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雨ニモマケズ 風ニモマケズ

- 災害系ボランティア情報 ブログ-

日本は台風・火山・地震と世界でもっとも自然災害の多い国です。

阪神・淡路大震災以降、大規模災害でのボランティアによる救援活動は、いまや被災地の復興には欠かせぬものとなり、その活動は被災者へのエールにもなっています。
雨にも負けず、風にも負けず、汗を流す災害ボランティアに対する各方面からの応援をよろしくお願い申し上げます。         


大地震に備えて! [2005年10月31日(Mon)]
東海・東南海・南海と、数年以内に日本列島を大地震が襲うとも言われています。
大地震で生き残るためのサバイバル読本が出ました!
サンデー・ジャポンでおなじみのテレンス・リー氏が、傭兵としての豊富な実戦経験から得た独自の危機管理マニュアルを基に、来るべき大震災を生き抜くサバイバル術を具体例に即して紹介します。値段も手ごろで内容もよくまとめられています。

テレンス・リーのまず3日生き延びろ!
     ―大震災サバイバル読本(A5)

双葉社 (2005-07-30出版)
テレンス・リー【監修】
販売価:\1,260(税込) (本体価:\1,200)

第1章 今からできる準備
     大けが・逃げ遅れの原因はガラス、重心は下へ、1日ひとり300リットル 
     ほか

第2章 まず3日間生き延びる
     「何か感じる」をごまかさない、その時あわてないための事前準備、確実な
     情報はラジオからほか

第3章 4日目以降をこう生きる
     話して精神安定、伝言サービスを使う、笑いは究極の健康法 ほか


本書への写真提供:キラキラ日本財団災害チームキラキラほか


電球おまけ:Gooの防災特集サイト
パキスタン地震情報【8】 [2005年10月30日(Sun)]
パキスタン北東部大地震の救援活動に入り、現地から被災地情報を送っていただいたヒューマンシールド神戸の吉村誠司さんが28日に帰国しました。

現地では日本から持ち込んだエンジン式コンクリートカッター(潟}キタ提供)などの指導を行うなど、精力的に被災地を回りながら結果の残せる活動が出来たと報告をいただきました。HS神戸ではこれから冬を迎える被災地のためにテント村設置の準備を始めています。

◇HS神戸ではテントなどの輸送のため募金をお願いしております。 
 郵便振替00980−7−264796
 「ヒューマンシールド神戸」までお願いします

◇現地カウンターパート
 日パ・ウェルフェアーアソシエーション(NWA)


    エンジンカッターの使い方を指導をする吉村氏
闘牛場に集まろう! [2005年10月29日(Sat)]
中越地震復興の起爆剤となった「越後闘牛」。国指定重要無形民族文化財、牛の角突きもいよいよ最終場所となりました。古くは滝澤馬琴の南総里見八犬伝にも登場する歴史ある越後の角突き。1トンの猛牛のぶつかり合いと現代の犬田子文吾、勢子の勇ましさを是非生でご覧あれ。

小千谷塩谷からも出場予定。塩谷に参集したボランティアの皆様、塩谷猛牛「大下、紅丸、忠吉、隆政」の応援に闘牛場に集まろう!走るまた、東山小学校の子どもたちが育てた「牛太郎」も出場予定です。

そして、牛がのんびり暮らす塩谷が早く帰ってることを願い、来年の春は蘇った小栗山闘牛場で再会しましょう。


◆小千谷闘牛最終場所:
  11月6日(日)13:00小千谷白山運動公園の闘牛場。

小千谷市闘牛案内
  
小千谷北斗会

◇日本財団も被災地支援の一環で越後闘牛を応援しています。
  [こころクリック]


            「よしたー!炎よしたー!炎
凄い人U [2005年10月28日(Fri)]
村一番の働き者力こぶ

中越地震の被災地で多くの方々と知り合いになりました。その中に不幸にもお孫さんを亡くされた小千谷市塩谷地区の星野武次郎さんがいます。いまでも小千谷を訪ねた時は仮設にお邪魔して(押し掛けて)奥さんの手料理をご馳走になっています。私たちが塩谷の皆さんと深くお付き合いするようになったのも武次郎さんとの出会いがあったからだと思います。

お寄りした時は私たちも努めて震災当時の話はしないようにしていますが、村の昔の話し、武次郎さんが子どものころの暮らしの話や青年の頃の話。闘牛の牛を飼っていたころの話。子どもの頃は牛が遊び相手だったとかなど、どれも興味深く聞き入ってしまいます。

