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雨ニモマケズ 風ニモマケズ

- 災害系ボランティア情報 ブログ-

日本は台風・火山・地震と世界でもっとも自然災害の多い国です。

阪神・淡路大震災以降、大規模災害でのボランティアによる救援活動は、いまや被災地の復興には欠かせぬものとなり、その活動は被災者へのエールにもなっています。
雨にも負けず、風にも負けず、汗を流す災害ボランティアに対する各方面からの応援をよろしくお願い申し上げます。         


不作為という罪 [2008年04月11日(Fri)]
不作為という言葉がある。最近は裁判の判決などで聞くこともあります。2001年に判決が下されたハンセン病国賠訴訟においても裁判長の口からその言葉が出ました。ハンセン病元患者を差別し合法的に療養という名のもとに閉じ込めることができた、今の世には信じられないような忌まわしい時代錯誤の法律が平成の時代まであり、その法律のために元患者の皆さんは過去に様々な迫害と差別を受けたりもしました。
その法律「らい予防法」は菅直人が厚生大臣の時に漸く廃止となり、元患者の皆さんは晴れて人権の回復が成されました。
その後元患者により国の責任を求める訴訟が熊本で起き、ハンセン病療養所のある各県に広がって行きました。
最初の裁判となった熊本地裁の判決は国が敗訴、時の総理大臣小泉純一郎は上告をせず裁判に決着がつきました。
裁判長はハンセン病問題はハンセン病に関係した者だけではなく、法曹界や報道も含め国民の全てが無関心から生まれた問題で、「立法の不作為」と国の責任を強く問いました。エイズや肝炎などの薬害問題においても同様の判断がなされてきました。
裁判を例にとって書きましたが、普段の生活の中で、例えば道端で倒れている人を助けられる環境にありながら知らんふりをするのも立派な不作為になる。

問題を見て見ないふりをするのは罪なこと。その対極の意味をもった言葉は「義を見てせざるは勇なきなり」だろうか。
被災地に駆けつけるボランティアの多くは「やむにやまれぬ」気持ちから動くことが多い。このようなボランティアの行動を真っ向から否定する人も中にはいる。勿論、ボランティアの玉石混交さは否めないし、必ずしも被災地の復旧・復興においてプラスに働いているかどうかはわからないこともある。
しかし、不作為という「見て知らんふり」が普通である世の中が良いのか、七人の侍のように縁もゆかりもない百姓村を守るために、命をかけるバカなサムライたちがいる世の中が良いのか、誰が考えても答は一つしかないように思う。私はそんなバカになりたいです。
奄美大島のM子さん [2008年03月09日(Sun)]
日本には国立のハンセン病療養所が13か所あり、そのひとつに奄美和光園(奄美大島)があります。以前、役員のお供で和光園を訪ねた折り知り合った沖縄出身のM子さん。中国のハンセン病回復者との交流で中国へ一緒に旅をしたこともあります。
そのM子さんは療養所内でケアを受けながら、障害者年金などで暮らしていますが、贅沢することなく、その貯めたお金をすべて社会的な活動に対して寄付をされているのです。途上国のハンセン病回復者の自立のためにと、これまで1千万円を超える寄付を頂戴し、大切に使わせて頂いています。つい先日も療養所内で行われた衣料販売会で沢山の衣服を買われ、大き目のダンボール箱2個を送っていただきました。ご自分はハンセン病というとても不幸な病を持ちながらも、常に人を気遣う優しさを持っているM子さんです。
これまでもM子さんから頂いた衣服は、途上国のハンセン病の村や国内の水害などで衣類を失くした方などへ大切に活用させていただいています。

そして、そして


この島はフィリピンにあるクリオン島です。ハンセン病患者を強制隔離した、当時は東洋最大といわれた隔離島でした。因みに瀬戸内海の長島(岡山県)にある療養所はこの島をモデルに作ったといわれています。クリオン島は今も当時の回復者の子孫たちが暮らす島で、その生計のための養豚場をM子さんの資金援助で作りました。
M子さんは騒々しいし恐いしと東京には来たがりませんが、浅草観音やおばあちゃんの原宿(地蔵通り商店街)を案内するのが私の夢です。

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そして、東京の「亀戸ぎょうざ」さん、夕張への心暖まる支援、本当にありがとうございます。奄美のM子さんといい、亀戸ぎょうざさんといい、沢山の優しさに教えられて、もっともっとやらなければと思う毎日です。
艱難辛苦を越え [2008年01月31日(Thu)]
学生の時に関わっていたNGO活動からハンセン病と出会い、中国の学生達を動かし中国でのハンセン病療養所を支援するんだと6年前に日本を飛び出した僚太郎。それまでNGO活動とは全く無縁だった中国の大学生を巻き込み、今やハンセン病問題に取り組む中国の学生NGOとなった「JIA(家)」を立ち上げ、そのリーダーとして活躍している。
やがて志し同じく共に活動する中国人の女性と結婚。そしてつい数日前Jrが誕生したとのこと。これまで療養生活をおくる多くの仲間を看取り、日本の同年代の若者たちが絶対に経験できないような様々な苦難を乗り越えてきたのだろうと思う。
タイラン、タイタイ、本当におめでとうございます!


