

<一般的に言って、教育ある日本人は彼らの過去を捨ててしまっている。彼らは過去の日本人とは別の人間、別のものになろうとしている>(『逝きし世の面影』)

外国人から見ても大きな変化が感じられていたのが、江戸から明治への移行だった。

付記
江戸時代というのは良き時代であったといわれる。まず、うつ病になる人がいなかった社会である。

身分制社会は、良し悪しは言われるが、職業は親の職業を継げばよかったので余計な競争というものがなかった。競争からくるストレスというものがなかったのでうつにならなかった。

平和で自然に暮らしていける社会であった。

また、社会保障とか生命保険というものはなかったが、そういうものは必要なかった社会であった。困ったときは周りのものが助けてくれた。或いは家族、一族の助け合いがあった。

落語にある熊さん,はっさんの世界で、しょうゆやみそがなければ隣に借りに行く、もめごとが起これば大家が仲裁するなどという自然調和の世界で幸せな世界に日本人は生きていた。

それをぶち壊したのが、星条旗をなびかせた黒船であった。
日本人はすっぱりとその良き世界を捨て去り新しい日本人に代わっていった。

ストレスとうつ病と認知症が蔓延する社会に変わった。それがよかったかどうか。
meiji4.jpg
Posted by メディカルゆう  ゆう東洋医学研究所 at 14:46 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
総じてけっこうな時代  読書のすすめ 『逝きし世の面影』渡辺京二氏 [2018年04月17日(Tue)]
meiji4.jpg

総じてけっこうな時代

福祉予算は削られる。長い不況を経て、社会の格差は広がるばかり。少子高齢化による縮小社会にも直面している。なるほど現代社会の問題はいまなお少なくありません。

さらには、いまの社会が「右傾化している」とか「ネトウヨが」とかいう言葉もよく目にします。

安倍(晋三)首相のもと憲法9条が改正されたら、日本は戦争する国になってしまうから戦前に後戻りしてしまうなどと、不安がる声も聞こえてきます。

だから、メディアではいまの日本が危機にあるような言説もある。

でも、本当にそうでしょうか。

2018年という現在を評価するなら、総じてけっこうな時代だと私は思います。

熊本市の自宅。思想史家の渡辺京二氏は微笑むように語る。

幕末から明治にかけて日本を訪れた西洋人の膨大な文献をもとに、当時の日本の姿を鮮やかに描き出した『逝きし世の面影』。

1998年に刊行した同書は江戸から明治に移っていく在りし日の日本を描き、ロングセラーとなった。

渡辺氏は同書で訪日外国人の目を借りて、明治という近代社会が江戸時代という文明の滅亡のうえに生まれ出たことを論じた。
watanabekyouji.jpg
Posted by メディカルゆう  ゆう東洋医学研究所 at 15:16 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
明治維新は西洋による外発的な変革   今年は「明治150年」。 夏目漱石も明治の歴史は一種の潮流に押し流されてきただけだ [2018年04月16日(Mon)]
peru-1.jpg

明治維新は西洋による外発的な変革

『逝きし世の面影』で、渡辺氏は江戸期の日本を「遅れた」国ではなく、訪日英国人エドウィン・アーノルドが「その美術は絶妙であり、その神のようにやさしい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは謙譲ではあるが卑屈に堕することなく」(1889(明治22)年)と形容したように魅力的だった姿を浮き彫りにした。

今年は「明治150年」。

政府も関連施策を推進しているが、渡辺氏の目にはあの近代の変革がどのように映っているのか。


『逝きし世の面影』は現代を相対化することを試みたのだという。(撮影:宮井正樹)

50年前の1968年、「明治維新から100年」と言われました。

当時は高度経済成長の真っただ中で前向きな声もありましたが、今回の明治150年はどうでしょう。

いまも「明治維新をすごい」とたたえる声もあるのかもしれませんが、明治維新の実質を言えば、西洋という外圧による外発的な変化でした。

そのことについては、夏目漱石も明治の歴史は一種の潮流に押し流されてきただけだとし、1911(明治44)年、和歌山県での講演でこう語っています。

<西洋の開化は行雲流水のごとく自然に働いているが、御維新後、外国と交渉を付けた以後の日本の開化は大分勝手が違います。

(中略)つまりは何でもない、ただ西洋人が我々より強いからである。

(中略)しかも自然天然に発展して来た風俗を急に変える訳にいかぬから、ただ器械的に西洋の礼式などを覚えるより外に仕方がない。

(中略)我々のやっている事は内発的でない、外発的である。これを一言にして云えば現代日本の開化は皮相上滑りの開化であると云う事に帰着するのである>(『現代日本の開化』)

つまり、情勢に迫られてやっただけのこと。ウェスタン・インパクトによる緊急避難が明治維新だったのです。
watanabekyouji.jpg
Posted by メディカルゆう  ゆう東洋医学研究所 at 17:14 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
読書のすすめ 決断できない日本 ケビン・メア 2011年8月 第1刷 自滅するな日本 ケビン・メア 2012年3月 第1刷 アメリカの日本担当者がどのように 日本を見ていたのか  再掲 [2018年01月17日(Wed)]
fuji1.jpg

アメリカの前オバマ大統領の時代の、日本を実質的に支配していた一人と見なされる人の書いたものである。現在はトランプ時代となって、彼らは表舞台から姿を消している。

実はあまり読書をすすめたくない本ではある。

だが、アメリカの日本担当者がどのように 日本を見ているのかという、アメリカのホンネを考察する資料となるという観点から 冷静に読んでみる価値がある。

とくに2冊目の“自滅するな日本”は対談形式となっており、田原総一朗との対話は面白い。

“自滅するな日本”の題名は多分“自滅する日本”であったのに“な”をつけたしたという 印象を受ける。

この2冊とも、3・11大震災直後に書かれていること、民主党政権当時に書かれ ていて、民主党政権を暗に批判して、いわば民主党政権では日本は自滅するぞというアメリカの 主張を柔らかく打ち出しているとも読める。

ケビン・メアはアメリカ国務省 日本部長などを務め、在日アメリカ大使館、沖縄総領事などを 務めてきている。

2011年3月11日以前に、アメリカ国務省内でアメリカの大学のアメリカ人学生を 相手にオフレコで日本と沖縄についてレクチャーしたことが、アメリカの学生からすっぱ抜かれて 大問題となり、本人が国務省を辞職するまでの事態となったことは記憶されている。

その内容は“決断できない日本”の中で前半に本人は否定しているがどうも説得力はない。 論点となる項目ごとに反論しているのではない。”日本文化はゆすりの文化”などと発言したことは触れていない。

”沖縄の人は怠け者でゴーヤも作れない”という件は反論しているが、 取材方法がおかしいなどという論点にすり替えて反論しているにすぎない。

注 この文は以前に掲載したもので、いったん削除したが、再掲するものである。
suzunomai1.jpg
Posted by メディカルゆう  ゆう東洋医学研究所 at 10:35 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
| 次へ
検索
検索語句
タグクラウド
プロフィール

ゆう東洋医学研究所さんの画像
http://blog.canpan.info/medicalyou/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/medicalyou/index2_0.xml