武次郎さんはいつも黒のウエストポーチを持っています。おじいさんとウエストポーチ。前からどうもイマイチ似合っていないというか、おしゃれというか、なんとなく違和感を感じて見ていました。24日の日本経済新聞に「孫の笑顔、胸に再起」の記事。武次郎さんのことが。その記事を読んでそのウエストポーチがお亡くなりになった孫の一輝君の形見であることを知りました。

私たちは昨年冬、武次郎さんと一緒に村に入り、全壊した家屋から家財道具や大切な遺品などの運び出しの手伝いをさせていただきました。余震がある中、霙まじりでの作業。ボランティアも顔を滴るのが雨か汗か涙かわからないほど悲しく辛い作業でした。でもこの時、武次郎さんに災害にへこたれることなく、年齢を感じさせない気力と体力に雪国で生きる男の強さを見た思いでした。塩谷地区は今でも避難地域ですが、軽トラックで奥さんと一緒に村に行き、畑仕事や村の大切な水の管理などをいつもせっせと体を動かしています。

武次郎さん、あなたは、雨ニモマケズ、風ニモマケズにさらに「地震ニモマケズ」がつく凄い人です。そしてとても優しい人です。そしてウエストポーチも最高に似合ってる爺ちゃんです。

一周年にあたり思いのたけを書かせていただきました。お許しを。


作業の合間の一休み。「美味いキュウリが冷えてるぞ!食ってけ」
災害と水 [2005年10月28日(Fri)]
災害で生き残るには水が重要なカギ。川や池の水、泥水など被災地や途上国においてきれいな水を確保することができる画期的な携帯型浄水装置が登場

株式会社A&AT

◆水の哲学「水六訓
パキスタン地震情報【7】 [2005年10月27日(Thu)]

【ヒューマンシールド神戸・吉村氏からの報告を掲載します】

震源地へ、そしてカシミールへ


日本にいると、今回の地震がどの地区まで被害があったのかわからなかったが、この被災地に来て見て、広域であることや山岳部の奥深さを痛感した。

昨日は、その被災地の状況を確認しようと、早朝から夜まで廻って調査をしてきた。いつもは自分が運転しているが、今回は地元の運転手がいるから出来る業だった。

●イスラマバードから北西に向かい、マンセラという街に向かう。
ここは、病院が機能しているので、被災地への最前線という感じで、国連関係やNGO、被災者テントもある。そこから北へ、カラコルムハイウェイを抜けて約70キロでバタグラムに着く。

日本からの緊急援助隊や自衛隊の物資輸送を開始した場所でも有名である。最初に行ったバラコットと違うのは、被害が無かった店などが営業を開始している姿もあり、バラコット方面の斜面では、崩壊している家は多いが壊滅的ではなかった。

なんと、パキスタン海軍が陣頭指揮を執って、物資の配給など整然としてるのが印象的であった。やはり、被災後2週間を越えると、次のニーズへと変ってゆくようだが、テントを積んだトラックが山沿いに向けて出発していった。やはり、車で行けない地区が支援を待っているのだ。

●マンセラに戻り、震源地のガリハビブラ村へ
バラコットへ向かう道を右手にそれて行くと、周囲は松林に変り、道はいろは坂のように急に高度を上げてゆく。峠を越えると、眼下に広がる街が見える。そして、その街を囲む山肌は、薄白く崩れ落ち、同じ高さで線が入ったようだ。

「ここが震源地の村よ、そしてこの先が、パキスタンにもインドにも属していないと言うカシミールよ、検問があるかも知れないね」とトクナガさん。話をしている横を、国際赤十字の旗を掲げたパキスタン名物装飾トラックが数台登ってゆく。これは、支援車両が入ってゆけることを意味している。

●カシミール、ムザハラバードへ
いよいよカシミールに入っていったが、何も検問もなかった。この街は、バタグラムよりも被害が目立つが、不安定な情勢もあるのか、海外からの支援車両は少なく感じる。ただし、国連関係やトルコからのボランティアスタッフがヘルメットをかぶり、作業に向かう姿があった。

「政府関係の建物は、全滅の感じだね、私は以前このゲストハウスに泊まったよ」と政府系の建物を指差し、トクナガさんは言った。「この橋では、入るのにかなり検問で時間を必要としていたのに、この時期は証明が無くても支援関係者は入れるようだね」このカシミールに入ると、顔つきも少し違うように感じ、外国人を見つけると寄ってくる物乞いの数もインドを旅した時のように増えたようだ。

