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驟雨の街、春。3 [2016年04月13日(Wed)]

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あっという間に桜が散っていった。
枝先に咲き誇った淡い桃色の花は
キメが粗い泡のごとく、なくなってしまった。

あれほどに儚く可憐な花弁は、
いまや地上で無残にも車や靴の下敷きとなっている。
花ぶりが盛りの時には褒め称えられるも、
一旦地に落ちてしまえば、捨てられたタバコの吸殻や空き缶と同じというのか。
人間の冷酷さを垣間見たようだ。

さて、平家物語は、学校で習う古典であるが、
その冒頭部分は必ずと言っていいほどに暗記させられ、
教卓に座る先生に向かって、一人ずつ口頭テストをさせられたのではないだろうか。
そんな記憶があるせいか、私はいまだに暗記している。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

偉そうに言ったが、わずか100文字足らずのこと。
何度か練習して言えば、誰でも覚えられるものだ。
そして桜を見るたびに、平家物語を思い出す。
生きとし生けるものすべてが盛者必衰。
遅かれ早かれ、塵のように滅びていくものである。

物覚えの悪い私だけれども、桜好きが高じて
平家物語の冒頭を未だに空で言えるのは不思議と思う。

今年は、故郷の桜を拝められなかったのは残念だったが、
例年にも増していろんな場所から眺めることができた。
嬉しさの反面、ふと、ふみさんは桜というものを知らずして
春を過ごしていくのかなと思うと、幾分と切なくなった。
【驟雨の街、春 2016の最新記事】
驟雨の街、春。2 [2016年04月10日(Sun)]
昔、心拍数の回数はニンゲンも動物も
生き物すべてが平等に与えられていて
一定の回数を終えたら、その命も終える、
という都市伝説のような話を聞いたことがある。

大きな動物は心拍数も少なく、
逆に小さな動物はとても早いスピードで心臓を打つから早く死ぬのだと。
当時は、その噂に妙に納得していたのだが、
いまとなっては、嘘だと思っている、確信はないけれど。

「大人になるといろんなことが大体わかるものだよ」なんて
どなたかの先輩から恭しく拝聴したが、
心拍数の話も大人になったから違うとわかったことの一つだ。
大体違うだろうということがわかった。

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さて、2月11日に来た我が家の天使・ふみさん(ねこ・キジ白・7ヶ月)は
まだまだ子猫だけあって、非常に体温が高く心拍数が早い。
とくに遊んだり勝手に発狂したりした後は一層早くなるから
少し心配になるものだ。

(育ての)母の優しい心遣いを他所に、ふみさんは発狂するのが好きだ。
深夜12時を回った頃から元気になるのは、ご近所迷惑になるので
本当にやめてほしいと願うのだが、きっとその思いは届かない。
今日も、彼は無邪気に走り狂っているだろう。
驟雨の街、春。1 [2016年04月08日(Fri)]

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散りゆく桜。
風に揺られ、嵐のごとく去りゆく季節。
花筏は波を越え、
新しい出会いを運んでくる。

一歩踏み出した今春。
いまだからこその出会いとひとときを綴るべく
筆を執ろうと、一人決め込んだ。
季節、はる。 [2016年04月07日(Thu)]

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花散らす雨。
いよいよ淡い桃色の夢は終わり、
新緑へと化す。

空高きところで流るる雲は
慌ただしく過ぎ去り
深い青が僅かに見えた。

どんな力も及ばずに
季節は変わり
新たな出会いがやってくるのだ。

ときの移ろいにただ身を委ね、
鼻唄なんぞを口ずさみながら
心地よさを体いっぱいに浴びる。

きっと、これが自然体。
私が私である所以なのだと思う。
愛しのモレア [2016年04月03日(Sun)]

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空と海の出会うところにその島はある


海の風がささやき、夜となく昼となく


あなたを呼んでいる


まだ見ぬタヒチ。


その心地よさを石井好子さんを読んで巡らせる


碧と蒼、いろんな「あお」が


タヒチで生み出されている、はずだ。

都会の小旅行-1 [2016年03月27日(Sun)]

世界有数の大都市・東京に突如現れる昭和な世界。


トマソンのように


おそらくここ数年で消え去る可能性が高いゆえに


きちんと記録したいと思ふ。


第一弾は、渋谷道玄坂を登ったらあった


巨大なジャングルジム。
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そしてノスタルジーな看板。
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別れの日 [2016年03月09日(Wed)]


先日、我が家の老ねこ、トムさんが15年の命をまっとうされました。
トムさんがやって来たのは、私がまだ12歳だったとき。
生後30日くらいで、片手に納まってしまうほどの、小さな小さなねこでした。

