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雨ニモマケズ 風ニモマケズ

- 災害系ボランティア情報 ブログ-


日本は台風・火山・地震と世界でもっとも自然災害の多い国です。

阪神・淡路大震災以降、大規模災害でのボランティアによる救援活動は、いまや被災地の復興には欠かせぬものとなり、その活動は被災者へのエールにもなっています。
雨にも負けず、風にも負けず、汗を流す災害ボランティアに対する各方面からの応援をよろしくお願い申し上げます。         


長きに渡り、
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」に、
お付き合いいただき、ありがとうございました。

なお、引き続き「続・雨ニモマケズ風ニモマケズ
ご愛読くいただければ幸いです。
お世話になりました [2008年08月15日(金)]
ここ数年、日本列島は多くの災害に苛まれました。そして、それぞれの被災地で多くの方々から、沢山のお力をいただくことが出来ました。
本当にありがとうございました。またどこかでお会いしましょう!
(順不同敬称略)
ホップ障害者地域支援センター(北海道)
災害救援ネットワーク北海道(北海道)
北海道j社会福祉協議会(北海道)
青森県社会福祉協議会(青森)
いわての風(岩手)
岩手県社会福祉協議会(岩手)
秋田ボランティア協会(秋田)
秋田県社会福祉協議会(秋田)
秋田県曹洞宗青年会(秋田)
北秋田市社会福祉協議会(秋田)
ウォーターワッチネット(山形)
元気村ネットワーク(山形)
東根市社会福祉協議会(山形)
山形市社会福祉協議会(山形)
ディー・コレクティブ(山形)
みやぎ災害救援ボランティアセンター(宮城)
宮城県災害ボランティアセンター(宮城)
大崎市社会福祉協議会(宮城)
美里町社会福祉協議会(宮城)
ハートネットふくしま(福島)
会津青年会議所(福島)
東和町社会福祉協議会(福島)
只見ぶなの木倶楽部(福島)
奥会津只見森林づくり倶楽部(福島)
とちぎボランティアネット(栃木)
那須野が原青年会議所(栃木)
鹿沼青年会議所(栃木)
災害救援オールとちぎ(栃木)
かぐや姫なごみの里竹原(栃木)
ふれあい筑波(茨城)
デベロ(茨城)
埼玉RB(埼玉)
埼玉県移送サービスネットワーク(埼玉)
秩父やすらぎ隊(埼玉)
名栗さわらび隊(埼玉)
JYVA日本青年奉仕協会(東京)
東京ボランティア・市民活動センター(東京)
東京都社会福祉協議会(東京)
ブルーシーアンドグリーンランド財団(東京)
IVUSA国際ボランティア学生協会(東京)
JAMTA日本移動通信システム協会(東京)
モトローラ(東京)
ネクスネット(東京)
あかつきボランティアネットワーク(東京)
災害ボランティア活動支援プロジェクト会議(東京)
シャンティ国際ボランティア会(東京)
ハスクバーナジャパン(東京)
ハビタットF.H.ジャパン(東京)
マキタ(東京)
亀戸餃子(東京)
五洋建設(東京)
笹川スポーツ財団(東京)
笹川平和財団(東京)
東京財団(東京)
笹川記念保健協力財団(東京)
日本モーターボート選手会(東京)
日本科学協会(東京)
日本ゲートボール連合(東京)
シップアンドオーシャン財団(東京)
日本海事科学振興財団(東京)
マリンスポーツ財団(東京)
三菱化学(東京)
児童健全育成推進財団(東京)
鹿島建設(東京)
社会安全研究所(東京)
地球緑化センター(東京)
みどり情報局東京(東京)
浜仲間の会(東京)
奥多摩森林塾(東京)
ダイナックス都市環境研究所(東京)
日本ファーストエイドソサェティ(東京)
東京BMC(東京)
トヨタ自動車(東京)
東京トヨペット(東京)
日産自動車(東京)
オーテック(神奈川)
日野自動車(東京)
スズキ自動車(東京)
スズキ直販(東京)
マツダ(東京)
ダイハツ工業(東京)
富士重工業(東京)
東京スバル(東京)
JIC(東京)
アクト(神奈川)