●ここからインドにかけてが、大変だ。
インドの国境付近までヘリコプターに同乗して取材してきたジャーナリストの方の話では、この奥の山岳地区での被害状況が外部に出ていないようだという。そして、昨日、地震以来17日目に2人の子どもが救出されたという情報がある。「外部にそのことが伝わっているのだろうかな?」と首をかしげる。NWAのスタッフは、「あの地区の軍隊にも相当数の死者(一説では4万人)が出ているが、正確な数を発表していない。」という。軍事的な情報操作で本当の事はでないだろう。

帰路で、標高2000m以上の道を通りながら、次への支援策を話し合った。やはり、越冬の為のプロジェクトを作ってゆこうということだ。そして、イスラマバードのユニセフに行き、国連機関とNGOとの連携や情報を集めることになった。(つづく)

現地からの画像

◇HS神戸ではテントなどの輸送のため募金をお願いしております。 
 郵便振替00980−7−264796
 「ヒューマンシールド神戸」までお願いします

◇現地カウンターパート
 日パ・ウェルフェアーアソシエーション(NWA)
廃校利用し災害拠点 [2005年10月26日(Wed)]
私たちが災害時に協力し合うネットワーク団体の中に「災害救援ネットワーク北海道」があります。奥尻島津波災害や有珠山噴火などで活躍。代表の山口幸雄さんは宮城北部地震においても東北地区までは私たちの持ち場とはるばる北海道から宮城まで駆けつけていただきました。

普段は地域防災のため講演や訓練指導を行っていますが、この10月からは廃校となった当別町の中学校を活用して災害に備えた資材備蓄や訓練を行う活動を開始しました。北海道は地震の発生回数も多く今後の防災拠点として活躍が期待されます。

ボランティアによる災害救援活動が行われる場合の資機材の提供は災害系のNPOによって全国数か所に備蓄されています。被害を受けた地域に災害対応の臨時ボランティアセンターが立ち上がった場合、それぞれの備蓄拠点からボランティア活動にて使用する必要な資機材が輸送されます。現在、NPO独自にてストックされている地域は、新潟福井名古屋などです。今回北海道に新たに備蓄拠点が出来たことにより災害ボランティアネットワークがさらに強化されたことになります。

合併や過疎により廃校や使われなくなった施設を取り壊すことなく、地域の資源を有意義な建物として生まれ変わらせる工夫が各地で進められている。

ちなみに日本財団では使われなくなった建物を福祉拠点とする場合、その改修費用の助成を行っています。


     ボランティア活動では資機材が不可欠です
パキスタン地震情報【6】 [2005年10月25日(Tue)]

【ヒューマンシールド神戸・吉村氏からの報告を掲載します】

谷間の村で


「壊滅」という言葉があてはまるバラコット村から川の左手を上ってゆく。各地からのNGOは、街中にいくつか来ているが、少し上流に行くだけで、その姿は見えない。

亀裂や土砂崩れが起きている道を、軍隊や支援物資、山盛りの人を載せたジープが行き交う中で、谷間に小さな集落を見つける。パトラン集落だ。上から見ると、被災状況が見えず、唯一の軽トラ道は、崩壊しており、徒歩かロバによる荷降ろしの方法しかない。

フォトにも出したが、この周辺の家は、コンクリートや土ブロックで壁を作り、その壁の上に15×30cm×長さ6mほどの太い柱を渡して、その上に木やワラを編むように乗せ、30cmほどの盛土を乗せる方法だ。日中の暑さを和らげ、寒さへの保温性には、この家は適している。しかし、47世帯の家は全て潰されたように壊れ、家の中にあるものは、遺体以外取り出せていないのだ。

谷上から見たときには、その土屋根が地面と一緒に見えたので、被害の様子は分からなかった。おびえてすぐに泣いてしまう子ども達や、視線が不安定な女性、ただ立ち尽くす老人の姿が目についた。この集落内でも、場所によって物資の入りも違っているのだ。それは、「何かをもらえても、もらえなくても神が与えてくれることだから」とこの地震についても「私たちに試練を与えている」と津波被害のインドネシアアチェ州で聞いた言葉とダブって聴こえた。

