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海洋汚染情報 −海の事件簿−
海上で起きた重大な汚染事件・事故について、独自の視点から鋭くメスを入れ、分析・解説する”海の社会部デスク”、その名も”元海の男”、職業”(さすらい派)研究員”による海の事件簿。
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『★中国製ギョーザと鹿島港の安全性?★』[2008年02月06日(水)]
農薬が混入した中国製ギョーザによる中毒事件ですが、昨日の報道によると、中国・河北省のT食品が製造し、福島県内で販売されたギョーザの中から、既に検出され今回の中毒事件の原因とされてきた“メタミドホス”とはまったく異なる、別の有機リン系農薬“ジクロルボス”の成分が検出されたそうです。

真相がいまだ解明されていない状況下、新たな農薬が検出されたことにより、事件はますます複雑化する様相を呈しています。

原因がいまだ解明されていない時点で、軽々しいことは言えないのですが、少なくとも海事を専門とする私としては、船舶や港が関わっていないことを祈るばかりです。

日本側の食品会社や小売店などが既に蒙った経済的損失は、おそらく数十億円規模では済まないのではないでしょうか。今後の状況次第では、当然のことながら損害賠償請求といった事態に発展することが容易に予想されます。

さて、損害賠償といえば、一昨日(2月4日)、中国の海運会社C社が、日本の海運会社D社に対し、総額約200億円にのぼる損害賠償を求める意向を伝えてきたそうです。

C社はD社に対し、一航海のみという契約で、自社船の“オーシャン・ビクトリー”を貸し出しました。D社は同号を南アフリカ・サルダニアベイから鹿島港まで、鉄鉱石約17万トンを運ぶ航海に従事させました。

鹿島港に無事到着した同号は、鉄鉱石の揚荷役を開始しました。しかし、台風並みに発達した“爆弾低気圧”が関東地方を通過する異常な荒天下、同号は荷役を中断し鹿島港外に退避しようとしましたが、港の出口付近で力尽き、ついに座礁してしまいました。昨年の10月24日のことでした。幸いにも、乗組員の生命に異常はありませんでしたが、

その後、同号の離礁作業が行われましたが、悪天候に阻まれなかなか進みませんでした。離礁まで“あと一歩”と迫りながらも、持ち堪えきれず、12月末、再び鹿島を襲った大時化のため、ついに船体破断に至り全損してしまいました。

今回の中国C社の主張は、「同号を借り受けたD社が、“安全な港(safety port)”を用意する義務を怠ったため事故が発生、損害を蒙った。」ということです。裏を返せば、鹿島港は“安全な港”ではなかったとするものです。

通常、用船契約を行なう際には、契約の中に「用船者(D社)は、(“オーシャン・ビクトリー”のために)“安全な港”を用意する。」という条項を盛り込みます。当然、今回の契約にも盛り込まれています。

用船したものの、その船にとって水深が十分でないような港、あるいは狭すぎる港への入港は、この条項をもとに拒否することができます。すなわち“非安全港”だからです。無論、“非安全港”へ無理やり入港させ、結果、船体損傷などが生じた場合、用船者の責任となります。

港がその船にとって安全であるか否かは、船のサイズや性能、気象・海象によって判断が異なります。今回のように、平素は大丈夫なのだが、一時的に荒天に見舞われ、港外退避するような状況に陥った場合、過去の判例では“非安全港”とはせず、“安全港”と位置づけています。

優れた航海技術をもってすれば、あるいは、事前に一時的な異常を察知することにより、危険を回避できるからです。

今回の事件は、普通であるならば、乗組員の不注意、譲ったところで不可効力によって発生したものと判断されます。したがって、どの道、用船者であるD社には、C社に対する賠償責任は生じないはずです。

ただし、ロンドン仲裁裁判所に持ち込まれ、万が一、鹿島港が“非安全港”と認定された場合は別です。D社に賠償責任が生じてしまうのです。

さて、鹿島港は“安全港”なのか、“非安全港”なのか、状況次第では、本ブログの今年の大きなテーマの一つとなるかもしれません。


『★G号海難審判とイタリアン・ランチ、鹿島港連続座礁海難★』[2007年05月31日(木)]
昨年10月6日、荒天下の鹿島港付近で座礁し船体が分断、死者・行方不明者10人を出した、パナマ船籍の鉱石運搬船「ジャイアント・ステップ号(総トン数98,587トン 乗組員26人、以下、G号と言う。)」の続報をお伝えします。

この事件に関し、横浜地方海難審判理事所(刑事裁判の検察に相当)は、G号のインド人船長M氏を指定海難関係人(刑事裁判の被告に相当)に指定し、「天候悪化の予測が可能であったにもかかわらず、措置を怠った。」として、横浜地方海難審判庁(刑事裁判の裁判所に相当)に海難審判開始の申し立てを行なっていました。

昨日(5月30日)、第一回目の海難審判が横浜地方海難審判庁で行なわれました。G号のインド人船長は欠席しましたが、補佐人(刑事裁判の弁護人に相当)は、「起訴事実にあたる理事官の申し立てに対し、一部争う姿勢を見せた。」と報じられています。