高野山真言宗摩尼山延壽院徳恩寺(神奈川)
神奈川災害ボランティアネットワーク(神奈川)
神奈川災害ボランティアステーション(神奈川)
箱根KIKORI(神奈川)
災害ボランティアコーディネーター三島(静岡)
沼津市災害ボランティアコーディネーター協会(静岡)
清水災害ボランティアネットワーク(静岡)
静岡県ボランティア協会(静岡)
長泉町災害時ボランティアコーディネーターの会(静岡)
レスキューストックヤード(愛知)
災害Vネットあいち(愛知)
災害ボランティアコーディネーターなごや(愛知)
名城大学ボランティア(愛知)
NPO愛知ネット(愛知)
中部防災ボランティア(愛知)
SVTS風組(新潟)
にいがた災害ボランティアネットワーク(新潟)
トライネット(新潟)
りとるらいふ(新潟)
まちづくり学校(新潟)
高辰組(新潟)
新潟県社会福祉協議会(新潟)
三条市社会福祉協議会(新潟)
NUVC新潟大学ボランティア本部(新潟)
新潟大学医学部元気館診療所(新潟)
中越復興市民会議(新潟)
いきいき田麦山(新潟)
おぢや元気プロジェクト(新潟)
長岡技大VOLT of NUTS(新潟)
長岡市社会福祉協議会(新潟)
長岡青年会議所(新潟)
小千谷市社会福祉協議会(新潟)
小千谷青年会議所(新潟)
川口町社会福祉協議会(新潟)
三条市社会福祉協議会(新潟)
柏崎市社会福祉協議会(新潟)
刈羽村社会福祉協議会(新潟)
越後湯沢町社会福祉協議会(新潟)
新潟県央マシンセンター(新潟)
新潟スバル自動車(新潟)
中日本キャタピラー三菱建機販売(新潟)
スノーピーク(新潟)
コーエイ(新潟)
米岡石油(新潟)
越後交通物産(新潟)
ヒューマンシールド神戸(長野)
長野県社会福祉協議会(長野)
上田市社会福祉協議会(長野)
岡谷市社会福祉協議会(長野)
ちくま移動サポート(長野)
小海やすらぎ隊(長野)
全国防災支援ネットワーク会議(長野)
Cafe CReAM(三重)
みえ防災市民会議(三重)
旧海山町社会福祉協議会(三重)
ふくい災害ボランティアネットワーク(福井)
福井県社会福祉協議会(福井)
旧美山町社会福祉協議会(福井)
やまや(富山)
輪島市災害ボランティアの会(石川)
輪島市社会福祉協議会(石川)
輪島市青年会議所(石川)
A〜GAIN(京都)
被災地恊働センター(兵庫)
CODE海外災害援助市民センター(兵庫)
阪神高齢者障害者支援ネットワーク(兵庫)
HANDS1.17希望の灯(兵庫)
まちコミュニケーション(兵庫)
ユーアイアソシエーション(兵庫)
ゆいまーる神戸(兵庫)
元気村移動サービス(兵庫)
兵庫県社会福祉協議会(兵庫)
長田区社会福祉協議会(兵庫)
豊岡市社会福祉協議会(兵庫)
豊岡青年会議所(兵庫)
高野山真言宗末代山妙楽寺(兵庫)
神戸大学学生震災救援隊(兵庫)
日本災害ボランティアネットワーク(兵庫)
奈良災害ボランティアハートネット(奈良)
日本森林ボランティア協会(大阪)
RHS瀬戸内レスキュー隊(岡山)
広島RB赤十字奉仕団(広島)
備えネット(香川)
高知市民会議(高知)
高知県社会福祉協議会(高知)
高知市社会福祉協議会(高知)
土佐清水社会福祉協議会(高知)
四万十塾(高知)
大分県社会福祉協議会(大分)
宮崎県社会福祉協議会(宮崎)
宮崎市社会福祉協議会(宮崎)
B&G財団地域海洋センター(全国)
レンタルのニッケン(全国)
災害看護支援機構(全国)
災害救援ひのきしん隊(全国)
SeRV(全国)
震災がつなぐ全国ネットワーク(全国)
全国災害救援ボランティアネットワーク(全国)
日本移送・移動サービス地域ネット連合会(全国)
成都老沈青年旅舍(中国成都)
多くの個人ボランティアの皆様
95年から08年まで [2008年08月15日(金)]
あの阪神・淡路大震災を皮切りに、災害に関係した様々な活動に直接的にも間接的にも携わらせていただきました。そして、それぞれの災害で多くの方々の力をいただくことができました。本当にありがとうございました。

