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海洋汚染情報 −海の事件簿−
海上で起きた重大な汚染事件・事故について、独自の視点から鋭くメスを入れ、分析・解説する”海の社会部デスク”、その名も”元海の男”、職業”(さすらい派)研究員”による海の事件簿。
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『★第58寿和丸転覆海難、潜水調査はやるべきか!★』[2008年11月04日(火)]
本年6月23日午後、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和(すわ)丸(135トン)”が転覆し後に沈没、死者・行方不明者が出た海難の続報です。

私が沖縄県・竹富町に旅立った先週末(10月31日)、この海難で亡くなり、あるいは、いまだ行方不明となっている、船長ら乗組員の皆さん17人の霊を弔う合同慰霊祭が、福島県・いわき市の小名浜市民会館でしめやかに営まれました。

祭壇には17人の顔写真や在りし日の“第58寿和丸”の写真が飾られ、遺族や家族約100人を含む、関係者など約1000人が参列しました。

参列者は祭壇に順次、白い菊を献花、場内はすすり泣く声が響きわたり、今回の海難のあまりの悲惨さを改めて考えさせられたと報じられています。

“第58寿和丸”の船主は、同丸が所属する小名浜機船底曳網漁協の組合長を兼務する、S商店のN社長です。

N社長は「あなた方の驚愕、悲嘆、胸の思いを想像すると胸が張り裂けそうになる。」と述べ、この海難で亡くなり、あるいは、いまだ行方不明となっている乗組員一人一人に対し愛称で呼びかけ、「ご苦労さま・・・」と声をかけたと伝えられています。

N社長には本ブログに対し、たびたび貴重なご意見や情報を寄せて頂いています。ご承知のとおり、この海難は今に至るも、“第58寿和丸”にいったい何が起こったのか、はっきりとは誰にもわからない、極めて特異な事例です。

N社長は事故発生以来、終始、「潜水調査等を通じ、せめて原因だけでも突き止めてもらいたい。」という強い要望を持ち続けられています。

可愛い我が子が理由もなく突然、“神隠し”に遭ったようなものです。私自身も同じ立場ならば、不可抗力だったのか、乗組員に何らかの過失があったのか、私自身に気付かないミスがあったのか、それとも、第三者の過失があったのか、せめて、原因だけでも知りたいのは当然のことです。

結果、自分自身を責めることとなっても、誰か人を恨むこととなっても、このまま何もわからないまま一生を過すよりも、はるかに気持ちの整理はつくはずです。

しかし、“第58寿和丸”の船体は約5,000メートルの深海底に沈んでいるものと見られます。調査のため、深海潜水艇を投入するにしても、沈没位置を特定するだけでも、かなりの時間と負担を伴います。

“第58寿和丸”が所属する小名浜機船底曳網漁協は、今回の海難に関し、徹底した原因究明を求める方針で、今後、署名活動などを通じ、潜水調査の必要性を国に訴える予定と聞いています。

沈没位置が特定され、たとえ1時間でも船体撮影に成功すれば、事故原因解明につながる“糸口”が、かなりの確度で発見されるのではないでしょうか。

事故原因の究明は発見された遺留品、生存者や付近にいた遼船の証言などに限定され、困難を極めることが予想されます。

原因がわからないまま、事故が風化してしまうと、今後、第二、第三の“第58寿和丸”海難が、突然、発生しないとも限りません。潜水調査はやるべきであると私も思っています。


『★第58寿和丸転覆海難、昨夜のテレビ報道に想う(その18)!★』[2008年09月10日(水)]
6月23日午後、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和(すわ)丸(135トン)”が転覆し後に沈没、死者・行方不明者が出た海難の続報です。

昨夜(9月9日)のテレビAのニュース番組Hでは、この事件を取り上げていました。以前、放映予定だったものが、福田総理の辞任会見でいったんは“没”となり、8日後に復活したのでした。

テレビ欄に躍る、「潜水艦説も浮上! 生存者が初めて語った真相!」などの言葉に触発され、ご覧になった方も多いと思います。

予想どおり、生存者や専門家のインタビューなども取り付け、全体をつなげると、潜水艦犯人説を匂わすような番組構成となっていました。

本ブログの愛読者の皆さんはご存知のとおり、潜水艦犯人説については、私は否定的です。通常起こり得るすべての可能性が否定できない限り、現時点では、完全否定と言っても差し支えないでしょう。

さて、私は第58寿和丸の事故原因については、本ブログの愛読者の皆さんは既にご承知のとおり、船首楼の後縁直下、右舷側の船底部分を下から襲ったパンチング(船首・尾部が波によって下から衝撃を受ける現象)が主因だと思っています。

航行中ならば、難なくかわしていたにもかかわらず、第58寿和丸はパラシュートアンカーによって漂泊中でした。船首から繰り出した丈夫なロープが船首部の運動を阻害したため、パンチングの応力が拡散せずに一箇所に集中、船底外板の亀裂及び広範な破壊へと至ったものと思われます。

パラシュートアンカーとは、正確には、抵抗体の形をパラシュート状にしたシーアンカーのことを指します。

漁船が洋上で荒天に遭遇した際、シーアンカーを使用して避泊(正確には“漂躊(ひょうちゅう))する対処方法は、海事関係者などの間では、古くからポピュラーな運用術の一つとして認められてきました。

