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雨ニモマケズ 風ニモマケズ

- 災害系ボランティア情報 ブログ-

日本は台風・火山・地震と世界でもっとも自然災害の多い国です。

阪神・淡路大震災以降、大規模災害でのボランティアによる救援活動は、いまや被災地の復興には欠かせぬものとなり、その活動は被災者へのエールにもなっています。
雨にも負けず、風にも負けず、汗を流す災害ボランティアに対する各方面からの応援をよろしくお願い申し上げます。         


朝日山復興隊【3】 [2006年05月24日(Wed)]
6月に小千谷市浦柄地区で行なわれる「朝日山復興春の陣」の実施にあたって、その歴史を少し振り返って見たいと思います。

《奥羽越列藩同盟》

京都において天皇を警護する京都守護職にあった会津藩に恨みをもつ長州藩は薩長軍だけで会津を鎮圧するのではなく、仙台・米沢などの東北諸藩の兵力を利用するという考えを持っていた。仙台藩は、当初西軍の命を受け会津に兵を出したが、その一方で会津に陳謝謹慎を勧め、朝廷の許しをもらうべく新政府にはたらきかけようとした。その陳謝謹慎の理由もまったく理解できないが。

仙台藩の本音としては会津を討つ意思はない。しかし会津藩の謝罪嘆願書は撫総督府に握りつぶされてしまう。西軍の参謀、世良修蔵はあくまで徹底交戦の姿勢をくずさない。「なぜ謝罪している会津を、討つ必要があるのか?」仙台藩士をさらに驚かせたのは、世良たち西軍幹部の仙台領内での振る舞いであった。

記述によれば彼らは「仙台藩士を侮辱する歌を唄い」「酒を飲み、暴れ」朝廷の軍隊だという理由で「婦女に一生消えることのない辱めを与え」それを誇りにしたとある。

もともと彼らには和平の意思などなく、特に長州藩にとって会津征伐は、京都において多くの同士を死傷されたことへの恨みばらし、弔合戦ともいえるものであった。戦争はあらかじめ、和平のためではなく、戦争そのものが戦争の目的だったといってよいだろう。「政府軍、官軍といっても長州・薩摩など南西の一部の藩にすぎないのではないか」

世良が大山格之助にあてた密書に「奥羽皆敵」(奥羽=東北は全て敵)の文字が見つかると、激昂した仙台藩士はこの「奥羽殲滅計画」を問い詰め、怒りが頂点に達した仙台藩士がついには世良を惨殺する。

これをきっかけに、仙台藩主導の仲介作戦は破綻。東北諸藩は公然と新政府軍への抵抗を表明すべく、仙台藩白石城において「奥羽列藩同盟」を結ぶことになる。後に長岡藩など越後諸藩が加わり「奥羽越列藩同盟」となる。その数。実に東北三十一藩という、奥羽地方のほとんどの藩を含むものであり、情勢は一気に「奥羽越対薩長という様相を呈してきたのである。炎

こんなどうしようもない世良修蔵でも西軍藩士の墓は驚くほど立派なんです。

◇奥羽越列藩同盟参加藩
白石列藩会議から参加した14藩
仙台藩・米沢藩・二本松藩・湯長谷藩・棚倉藩・亀田藩・相馬中村藩・山形藩・福島藩・上山藩・一関藩・矢島藩・盛岡藩・三春藩・

新たに奥羽同盟に参加した11藩
久保田藩(秋田藩)・弘前藩・守山藩・新庄藩・八戸藩・平藩・松前藩・本荘藩・泉藩・下手渡藩・天童藩

奥羽越列藩同盟に参加した北越6藩
長岡藩・新発田藩・村上藩・村松藩・三根山藩・黒川藩

次回は北越戦争


列藩同盟の舞台となった仙台藩白石城
上の写真は列藩同盟旗

参考:Wikipedia
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