G号の事件は本ブログでもすでに何回も取り上げ、私自身も大いに興味があったのですが、残念ながら、所要のため昨日は傍聴しませんでした。

ちょうどそのころ、都内某所のイタリアン・レストランで、海事関係の弁護士の皆さんと、昼食を兼ねた意見交換会に参加していたからです。

全員が日本を代表する海難分析の専門家ですから、海上衝突予防法の条文解釈の議論に始まり、やがて、自然と話題は最近続発した重大海難に関することに行き着きます。

一昨年9月、根室沖でイスラエルコンテナ船と衝突・転覆した新生丸、昨年10月24日、荒天下の茨城県・鹿島港付近で座礁した“オーシャン・ビクトリー号”や“エリーダ・エース号”など、いずれも本ブログで幾度となく取り上げてきた海難の話題が中心です。

場所はかなり高級でしたが、言うなれば、本ブログの“オフ会”が開催されたようなものです。いずれ、本ブログの本当の“オフ会”も開催したいと思っています。ただし、高級イタリアンではなく、当然のことながら新橋あたりの“破れ障子”に落ち着くかと思います。

さて、G号ですが、昨日の審判で理事官は以下のとおり、指摘しました。

「G号は鹿島港の沖で錨泊・待機していた、昨年10月6日午前04時頃、低気圧の接近に伴い強風が吹き始め、その後暴風となって走錨を始めた。そして、同日17時20分、鹿島港南防波堤灯台から真方位154度5.5海里の地点において浅所に乗り揚げた。当時、天候は雨、風力12の北北東風が吹いていた。

乗揚の結果、間もなく船体は大きく左舷に傾き、その後、船体に亀裂を生じて分断された。また、乗組員16人は救助されたが、8人が遺体で発見され、2人が行方不明となった。

本事件は、錨泊・待機中、荒天避航の措置が不適切で、避航の時機を失し、猛烈な暴風に遭遇して操縦不能状態に陥ったことによって発生したものである。

G号のインド人船長が、入手していた天気図から天候の悪化が予測され、錨泊状態で荒天を凌ぐことは困難であることを判断しうる状況になったとき、早期に北方に移動してヒーブツウ(漂流して時化を凌ぐ)するなど、荒天避航の措置を適切にとらなかったことは本件発生の原因となる。」

補佐人(刑事裁判の弁護人に相当)が、「起訴事実にあたる理事官の申し立てに対し、一部争う姿勢を見せた。」とされていますが、どの点を争うのかまだ情報を入手していません。

私が補佐人ならば、とっておきの突破口があることを利用します。現時点では、公表を差し控えておきます。


『★O号船骸の一部が撤去、鹿島港連続座礁海難★』[2007年05月05日(土)]
昨年10月24日、台風並みに発達した“爆弾低気圧”が関東地方を通過する中、荒天下の茨城県・鹿島港付近で、中国船籍の貨物船「オーシャン・ビクトリー号(以下、O号と言う)が座礁した事故に新たな動きです。

ゴールデンウィークの最中の一昨日(5月3日)深夜、Fサルベージ会社手配のタグボートや救助船5隻によって、O号船首部分の離礁作業が開始されました。

作業は順調に進展し、昨日(5月4日)、座礁事故から実に約6ヶ月ぶりに、座礁後の船体破断から約4ヶ月ぶりにO号の船首船骸の浮上に成功しました。浮上した船首船骸は、瀬戸内海に向けてそのまま曳航されていった模様です。

とは言っても、やっと全体の3分の1の船骸撤去に成功したに過ぎず、残りの船骸が間もなく訪れる付近海岸の“海開き”までに撤去できるか否かは、とても微妙な状況かと思われます。

本ブログの読者の皆さんはご承知のとおり、昨年10月、鹿島港付近では、O号のほか2隻の大型貨物船が座礁しました。

今だから明かせますが、一時、鹿島港付近には、我が国のサルベージ技術・能力のほぼすべてが結集された状況となり、「もう一隻、別の場所で大きな事故が起きたら、一体どうなるのか?」、関係者の誰もが真剣に心配したほどでした。

事故後、悪天候に阻まれ、3隻の離座作業や撤去作業はなかなか進まず、O号に関しては、離礁まで“あと一歩”となりながらも、持ち堪えきれず、12月末の大時化の結果、船体破断に至ってしまいました。自然相手の人間の能力の限界を思い知らされました。

O号の撤去に関しても、ようやく先が見えてきた段階に過ぎず、地元漁業者や観光業者が安心できる日は当分先の話かと思われます。

さて、同じ“鹿島”でも世界最高年齢での、ヨットによる単独無寄港世界一周を目指し、豪州付近を航海中のKさん(77歳)が、本日(5月5日)午前0時頃、第五管区海上保安本部(神戸市)に対し救助を求めてきたとのことです。