1995年(平成07年) 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)
1997年(平成09年) ナホトカ号重油流出事故
1998年(平成10年) 北関東南東北豪雨水害
1998年(平成10年) 高知県豪雨水害
1999年(平成11年) 台湾集集大震災
2000年(平成12年) 東海豪雨水害
2000年(平成12年) 鳥取県西部地震
2000年(平成12年) 有珠山噴火災害
2001年(平成13年) 高知県西部豪雨災害
2001年(平成13年) 芸予地震災害
2003年(平成15年) 宮城県北部地震
2004年(平成16年) 新潟県豪雨水害
2004年(平成16年) 福井県豪雨水害
2004年(平成16年) 台風16号高松市高潮水害
2004年(平成16年) 台風21号三重県水害
2004年(平成16年) 台風23号兵庫県水害
2004年(平成16年) 新潟県中越地震
2005年(平成17年) 台風14号宮崎水害
2005年(平成17年) 台風14号四万十水害
2006年(平成18年) 長野豪雨水害
2007年(平成19年) 能登半島地震
2007年(平成19年) 新潟県中越沖地震
2007年(平成19年) 秋田豪雨水害
2008年(平成20年) 四川省大地震
2008年(平成20年) 岩手・宮城内陸地震
百尺竿頭進一歩 [2008年08月14日(木)]

今回の自分の決心に際し、ある友から「百尺竿頭進一歩(百尺竿灯に一歩を進む)」という言葉をいただいた。禅の極意を説くひとつの言葉。その彼とは10年ほど前に共に机を並べ、親の事情などで郷里に旅立っていった。いかにも母親思いの彼らしい決断と仲間みんなで送り出してやったのを思い出す。

百尺竿灯はより高い位置にあれども、そこから先へ進むには、百尺もの竿の先からさらに一歩を踏み出す(手を離す)勇気が必要だと。現状に流され、しがみついていては何も変らないという意味もある。新たな一歩を踏み出すに、必ず大切なものとの決別がある。

明日はその大切にしてきたものとの決別の日。そして俺の終戦です。
後輩に伝えたいこと [2008年08月14日(木)]
かつて財団の存続が危ぶまれると噂されるほどの不祥事があった。(※偏りのある作為的な報道などによってそんな噂もなくもなかった)警察が事務所に押し寄せ、「そのまま動かないでください」と言って多くの書類を没収していった。仕事に関したモノであれば手帳や紙切れにいたるまでだ。ドラマのいち場面を見ているようだった。
テレビや新聞から始まり週間誌などにも、あることないことまでいろいろ書かれた。

そんな時、阪神・淡路大震災で関わったボランティア団体から連絡をいただいた。「財団は大丈夫ですか?なくなるんですか?自分たちに何か出来る事はありませんか?署名活動でも、座り込みでも何でもやりますから・・・・なんでも言ってください」と。そしてさらに「神戸で募れば幾らでも集められますから」と。とても嬉しかった。

また関西地区において市民活動の草分けともいわれる方は、新聞の投稿で、「税ではない民による資金の流れをつくっているこのシステムを、たった一個人の不祥事によって日本から失くすことは大きな損失になる」とまで書かれていた。

不祥事が発覚してから、いつも親しげにしているグループ団体などはむしろ冷ややかにこの事件を見ていた。人の本当の心は分からないものだなと、その時つくづく感じた。何年もの間、何千万何億円を支援してもそれはそれ。仕事と割り切られ、人の心までを動かすには至っていなかったと、とても悲しく情けなかった。

そして、資金の支援だけではない、心のつながりが持てる支援がより大切だと気持ちを新たにし、これまで多くの事業に取り組ませていただいた。それを実行するには空調の聞いた部屋で椅子に座っていてはだめなんだ。顔と顔、心と心を通い合えて初めて支援したお金が活きてくるのだと。部下にはそれを伝えたく、自ら「どろあし」になり現場に立ってきた。

阪神・淡路大震災を切っ掛けにして知り合えた個人・団体とは、その励ましの恩に応えるべく、これからもその関係を大事にしていこうと心に誓ったのを思い出す。それが「絆」というものなのかもしれない。

これから先、時代の変化とともに財団の役割も少しずつ変化していかなければならない。社会の様々な問題に対して、泥臭い社会の底にある部分と全国レベルで流れを作らなければならない事のバランスを常に考えながら、さらに価値ある組織としての存在を意識して業務に励んでもらいたいと思う。いつもローカルに目をやりながら、そしてグローバルに動くこと。そして常に謙虚さを忘れず、人を助けるという意味を深く考え、そこに自分の信念にもとづいた美学を見つけ、それを大切にして欲しいと思う。
ありがとうございました [2008年08月14日(木)]
勤務先はグループの関係で何度か変わってはいるが、大よそ足掛け30年間通った赤坂・虎ノ門界隈とも間もなくお別れ。最近は気力の衰えを補う意味からも出勤時にはテンションの上がる曲を聞きながら、自分を叱咤し満員電車に乗ったりもしたなぁ。そんなすし詰めの状態の通勤電車に乗ることも滅多にないだろう。多分。

