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雨ニモマケズ 風ニモマケズ

- 災害系ボランティア情報 ブログ-

日本は台風・火山・地震と世界でもっとも自然災害の多い国です。

阪神・淡路大震災以降、大規模災害でのボランティアによる救援活動は、いまや被災地の復興には欠かせぬものとなり、その活動は被災者へのエールにもなっています。
雨にも負けず、風にも負けず、汗を流す災害ボランティアに対する各方面からの応援をよろしくお願い申し上げます。         


刀傷 [2006年06月29日(Thu)]
浦柄復興委員会のブログ「うらがらの笑顔」に新聞を見た人か最近朝日山を訪れる人が徐々に出てきたとのことです。恢興之道の整備に携わった一人としてとても嬉しく思っています。


恢興之道づくりに汗するボランティアの勇姿


朝日山物語:
北越戦争で朝日山にて戦死した会津藩の白虎隊士新国英之介(当時17才)の亡骸を捜しに来た父親が、それを葬っていただいた浦柄の村人に息子の体にある刀傷が体の前か後ろかを注意深くお聞きになったそうです。息子が敵に後ろを見せ逃げたのか、敵に正々堂々と真正面から向かって行ったのか、もののふとして見とどけたかったそうです。
まさに会津士魂そのものの逸話ですキラキラ
どこかのサッカーチームに聞かせたい話ではないでしょうか。

浦柄神社に眠る東軍兵士


とは言うものの家族に後ろを向かれてばかりの今日この頃です悲しい
屋号はどこへ [2006年06月26日(Mon)]
馬喰、隠居、代蔵、オッサ、倉兵衛、かん助、香の木、孫七、作左衛門、音右衛門、五郎助、常七、甚六、重右衛門、徳右衛門、おやじ、治右衛門、中村、吾一、忠吉、久兵衛、金吉、大下、橋村、仲右衛門、五郎兵衛、金次郎、金蔵、堂の前、作右衛門、伝四郎、利助、六兵衛、三兵衛、大内、大門、どんどん、下の窪、次郎左衛門、又右衛門、与治衛門、武助、新宅、茂治兵衛、徳蔵・・・・。

小千谷塩谷地区の屋号です。姓は星野、関、友野の三つ、従って住民とでボランティア活動での打合せ行う時に覚えなければならなかったのがこの屋号でした。しかし、覚えられる筈も無く、そこで作られたのがこの屋号地図(by Awazu)です。9割が全半壊の塩谷にあって、今はこの屋号地図が住民の記憶以外では、唯一震災前の集落の形を思い浮かべることのできるものになってしまったのかもしれません。

集団移転などそれぞれの環境が変化する中で、昔から受け継がれてきたこの屋号はどうなるのだろうかと勝手に思う。もともと人々の記憶の中にしか存在しない屋号ではあるが、この塩谷に限らず、中越地震で消えようとしている屋号はいったいどれだけあるのだろうか?
確かな一歩 [2006年06月25日(Sun)]
小千谷塩谷にて、住民とボランティアとが共同して田植えが行われたとのことです。

田んぼをご提供されたのは、小千谷角突き「北斗会」のメンバーの星野正文さんです。中山間地が壊滅的な打撃をうけた中越地震。そのことから日本の中山間地の未来を占う中越被災地の復興とも言われていますが、この田植えのように都市部と山村の新たな関係を創って行く事に、その重要なカギが隠されているようにも思います。

そのほのぼのとした素人的な田植えの模様は、中越復興市民会議の事業「おこす」 にて紹介されています。黄金色に輝く秋の収穫が楽しみです。

昨年の今頃はひたすら家屋や瓦礫の処理に追われたボランティア活動ですが、今年は田植えが行われ、復興への確かな歩みを見ることが、この上なく嬉しく、思わず叫んでしまいそうです。
ヨシター!ヨシター!と、このバカがつくほど強くて優しくて凄い人達へ!