Kさんは、その後、海上保安庁の要請で派遣された豪州の救助ヘリで無事吊り上げ救助された模様です。

Kさん、どうやら航海中、動揺によってバランスを崩し、腰に怪我を負い、操船ができなくなったとのことでした。無事で何よりでした。



『★救助船の船出と宮城県での座礁海難★』[2007年04月17日(火)]
本日は、日本サルヴェ−ジ社の新造救助船、“早潮丸”の竣工披露祝いに出席のため、朝から横浜まで出向き、先ほど帰社しました。

早潮丸は全長44.4メートル、499総トンと港内タグなみの船型ながら、主機関4000馬力、曳航力53トン、最大速力13.6ノットを誇る立派な救助船です。

今後、日本の沿岸はもちろん、状況次第では近隣諸国などにも出向き、海難船舶の救助にあたることとなります。

あたりまえですが、新造船は機関室を含め、隅々まできれいでした。新造船のペンキのにおいは、苦手な方もいるようですが、私にとっては実に懐かしい香りに感じられます。

本当は海難が撲滅され、早潮丸のような救助船の出番がないことが、世の中にとっては一番なのですが、そうも言ってられません。やはり、いつの時代がこようと、救助船は必要不可欠な存在なのです。

多くの海事関係者が真新しい早潮丸を見学し、引き続き式典が行なわれる中、関係者同士の立ち話の話題はやはり、今朝、宮城県で発生した貨物船の座礁海難のことでした。

今日(4月17日)午前4時ごろ、福島県との県境付近、宮城県山元町の磯浜漁港近くの砂浜海岸に、セント・ビンセント船籍の貨物船“JANE(4,643総トン)”が座礁し、海上保安庁に対し救助を求めてきました。

同号には、ロシア人乗組員17人が乗船していましたが、海上保安庁の回転翼機による救助作業が行われ、午前9時過ぎまでに、全員無事に吊り上げ救助されたとのことです。

現場海域は、当時、北東の12メートル/秒を超す強風が吹き荒れ、4メートルの高波があったとのことです。

強風の中、一人の負傷者も出さず、全員無事吊り上げに成功した第二管区海上保安本部の活躍に、心から感謝するとともに、拍手を送りたいと思います。 なお、油の流出は今のところ見られないとのことですが、油断はできません。

一方、今回の低気圧の通過を予想し、昨日(4月16日)、茨城海上保安部鹿島海上保安署は、鹿島港内の一定の大きさの船舶に対し、避難勧告を発令しました。

皆さんご存知のとおり、鹿島港付近では、昨年10月、低気圧の接近に伴う荒天により、大型貨物船3隻が連続して座礁するという事態に見舞われました。

これらの海難を教訓として、新たな避難勧告基準が策定され、今年3月1日から施行されている中、今回の発令は初めてのケースと言うことになります。

鹿島保安署によると、今日の鹿島港周辺海域は、発達した低気圧の影響により、北東の強風(最大20メートル/秒)と、大きなうねり(最大波高8〜9メートル)が予想されるとのことです。

先ほどの“JANE”座礁の第一報を聞いたとき、「また、鹿島ではなかろうか!」と一瞬思いましたが、結果は違いました。

今のところ、予想通りの大荒れの海気象となり、言わば功を奏した幸先のよい鹿島の避難勧告ですが、避難に伴う費用負担はどうなっているのか、特に予想が外れた場合はどのように負担するのか、聞いてみたい気がします。


        早潮丸の雄姿
『★鹿島港 船舶航行安全の手引きに物申す!』[2007年04月06日(金)]
昨年10月、荒天下の鹿島港で、大型貨物船による連続三件の座礁事故が発生したことを受け、このほど“現地連絡会議(国土交通省関東地方整備局鹿島港湾・空港整備事務所、鹿島海上保安署、鹿島水先区水先人会などによって構成)”は、最新の気象情報の入手方法や荒天時の避難勧告の発令方法などをまとめた「鹿島港 船舶航行安全の手引き」を発行しました。

このニュースは、先週の火曜日(3月27日)に記者発表され、昨日(4月6日)の業界紙にも大きく取り上げられていました。本日はこの手引きを取り上げたいと思います。

なお、表紙を見る限り、「現地連絡会議」の正式名称は、「鹿島港沖座礁事故を踏まえた現地連絡会議」とのことです。

本ブログの愛読書の皆さんはご承知のとおり、今回の一連の海難はすべて、船長を含め、乗組員全員が外国人船員である貨物船で発生したものでした。

こうしたこともあり、今回の手引きが日本語バージョンであることに不安を感じました。しかし、いずれ、英語と中国語のバージョンも発行する旨が報道されています。安心しました。それは、不慣れな外国人船員にとって、非常に有効だと思います。

まず、3ページでは、どういった気圧配置の状況が、「鹿島港での強風等を招き、注意を要するか。」がしっかりと書かれています。これもわかりやすく、とても良いと思います。

また、4ページでは、鹿島港付近の底質の悪さにも触れ、錨地に適していないことを指摘しています。これも、不慣れな外国人船長には、必ず伝えておくべきことで、とても有益です。

