凄い人U
[2005年10月28日(Fri)]
村一番の働き者
中越地震の被災地で多くの方々と知り合いになりました。その中に不幸にもお孫さんを亡くされた小千谷市塩谷地区の星野武次郎さんがいます。いまでも小千谷を訪ねた時は仮設にお邪魔して(押し掛けて)奥さんの手料理をご馳走になっています。私たちが塩谷の皆さんと深くお付き合いするようになったのも武次郎さんとの出会いがあったからだと思います。
お寄りした時は私たちも努めて震災当時の話はしないようにしていますが、村の昔の話し、武次郎さんが子どものころの暮らしの話や青年の頃の話。闘牛の牛を飼っていたころの話。子どもの頃は牛が遊び相手だったとかなど、どれも興味深く聞き入ってしまいます。
武次郎さんはいつも黒のウエストポーチを持っています。おじいさんとウエストポーチ。前からどうもイマイチ似合っていないというか、おしゃれというか、なんとなく違和感を感じて見ていました。24日の日本経済新聞に「孫の笑顔、胸に再起」の記事。武次郎さんのことが。その記事を読んでそのウエストポーチがお亡くなりになった孫の一輝君の形見であることを知りました。
私たちは昨年冬、武次郎さんと一緒に村に入り、全壊した家屋から家財道具や大切な遺品などの運び出しの手伝いをさせていただきました。余震がある中、霙まじりでの作業。ボランティアも顔を滴るのが雨か汗か涙かわからないほど悲しく辛い作業でした。でもこの時、武次郎さんに災害にへこたれることなく、年齢を感じさせない気力と体力に雪国で生きる男の強さを見た思いでした。塩谷地区は今でも避難地域ですが、軽トラックで奥さんと一緒に村に行き、畑仕事や村の大切な水の管理などをいつもせっせと体を動かしています。
武次郎さん、あなたは、雨ニモマケズ、風ニモマケズにさらに「地震ニモマケズ」がつく凄い人です。そしてとても優しい人です。そしてウエストポーチも最高に似合ってる爺ちゃんです。
一周年にあたり思いのたけを書かせていただきました。お許しを。

作業の合間の一休み。「美味いキュウリが冷えてるぞ!食ってけ」
中越地震の被災地で多くの方々と知り合いになりました。その中に不幸にもお孫さんを亡くされた小千谷市塩谷地区の星野武次郎さんがいます。いまでも小千谷を訪ねた時は仮設にお邪魔して(押し掛けて)奥さんの手料理をご馳走になっています。私たちが塩谷の皆さんと深くお付き合いするようになったのも武次郎さんとの出会いがあったからだと思います。
お寄りした時は私たちも努めて震災当時の話はしないようにしていますが、村の昔の話し、武次郎さんが子どものころの暮らしの話や青年の頃の話。闘牛の牛を飼っていたころの話。子どもの頃は牛が遊び相手だったとかなど、どれも興味深く聞き入ってしまいます。
武次郎さんはいつも黒のウエストポーチを持っています。おじいさんとウエストポーチ。前からどうもイマイチ似合っていないというか、おしゃれというか、なんとなく違和感を感じて見ていました。24日の日本経済新聞に「孫の笑顔、胸に再起」の記事。武次郎さんのことが。その記事を読んでそのウエストポーチがお亡くなりになった孫の一輝君の形見であることを知りました。
私たちは昨年冬、武次郎さんと一緒に村に入り、全壊した家屋から家財道具や大切な遺品などの運び出しの手伝いをさせていただきました。余震がある中、霙まじりでの作業。ボランティアも顔を滴るのが雨か汗か涙かわからないほど悲しく辛い作業でした。でもこの時、武次郎さんに災害にへこたれることなく、年齢を感じさせない気力と体力に雪国で生きる男の強さを見た思いでした。塩谷地区は今でも避難地域ですが、軽トラックで奥さんと一緒に村に行き、畑仕事や村の大切な水の管理などをいつもせっせと体を動かしています。
武次郎さん、あなたは、雨ニモマケズ、風ニモマケズにさらに「地震ニモマケズ」がつく凄い人です。そしてとても優しい人です。そしてウエストポーチも最高に似合ってる爺ちゃんです。
一周年にあたり思いのたけを書かせていただきました。お許しを。
作業の合間の一休み。「美味いキュウリが冷えてるぞ!食ってけ」
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