おまけ:
今年の3月、塩谷に活動に入っていた静岡からのボランティアさんとのご縁から、正文さんたちは9時間かけて、雪の見ることのない静岡の子ども達に塩谷の雪のプレゼントをしたのです。少しでも融けないように夜中にダンプを飛ばして・・・。
◇写真:HS神戸サイトから

11トンダンプ3台分の雪を塩谷から静岡へ

除雪機を持ち込んで雪も降らせてくれました


※上の写真は05年春、住民とボランティアの交流会で肉やヤキソバを焼いてくれた正文さんです。笑顔が最高!
心の精算 [2006年06月22日(Thu)]
思い起こせば、2004年10月23日17:56に私と吉村さん(ヒューマンシールド神戸)は台風23号の被災地の兵庫県豊岡市にいました。下の画像が吉村さんがカヌーで豊岡に入ったときの画像です。川の数か所の決壊により市街地の80%が水没していました。ボランティアによる処理活動の準備のために新潟災害ネットへ資機材の提供をお願いし、そのトラックが新潟三条市を出発した直後に中越地震が起きました。
※結局新潟からの資機材は地震の影響で交通がマヒ、豊岡には届かずじまいでした。

時間が経つにつれ中越地震の被害の甚大さがラジオやテレビを通して入ってきました。吉村さんは中越入りを決断し、豊岡から夜通しかけて小千谷に入りました。翌朝、災害対策本部にて、三人の子ども達が亡くなった塩谷から、けが人や被災者がヘリコプターで運ばれてくる。その人たちは小千谷高校に避難するとの情報を得、山形から被災地入りしていた神戸元気村時代からの仲間、中越元気村代表のスターンさんと合流。そこで炊き出しを開始したのがボランティアと塩谷の皆様との関係の始まりでした。

その後も住民の制限時間つきでの帰村の機会に乗じて物資の運び出しや瓦礫の処理などを住民と一緒に活動をさせていただきました。それが後の「春の陣T・U」「芒種の陣」「芒種庵の保存」「絆Tシャツ」へと繋がっていきました。私たちは甚だ若くしてこの世を去った三人の子ども達のことをいつも心に刻みながら活動をしていたように思います。これは塩谷に関った多くのボランティアも同じだったと思います。

あれから1年8か月を過ぎ、いま三人の子供達の慰霊碑「聖観音菩薩像」が完成し、慰霊鎮魂と、さらなる復興への誓いを込めて「慰霊塔」が建立されます。漸く私たちもこれで心の精算が出来そうです。村の人たちも7月16日の献花式には「塩谷春の陣T.U」及び「芒種の陣」で塩谷に関ったボランティアの参列を希望されています。

また塩谷で会いましょう。
そしてこれからもこの「絆」を大切に繋ぎ続けてゆきたいと思っています。


住民とのボランティアとの信頼関係を徐々に築いていった
助さん?いや吉村さん
小千谷高校の避難所にて(助さん?いや吉さん・友野さん・関さん)


◇塩谷町内会長関芳之さんからの献花式・祈念式の案内を添付します



おまけ:
被災地のジョクジャカルタから朝日山復興春の陣に現れた助さんです。
少し湿っぽい記事になったしまったので箸休めにどうぞ!
さすがの袖さんもこれには持っていかれた眼差しでした。
帰ってきました [2006年06月18日(Sun)]
小千谷塩谷に闘牛の牛が帰ってきました。震災前は人と牛が一緒に暮らしていたのどかな村でした。そしてようやく地震から1年7か月ぶりに避難していた牛たちが帰ってきました。
震災前と同じように塩谷に牛の鳴き声が響いています。ぜひ塩谷を訪ねて牛と戯れてください。とてもかわいいです。

牛の世話する星野卯三郎さん

あの闘牛場での猛牛も人にはやさしい表情。

芒種庵と牛、う〜ん!待ちわびた風景です

おまけ:冬に現れたタッコロとシンゾー朝日山の助さん、そして袖さんの小泣き爺いと、勇猛果敢で知られた風゜も最近は仮装行列のほうで有名かな?(苦笑い)
因みに、この袖さんがはおっている蓑は飾りとか民芸品ではなく当然実際に使えるものなんです。そして、なんとここ塩谷でも今でもこれを愛用している人がいるから嬉しいです。天然素材100%の雨具。ゴアテックス以上に蒸れなく、そしてカッコイイ!

次回をお楽しみに!
一年と半年以上が過ぎても [2006年06月17日(Sat)]
このような画像は震災のあった年によく見ることができました。しかし、この画像は中越地震の被災地小千谷で起きている現実です。まだまだ震災後から全く手付かずのところがいくらでもあるんです。



芒種庵パワー [2006年06月16日(Fri)]
小千谷塩谷での古民家保存を切っ掛けにして生まれた活動が、いま注目を浴びています。被災地での復旧・復興は着実に進んでいるものの問題も山積みです。そんな中、地震によって離れ離れになる住民の心の拠り所として、このような活動が有効ではないかと行政も注目しだしています。元気の源がこの活動の何かに隠れているのかもしれません。

芒種庵の活動は地震の前は市民活動などに全く縁のなかった人たちが、試行錯誤ながら、絆Tシャツ販売での資金集めなど、よそ者であるボランティアに背中を押される形でスタートし、ゆっくりながら着実に完成に向けて進んでいます。

作業日に集まった芒種庵を作る会のメンバー

地元の大工さんの指導で

ゆっくりでも皆の手で釘の一本一本を打つ

そして、新「カメラ目線の男」登場!