さらに、それ以降、5ページまでは、過去の海・気象の統計データが詳細に記されています。しかし、これについては、これをもとに何を言いたいのか、判断に迷います。

読みようによっては、「今回の一連の座礁海難を招いた波風は異常で、過去35年を振り返っても、これを上回るものはたった一度しかなかった。データが示すとおり、めったに無い現象で、いつもは安全です。」とも思えます。

“手引き”なのですから、データの記載のみならず、何を言いたいのか、明らかにしていただきたかったと思います。

次に、6ページには海・気象情報の入手先が書かれています。記載されている入手先のホームページのアドレスは、いずれの場合も日本語のページに飛んでしまいます。

今回の外国船海難の発生を踏まえたのであるならば、せめて英語による情報提供のページに飛んでもおかしくないのではないでしょうか。

しかし、これら日本語のページはあくまでも日本人向けであり、英語への切り替えはできないページなのです。

それとも、手引きの英語・中国語バージョンの発行にあわせ、今後、英語などによる情報提供を新たに始めるのでしょうか。

なお、今回の一連の海難が起きた際、外国人船員がしっかりと海・気象情報を入手していないとの指摘がありました。しかし、手引きですらこの状態では、外国人船員にとって、少々気の毒のような気がします。

なお、海・気象情報の入手先の二番目として掲げられている、「茨城海上保安部 船舶気象情報」のアドレスは、アドレス自体が変更されたらしく、情報に行き着くことができませんでした。私のやり方がまずいのかもしれませんが、そうでないならば修正が必要です。

7ページ目以降の避難勧告の発令基準や連絡体制は、とてもわかりやすく、非常に有効です。

しかし、具体的にどこに逃げたら良いのか(「他の港・泊地へ避難」と記述)、避難の時期を失した場合はどのように対処したらよいのか(失しないこと前提に記述されている)、防波堤出口付近での強風・高波対策に対する助言などは、一切触れられていません。

外国人船長が本当にほしい助言などには、こういったことも含まれるているはずです。したがって、“手引き”と称する割には、かなりの記述が不足しているように思います。

残念ながら、仮に私の部下が”手引き”と称して作成した資料であったならば、決して合格点は与えません。


『★生から死へ、O号海難の審判開始!』[2007年03月29日(木)]
昨年10月24日、台風並みに発達した“爆弾低気圧”が関東地方を通過する中、荒天下の茨城県・鹿島港付近で、中国船籍の貨物船「オーシャン・ビクトリー号(以下、O号と言う)とパナマ船籍の貨物船「エリーダ・エース号(以下、E号と言う。)が、相次いで座礁した事故に新たな動きです。

昨日(3月28日)、横地方海難審判理事所は、O号及びE号の海難の原因を追求すべく、相次いで審判開始の申立書を提出しました。

この事故では、まずはO号が鹿島港外への退避を試みました。しかし、防波堤出口付近で、風速30メートル/秒に達する暴風のため、操船意のままとならず、午後4時前、鹿島港の南防波堤に接触して浸水、座礁しました。

次いで、同日午後8時頃、同じく鹿島港外への退避を試みたE号が、今度は港内の浅所に座礁、浸水しました。

O号・E号ともに、乗組員の命は救われました。ところが、同日に発生した同様の座礁事故でありながら、両号の運命は明暗を分けました。

すなわち、E号は後に離礁に成功しました。しかし、O号は離礁に手間取り、12月末、あと一歩で救助というところで、折からの時化のため、船体が破断してしまいました。

今回の海難申し立てに際し、理事官(通常の裁判の検察官に相当)はO号に事故に関しては、O号の中国人船長と運航会社の現地所長を、また、E号の事故に関しては、E号のフィリピン人船長とE号の船舶会社、さらに、運航会社の現地所長をそれぞれ指定海難関係人に指定しました。

昨日のブログでも解説したとおり、指定海難関係人とは、海難の原因に関係があり、かつ、これに対し勧告をする必要があると認めた者を指します。

海難審判は、審判を通じ海難の原因を明らかにするとともに、日本の海技免状を有する海難の当事者に対し、免許の執行停止などの行政処分を下す役目も担っています。

したがって、海難審判の受審人(通常の裁判の被告人に相当)は、あくまでも、日本の海技免状を有する海難当事者に限定されます。

O号の中国人船長やE号のフィリピン人船長は外国の海技免状を有しているため、受審人にはなり得ないのです。


今回のO号及びE号の海難審判、昨日お伝えした“ジム・アジア号”と“新生丸”の海難と同様、関係者全員が指定海難関係人、すなわち、受審人は一人もいないという奇妙な審判となるのです。

昨日のブログをご覧になった皆さんなら既にお気付きのとおり、今回のO号とE号の海難審判も、指定海難関係人や補佐人(通常の裁判の弁護士に相当)には二審請求の権利がありません。

