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- 災害系ボランティア情報 ブログ-

日本は台風・火山・地震と世界でもっとも自然災害の多い国です。

阪神・淡路大震災以降、大規模災害でのボランティアによる救援活動は、いまや被災地の復興には欠かせぬものとなり、その活動は被災者へのエールにもなっています。
雨にも負けず、風にも負けず、汗を流す災害ボランティアに対する各方面からの応援をよろしくお願い申し上げます。         


韓国原油流出事故 [2007年12月12日(Wed)]
1997年1月に日本海で起きたロシアタンカー「ナホトカ号」の重油事故。その重油回収のボランティア活動を彷彿させる韓国の原油流出事故。ナホトカ号事故後にまとめた原稿。何かの参考にとアップさせていただきます。

重油災害の回収ボランティア活動
〜自然災害救援ボランティア活動との相違〜


阪神大震災以降市民の間に「災害=ボランティアが救援に駆けつける」という一種の社会現象ができあがったのではないかと感じていた。このナホトカ号重油災害においてそのことが証明されたと言ってよいだろう。流れ着いたナホトカ号の船首部と油まみれの漁師や海女がテレビに映し出され、多くのボランティアが三国町の安島岬を目指した。1月9日頃には、県や町の災害対策本部現場事務所のある「子ども広場」周辺にボランティアが徐々に集まりだし、地元漁民が行なう重油回収作業に加わった。(三国町社会福祉協議会で出された報告書には3月末で2万人がボランティア活動に加わったとある)
同じく9日、金沢駐屯の自衛隊第10師団の普通科連隊が県知事の要請によって三国町に派遣され、被害の多い岩礁部での回収作業を開始した。
しかし、重油回収に関わる今回のボランティア活動は、阪神大震災での被災地支援活動とは、目的も活動内容も大きく違っていたように思う。その要点をまとめてみた。

[災害による被害者]
油の回収作業は先の阪神大震災や台風等による水害のように「誰かに何かをする」という「する側とされる側」といった活動ではない。もちろん時期が経つにつれて地元住民の肉体的精神的な疲労が重なり、それをケアするためのボランティア活動なども登場はしたが基本的には対自然との活動である。
この事故により間接的に被害を被ったのが日本海沿岸において漁業で生計を立てている漁民、また、観光地の場合は民宿・ホテル・土産物屋等を営む人達の経済的損害などである。中には過疎地に人や車が集まりすぎて鶏が卵を生まなくなったなどという養鶏事業者の被害届もあった。また、日本海沿岸に生息する希少な動植物の絶滅の危機などに代表される環境問題は、被害面積が大きく、元の状態にもどすには、長期的な活動が必要とされるだけに深刻な問題になった。流出した重油の状況から判断しても、わが国で過去に例のない海洋汚染事故であった。

[海難事故の複雑さ]
前述したとおり、地震や水害などの自然災害による救援ボランティア活動は基本的には被災者という人間を相手にした救援や支援活動が多いが、油回収作業は自然を相手に海岸線で行なう作業である。海難事故による海洋汚染災害は、船主がかける損害保険などが微妙に関係しており、ボランティア活動にも複雑な問題が絡んでくる。今回の重油回収作業は加害者が特定されているため基本的には船が流出した油については船主の責任において回収しなければならない。ナホトカ号の場合は1月5日にロシアの船主から日本で唯一の海上油濁防除の専門機関である「海上災害防止センター」に対して油回収の依頼があり、オイルフェンスや回収のための船舶や油を入れるドラム缶などが手配され回収作業が開始された。回収された油や流れ着いた油は正式には船主のもので勝手に処分したりできないことになる。つまり自然災害との大きな違いは、災害の原因者が特定できるため、原則は海運事業者が事故などのリスクを回避するためにかけられた保険の範囲内によって被害あったすべてのことが処理されるのである。加害者が不明の場合などは海上保安庁長官の命によってその活動がなされる。そんな海難事故の処理の仕組みにあってボランティアが個人の問題意識によって行った回収作業や野生生物の救援活動などは、環境に対して大きな役割を果たした割には、その活動がどんな位置付けにあるか非常に曖昧である。

[自然との闘い]
ナホトカ号の時はシケが続く冬の日本海での作業は難攻を極めた。海上ではオイルフェンスが切れ、油回収船も航行不能になり、ボランティアによる海岸での回収作業も波が2Mを超える場合には安全上作業を中止せざるを得ない状況にあった。(当時日本にある油回収船で冬の日本海で満足な作業のできるものは瀬戸内海に配備されている国土交通省所属の「清竜丸」1隻のみであった。)
また、冷たい風が吹き荒れる陸上での作業は、体力を必要とし高齢のボランティアにとっては過酷な作業であっただろう。ボランティア活動とはいえ十分な休息時間を取りながら、カロリーのあるものを補給することが必要である。このような活動は個人ボランティアによる自発的な活動であっても、危険が伴うためリーダー決めしっかりとした作業管理が必要となってくる。1月24日の時点で3人もの犠牲者がでている。