よく元気でここまでやってこれたなと自分でも思う。全ては、母が健康に産んでくれた体と、この上ない素晴らしき職場環境と、役員と上司の理解、そして多くの素晴らしき優しき同僚や部下たちに恵まれたこと。特に災害被災地での活動は職場の多くの仲間に支えられて実現できたと感謝に堪えません。
本当にありがとうございました。またどこかでお会いしましょう!

災害に駆けつけてくれたそんな頼もしい職場仲間を、画像に残る範囲でYouTubeでご紹介します。



携帯はこちらから
半農半○、晴耕雨○ [2008年08月13日(水)]

もしどこかで災害があったら、これまでのように被災地で2ストの鉄砲を回してたりするかもしれません。その時はいつものように気軽に声を掛けてください。くれぐれも後ろから石を投げたり、鉄砲撃ったり、足湯のお湯を掛けたり、掛矢でぶん殴ったり、ユンボで持ち上げたりしないよう宜しくお願いします。

しかし、そんなところで会うことがないよう祈りたいです。
繰り返さないために [2008年08月11日(月)]

災害に関わるようになって最初に水害を体験したのは、ちょうど今年で10年になる98年の南東北北関東水害(那須・白河エリア)、そして同年の高知98水害。初めて水害の悲惨さを見せ付けられた。地震は火事にならない限り、家の中の物はなんとか探しだせることが多い。しかし、水害は多くのものを失う。たとえ見つかっても泥に埋もれてあまりにも悲しい状態で見つかる。

98年の両水害で救援活動を開始する前に、被災の状況を把握するために地元のボランティア団体の方と被災地を回った。ある家を訪ねた。水害後数日が経過していたにも関わらず、濡れた布団で寝たり起きたりのお年寄りがいた。食事は泥水をかぶった米を洗って食べていた。こんな生活が日本にあっていいのかと悲しくなった。一方、ある家庭では新しい冷蔵庫や洗濯機が早速運び込まれている。災害を機に古い電気製品を買い換えるのだろう。経済的に余裕があれば保険も掛けられる。貧しい人はより貧しく、裕福な人はより裕福になるのが災害なんだなと改めて痛感した。

2005年九州宮崎を襲った台風14号。その規模はアメリカ東部を襲ったカトリーナ級の超大型台風だった。2004年での疲労感もあり、被害の酷かった宮崎市に他のスタッフが入ってVCの支援活動を行った。そしてそれから1ヶ月後、14号の被害を受けた中山間地の映像がニュースで流れた。水害から1ヶ月も経過しているにも関わらず、家のど真ん中に流木が突き刺さった映像や土砂が流れ込んでいる家など、水害当時となんら変わらない映像が流れていた。なぜそんなものがそのままになっているのか不思議でならなかった。地域にチェーンソーぐらい使える人間はいるだろう!しかし、機材や道具も全て流され、水や泥で使えなくなるのも水害。そして何より疲弊しきって身体を動かす元気も気力もなくなっていたのだろうと推察できた。それと画像からもわかる高齢の村。

首都圏ではそれほどニュースにはならなかったが先日、北陸で大規模な水害があった。1ヶ月後台風14号の宮崎の状況になっていないように、いつもの仲間達が戦車に乗り、鉄砲を回してる。
その現地の状況がアップされています。本当にお疲れ様でした。
http://blog.canpan.info/kizuna/
http://kuwasan.blog.so-net.ne.jp/



湘南OWS [2008年08月09日(土)]
夏に毎年関わってきた湘南オープンウォータースイミング大会。息子と二人ゴール付近の雑用ボランティアとして飛び入り参加。今日は長距離の10キロスイム、午後からの雷雨も心配されましたが、事故もなく無事終了しました。

我がカヌーレスキュー隊3名も無事任務を果たしました(拍手)。今年2度目の2名は昨年よりもかなり余裕の表情でゴール。腕もかなり上げました。お疲れ様でした。

この湘南OWSにグループとして深く関わるのは今年限り。来年は地元主体イベントとして、形を少し変えて継続される予定ですが、年に一度、みんなが集える大会として自分としても楽しみにしていたのですが・・・・。
これでいいのだ [2008年08月08日(金)]
結婚を機に定職についた。最初は慣れないスーツを着てサラリーマン生活は窮屈だった。それでも家族を持った喜びから徐々に生きがいも膨らみ仕事も楽しくなっていった。あれほど勉強が嫌いだった俺なのに語学などいろいろ勉強した。今は殆ど忘れてしまったけれど、あの頃は不思議と覚えるのも早かった。