テントや毛布、飲み水、食料を村人と一緒に担ぎ下ろして、特に混乱は起きなかったが、とうもろこしの幹と葉っぱで作っていたテントには驚いた。数日前の雨は、大変だったろうに・・・

そして、この集落の奥に、ヒジを20cmぐらい怪我をしている少女に出会い、なんとかお母さんを説得し、車で救援テントまで来てもらうことが出来た。その傷は、かなり化膿していて、処置をしないと大変なことになると、日本人看護師は痛がる少女の手当てを暗くなるまでに済ませた。来る前の、お母さんの不安そうな顔が少し安心してくれたのが分かった。

夜になると、満点の夜空に星が輝き、どれがオリオン座か分からないほど埋め尽くしている。
その横を、羊飼いの群れがのんびりと山を降りて行く。

そろそろ冬がそこまで来ているのがわかる。

現地からの画像T ※トップ画像右が吉村氏(オレンジTシャツ)

現地がらの画像U

◇HS神戸ではテントなどの輸送のため募金をお願いしております。 
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 日パ・ウェルフェアーアソシエーション(NWA)
パキスタン地震情報【5】 [2005年10月24日(Mon)]

【ヒューマンシールド神戸・吉村氏からの報告を掲載します】

10月24日 パラコットへ


イスラマバードを4時前の暗いうちに出発する。標高600m近いので、肌寒い感じだ。マンセラという街を抜ける頃、明るくなってくると、次第に道端にテントが目立つようになる。家の倒壊箇所はまだだが、ここに避難をしている方が増えている。

トクナガさんは、「もっと渋滞するかと思ったが、物資を運んでゆく車が一気に減っているような感じだわ・・被災地への支援はこれからなのに・・・」とつぶやく。山岳地を抜け、峠を越えてゆくと、大きな渓流沿いに道は、バラコットへつながってゆく。中越地震の被災地のような、崩落した道々に、重機が置かれ、ホコリがたちはじめる。「また、被災地に来ている」と実感する。バラコットの街には、まだ瓦礫の下に、遺体が残されている。死臭はかなり減ったというが、手付かずの崩壊現場周辺には脳裏に残っているあの臭いがする。道端には、土を盛られた新しい墓が並び、とげのあるような木が乗せられている。「これは、犬が遺体を食べないようにするためだよ・・」と。

バラコット村のさらに奥の集落に、「日パアソシエーション」の救援テントがある。街より少し離れると、物資や情報が入りにくいというのは、どこかの被災地と似ている。朝から、近所の方々が集まり、治療を行ったり、物資を出す。日本人看護師さんや元海外青年協力隊、旅人の方もボランティア参加で動き続けている。

そして、さらに山岳部へむけて、支援を開始してゆくのだった(つづく)

現地からの画像

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パキスタン地震情報【4】 [2005年10月24日(Mon)]

【ヒューマンシールド神戸・吉村氏からの報告を掲載します】

10月22日パキスタンからの報告


この1週間は、本当にバタバタしていて準備が追いつかない状況だった。コールマン、モンベル、そして工具で有名なマキタ社よりもコンクリートを切れるエンジンカッターを支援をしていただき、いよいよ出発。感謝です。神戸の家を6時に出て、新幹線で上京し、成田へ向かう。14時発のパキスタン航空に乗ってまずは3時間で中国北京へ、そしてそのまま降りずに出発し5時間半のフライトでさっき首都イスラマバードに到着。

空港には、各地からのカーゴが物資を届けており、無造作に置かれているのが、被災地という感じだ。トクナガさんと再会したのが、日本を出て20時間半たった時。「朝3時半にバラコットに向けて出発よ!まってたわー!」とお迎えしてくれる。「現地の日中は暑いけど、夜は昨日は1℃まで下がったわ、スタッフ4人は現地のテントで寝ているのよ」

さっそく緊急に必要な物資を購入できるように義援金を渡し事務所で仮眠することになる。今、事務所のネットに回線を繋いでいるが、時々接続が悪くなるようで、トクナガさんあてへのメールも届いていないことがあるようだ。

イスラマバードの夜は、去年と変わっていないように見えるが、被害があったところが結構あるという。しかし、物資はこの町で買えるという感じで大丈夫だ。

次はいつレポート出来るかわからないが、イスラマバードに戻ったら、出しますね。一応、衛星携帯電話をレンタルしているが、PCとの接続がいまいちうまくいかない。

出発まで3時間。仮眠を取りますね。日本との時差は、4時間。
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