“ジム・アジア号”と“新生丸”の海難審判と同様、理事官にのみ、二審請求の権利が生じるのです。

理事官が一審(横浜地方海難審判庁)の裁決に不服ならば、二審(高等海難審判庁)、そして、三審(東京高等裁判所)へと進めることができます。しかし、指定海難関係人や補佐人は一審での一発勝負となってしまうのです。釈然としませんが、それが現行法の規定なのです。

私は今回の海難審判のうち、O号の審判に特に興味を持っています。というのも、別件で鹿島を訪れた際、船体が破断する前の最後のO号の雄姿を目撃したからです。

夕暮れの中、O号は明々と照明を点灯させ、自船が生きている証を誇示していました。よもや、その直後に破断するとは思いもしませんでした。それだけに、O号に対する思い入れがあるのです。


       O号の最後の雄姿


『★人の命と金銭負担! ジャイアント・ステップ号海難』[2007年02月27日(火)]
昨年10月6日、荒天下の鹿島港付近で座礁し船体が分断、死者・行方不明者10人を出した、パナマ船籍の鉱石運搬船「ジャイアント・ステップ号(以下、G号と言う。)」の続報をお伝えします。

昨日(2月26日)、横浜地方海難審判理事所(刑事裁判の検察に相当)は、G号のインド人船長M氏を指定海難関係人(刑事裁判の被告に相当)に指定し、「天候悪化の予測が可能であったにもかかわらず、措置を怠った。」として、横浜地方海難審判庁(刑事裁判の裁判所に相当)に海難審判開始の申し立てを行ないました。

G号の悲惨な海難を、もう一度振り替えてみましょう。G号は昨年9月11日、鉄鉱石19万トンを積載し、オーストラリアのポート・ウォルコットを出港、茨城県の鹿島港に向かいました。

G号は9月25日、鹿島港に到着しましたが、10月1日の着岸予定までの間、港の沖合いで錨を入れて待機することとなりました。

しかしながら、G号と同様、港内で荷役を行なう予定の船が多く、G号の着岸予定日はたびたび延期され、10月4日の時点では同月10日となってしまいました。実に半月以上、沖合いでの錨泊を余儀なくされたのでした。

事故の前日、10月5日、日本南岸には秋雨前線が停滞し、その南には二つの台風が存在しました。そのため、関東周辺海域は時化模様となり、同日12時00分、関東海域に海上風警報が発表されました。

さらに、同日15時00分の観測では、秋雨前線上に996ヘクトパスカルの低気圧があって発達中であったことから、18時00分、海上風警報は海上強風警報に切り替えられました。

当然、G号の周囲でも午頃から風の勢いが増し、夕方頃には風力7に達する北北東風を観測していました。

結果論になりますが、10月5日のこの時点で、M船長は“安全と危険の見極め”を行い、錨を回収し、はるか沖合いに退避すれば、少なくとも座礁・船体分断には至らなかったはずです。昨日のブログで述べたような、“ガター防護柵”もこの時点では必要なかったのです。

理事官の申立書によれば、「(この時点で)入手していた、天気図からも天候の悪化が予測された。錨泊状態で荒天を凌ぐことは困難であることを判断しうる状況であった。」としています。

しかし、この時の低気圧の急激な発達は、ベテラン揃いの日本の気象予報士ですら、予想困難であったはずです。いわんや、外国人船長にそれを求めることは、いささか酷なような気がします。

翌10月6日朝4時頃、海上がますます時化模様となる中、M船長はG号が走錨(風が強すぎて錨が利かず、船体が移動する現象)を始めたことに気が付きました。

そこで、M船長は05時、錨を巻き上げて沖合いへ退避することとし、主機関の用意を命じました。しばらく使用していなかった主機関の準備には、意外と時間を要したようです。

強風下で揚錨をスムーズに行なうためには、主機関を前進状態とし、錨鎖に若干のたるみをもたせます。

08時40分、前進主機関を使用してそのような状態とし、いよいよ錨を巻き上げようとしたとき、作業責任者である一等航海士から悲痛な叫びが届きました。
「ウィンドラス(揚錨機)が作動しません!」

船長は、直ちにウィンドラスの点検・修理を指示するとともに、その間、主機関を使用して急場を凌ぐこととしました。

こうした中、05時48分、茨城県には波浪警報が発表されました。さらに、09時00分の観測では、秋雨前線上の低気圧は984ヘクトパスカルに達し、12時00分、関東海域に海上暴風警報が発表されました。

G号は主機関を使用して、少しづつ走錨しながらも、船体を辛うじて保持し、ウィンドラスの修理を待ち続けました。故障発見から4時間半が過ぎた13時10分、一等航海士から連絡が入りました。
「船長! ウィンドラスが復旧しました!」

「神は自分を見捨てなかった。」と、M船長は心から安堵したに違いありません。しかし、その喜びもつかの間、今度は機関室から悲痛な叫びが寄せられました。

「船長! ブローバイが発生しました!」

ブローバイとは、主機関を長時間過負荷状態で機関を使用したため、シリンダ内の排気ガスがクランク室内に達し、最悪の場合に火災を生じる現象を言います。簡単に言えば、エンジン内での火災です。これ以上、主機関を使用することはできないのです。

