日本財団公益コミュニティサイト CANPAN CANPANブログ:公益法人,NPO,CSR,社会貢献活動のための無料ブログ
海洋汚染情報 −海の事件簿−
海上で起きた重大な汚染事件・事故について、独自の視点から鋭くメスを入れ、分析・解説する”海の社会部デスク”、その名も”元海の男”、職業”(さすらい派)研究員”による海の事件簿。
« 2008年04月02日 | Main | 2008年04月04日 »
2008年04月
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
昭夫様 元海の男
『★続く死亡海難、救命胴衣不着用!★』 (11/15)
植田様 元海の男
『★定額給付金とストリートファイト★』 (11/11)
ふぁなんなん様 元海の男
『★沈没船からの油流出報道に想う!★』 (11/05)
最新トラックバック
『★夢の海底トンネルと、洞爺丸の悲劇★』[2008年04月03日(木)]
現在、本州と北海道は空路で結ばれ、また、青函トンネルの開通により鉄道でも移動できるようになりました。

しかし、かつては、青森と函館を結ぶ国鉄の連絡船が、唯一とも言える交通手段だったのです。その昔、青函連絡船で発生した日本最悪の海難のことを知る人も、しだいに少なくなってきたのではないでしょうか。

1954年(昭和29年)9月26日のことでした。台風15号は正午過ぎ、佐渡島付近を通過、同日17時ころ、津軽海峡に達することが予想されました。

青函連絡船“洞爺丸(3,898総トン)”は、函館港から青森に向けて14時40分に出港する予定でした。定刻どおりに出港すれば、台風が接近する前に陸奥湾内に入り、難なく青森に到着できるものと考えていたようです。

しかし、予定どおりにはいきませんでした。別の連絡船が、船体の老朽化を理由にいち早く出港中止を決断したため、この連絡船からの乗客・車両を洞爺丸に移乗させるのに、思いのほか時間を要してしまったのです。

定刻を30分ほど過ぎてしまったため、台風の接近を懸念し、洞爺丸はいったん出港を見合わせました。しかし、出航中止ではなく、しばらく様子を見ることとしたのです。

16時頃、強風が収まりはじめ、しかも、晴れ間すらのぞき始めました。一見、“台風の目”が通過した様相を呈したのです。台風の目が通過すれば、しめたものです。「短時間のうちに天候は回復するだろう」、洞爺丸の船長はそう考えました。

実は船長、自他共に認める“お天気お宅”、自身の天候判断に自信を持っていました。気象情報の提供体制が今ほど発達していなかった当時、船長の天候判断能力は、極めて重要でした。

しかし、“台風の目”の通過は、彼の勘違いだったのです。“台風の目”ではなく、閉塞前線がもたらした、ちょっとした“いたずら”に過ぎなかったのです。実際には台風はまだ通過せず、洞爺丸のすぐ間近に迫っていたのでした。

洞爺丸の船長は、ついに出港を決断しました。実際にはこの判断は誤りで、台風の魔の手がすぐ間近に迫っていることなど、彼は疑う余地もありませんでした。

18時39分、“洞爺丸”は旅客その他1,314人を乗せ、青森に向けて出港しました。間もなく、南からの風が激しくなってきたのです。

19時1分、危険を感じた洞爺丸は、天候がおさまるのを待つため、函館港外に錨を入れて仮泊しました。

20時頃、暴風と猛烈な波浪のため、洞爺丸は錨を入れたままの状態で流されはじめました。やがて、船尾から進入した海水が車両甲板を経由して、ボイラー室および機関室へ至りエンジンを停止させました。

22時26分、自由を失った洞爺丸は七重浜沖の海底に座礁しました。波浪のため、徐々に船体が傾いていきました。22時45分ごろ、海岸まであと数百メートルの地点で唯一の生命線であった左舷錨鎖が切断しました。

万事休すでした。同時に大波を受けて横転、最後には船体がほぼ裏返しの状態で沈没してしまったのです。

乗員・乗客は事前に救命胴衣を着用していましたが、すさまじい風雨には耐え切れませんでした。1,155人が死亡または行方不明となりました。

後に洞爺丸台風と呼ばれた台風15号により、函館港付近では他に4隻の船が転覆・沈没し、275人が死亡しました。

洞爺丸の悲劇を契機に、青函トンネルの建設を要望する意見が沸きあがりました。しかし、北海道と本州がトンネルで結ばれるなど、当時としては夢のまた夢の話に過ぎなかったのです。

青函連絡船はその後、安全運航管理の徹底や船体構造の改善に全力を注ぎました。後に終航するまでの間、二度と大きな海難が起きることはありませんでした。

青函トンネルが実現化し、本州と北海道が鉄道でつながったのは、洞爺丸の海難から約30年を経た、1988年(昭和63年)3月13日のことでした。

昨日の外電によると、フィンランドはこのほど、首都ヘルシンキと、バルト海(フィンランド湾)を隔てた対岸、エストニアの首都タリンを結ぶ、海底鉄道トンネルの建設に着手する旨を発表したそうです。

実現すれば全長は約80キロメートル、現在、世界最長の青函トンネルの約54キロメートルを、大幅に更新することになります。


プロフィール


リンク集
http://blog.canpan.info/maikohinako/index1_0.rdf