▼基礎が致命的なログハウスと大きく傾いた石窯小屋

■山に上がった。
久しぶりに来た。4日から岩手県葛巻で毎年行なっている冬のキャンプの装備を取りにきた。
■何となく懐かしくも感じながら雪道を運転してきた。
自然学校の周りは約1m弱の積雪。雪かきから作業が始まった。
数十mの道が長く感じる。
積んできた荷物を降ろし、松倉に下ろす荷物を積んだ。
作業のあとキャンピングストーブでお湯を沸かし昼めしにした。
被害が大きいログハウスの中はストーブに火もなく寒々しく寂しい。
■傾いているログハウスの中で雪に埋もれた自然学校の施設を見ながら、雪解け後の再建のことを考えた。
やらなければならない事が多いのはわかっている。
■一番被害が大きくログハウスは環境に徹底的にこだわったエコハウスに再生しようと思う。電気も自給し、トイレの浄化槽もエコなもの、もちろん水も岩清水から。
基礎の工事に相当お金がかかるので、その他は知恵をかける事にする。
■人が棲まなくなる事は暮らしが無くなる事。
今目の前にその現実がある。
13年作り上げてきた暮らしが無くなっている。
・・・・・いや、奪われた。
自然から・・・自然からの災害は受け入れている。
そして社会の制度に奪われている・・・これを十分に受け入れていない自分がいる。
自然というもの認識がずれた結果起こる人災という視点でも検証が必要だ。
野外活動をしているわれわれのリスクマネジメントと行政が対応しているリスクマネジメントの違いがありそうな気がする、いつか議論したいと思う。
耕英地区の生活は、誰が奪っているのか?
■置かれた環境が厳しければ厳しいほど反骨精神が湧いて来る。
奪われた暮らしをもう一度作り上げてみる。また決心した。
■昨年末に完成した本道路をはじめて通ってきた。
栗原市の説明では冬の間はゲートに警備を置かないと言う。その結果その日に一時帰宅する人達の中でゲートの鍵の管理者を決めて揃って出入りすることになった。
今日は4組の耕英地区民が上がった。
■帰りにゲートで一人を待ちながらいろいろな話をした。
避難指示、一時帰宅、その考え方さまざまある。
いずれにしても、耕英地区に住んでいた住民は、いつものとおりの正月を迎えていない。
少しでもいつもの用ではないけれども、いつものように近づくことを望んでいる。
■里と山の往復。片道30分の間にこれほど積雪量が違う。耕英に住むことと里に住むことの大きな違いがここにある。
感覚の違い、現実の違い、地震でもそうだったように雪に対する冬の生活に対しても大きく違っている人の方が栗原市では多いと思うj。