13時39分、G号は主機関を停止して、復旧作業を開始しました。「一難去って、また一難!」 まるで、ブルース・ウィルスの映画、“ダイ・ハード”のような不運がG号に続いたのでした。

結果論ですが、M船長は遅くともこの時点で、自身が“安全と危険の見極め”を失いつつあり、かつ、“運”にも完全に見放されたことに気付くべきでした。

13時58分、M船長は鹿島港の海岸局に自船の状況を伝えました。また、万が一のために、タグボート2隻を要請しました。

14時36分、ブローバイの修理が終了し、再び主機関が使えるようになりました。G号の走錨はさらに続いていました。

M船長はすぐに揚錨開始を命じましたが、錨鎖は13節すべてが出切ってしまい、前方に向かって“ピンピン”に張っている状態でした。

これでは錨を巻くことは困難です。前進機関を使用し、錨鎖に若干のたるみを作ってやらなければなりません。

M船長は、機関を全速前進にかけたものの、回転数の上昇に伴って再び主機排気温度が上昇し出しました。またもやブローバイの兆候です。やむなく回転数を下げるなどしながら、これ以上の走錨を何とか抑えようとしました。

16時頃、鹿島港から念願のタグボートがやっと到着しました。しかしながら、到着したタグ・ボートは港内用のものです。G号周辺には7メートルに達する高波と風力11に達する暴風が押し寄せていました。

タグボートはG号に接近できませんでした。そればかりか、自身が遭難するおそれに慄き、M船長に「引き返したい。」と懇願しました。M船長はやむなくこれを了承しました。

16時05分、暴雨風が吹き荒れ、激しい大波が船体に打ち上げる中、M船長は錨鎖の切断を命じました。

16時50分、錨鎖は何とか切断されました。しかし、時既に遅く、船体は風・波に翻弄され、操船意のままとならず、ついに操縦不能状態に陥りました。

17時20分、G号はついに浅所に乗り揚げました。17時21分、船長は遭難信号を発しました。 当時、天候は雨で、風力12の北北東風が吹き、波高9メートルに達していました。
 
まもなくG号の船体は大きく左舷に傾き、その後、船体に亀裂を生じて切断してしまいました。乗組員16人は救助されましたが、8人が遺体で発見され、2人が行方不明となりました。

G号は“ダイ・ハード”並みの不運が重なったこともあり、“安全と危険の見極め”をいつの時点かに完全に失ってしまいました。

昨日のブログで言うところの、玉がガータにそれて行ったわけです。しかし、“防護柵”を立ててこれを修正する最後のチャンスもあったのです。

タグボートの到着です。自身も遭難のおそれがあるため、やむなく引き返してゆきましたが、鹿島港から到着したのが港内タグではなく、ETV(emergency towing vessel)であったならば、到着時間ももっと早く、また、G号の最後の“防護柵”になっていたに違いありません。

少なくとも10人の死者・行方不明者は、救われた可能性が高いと思われます。昨日も申し上げたとおり、残念なことに、我が国では、ETVによる海難の事前防止対策重視の発想は、未だ十分な理解を得ず、浸透していないのが実情です。

“人の命の問題”と“(ETV運用のための)金銭負担の問題”、皆さんはどのようにお考えですか?


       ジャイアント・ステップの残骸

『A号の奇跡! 鹿島港で重大海難相次ぐ(後日談)』[2007年02月23日(金)]
本日も石油連盟主催の国際シンポジウムに参加、そのためブログ更新が遅れてしまいました。本日はシンポジウムでの皆さんとの雑談の中で、仕入れてきた“ネタ”をもとにお伝えします。

本ブログでもさんざんお伝えしてきたあの事件、すなわち、昨年10月24日、台風並みに発達した“爆弾低気圧”が通過する中、荒天下の茨城県・鹿島港付近で、中国船籍の貨物船「オーシャン・ビクトリー号(以下、O号と言う)とパナマ船籍の貨物船「エリーダ・エース号(以下、E号と言う。)が、相次いで座礁した事故の続報です。

この事故では、まずはO号が鹿島港外への退避を試みました、防波堤出口付近で、風速30メートル/秒を超える暴風のため、操船意のままとならず、午後4時前、鹿島港の南防波堤に接触して浸水、座礁しました。

また、午後8時頃、同じく鹿島港外への退避を試みたE号が、今度は港内の浅所に座礁、浸水しました。

当時、鹿島港には、E号とO号以外にも大型外航船が複数、港内にいました。しかし、他の船は港内に止まったままでした。止まった他の船が、無傷であったにもかかわらず、退避を試みた二隻が相次いで座礁するという何とも皮肉な結果となってしまったのです。

退避を試みた時点で、両船は安全と危険を見極めるタイミングを失っていたのです。したがって、「難を免れた他船のように、そのまま港内に止まっていればよかった。」などの結果論は申しません。