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いままで大病を煩うこともなかったし、
粗相や悪さも一切なく、
とても穏やかで、申し分ないねこでした。

愛情を注ぎ過ぎてしまい、おでぶさんになりましたが
大きくなっても優しくて利発そうな顔をしていました。
うちの家族みんなで親バカだったのかもしれません。

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いつも家族の中心にいて、家族の輪を整えてくれていたトムさん。
急性膵炎にかかって、本当にあっという間に旅立ってしまいました。
命って、あっけないとも思えるほど、一瞬だったように思います。

あったかくて、やわらかくて、かわいくて、まんまるで、
二度とトムさんに触れることができないんだなと思うと悲しいですが
トムさんがいつまでも見守ってくれていると考えるようにします。

ずいぶんと泣いた数日間でした。
でも、新しい家族にも恵まれました。
トムさんの分まで、一所懸命がんばろうと思います。

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トムさん、ありがとう。さようなら。
no title [2016年02月29日(Mon)]
先日、大事にしていた急須を壊された。

その急須は、数年前にわざわざ益子まで連れて行ってもらって
あれやこれやと丸一日探して
諦めかけた時に、ようやく見つけた逸品だった。

一目見た時から気に入って
そのときの出会いの感動や喜びが詰まった
思い出の一つだったのだ。

だから、扱うわたしの手は
優しかったに違いない。
何年後も使い続けたいという気持ちがあったから。

形あるもの、ないもの、
いづれも時の流れとともに朽ちていく。
平家物語の教えだ。

もちろん、陶器みたいな繊細なものほど
壊れやすくて然るべきだと思う。

ただ、モノにだって寿命はある。
よく使ったから仕方ないものや
まだまだ使えたのにと若くして亡くすものがある。

不慮の事故のように壊れてしまったのが今回であるが、
その壊した相手のゾンザイな扱い方に
わたしの怒りは溢れ出したのだ。

やはり、世の中にはものを大事にできる人とできない人がいる。
きっとそれは大量生産大量消費社会を経験した
日本の弊害だと思う。

壊れたらまた買い直せばいい。
そんな思いがまだまだ蔓延ってるのだと思う。
しかしそうは思わない人が、最近増えてきているのだ。

長く大事に。
お気に入りを肌身に。
自ら語り部となりたくなるものを。

価値観の相違と、言えば仕方ない。
ただ、前者の価値観を持った人に壊されたのなら
わたしの大事な急須は浮かばれないのではなかろうか。

もう壊れてしまったから
元には戻らないけれど
また買い直そうと単純に思えないわたしがいる。

非日常の世界 [2016年02月05日(Fri)]
非日常の世界に飛び込むには、マグリットの絵を見たら良い。
これは私の金言だ。

でも、マグリットの世界観は、何も絵を見るばかりではないことが分かった。

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湖の鏡に映る空は、まるでマグリットが表したような風景だった。
リズム [2016年02月01日(Mon)]

どんなお仕事にも、必ずリズムがあると思うのです。

言葉のリズムなのか、音のリズムなのか、動きのリズムなのか。
お仕事によって異なるのですが、リズムは
その仕事の良し悪しを決める重要なポイントになるものだと思います。

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先日お邪魔させていただいた、金具職人の八重樫栄吉さんはリズムの達人でした。
八重樫さんが作るのは、手打ちの打ち出し金具。
タガネを用いて、鉄板や銅板を表と裏と順番に打ち出し、立体感と表情を作り出すのです。

タガネは工房内にあるフイゴを使って一つひとつを手作りします。
タガネ作りに修行3年は必要だそうです。
一つの金具を完成させるのに用いる金具は100以上に及ぶこともあるのだとか。

こうして出来た打ち出し金具は、仙台の伝統工芸品「仙台箪笥」の抽斗につけられます。
龍や獅子、牡丹など細かな細工を施された八重樫さんの手打ち金具は
ため息が出るほどに素晴らしい。何時間だって見られちゃうのです。

八重樫さんは、三拍子のリズムで板を叩きます。トントントン、トントントン・・・。
朝一番に少し叩いた感覚で、その日1日の仕事の具合が分かるそうな。
さらに不思議なのは、奥さんも八重樫さんが叩く金具の音でその日の調子が分かると言うのです。

リズムを感じて板を叩くと、余分な力が抜けて体を痛めることがないそうです。
無理に叩かないことから、金属にしなやかな動きが生まれるのだと思いました。
力まず、金属板の反響する音を聞きながら、トントントン、トントントン・・・。

金具職人・八重樫さんのリズムは、軽快に鳴り響く三拍子でした。
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