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雨ニモマケズ 風ニモマケズ

- 災害系ボランティア情報 ブログ-

日本は台風・火山・地震と世界でもっとも自然災害の多い国です。

阪神・淡路大震災以降、大規模災害でのボランティアによる救援活動は、いまや被災地の復興には欠かせぬものとなり、その活動は被災者へのエールにもなっています。
雨にも負けず、風にも負けず、汗を流す災害ボランティアに対する各方面からの応援をよろしくお願い申し上げます。         


北秋田市から [2007年12月17日(Mon)]
この7月に北東北を襲った集中豪雨にて、最も被害の大きかった北秋田市(VC)からお礼の手紙が届きました。丁度3か月が経過した区切りにと、被災地に駆けつけて支援活動を行った皆様への温かいメッセージが込められています。被災後の混乱の中での救援活動でしたので、現地に入った全ての方々へ送ることも難しいと思われますので、代表していただいたものと考えます。この場を借りてその一部をご紹介申し上げます。

悪夢のような集中豪雨のあった9月17日から、早3ケ月が過ぎ、一面雪景色の師走となりました。(中略)
皆様には災害ボランティアセンターが立ち上がりまして早々に駆けつけていただき、まだまだ準備不足の混乱の中にあっても、率先してご奮闘いただきました。その行動をもって被災された住民の方々に手を差し伸べてくださいましたことは、どれだけ心の支えになったか計り知れません。(中略)
ボランティアの皆様の活動は、被災された方々にも、住民の皆様にも、そして私達福祉に携わっている者にも元気と勇気と優しさを与えて下さるものでした。
未だ全てが復興したわけではなく、原状回復への道半ばではございますが、これからも復興への支援を続けながら、この災害の教訓を生かし、更に地域福祉に取り組んでまいりたいと思います。(後略)


仲間一同、いち早い復興をお祈り申し上げております。
ありがとうございました。

北秋田市での救援活動はこちらから
https://blog.canpan.info/makezu/category_24
13年目の再会 [2007年10月03日(Wed)]

上の画像は13年前の阪神大震災において、神戸市東灘区にある本庄中学校避難所でボランティア活動をする学生(IVUSA)の画像です。腕に青のバンダナを巻いた後ろ姿の彼は、今東京消防庁に勤務し、東京の西部地区で救急隊長を務め救急救命士として活躍している。
その後の交流なども全くなく、なぜそのことを知ったかというと、今回の秋田水害の阿仁で13年ぶりに再会できたからです。あの当時、ボランティアは写真などを撮っている暇もなく、ひたすら活動し続けていた事もあり、彼は以前本ブログにアップしたこの1枚の画像をとても大切にしてくれているとも語ってくれた。

秋田水害から戻る途中、彼と一緒に写真も撮らなかったなと後悔していたが、なんとHS神戸の助さんがしっかりと写してくれていました。
あの神戸での体験が今の仕事へと導いてくれたと彼は話してくれました。身体が資本の仕事だけに健康と怪我にはくれぐれも気をつけて公務に励んで頂きたいと願うばかりです。


あの当時、彼らは昼夜三交代で避難所でのボランティア活動をしていました。赤紙問題に始まり、昨今のボランティア活動への強い制限を思うに、災害被災地でのボランティア活動とはいったいどうあるべきなのか。もう一度原点に立ち返って考えなおす必要がると思うのです。

助さん、ありがとうございました(ぺこり)
側溝の若大将 [2007年10月03日(Wed)]
台風11号などの影響による秋田豪雨水害において、災害ボランティアセンター開設前に現地に入り、そして慣れないボランティアの先導役のために残留を決意し、被災現場で泥出しなどの活動を行っていた与一隊長から昨夜メールがありました。

