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山中 啓之
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【連載マラソン挑戦記】第三話+(追伸編):完走した価値は [2013年04月15日(Mon)]
CIMG8895.JPG
■挑戦2度目の正直、初めての「完走」
フル挑戦2年目!今回は、歩かずに走り続けることができました。
皆様、本当に応援どうもありがとうございました。
※写真はゴール数m手前

【記録】4時間24分58秒 140位
 (前回比−約12分)


この調子でかすみがうらも頑張ります♪
2度目の彩湖へむけて [2013年04月13日(Sat)]
2時過ぎ。 こんな時に限って眠れない・・・
「戸田・彩湖フルマラソン挑戦記」がまだ書き途中だった件について [2013年04月12日(Fri)]
以前書いた「戸田・彩湖フルマラソン挑戦記」が途中でした。今回の記事で完結となりました。
※ちなみに、バックナンバーはこちらから。
http://blog.canpan.info/matsudo/category_13/1
【連載マラソン挑戦記】第三話(完結編):完走できずに完走した価値は [2013年04月12日(Fri)]
■明日でフルマラソンから1年経過。しかしその前に・・・
そんなわけで去年の4月に「戸田・彩湖フルマラソン」への初挑戦を契機に私のフルマラソンへの参戦が幕を開けた。
5分45秒ーーいつもはスロースターターな私が、快調すぎるほどの速さで飛び出す。
6人いた仲間もほぼ全員が初挑戦。私に追随し、意気揚々と走り始めた。序盤はいいものの、このまま本当に体力が持つのかという不安は正直あった。しかし、1周、2周、3周・・・と6分〜5分30秒位で走り続ける事が出来た。速い時はキロ5分19秒。3時間45分も余裕で狙えるタイムであった、この頃までは。
しかし、この日は悪天候。このころ続いた春の陽気はどこへやら。いつにない朝から雨で、朝の移動中から靴下の中までびっしょりで走りだした。いや、天気のせいにするつもりは毛頭ない。なぜなら、このひどい台風にもかかわらず、その事の意味する重大さにすら全く気がつくことができなかったのだから。
3周目を終えて4周目くらいに入って、気がつけば足は確実に重くなっていた。
ごまかしながら、6分以内をキープ。「そのうち終わるだろう」と気楽に構えながら。
・・・そして、それは突然やってきた。
18kmまで保ったキロ5分台ペースも、19km目には6分をきる事が出来なかった。19,20,21・・・6分台でなんとか半分を折り返す。これ以降、私の淡い希望とは裏腹に、このレース中、ペースが5分台へ戻る事は二度となかった。22キロ目の1キロは7分28秒もかかってしまった。要は、のぼり坂で我慢がきかず、ついに歩いてしまったのだ。走りに来て歩くという‘醜態’。悔しいがどうにもならない。一歩ごとに頭や全身が痛む。足は一歩ごとに本能から「早くやめないと危ないぞ」と危険信号を出している。神経中が痛い。そこを、無視して強引に理性を振り絞って『足を前に出せ』と指令を出しているから、辛いことこの上ない。気を抜いたら意識が簡単に飛びそうだ。すぐに6分台はおろか、7分台でもきつくなり、ついに、30km地点に到達する前に、8分台とも仲良くなってしまった。
・・・
そこからはよく覚えていない。
とにかく練習と経験不足による疲弊がひどく、そこに春とは思えぬ終日の荒天と気温の低さも手伝って散々な内容だった事だけは記録が物語っている。
途中からは殆ど走れなくなり、足を引きずって、ゆっくり歩いて・・・しまいには止まってしまう事もあった。ストレッチするだけで腱が切れそうになる。自分でもわかるくらい固まっている。

歩いて・・・ちょっと走って・・・また歩いて・・・を繰り返す。

どれぐらいの時が経ったろうか。

朦朧としながらも、ゴール。

4時間37分02秒。
この時の事は後日、私のノートにこう書いてある。
「練習不足・つっこみすぎ。雨対策も不十分、食事もっととれ。 自己評価:C−」
かくして私の初挑戦は終わった。
ほぼ全員が、何らかの痛みを強く訴え、苦悶に満ちた表情で家路についた。
しかし、それでもゴール時に味わったあの達成感は、人生で代えがたい、おそらく一番大きなものとなった。なにせその時の疲労感が、この経験が夢物語でないことの証明を各人にいやというほどしてくれた。そして、それは一生刻まれて生きていくだろう。
ありがとう、仲間たち。
ありがとう、彩湖。

■後日談
あれから約半年後、私は継続して走り続けていた。
あれほど苦しかったマラソンに、なぜだか意欲がわいていた。
内容に悔いが残ったというのももちろんある。もっと自分を成長させたいという思いもある。しかし、続ければ続けたで、またあの後半の辛い局面にも必ず出くわすことになる。
とにかく、あのまま一過性の単発イベントで終わることなく、継続できたのは良かったと思う。