ハンセン病療養所でサポート活動を行う僚太郎(右)

戦後の日本の学生によるボランタリーな社会貢献活動は欧米の学生から大きな影響を受け誕生した。中国の学生活動も当局の厳しい制約を受けながらも海外の学生に刺激を受け着実に育ってきている。

猪突盲進
続・草津よいとこ・・・ [2007年10月10日(Wed)]
草津の厳しい冬を前にし、輝く草花たち

万病に効くとされた草津の湯の源泉(湯畑にて)


手湯を楽しむ我がGBチームの美女たち

新選組の産みの親、あの清河八郎も草津に

栗生楽泉園の皆さま、ありがとうございました。
水心会選抜GBチームの皆さん、お疲れ様でした。

草津よいとこ・・・ [2007年10月10日(Wed)]
まずは、巨人の星のスタートシーンから「音符重いコンダラ・・・・?」

開会式。青のブレザーは群馬県GB協会の公式審判員さん

最初の難関、第一ゲート

初心者が多い我がチームは第一ゲートをハンデを頂き2mから

そして期待を裏切らないお決まりの「与一隊長ポーズ」で1ショット
天下之名湯「草津」 [2007年10月10日(Wed)]

戦国大名の大谷吉継。映画やドラマでは頭巾をすっぽり被り家来が担ぐ櫓神輿に担がれ、いくさ場で采配を振るう。一節によればかれはハンセン病(らい病)といわれ他の大名からは差別にも似た扱いを受けていた。
当時草津を領地としていた真田幸村は草津の湯がらい病によいと大谷に伝え、草津に呼び寄せ湯治にあたらせたと言う。

古くは源頼朝から今太閤の田中角栄まで、草津を訪ねた時の人は数えきれない。ここ草津にハンセン病療養所があるのもそんな歴史からです。
(携帯更新)
親善GB試合 [2007年10月10日(Wed)]

早朝から療養所の入所者の皆様と親善ゲートボール試合。高原のぬけるような青空の下たで園を訪ねてきた若者たちと楽しいひと時。
国の酷い施策により夫婦であっても子を産むことかできなかった人たち。偏見と差別に堪えしのび苦しく悲しい時代を生き抜いてきた。しばしの間、我が子、我が孫と思い、ステックの心地よい響きを楽しんで頂けたらと。
(携帯更新)
療養所に到着 [2007年10月09日(Tue)]

東京を出発する時は雨が降っていたが、ここ草津は秋晴れの清々しい天気。
先ずは納骨堂にお参りし、重監房跡、そして病棟を回る。
どこの療養所にも納骨堂がある。死んで骨になっても故郷へ帰れない偏見と差別にみちた病がハンセン病。
(携帯更新)
ハンセン病療養所へ [2007年10月09日(Tue)]
温泉で有名な群馬県の草津にハンセン病療養所「栗生楽泉園」がある。全国に13か所あるハンセン病療養所はどこも偏見と差別の中でそれぞれが悲しい歴史を持つ。なかでもこの草津は全国でここにしかなかった通称「重監房」といわれた忌まわしい施設があったことで有名。ハンセン病療養所が日本のアウシュビッツといわれる所以が、この療養所で垣間見ることができます。

そして入所する元患者さんの平均年齢も80歳に近い。上野から電車に乗って、久しぶりに栗生楽泉園へ。
上野駅の駅弁は種類が豊富!

私たちの年代は東京の玄関口はやはり上野。上野駅に来ると上京した30年前を思い出します。

ふるさとの
なまりなつかし停車場の
人混みの中へ
そを聴きにゆく
(啄木)
新あつい壁 [2007年06月02日(Sat)]
あつい壁の意味は熊本にあるハンセン病療養所「菊池恵風園」を囲っていたコンクリートの壁のことです。日本で最大級のハンセン病療養所です。なぜこの地に病療養所が建てられたかといいますと、昔癩を患った人達はその病からくる姿から社会に受け入れられなく、神社仏閣の周りで物乞いをして暮らしていました。
熊本の武将加藤清正は生前から癩患者に対して厚い施しをしていたことから、その菩提寺である本妙寺参道に多くの癩病を患う人達が集まってきたといわれています。
そのあつい壁は今は一部が保存のために残っているだけですが、あつい壁の本当の意味は重機などで壊せるコンクリート製の壁ではなくハンセン病と一般社会との見えない壁なんです。

加藤清正の菩提寺、熊本にある本妙寺の山門

全国のハンセン病療養所一覧

歴史の古い療養所は一般社会と完全隔離をするために、離島に多く、内地の場合には刑務所のように壁で囲まれていました。
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