「今日で私の受け持った現場は全て終了しました。最終日の今日はなんと神奈川県の国体選手団と一緒に作業しました。
明日、秋田県を後にして新潟入りします。」


側溝の若大将、本当にお疲れ様でした。因みにこの画像は中越沖地震被災地にて遠く忌わしい柏崎刈羽原発を睨む与一隊長です。

車で避難する危険 [2007年09月30日(Sun)]
小型乗用車の構造は卵の殻のようにモノコック構造なっている。気密性や密封性が高くそのため水の上では浮いてしまう。洪水などで道路に水かさが増えた場合、重量のあるトラックが走行できても乗用車が走行できるとは限らない。
秋田豪雨で行方不明となっている方も前方のトラックを追って走っていて、自分の車は濁流に負けて流されたようだ。運悪く豪雨に合ってしまい避難する場合には乗用車より生身の身体のほうがはるかに助かる確率が高いといわれている。電信柱によじ登ったり、浮遊物に掴まったり九死一生の話はいくらでもある。

04年台風23号。この水害によっても車で避難する途中の方が亡くなりました。

秋田水害で行方不明者の捜索をカヌーで川面から行っていた、HS神戸の助さんの阿仁川と米代川の画像がアップされました。
http://chikyunikki.spaces.live.com/

努力の甲斐なく行方不明者の発見は出来ませんでしたが、延べ60キロにもおよぶ捜索活動、お疲れ様でした。



行方不明者の捜索から被災地区での泥だしと、その行動力にはいつも驚かされる助さんです。ルーフのオールドタウンは山形のカヌー仲間スターンさんから借用艇。このネットワークも凄い。

水害での資機材 [2007年09月27日(Thu)]
今回の秋田豪雨水害での救援活動で私たちが持ち込んだ資機材を、今後の参考のためにご紹介します。

【1】特別作業用
◇チェーンソー4台(混合油タンク&チェーンオイル)(流木の処理とフローリングのカット)
◇充電式丸ノコ(フローリングのカット)
◇エンジンポンプ(洗浄用)
◇水中ポンプ&ホース10m(汚泥汲みあげ)
◇充電式インパクト(家具の分解などなど)
◇発電機(水害は通電まで時間がかかります)
◇バール数本(床板剥がし)
◇大ハンマー(ブロック塀などの粉砕)
◇アルミ製リアカー(路地の移動用)
◇U字溝蓋あけハンドル(側溝の泥だし)
◇鳶口(流木処理)
◇林業用フェリングレバー(流木処理)
◇スカシ(重量物の移動)
◇鍬(泥浚い用)
◇鉄筋カッター(鉄筋や破損シャッターのカット)
◇無線機(スタッフ連絡用)
◇その他(水、寝袋、誘導棒、蛍光ベスト、救急セット、ゴミ袋、延長コード、投光器、クーラーBOX、ガムテープ、工具箱、ロープ、結束バンド、ヘルメット、ゴーグル、防塵マスク、ゴム手袋、皮手袋、タオル、石鹸ほか)
※災害慣れした与一隊長はさらに、カゴに入ったシャンプー・リンス・垢こすりタオルといった地元おやじ風お風呂キットが加わります。

【2】一般ボランティア用
土嚢袋、スコップ(角・剣)、デッキブラシ、たわし、アイボン、消毒液、鋤簾(泥掬い)、鍬、水切り(スクレーパー)、バケツ、タオル、一輪車、ヘルメット、防塵マスク、ゴム手袋ほか

洗浄に大活躍した風組さんの小型エンジンポンプ。小ぶりの割には水圧も十分。

あちらこちらで引っ張りだこだったU字溝の蓋あけ。軽くてコンパクトで蓋の形を選ばないグレーチングにも対応可能と、いいとこだらけの優れものです。そして尚且つ、濡れたクソ重たい畳も楽々。ただし、見た目からするとやや高価ですが、その機能性は十分元を取れます。
◇問合せは、東京建築サービス(045-911-3321)まで


