第51話 今日は70年前に日米開戦した日[2011年12月08日(木)]
今から70年前の昭和16年12月8日は日米開戦の日であった。幼稚園に通園していた頃のことでこのころの記憶はほとんどない。
いつの頃からか定かでないが、「真珠湾攻撃」とか、「リメンバー・パールハーバー」といった言葉はしっかり記憶している。
この日の夕食時にたまたまやってきた中学1年生の孫2人に「真珠湾攻を知っているか」と知っているかと尋ねると、吹田の小学校を卒業した孫は「先生からそのことを教えてもたった」と応えたが、箕面の小学校を出た孫は「何だったかな!聞いたことがあるが思い出せない」という返事だった。
つい先だって本箱の整理をしていて、たまたま目にとまった本で「教科書が教えない歴史」(産経新聞社:著者 藤岡信勝・自由主義史観研究会平成8年8月10日初版発行)を読んでいた。その41ページの「日本とアメリカ」の章で「開戦通告の遅れが悲劇を大きく」を読んだばかりだった。
その冒頭には「小学校社会科教科書より」として、「1941年12月、日本軍は、イギリス領のマレー半島とハワイのアメリカ軍基地を攻撃し、アメリカ、イギリスとも戦争をはじめました(太平洋戦争)」という書き出しである。
70年前の私は、小学校へ入学する2年前の5歳だったから、この日の記憶は全くないし、歴史の教科などで習った記憶もないが、新聞やラジオ、本などで応えることができる。
上記の本の続きには「当時、ハワイのアメリカ軍基地は、真珠湾(パールハーバー)にありました。日本の小学校の教科書にはこのように、この湾の名前すら出てこないものもあります。しかし、アメリカ人は、戦後50年を過ぎた今でも『リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)』といって、多くのアメリカ人に語り継がれているのです。それほどアメリカ人の怒りはすごいものでした」と。
なぜアメリカ人はそれほどまでに怒っているのか
この本によると、当時の国際社会では1分前に口頭でも宣戦布告をすれば合法的だったのに、宣戦布告前に真珠湾を攻撃してルールを破ったことに対してアメリカ人は今でも「真珠湾を忘れるな」と怒っているのだ。
「教科書が教えない歴史」によると、最初からだまし討ちをしようと考えていたわけでなかったが、「日本政府は、開戦(真珠湾攻撃)25分前に宣戦布告するという考えで、連合艦隊司令長官の山本五十六や海軍軍令部総長の永野修身もそうするように言って、また事実そうした」という。
ところが、「宣戦布告を出したその日。ワシントンの日本大使館は、人事異動による送別パーティーをしていた。大使館には、一人の宿直もいない。翌日大使館員が出勤してみると、日本の将来を左右する電報が、多くの電報に混じって入っていた。戦争前のこの当時、重要な電報はみんな暗号で、重要機密ということで、タイプライターの専門でない上級書記官が暗号を解読し、慣れぬ手つきでタイプを打ち上げた。当然、時間がかかり、ようやく打ち上がったタイプは、野村吉三郎大使がアメリカの国務省に持って行ったときには、時すでに遅く、野村大便が出かけた85分前に、真珠湾では爆弾が落ち、魚雷が発射されていた。これが日本の後世に残る悲劇の実態」と言う。
こんな行き違いを知って唖然とした。風雲急を告げる事態に一人の宿直もいないとは!
歓迎会や送別会といったノミニケーションは日本人社会の通例だけでなく、どこの世界でもありうることだと思うのだが・・・・・・。
今では送別パーティーに留守番などをおいて緊急時の連絡体制は整えられていると思う。
ウィキペディア(フリー百科事典)の「真珠湾攻撃」にはこの辺に事情を詳しく解説している。 上記の「宣戦布告遅延問題」(この資料は外交史料館報 第8号で閲覧可能)は史実として記載されているが、「アメリカは事前に察知していた」と陰謀論について、肯定説、否定説や、さらに「アメリカが日本を誘い出した」との主張にも肯定説、否定説を書いている。
「宣戦布告遅延問題」の項の最後に、「ただし留意しなければならないのは、宣戦布告が攻撃直前に行われた場合は同じように国際条約の違反になることである。なお、アメリカは第二次世界大戦後に参戦したベトナム戦争、パナマ侵攻などいずれの戦争において宣戦布告を行っていない」と書いている。
おりしも、NHK連続テレビ小説「カーネーション」では、今朝は戦時中の話題で主人公の亭主が出征を見送る話題だった。
(平成23年12月8日)












