その後の私のフルマラソンの経過については、以下に出場全記録を羅列することで補完したい。
【記録】
◆ちばアクアラインマラソン◆10月。初めての完「走」。トラウマ(^^?)から復帰。
◆つくばマラソン◆11月。フラットな地形を活かして初のサブ4を達成。
◆勝田マラソン◆1月の寒空。連続サブ4を達成。

・・・フルマラソンを始めて1年で計4大会のフルマラソンにエントリー、全て出場、そして全て完走(1つだけは完歩)した。
しかし、やり残したことが1つある。
それは、1年前にできなかった戸田・彩湖マラソンの、(文字どおりの)「完走」だ。
そして明日、1年ぶりにこの原点の地「戸田・彩湖」を走る。
最初は何も分からずにエントリーした。
ふたを開けてみれば同じ場所(1周5km弱)を9周回るという内容で、1周のうちに大きな難所(上り坂)が3回あるという非常にストイックなコースだった。無知・練習不足・悔しさ…色々な意味で、自分の甘さを知った。私の中では、真の意味でこのコースを「完走」していない。もともと登り坂が苦手というのもあり、明らかに実力不足だった。
ゴール後、死にそうな身体を支えながらすぐに誓った−来年も走る−と。走り終えた苦しさの中、半泣きで公言もした。
ここで逃げてしまっては、何か、今まで自分の中で大切にしてきたものが崩れてしまうと思った。
また、人生で大きな壁にぶつかった時にも、楽な方へすぐに逃げる癖がついてしまう、そんな気がした。
正直、倒れる事は全く怖くない。しかし、倒れる前にトンズラしてしまう卑怯な人間になるような事だけは避けたい。私はそれだけは、強く強く恐れている。

全ては明日のために。 (完)
【連載マラソン挑戦記】第二話:私がフルマラソンの参加を決めた理由 [2012年04月22日(Sun)]
報告会の準備で更新を忘れているうちに時が経ってしまいました。松戸政治塾の方にも感想がアップされていました。前回の続きです、どうぞ。

■【私がフルマラソンの参加を決めた理由】
フルマラソン参加を決めてから、多くの方から激励を頂いた。皆さん全員に、改めてひたすら感謝したい。街で歩いていると知らない人から「マラソン頑張れ!」と言われることもしばしばあった。(運動音痴だった頃の私をよく知る)地元の旧友からは「よくやるよ、ホント(笑)」などとからかい半分に温かい激励を浴びせてもらった。密かに応援してくれた職員がいたのも嬉しかった。他にもメールやツイッター等のネットを通じて様々な応援が届けられた。‘フルマラソンに挑戦します’と書いたFacebookには、沢山の「いいね!」がついた。始めたばかりのFBだったので何だかちょっと嬉しい半面、政治の話題でもこの位『いいね!』がついてくれないものかとさえ思うほどだった。
でも、嬉しかった。期待に応えようと、自然に身体が発奮した。

ところで、走った事のない人によく聞かれることがある。それは、――なぜフルマラソンを走るのか――。
確かに、もし自分が相手の立場だったら同じ質問をしたであろう。即答しよう。その答えは、自分への挑戦である。自信は全くなかった。ただ、自分にできる・できないを先回りして憶測し、やりたいことを諦める事だけは昔からいやだった。挑戦は好きだ。どんな時でも生きている価値を感じさせてくれる。私も来月で33歳になる。正直、精神面はともかく、体力面で無理ができるのはもうそんなに長くない。

松戸市で毎年1月行われる「七草マラソン大会」に私が例年参加している事を知る方にはよく誤解されるが、七草マラソンとフルマラソンは完全に別の競技である。単純に距離の問題では無い。距離の10qと42.195kmで約4倍も疲れると思われがちだが、それは違う。昨年の12月に初めてハーフマラソン(21.0975km)を走ったが、最初の10kmと次の10kmでは、疲れは全然違うものだった。それまで累積した疲れを背負っての新たな10qのスタートを、今度は何回も休みなく続けなければならない。そこへいくと、私が会社員時代からエントリーしていた七草マラソンは、非常に楽しい大会だ。運動不足解消を目的にして手軽に始められたし、その後、会社員を辞め、松下政経塾に入っても、茅ケ崎から通って走り続ける事ができた。27歳の時に市議になり、それでも走り続けた。いつしか七草は、単純に好きだから走るようになった。10qの‘手頃な’距離のマラソンで、地元開催。アクセスも至極便利。年の初めの健康作りにもってこいなのである。それでも走っている時には(なぜかいつも市立松戸病院の角を曲がって5kmに差し掛かるあたりで)「今年でやめてやる」と本気で思うのも事実だ。