[過疎地での活動]
押し寄せる重油の被害状況(重油の量)に対し、流れ着く場所の多くは人口の少ない過疎地域である。回収依頼を受けて仕事をする業者や全国から集まる多くのボランティアを受け入れる宿泊施設等の問題がある。大量の重油が流れ着いた三国町ではボランティアに対し民宿等の観光用の宿泊施設を安価で提供し、区民館や青少年活動施設などの公的施設は無料開放し急場をしのいだ。神社仏閣などの宗教関連施設の協力も大きかった。

[活動現場及び活動内容]
当然であるが海岸線が活動現場になり、漂着カ所が南北500キロを超え、7府県にも及んだ。活動の基本は「重油の回収作業」であるが、時期を追うごとに活動を効率的にすすめるため総合事務・炊き出し・輸送・駐車係や路上での案内係・救援物資の仕分け・看板製作・海岸のパトロール等々活動も自ずと細分化されていった。

[救援物資とインターネットの活躍]
今やインターネットはすべてのボランティア活動には欠かすことのできないツールとなっているが、特にナホトカ号でのボランティア活動での活躍は際立ったといえるだろう。人・物・金、求める側も送る側もインターネット等の情報手段をフル活用しているためか、要望に応じた物資が的確に集まっている。
油の回収に必要とされていた物資:
ゴムガッパ、ゴム手袋、防塵マスク、ゴム長靴、バケツ、タオル、竹べら等が主な物資である。
三国町は、今回の災害の象徴的な場所として報道されているせいもあり、多くの物資が全国から集まってきている。重油被害の拡大に応じて、現在は三国町から他県へ転送している状況である。地震災害や台風などによる水害などとは異なり、ライフラインには問題がないため、必要とされる物資の種類も単純で、仕分けなども容易であるため作業も順調にすすめられていたように思う。
重油災害ボランティアセンターでは開所と同時にホームページを立ち上げた。ボランティアを必要とする側(重油災害ボランティアセンター)もボランティアに行く側も的確な情報活動を展開している。特に天候に左右される活動なだけに現地からの新鮮な情報をキャッチすることが重要である。災害時におけるインターネットによる初の「情報提供ボランティア活動」として様々なところで評価されている。活動も後半に入った頃には重油関係のホームページが数十立ち上がり、情報が錯綜している感は否めなかったが、ボランティア活動においてインターネットの特性が最大限に発揮された大いに意義のある展開であった。人・物・金の調達においてもその威力を十二分に発揮した。

[最後に]
阪神・淡路大震災から丁度2年後、ナホトカ号が流出した重油に多くのボランティアが駆けつけた。阪神大震災では6千人を越える犠牲者を出し、マヒ状態にあった行政機関に代わり130万人のボランティアがその救援に動いた。その結果NPO活動を支援するための法律も生まれた。ナホトカ号の重油の回収ボランティア活動においても市民側ではその教訓が遺憾なく発揮された。その後幸いなことに大きな油の流出事故は起きていないが、水害や地震、或いは火山災害などナホトカ号事故以降も多くの自然災害が発生し、それぞれの現場においてはボランティアか着実に活躍している。これらの災害は多くのことを市民に学ばせた。災害時における市民側のネットワークも着実に広がった。ボランティアを取り巻く環境はここ数年で大きく変化し、ボランティア活動をする側も大きく成長したと確信する。

以上、日本環境災害情報センター(JEDIC)活動記録集から

《参考》ナホトカ号重油災害の概要

ロシア船籍の重油タンカー「ナホトカ号(13,157トン)」は、中国杭州からロシア極東カムチャツカ州の州都ペトロパブロフスクカムチャツキー市に向けて、発電所用のC重油を満載し日本海を北上中、1997年1月2日、船齢26年の老朽船ということもあり、悪天候のため船体が二つに折れ沈没。船長1名が今も行方不明となった。

その後、先端から40Mまでの船首部分は漂流を続け、1月7日に福井県坂井郡三国町の安島岬に流れ着いた。船体部については鳥取沖の海底約2000Mに沈んだことが確認された。現在も監視活動が続けられている。
 [重油の量]
  船体部:12500キロリットル
  船首部: 2800キロリットル
  流出油: 3700キロリットル
   計 :19000キロリットル

船首部からの重油は安島岬を中心に岩礁地帯に漂着、その後、南はサンセットビーチから北は芦原町の海水浴場と被害規模を拡大した。
重油を柄杓ですくい、バケツリレーをする三国町の重油にまみれた漁民の姿は、テレビや新聞を通じ全国に報道され、ボランティアが駆けつけるきっかけにもなった。そして5名もの方がこの重油回収活動でお亡くなりになりました。

災害ボランティアと安全・補償の問題
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