実は報道されていませんが、E号・O号の両船以外に、当時、あの暴風下で鹿島港からの退避を試みた第三船が存在したのです。仮にA号としておきます。

A号は鹿島港内で、原油の荷役を行なっていた大型タンカーです。荷役の途中、すなわち、まだ船内に多くの原油が残存する状態で荷役を中止し、待機していました。

しかし、係留場所が防波堤の裏側であったため、前方からの暴風の影響をまともに受け、ついに係留したまま港内に止まることを断念し、港内退避を試みたのでした。O号が座礁するわずか二時間前のことでした。

A号はE号やO号と同様、防波堤の出口付近で前方からの暴風をまともに受け、操船は極限に達するほど困難だったはずです。しかしながら、“運”も作用して、奇跡的に座礁などの事故を免れ、無事に港外に退避してゆきました。

A号の秘話はごく一部の関係者にのみ知れわたっていました。無論、私もA号の存在を知っていた者の一人です。

しかし、マスコミなどの報道も、私の知る限りA号について語ることなく、もっぱら座礁したE号とO号の報道が優先されました。

E号及びO号は鉄鉱石又は石炭を輸送していました。無論、燃料重油も保有していましたが、油タンカーとは異なり、貨物として大量の油は保有していませんでした。一方、A号は大量の原油を積載していた大型油タンカーです。

座礁したのがE号やO号ではなくA号であったとしたら・・・、最悪のケースを想定するときりがないのですが、ナホトカ号の重油災害をはるかに凌ぐ規模の大流出油災害が、今度は太平洋側で起きていても決して不思議ではなかったのです。

“たら・れば”の話があまり好きではない私は、この話をあえて封印していました。「誰かが問題に触れたら話そうか。」程度に考えていました。

ところで、石油連盟の国際シンポジウムには、海外からもたくさんの参加者があります。今回は英国ロンドンに本部を置く、国際油濁補償基金の事務局長も公務多忙中であるにもかかわらず、見えていました。

講演を終えた事務局長は、昨夜、あわただしく日本を発ったそうです。私が事務局長から直接お話を伺ったわけではありませんが、彼と話を交わした私の知人が私に語りました。

「事務局長は例の鹿島のA号の話を知っていましたよ。“あの時、座礁したのがE号やO号ではなく、大型油タンカーA号であったとしたら、就任早々(今年1月就任)の私の初仕事は、日本でのA号流出油災害の後始末だっただろう。”と語っていましたよ。」

A号の“奇跡”は遠く海を越え、ロンドンにまで伝わっていたのでした。そこで私は、A号の“奇跡”の話の封印を解くこととしました。


   オーシャンビクトリーの最期の雄姿(数日後の大時化で船体分断)
『“もんじゃ焼き”はソースが決め手! ジャイアント・ステップ号海難続報』[2007年02月08日(木)]
昨年10月6日、荒天下の鹿島港付近で座礁し船体が分断、死者・行方不明者10人を出した、パナマ船籍の鉱石運搬船「ジャイアント・ステップ号(以下、G号と言う。)」の続報をお伝えします。

今週月曜日のブログでお伝えしたとおり、G号の残骸のうち、海水浴場至近に鎮座した船首部分の解体・撤去作業が、先週からようやく開始されました。

同じころ、中央紙A新聞が以下のとおり報じています。

曰く、「G号の運航会社である邦船S社による調査の結果、G号の座礁の原因は、ウィンドラス(揚錨機/錨及び錨鎖を巻き上げる機械)の不具合と整備不良に加え、錨鎖を切断するタイミングを失い退避が遅れるという船長の判断ミスが重なったためであった。」

特に目新しい内容は含まれていません。邦船S社が分析するまでもなく、G号座礁事故の発生当初から、私は以下のとおり主張しています。

曰く、「G号が救われるチャンスは、いくつか見出せる。まずは、避難要請を受け入れ、もっと早い段階で避難することを決断すれば、ウィンドラス(揚錨機)の不調にも早く気付き、最悪の惨事を回避することはできた。

さらに、錨鎖の切断に関しても、決断をもっと早い時期に行えば、最悪の惨事を回避することはできた。おそらく、わずか1時間程度の時間差が、同号の運命を大きく左右したものと思われる。

G号はある時点で、安全と危険の見極め(判断)を行うタイミングを完全に失った。その代価はあまりにも重かった。」

私の当時のブログを見てください。そのように書かれています。「今さら・・・。」という気がしますが、まあ良いでしょう。

邦船S社はG号の海難を含め、昨年に重大海難が多発したことを深刻に受け止め、特に外国人船員を対象に、技量強化のための教育・訓練を主体とする再発防止対策を取りまとめ、現在これを進めています。

また、新たに、「安全運航支援センター」を設置し、異常気象など、自社運航船が緊急事態に陥った際に備え、24時間体制による情報発信や運航サポートを行なうこととしました。


教育・訓練にせよ、運航支援にせよ、いずれも重要なことであり、十分評価に値します。しかし、それだけでは決して十分とは言えません。

前にも述べたとおり、今回の事故、我が国海運界が中国景気に沸き、運航船舶がますます増加する中、G号の海難は、現在の船舶管理制度の綻びや限界が見出される、典型的な事例であると、私は分析しています。

