1941年9月のアメリカによる経済制裁は、日本に対する戦争布告
日本に戦争を仕掛けたのはアメリカ・ルーズベルトだ。
70年前の太平洋戦争という日米戦争は、日本からの真珠湾に対する 先制攻撃であったとされているが、実態はその前のアメリカによる 対日経済制裁―日米通商航海条約の一方的破棄によるものであった。
弾を撃たない戦争布告であった。(フーバー元大統領の回顧録)
アメリカ・ルーズベルトは“いかにして日本に先に弾を撃たせるか” に腐心し奇襲攻撃を待っていたのである。真珠湾先制攻撃は、 日本にとって歴史最大の愚策であった。
1939年(昭和14年)7月アメリカから日米通商航海条約の一方的 破棄通告
1939年(昭和14年)12月アメリカが航空用ガソリン製造設備製品の対日輸出を禁止
1940年(昭和15年)航空機用燃料の西半球以外への全面禁輸 対日も禁輸
1941年(昭和16年)7月日本の対米資産を凍結
同年 9月日本に対する石油の全面禁輸
1941年(昭和16年)12月8日、日本による真珠湾先制攻撃
日本の輸入はアメリカからのものが1940年まで30%を超えていた。 アメリカは開戦直前まで重要な輸入相手先であった。
特に石油製品、 軍需物質、武器などを含めて の調達先であったのである。
追記
北朝鮮はアメリカに挑発されても、ミサイル発射実験はするが、自らの先制攻撃は絶対にしないであろう。なぜなら、
日本がアメリカの挑発(ハル・ノート)によって真珠湾先制攻撃で開戦し、広島・長崎に原爆を落とされ、国土を焼野原にして敗北したという日本の歴史から教訓を学んでいるであろうから。