その後、縁あって同じグループの総本山である今の職場に移籍した。職務はさらに厳しく、人間関係も複雑に絡み合った職場だったが、自分を認めてくれた方へのご恩に報いることと、そして事業の結果を出すために無我夢中で奉公させていただいた。そして1995年、阪神・淡路大震災が起きた。業務の延長として被災地に入り多くの仕事をさせていただいた。社会問題を何年も前倒ししたこの未曾有の災害から、行政だけに依存しない新たな市民中心の社会のイメージが次々に湧きその信念に逆らうことなく業務に邁進した。

これまで自分が立ち上げそして関わった事業は、阪神被災地で活動する市民団体のために基金設立、障害者高齢者の移動の問題、エイズ問題、聴覚障害者のための字幕放送の普及、荒廃する里地里山の問題、手入れされない人工林の問題、NPOの底上げのための中間支援組織への支援、教育現場でのボランティア教育、障害者の入所保護型から地域支援型への移行、盲導犬の普及、先人の知恵を後世に伝え残すため活動、終末期医療への取り組み、国内のハンセン病のこと、災害ボランティアのネットワーク作りなどなど。

21世紀、新たな時代迎えそして乗り切るために、世にある様々な社会問題の解決を目指し数々の事業に積極的に取り組んだ。阪神大震災以降の13年間、信念と熱意さえあれば何でも予算化でき自由闊達に事業ができた。成果も見え、そんな業務に就かせていただいていることへのご恩をいつも感じていた。

しかし、そんな自分も錆付いてきたなと感じることが多くなった。事務方の長として多くの部下を引っ張って行くだけの馬力と時代を先取りした事業イメージが以前のように湧かなくなってきている。燃え尽きてしまったのか。当然トップの期待にもそえなくなってきている。そう判断する自分は自らその組織を去ることが、自分に残された道であると思うようになった。

組織は絶えず成長してかなければならない。役をこなせなくなった人間が組織にしがみ付くのは、他人はどうあれ俺自身は自分の生き方には合わない。これまで自分の任務にプライドを持って臨んできたから余計にそう思う。人に自慢できる学歴や経歴のない俺には、自分が行う事業そのものに強いプライドを持ち、そしてそこに自分なりの仕事に対する美学を持つことでモチベーションにつなげてきた。

在籍中の過去を振り返っても、あんな風来坊だった俺が悔いのない大切な仕事を沢山させていただいた。言葉に尽くせぬ感謝でいっぱいだ。

今まで母の一人辛くさびしい生活と引き換えにこれまで自由奔放に、自分の家族のためにひたすら働かせていただいた。これからは人の子としての自分でありたいと思う。
老兵はただ去るのみ。これでいいのだ。
強さと優しさと [2008年08月05日(火)]
このブログでも何度かご紹介したことのある、中越地震が切っ掛けで知り合ったボランティア仲間の棟梁。もらい火の火事で自宅も作業場も全焼し、ほとんどのものを失いました。釘から大事な鉋まで全て焼けた中で、唯一残った大工の命ともいえる棟梁の自慢の鑿です。


あの中越地震から3年以上が経過し、その間、苦労の連続だったことが容易に推察できます。そして、この夏前に完成した棟梁念願の立派な作業場です。我がことのように本当に嬉しいです。


中越地震の象徴として今や見学コースにもなっている水没した旧山古志村の木篭集落。土砂に埋まりながらも傾くことなく、凛として建っている家、実は棟梁も建築に携わった家なんです。しかし風雪にさらされ年毎に朽ちていく家を見るのはとても辛いとも言っておられました。

災害にも負けない人間の頑張りを伝えたくて、あえて棟梁の焼けてしまった家を、許可をいただきアップさせていただきました。写っているのは当時棟梁が乗っていた愛車のスカイラインです。

そして誰にでも優しい棟梁です(梶金鎮守の杜の活動にて)

そして今、水没によって移転する木篭集落の神社再興のお社を造っている棟梁。棟梁が墨を付け、唯一取り出すことのできた大切な鑿で刻んだ神社を見るのが本当に楽しみです。その完成を仲間みんなで祝ってあげたいです。

棟梁の苦労を思えば、どんなことがあっても頑張れると思ってしまう俺です。
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