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年末の3日間(大晦日) [2008年12月31日(水)]

■松倉の大晦日
おととい・きのうと福島、岩手を廻ったが、今日は自然学校がある松倉のご近所にご挨拶に廻った。
スタッフのひとり、すがっちが焼いたガンヅキとケーキと震災報告書、スタッフの名簿をもって一軒一軒廻った。
■自然学校が借りた民家は、中山田16という番地だが、他に中山田の地名を持っている家はない。
松倉中山田は、稲瀬川に沿ってある下流の硫黄沢地区と上流にある山田地区のちょうど真ん中にある。
自然学校は下流の硫黄沢地区に含まれるので、今日は硫黄沢地区の6軒を訪ねた。
移転直後はスタッフがあいさつ回りをしたが、代表の私自身廻ることができなかった。
今日は、挨拶が遅くなったことをお詫びしながら一回りした。
年内にしなければならないと気になっていた事の一つを済ませることができた。
■この松倉もひとつの拠点にしていくので今後ともこの地区にお世話になる。
今夜は岩ヶ崎の女房の実家に年越しに伺う。震災直後、本当にお世話になった。
年越しで残ってくれるスタッフは4名。
息子とスタッフで駒形根神社と吉次神社に元朝参り(初詣)に予定だ。
■大きく変わってしまった2008年もいよいよ終わりだ。
2009年に向けて心機一転進むとしよう。

今年の皆さんからのご支援、応援に感謝もうしあげます。
来年の皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
良い年をお迎えください。

豊志@くりこま高原自然学校〓
年末の3日間(30日) [2008年12月31日(水)]
■前日に引き続き、この日は岩手県を回った。
私が生まれ育った岩手県での小学校と中学校時代の恩師を回った。
くりこま高原自然学校を始めた私の生き方に大きな影響を与えてくてた恩師の方々3名を訪ねた。
皆さんに心配をかけ励ましをいただいた。報告書をもって直接御礼と報告をしたかった。
来年80歳になる母も一緒に廻った。

■母にとっても元気をもらえる年末の挨拶まわりのようだ。

■岩手という名の由来。
私が生まれ、盛岡の中学のときの恩師が今住んでいる遠野市を訪ね。その後は盛岡へ向かい恩師と友人宅を廻った。
母親とのふるさと巡りになったのでつかの間の時間を使って三石神社に立ち寄った。
ここは岩手という名前の由来がある大きな岩が三つあるところだ。
実は、私はここには初めてきた。
岩に鬼の手形があるといわれる大きな岩だ。
鬼が悪さをしないと約束をした手形だという。

■盛岡に住む中学・高校時代からの親友に会い、弟家族に母親を預けて栗駒に戻った。
友人にも弟家族にも心配をかけ、たくさんの支援応援をもらった。
感謝したい。
自然学校復興Tシャツと報告書の表紙のデザインをしてくれた姪っ子にも会った。
姪っ子は今大学4年で美術の勉強をしてきた。
NHK盛岡放送局のキャラクターの“がんすけどん”と“なはんちゃん”は彼女がデザインした。
岩手県内のNHKでは頻繁に映っているようだ。

■盛岡の弟家族にご馳走になり、母親を預け、栗駒に向かった。
栗駒では私の女房の親戚が集まっていた。こちらの親戚にもたくさん応援をしてもらった。
義理の叔父叔母たちにも感謝感謝。
この日遠野の恩師からいただいた“どぶろく特区”で有名な遠野のどぶろくを一緒に美味しく飲んだ。



年末の3日間(29日) [2008年12月31日(水)]
■福島県新地町
私の母親が生まれ育った町。東に太平洋、西に鹿狼山。日本の農村漁村の原風景があった箱庭のような地域だ。
私も幼いころから盆暮れはよく母の故郷にきて、存分に遊んだ。
昭和30年代から40年代初期のころ、母の実家は茅葺屋根に土間にカマド、冷たい湧き水が土間の横にあり、囲炉裏、五右衛門風呂があった。
ニワトリ、ウサギ、ヤギに牛。ニワトウサギの肉をいただき、ヤギの乳も飲んだ。
祖母は養蚕もやり、桑畑もあった。祖父は正月に畳2枚ほどの大きな凧も揚げた。
夏は裏の川を堰き止め天然プールで泳ぎ、里山の中に秘密基地をつくり、お風呂の火の番で公に火をいじった。
自分が思い描いている持続可能な豊かな暮らしのモデルはここにあったのかもしれない。
■29日は母親と福島県の新地町まで車を走らせた。親戚廻りをした。親戚にも地震で心配をかけた、応援ももらった。
母方の叔父叔母は8人兄弟で、従兄弟が実に多い。母方だけで25名の従兄弟がいる。私は上から数えて19番目だ。従兄弟のなかでは下のほうで、いまだに従兄弟からは「とよしチャン」とチャン付けで呼ばれている。
この日は、一番上の従兄弟SM氏を皮切りに4軒をい回った。
SM氏は、20年近く前からある場所に桜を植える活動をコツコツとやってきた。
農業用のため池とそこに注ぐ湧き水の周辺を整備しきた。
今では賛同するかたがたが増え市民活動に発展してきたと聞いた。
そして、今年の環境省の平成の名水100選にここの清水が選ばれたきいた。

■右近清水
伊達正宗の孫にあたる右近宗定に由来する。地元人々が整備し環境や生態系の保全に活動が評価されたという。
20年ほど前に桜を植えることは多くの方に理解されなかったが、信念を持ち続けると徐々に賛同者が増え、連日清水を汲みにたくさんの人が訪れ、桜の季節は相当にぎわうようになったと誇らしく語ってくれた。この日も清水を組みに何組か並んでいた。
■新地町をあとに、母親を栗駒まで連れてきた。
この夜は、くりこま高原自然学校のスタッフのささやかな忘年会だ。
母も加わり楽しい食事ができた。
母が得意なハーモニカで楽しい歌声が響いた。