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翁長雄志知事の生き様に学ぶ松戸市政の将来 [2018年08月10日(Fri)]
■追悼・翁長雄志知事を偲んで
『辺野古の埋め立ては壮大な愚行として語り継がれないか』―こう力強く言い残した翁長知事が8日にこの世を去った。亡くなる数日前の新聞記事の写真で頬がこけきったのを見ておそらく癌ではと思っていたが、最後まで勇敢に闘った姿勢は、政治家として学ぶべき点が大きく、感銘を受けた。貫く知事だった。
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意外と本土の人には知られていないが、彼はかつて普天間の県内移設に賛成派の自民党所属県議だった。その後、2000年に那覇市長選に当選した。沖縄県民の願いや届く声、そして強い危機感からほんらいあるべき姿を考え、徐々に市民の願いである基地建設への想いを胸に、政府との対立姿勢を明白にしていった。
                    §
特筆すべきはその過程において、国に屈しないどころか、全くぶれない市政が図らずも見え隠れする点だ。徐々に体制側へと変節する政治家が多い中、姿勢を貫くリーダーはそうはいない。この点は、考え方の違いを越えて共感する政治家も多いと思う。
政府が移設埋め立てを許可権限を県知事から国に移そうと企てた際にはその強引さを批判し『こういう手法は100年先まで禍根を残す』と強く牽制した。辺野古移設には『県民の理解を得られない』と硫黄島への移設を独自提案までしている。そのプロセスを踏襲して県知事選挙に2014年に出馬。もちろん、その時の公約は辺野古移設反対
その後も安倍首相や政府側に対して反対姿勢を強め、『上から目線の言葉を使えば使うほど、県民の心は離れ、怒りは増幅していく』と説いた。徹底した住民目線の言葉は、ストレートに深く心に響くだけでなく、人々を無償の自発的行動へ発奮させる‘何か’がある良気がしてならない。
先月27日、公式最後の見解表明となった場で、埋め立て承認撤回を表明した。世界の潮流を読み「平和を求める翁流れから取り残されているのではないか」と政府に訴えた。

■近年の松戸市政に思ふ
先の議会で補正予算が上程された。歴代の市長が守り継ぐ「住民合意を持って進めたい」とされてきた新松戸7丁目の神明掘の接道問題だ。
自民系首長を批判して当選した本郷谷氏は、当初、市民目線に立つ民主党所属議員だった。市長に初当選後、地域住民に市長室で「ここ(神明掘)は止まっているから価値がある」と話されていたのを私もこの耳ではっきりと聞いた。そして安堵したのを覚えている。
                    § 
・・・ところが、再選を果たし、3選が近づくにつれ、その態度は市民から急速に離れて行った。こともあろうに自民県議の応援に公用車で向かい、後に議会で大きく糾弾された。その見返りか、彼の3選目を応援していたのはなんと自民系の重鎮議員たちだった。
 そしてついに、流山市側の商業施設開設による交通流の変化を理由に持ち出し、それまで重視するそぶりを見せていた「住民合意」については、反対者達を押し切って接道工事予算を議会に上程してきた。私が質問した先の議会では、合理的な説明もなく(できる訳もないのだが)、質問後にお怒りになった傍聴者の一部が関係部長に詰め寄る一幕もあった。「あまりにもひどいじゃないか」!当然の反応だ。これが民意だと私は迷いなく思う。接道の是非もさることながら、一度決めた言葉を変節することの方が業が深いのではなかろうか。
                  
■わたしたちが学ぶべきこと
自民党から市民派に寄りそうようになる首長もいれば、市民派を掲げた民主党から自民党寄りに変節する首長もいる。上記の二名の対照的な首長の政治姿勢から我々が学ぶべきは、どちらかを賛美し、どちらかを批判することでは決してない。
ただ、ほんらいあるべき姿を追求している政治家を支援し、応援し、その政策実現に向けて、自らできうる行動を起こすことである。

翁長氏の御冥福を心よりお祈りします。そして、残された人間として、実践へとつなげます。
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