パキスタン地震情報【7】
[2005年10月27日(Thu)]

【ヒューマンシールド神戸・吉村氏からの報告を掲載します】
震源地へ、そしてカシミールへ
日本にいると、今回の地震がどの地区まで被害があったのかわからなかったが、この被災地に来て見て、広域であることや山岳部の奥深さを痛感した。
昨日は、その被災地の状況を確認しようと、早朝から夜まで廻って調査をしてきた。いつもは自分が運転しているが、今回は地元の運転手がいるから出来る業だった。
●イスラマバードから北西に向かい、マンセラという街に向かう。
ここは、病院が機能しているので、被災地への最前線という感じで、国連関係やNGO、被災者テントもある。そこから北へ、カラコルムハイウェイを抜けて約70キロでバタグラムに着く。
日本からの緊急援助隊や自衛隊の物資輸送を開始した場所でも有名である。最初に行ったバラコットと違うのは、被害が無かった店などが営業を開始している姿もあり、バラコット方面の斜面では、崩壊している家は多いが壊滅的ではなかった。
なんと、パキスタン海軍が陣頭指揮を執って、物資の配給など整然としてるのが印象的であった。やはり、被災後2週間を越えると、次のニーズへと変ってゆくようだが、テントを積んだトラックが山沿いに向けて出発していった。やはり、車で行けない地区が支援を待っているのだ。
●マンセラに戻り、震源地のガリハビブラ村へ
バラコットへ向かう道を右手にそれて行くと、周囲は松林に変り、道はいろは坂のように急に高度を上げてゆく。峠を越えると、眼下に広がる街が見える。そして、その街を囲む山肌は、薄白く崩れ落ち、同じ高さで線が入ったようだ。
「ここが震源地の村よ、そしてこの先が、パキスタンにもインドにも属していないと言うカシミールよ、検問があるかも知れないね」とトクナガさん。話をしている横を、国際赤十字の旗を掲げたパキスタン名物装飾トラックが数台登ってゆく。これは、支援車両が入ってゆけることを意味している。
●カシミール、ムザハラバードへ
いよいよカシミールに入っていったが、何も検問もなかった。この街は、バタグラムよりも被害が目立つが、不安定な情勢もあるのか、海外からの支援車両は少なく感じる。ただし、国連関係やトルコからのボランティアスタッフがヘルメットをかぶり、作業に向かう姿があった。
「政府関係の建物は、全滅の感じだね、私は以前このゲストハウスに泊まったよ」と政府系の建物を指差し、トクナガさんは言った。「この橋では、入るのにかなり検問で時間を必要としていたのに、この時期は証明が無くても支援関係者は入れるようだね」このカシミールに入ると、顔つきも少し違うように感じ、外国人を見つけると寄ってくる物乞いの数もインドを旅した時のように増えたようだ。
●ここからインドにかけてが、大変だ。
インドの国境付近までヘリコプターに同乗して取材してきたジャーナリストの方の話では、この奥の山岳地区での被害状況が外部に出ていないようだという。そして、昨日、地震以来17日目に2人の子どもが救出されたという情報がある。「外部にそのことが伝わっているのだろうかな?」と首をかしげる。NWAのスタッフは、「あの地区の軍隊にも相当数の死者(一説では4万人)が出ているが、正確な数を発表していない。」という。軍事的な情報操作で本当の事はでないだろう。
帰路で、標高2000m以上の道を通りながら、次への支援策を話し合った。やはり、越冬の為のプロジェクトを作ってゆこうということだ。そして、イスラマバードのユニセフに行き、国連機関とNGOとの連携や情報を集めることになった。(つづく)
◆現地からの画像
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