一人の担当者が、海事・船舶に係る広範囲にわたるすべての知見を有し、多数の船舶を管理する形態の現行制度、運航船舶が増加するほどその知見は薄くなり、船舶管理者も多忙又は人材不足となり、ついにはどこかに綻びが生じてくるのです。確か私はこれを、あまりにも薄く延ばし過ぎた“もんじゃ焼き”に例えたはずです。

ところで、我が国の海運界は一大過渡期に直面しています。特に、日本人船員の減少は極めて深刻な状況で、水先制度の改革や、一般理科系学生を船員として育成する制度など、20年前ならば誰も予想していなかった様な大改革が、当然のごとく進められています。

それも現状からしていたしかたないこととは承知しつつ、一抹の不安を感じざるを得ないのは私だけなのでしょうか。

邦船S社の再発防止対策にせよ、日本人船員の減少問題に太刀打ちするための画期的な打開策にせよ、一つ一つのパーツはそれぞれ精査された上での良いものと思われます。

しかし、ここのパーツをすべてつなぎあわせ完成品とした場合、その製品が優秀なものであるか否かは別の問題です。私の“一抹の不安”はそこにあります。

昔の日本製の電化製品がそうでした。個々のパーツは可もなく不可もなくという程度のものでした。しかし、ひとたび完成品となった場合、操作性に優れ故障も少ない優秀な製品として仕上がり、世界の国がとても太刀打ちできませんでした。

“もんじゃ焼き”に例えるならば、個々の具在を洗練し、良い品物を集めて鉄板の中に放り込んでも、果たしてそれがおいしく仕上がるか否かは別問題なのです。

“もんじゃ焼き”をあまりに薄く広げすぎれば壊れてしまいます。また、何と言っても“もんじゃ焼き”はソースが決め手です。個々の素材の味をうまく引き出し、全体としての調和を整えるソースが大事なのです。

今の海運界、一体誰が“もんじゃ焼き”が破れないように見張り、そして、“絶妙なソース”を提供する役なのか、私には見えてこないのですが、いかがでしょうか。



『海水浴場を守れ! ジャイアント・ステップ号海難続報』[2007年02月05日(月)]
昨年10月6日、荒天下の鹿島港付近で座礁した、パナマ船籍の鉱石運搬船「ジャイアント・ステップ号(以下、G号と言う。)」のその後をお伝えします。

G号の海難では、計10名の方が死亡または行方不明となりました。また、G号は座礁の結果二分断し、船尾船体からの燃料油の流出がしばらくの間続きました。その後、さらに分断し全部で三つの残骸となり、すべて事故現場付近に取り残されたままでした。

やがて、船尾船体からの燃料油の流出はおさまり、また、残存油の抜き取り作業も既に終了しました。しかし、三つの無残な残骸は、事故の悲惨さを物語るがごとく、現場付近に取り残された状態のまま、年明けを迎えました。

特に、船首部分については、当初は若干の“浮力”が残されていたため、大型外洋救助船による曳航・撤去計画も実施されましたが、折からの悪天候のため実現には至りませんでした。

やがて、船首部分は海岸至近(波打ち際から約250メートル)まで移動し、そのまま“浮力”を失い、鎮座してしまいました。

こうした中、一昨日(2月3日)から、船首部分の解体・撤去作業が始まりました。現場は神栖市の日川浜海水浴場の目と鼻の先です。夏の海水浴シーズンまでに、是が非でも船首部分だけは撤去しなければならないという事情があります。

解体・撤去作業は、G号の運航会社である邦船S社が手配した、サルベージ会社の作業員らの手によって進められます。

具体的には作業員らが水中ブルドーザーや小型船で船首部に乗り込み、ガスバーナーを用いて少しづずつ解体してゆくという、時間と根気を必要とする作業が中心です。

邦船S社は、「作業期間は天候次第であるが、できるだけ早く撤去したい。」と話しているそうです。“天候次第”というところが、この作業の最大の“泣き所”です。夏の海水浴シーズンまでの撤去が目標と言えども、実質、与えられた時間はその半分以下と見るのが妥当かもしれません。

海水浴シーズンまでに撤去されなかった場合、残骸の“物珍しさ”で集まる客も期待できるでしょうが、「潜在的な危険を避け、家族連れなどを中心に集客数が大幅に落ち込む。」と見るのが正論でしょう。

あるいは、当該海水浴場での遊泳自体を禁止する措置が必要になるかもしれません。いずれにせよ、さらなる観光被害が発生するおそれは否定できません。

なお、残りの二つの残骸(うち、一つは水没)については、撤去の見通しはまったく立っていないとのことでした。

ところで本日は、クレーン船による送電線接触事故の第三回目の海難審判が、横浜地方海難審判庁で開廷されます。私の証言は予定されていませんが、今までの行き掛かり上、引き続き傍聴する予定です。本日で実質的な審議は終了、3月の裁決に至るものと予想されます。



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