最初は一人で始めたランニング。友人に声をかけて2〜3人で大会に参加した。徐々に参加人数は増えていき、気がつけば七草マラソンを走る仲間は学生から社会人まで、果ては友人の友人まで合計20人規模に膨れ上がった(ちなみに、議員6年目にして、議会報告会には2〜3人しか来ない事がいまだにある。この差は何だろう)。いつの間にかできたサークル「松戸政治塾」で作成したTシャツも今年で3枚目になった。地元の参加者が、ボランティアでデザインまでしてくれるようになった。作成費の一部を東北支援の支援金に寄付するも、政治団体と言うよりは一大ランニングサークルになっている団体だ(笑)。
 
 タイムは気にしない、と言っても、昔数人で走っていた頃は早い方だった私が、今では(女性や学生を入れても)真ん中かちょっと下くらいの速さになってしまった。年齢の差と諦めるよりも、練習(努力)の結果として向上したい。
今年の七草マラソンでは、久々に専属コーチ(陸上部出身の学生)を付けてトレーニングに励み、43分台をたたき出した。
大会後、スーパー銭湯に行き、恒例の食事会となった。そこで、誰からともなく、「ハーフも10qも走ったんだから、次はフルへ挑戦だ!」と言う声が上がり、七草完走後の満足感もあいまって、私の決意と同時に、自信のある学生数人が賛同した。
かくして、フルマラソンへの参加が決定したのである。
【連載マラソン挑戦記】第一話:痛みから得る喜び [2012年04月15日(Sun)]
4時間37分2秒―机上にある昨日の第7回戸田・彩湖フルマラソンのタイムが記されている自分の完走証を見ても、大して満足感は沸いてこない。参加を決めてからあれほど高揚していた、記念すべき人生初となるフルマラソン(42.195km)への挑戦だったにもかかわらず、しかも、何もしなくても体力にまかせればある程度速く走れた20代のピーク時の頃以上に走りの本当の楽しさに気付くようになったのにもかかわらずである。
それは決して、自身の記録や順位に満足していないからというような通常の単純明快な理由ではなく(無論、一過点の結果にそもそも満足などしないが)、むしろタイム自体がどうでもいい事のように思えるような体験を今回、人生で初めて味わったからである。
今回の初のフルマラソン参加の‘収穫’は、それほどまでに大きいものだった。
理由は、参加メンバーが全員完走できたからである。これ以上の収穫はない。傍からは単純に見えるこの1点が、当事者には言いようもなく嬉しい。少なくとも今の私には、これ以上のものは見つからない。否、見つけなくてもいいと思えるくらいの大きな安寧が、ゴールの瞬間から今も、一寸も失せることなく感じられるからだ。
参加を決めた者が各自それぞれ昨日まで準備を重ね、4月中旬とは思えぬ程の急な大雨と、会場までの寒い道のり、慌ただしい出走、そして未知の世界を走り始めた時の高揚感とそれをかき消すかのごとく襲う前代未聞の苦しみ(時に応援の温かみ)、そしてゴール後の今も続く節々の疲労と傷みまで、あらゆる感覚を共有できていることが、何よりも嬉しくてたまらない。自分たちはいま、はっきりと生きている。
このことを、本来孤独なランナーたちが‘全員完走’という絶対的な達成点をもって共有することができているのは、ちょっと大げさに聞こえるかもしれないが、決して大げさでは無く、奇蹟だったと思う。
 大分回復したものの、一夜明けた今も脚全体にとどまる事のない腕や腰、そして肩から首にかけての筋肉痛に襲われている。どれも七草(10q)やハーフ(21.0975km)では味わう事のなかった初めての体験だ。特に膝の痛みは25kmを越えたあたりから筆舌に尽くしがたいものがあった。もはや懐かしい、あの集中力を抜くと気が飛ぶほどの神経に直結する痛みは、雨風にさらされて文字通り泥のように眠った布団の中で、少しずつだが全身に散らばり、今は身体全体の細胞が総動員して消火作業に当たっている最中である。
朝、布団から出る前に軽くストレッチをしようと上体を倒したら、股関節まで痛い。他にもまだ気付いていない隠された痛みがいくつもあるだろうが、これ以上の痛みの新発見は遠慮しておこうと思う。一歩一歩の痛みもさることながら、起き上がってからというもの、便座に腰かけたり、靴下を履いたり、ちょっとした日常生活にも筋肉は敏感に反応する。残念だが、まだ走れない。
 そんな訳で、いつものようにブログを更新しようにも、今日は全く議員としての仕事をしていない(できない)ので、予定通りとはいえ若干後ろめたい気もする。こんな日に限ってパソコンを開けば市民からの陳情メールが結構来ていたりする。今日は明日からまた再び全力で取り組むための静養日であると自分に言い聞かせて、少しでも私の近況をつづる事で、今回の私の挑戦を応援してくれた皆様に対して、また、(今日は足を止めているが)走り続けている私を日々応援して下さっている皆様への感謝の表明になればと思い、稚拙な文章を鮮明な記憶のうちに殴り書いた。
長いので何回か小分けに連載しようと思う。痛みも喜びも新鮮なうちに書いたので推敲もしていないため誤字等あるかもしれないが、ご笑覧いただければ幸いである。