消防団が用意したこちらの蓋あけは構造上斜めに持ち上げるため、厚みのある蓋には殆ど使えなく、値段もそれなりに高そう。貴方ならどちらを用意しますか?
ボランティア活動の原点 [2007年09月27日(Thu)]
2004年台風21号での豪雨被災地の三重県旧海山町での水害救援活動でのポイントは僻地での水害に対してどのようにボランティアを投入するかだった。東南海地震が懸念される三重県は極めて防災意識が高く、そこで取った手段が津・松坂など都市部からのボラバス作戦だった。
今回の北秋田市での水害処理のためのボランティア活動は、その海山町水害と比較し動員立地としてはかなり恵まれていたように感じたため、特にボラバスの提案は出さなかった。県庁所在地の秋田市から2時間以内。現場サテライトは阿仁前田駅にあり、鉄道も利用できる。
これまでの経験からいけば、むしろ渋滞と駐車場の心配ばかりをしていたが、しかし、それとは裏腹に以下のボランティア数でした。そのほとんどは学生の団体(IVUSA)、地元高校生、地元消防団、県職員、近隣社協職員などが中心で、いわゆる一般ボランティアは極めて少ない数だった。
初日に現場を回り、この規模の水害でのボランティア投入希望数は土日を二度越し、一般のボランティアが大よそ3000名程度が入れば満足のいく結果と見積もった。次の土日でボランティアによる活動は終了する。

・9月21日(金)215名
・9月22日(土)140名
・9月23日(日)274名
・9月24日(月)186名
・9月25日(火)051名
      《計866名》
※消防団や行政職員、IVUSAなど専門性の高いボランティアが多く、内容的には十分満足のゆく数字だと考えます。

一般ボランティアが増えればボランティアセンタースタッフも多く必要になる。誘導や駐車場などにもスタッフが多く割かれ実際に泥を出す人数がどんどん減ってしまう。近年のマニュアル化され、組織化肥大化するボランティアセンター現象を考えれば、むしろ近隣地域の助け合いを基本としたボランティア活動の原点を見たようにも思う。この秋田水害で学んだことを今後に繋げたいと思います。

現地からの詳しい情報は、
北秋田市水害ボランティアセンター

おまけ:
真っ先に阿仁突入を果たした、我らが与一隊長は未だ阿仁に残留し、泥まみれになっています。スナックとんぼの泥出し、頑張ってください。フルーツ系のママさんによろしく!
人間が最も・・・・ [2007年09月26日(Wed)]
どんなに泥まみれになっても植物は自分の輝きを忘れない。自然界で最も弱いのは人間かもしれない。

阿仁前田にて


側溝でじっと水害を耐え、オルとちに救出された山椒魚くん


現地からの詳しい情報は下記サイトから
北秋田市災害ボランティアセンター
側溝野郎 [2007年09月26日(Wed)]

秋田水害の被災地ではボランティアもほとんど居なくなり、桑さん一人で鍬を使って泥を浚っています。また雨が降ったら下水が流れなく雨水が溢れてしまう恐さを知ってるからです。

負けるな!平成の那須の与一。
残留決意! [2007年09月25日(Tue)]
被災地に泥が残っているうちは帰れない。与一隊長(那須野が原JC所属)から次の土日まで阿仁滞在を決めたとの連絡が。地元JC(青年会議所)に呼びかけ、不慣れなメンバーと作業効率を考え、その牽引役として滞在を決めたのだろう。水害のことなら98年栃木那須の大水害から始まり、昨年の諏訪湖周辺での長野豪雨と経験豊富。能登半島地震、そして中越沖地震と被災地を北上する与一隊長です。
その隊長への後方支援をどうするか?仲間で考えたいと思います。

2004年中越地震で水害で大打撃を受けた浦柄地区の時もそうだった。当時率いた04救援隊の隊長として雪が降る直前まで泥と鯉の死がいとの闘いだった。

朴訥とした栃木弁のしゃべりが住民に安堵感を与える。しかし秋田では時々通じないこともありました(笑)


キラキラ秋田水害での活動はこちらからキラキラ
フローリングのカット [2007年09月25日(Tue)]
床下に流れ込んだ泥をそのまま放置しておくと後で大変なことになる。カビ・害虫・シロアリなどなど。その泥を出すには畳と床板を剥がすことになるが、最近のフローリングのように糊付けしてある場合は切らなければならない。それには電動丸ノコかチェーンソーが便利です。

絶妙なチェーンソー捌きで床板だけをカットする助さん

ハイ、根太も切らずにこの通り

既にカビも繁殖していました

画像提供:ジャッキー遠藤

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