山古志別動隊 [2006年06月15日(Thu)]
朝日山復興春の陣の別動隊として活動いただいた旧山古志村油夫での活動画像が別動隊々長のヒューマンシールド神戸の吉村さんのブログでアップされているのでご紹介します。

吉村さんは、インドネシアのジョクジャカルタ大地震からトンボ返りで中越に入ってこられました。その行動力にまた脱帽です。

山古志別動隊作業班:
◇ヒューマンシールド神戸:吉村さん(神戸)
◇米沢藩:ジャッキー遠藤さん(山形)
◇チーム静岡:松山さん他、焼津隊・三島隊の皆さん(静岡)
◇チーム絆:福原さん父(千葉)
◇チーム絆:花島さん(静岡)
◇チーム絆:田中さん(千葉)

輸送班:
◇チーム絆:よーこさんご夫妻

スペシャルアドバイザー:
◇チーム絆:星野武次郎さん

画像はこちらからどうぞ!

山古志別動隊の皆さん。本当にお疲れ様でした。

地震と二年の大雪で車もこのとおりです悲しい
恢興之道【2】 [2006年06月14日(Wed)]
6月10(土)-11(日)、二日間で行われた、朝日山復興春の陣、復興隊にご参集いただいた主な団体を改めてご紹介させていただきます。

活動の画像はこちらから!

BGMはこちらを!

【浦柄隊】
小千谷浦柄復興委員会と住民の皆様

【長岡藩連合】 (順不同)
中越復興市民会議
立ち上がれ!中越プロジェクト
にいがた災害ネットワーク
長岡技大VOLT of NUTS
中越学生ボランティアネットワークなじらね
小千谷青年会議所
チーム絆
NUVC(新潟大学ボランティア本部)
トライ・ネット

【風人隊連合】 (順不同)
会津青年会議所
只見ぶなの木倶楽部
震災がつなぐ全国ネットワーク
あかつきボランティアネットワーク
チーム静岡
那須野ケ原青年会議所
地球緑化センター自主グループ
オールとちぎ
名城大学
チームA〜gein
ヒューマンシールド神戸
テクニカルボランティア集団「風゜」
くわな防災支援ネット
HANDS1.17希望の灯
◇日本財団復興ボランティア支援タスク


※ご報告:
朝日山保全のチャリティを兼ねた記念Tシャツ(限定200枚)も皆様のご協力で無事完売することが出来ました。売り上げから実費を差し引いた10万円を朝日山の保全のための活動費とてご寄付をせせていただきました。ご協力ありがとうございました。

なお、製作についてデザインを考案いただいたイラストレーターのひかるさん、短い期間で製作いただいた桑原さん、あがとうございました。この場をお借りしてお礼申し上げます。


浦柄神社に集結した朝日山復興隊の皆さん
恢興之道【1】 [2006年06月13日(Tue)]
朝日山復興春の陣にて浦柄の皆様と趣旨に賛同し集ったボランティアとによって旧道の整備をさせていただきました。浦柄の復興とさらなる発展の願いを込め、あえて「恢興之道」と命名されました。小千谷を訪問の折はぜひこの恢興之道から朝日山へお登りください。晴れた日は遠く佐渡島まで見渡せるほどの絶景の山頂です。

お昼休みのひと時、山頂で地元長岡の歴史家、稲川明雄先生のご講話がありました。
この朝日山の激戦で松下村塾時代から盟友軍鑑時山直八を失った西軍参謀山縣狂介(有朋)は敗走を余儀なくされ、この時西軍の快進撃が逆転されるのではないかという恐怖をおぼえたとあります。その時に詠んだ句が、
「あだ守る とりでのかゞり 影ふけて 夏も身にしむ 越の山風」 です。
この日、滝のような汗を流すボランティアには、爽やかな越の山風でした。

※三島億二郎(米百俵の小林虎三郎と並んで、戊辰戦後の長岡再興の立役者の一人)の偉業に対し昭和2年に立てられた碑に刻まれた、
「長岡ノ今日アル實ニ翁ノ力ニシテ翁ハ眞ニ長岡恢興ノ恩人ト謂フベシ」
「恢興(かいこう)」とは以前よりももっと良くするという意味。

朝日山復興春の陣の写真はこちらから

整備された旧道「恢興之道」


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