昭和40年代前半、使用時の船体の動き、船の大きさに適した抵抗体の面積、安全な展張方法など、シーアンカーに関する様々な調査研究が行なわれ、その成果は使用にあたっての指針として現在に受け継がれています。

しかし、当時の数値シミュレーション等の解析技術では、シーアンカーによる漂躊時の船体運動に関する解析が十分できませんでした。

今回発生してしまった第58寿和丸の悲劇は、海象や船体構造等に関する偶然が重なった結果、当時の解析技術では解明し切れなかった、何かが起こった結果ではないかと私は疑っています。

番組では、京都大学防災研究所による当時の現場海域における海象解析結果も伝えていました。三角波は起こり得ない状況にあった、海気象は比較的安定状態(有義波高3.1m、風速6m/秒)にあったとし、波が原因とは考えられないとする意見でした。

無論、彼らのレポートは私もとっくの昔に読んでいます。三角波が起こりにくい点や、当時の海気象に関しては、彼らの主張と私の意見はほぼ一致しているはずです。

ただ違うところは、彼らは「・・・だから、波が原因ではない」と指摘しているのに対し、私は「通常ならば、波が原因とは考えにくい状況下で、波が原因となる特異なケースもあり得る。常識を覆す結果を生んだのが、シーアンカーによる漂躊という当時の状況である。」としているわけです。

なお、生存者等が海上に投げ出された際、油まみれになったなどの証言から、事故の結果、大量の油が流出したとし、潜水艦による下からの突き上げにより、船底の二重底燃料タンクが破られたことを示唆していました。

パンチングによる破壊箇所に二重底燃料タンクが含まれていれば、当然、海上に油は流出します。潜水艦による“突き上げ”でなければならない必要はありません。

また、今回の事故現場海域は、ハワイと東京湾とを結ぶ大圏航路上であるとする、専門家による指摘もありました。しかし、事故現場は北緯35度25分・東経144度37分、犬吠崎の東方はるか沖合いです。

ハワイから東京湾に至る大圏航路は、ミッドウェイ島の北方、さらに、ミルウォーキー・バンクを通過し、房総半島南端の野島崎を目指す、航程約3,390海里が一般的です。

残念ながら、今回の事故現場は当該航路上とは離れた場所です。シアトル、バンクーバーから野島崎に向けた大圏航海であったと指摘するならば、まだ納得しますが、ハワイからでは説得力に欠けます。



『★第58寿和丸転覆海難、海難原因を大胆推測(その17)!★』[2008年09月02日(火)]
6月23日午後、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和(すわ)丸(135トン)”が転覆し後に沈没、死者・行方不明者が出ている海難の続報です。

ご存知の方もいるかと思いますが、昨夜のテレビAのニュース番組Hでは、この事件を取り上げる予定だったようです。テレビ欄を見てみると、「潜水艦説も浮上! 生存者が初めて語った真相!」などの言葉が出ています。

どうやら、生存者や関係者のインタビューなども取り付け、全体をつなげると、潜水艦犯人説に行き着くような番組構成となっていたのでしょう。この手の話題は、テレビAの得意とするところです。

本ブログの愛読者の皆さんはご存知のとおり、潜水艦犯人説については、私は否定的です。完全否定と言っても差し支えないでしょう。したがって、この番組からの解説やコメントの“お呼び”はかかりませんでした。

そうは言っても気にはなります。そろそろ、始まる時間帯を見計らい、海事・船舶などを担当するテレビAのT記者に連絡を入れてみました。

「それどころじゃないですよ! あれ? ニュース見ていないんですか。福田首相の突然の辞意表明ですよ!」

「すまん、知らなかったT記者。実は新宿歌舞伎町のクラブで仲間と飲んでます! 忙しいところ、悪かった!」と言うことで、昨夜の番組は急遽変更となってしまったようです。

第58寿和丸の事故原因を潜水艦との衝突とする説は、いまだに燻っています。それを信じる側にとっても、否定する側にとっても、是非、見たかった番組であったに違いありません。“仕切り直し”による再放送を期待しています。

さて、私は第58寿和丸の事故原因について、船首楼の後縁直下、右舷側の船底部分を下から襲ったパンチング(船首・尾部が波によって下から衝撃を受ける現象)が主因だと思っています。

航行中ならば、難なくかわしていたにもかかわらず、第58寿和丸はパラシュートアンカーによって漂泊中でした。船首から繰り出した丈夫なロープが船首部の運動を阻害したため、パンチングの応力が拡散せずに一箇所に集中、船底外板の亀裂及び広範な破壊へと至ったものと思われます。

この説を否定するに足りる科学的根拠が現れない限り、今のところ私が潜水艦衝突説に飛びつくことはまずあり得ないでしょう。もう一つ、潜水艦説には大きな問題が存在します。

今のところ、どのマスコミも報じていないようですが、実は第58寿和丸の遭難発覚後、自衛隊はかなり早いタイミングで、現場海域に哨戒機を投入しています。

この情報については、第58寿和丸の遭難直後の段階、すなわち潜水艦説が飛び出す、ずっと以前の段階で関係筋からもたらされたものです。確度としては、まず間違いないはずです。

皆さんもご記憶のとおり、今年2月19日、千葉県南房総市の野島崎の南約40キロの海上で、海上自衛隊のイージス艦“あたご”と、千葉県・新勝浦市漁協所属の漁船“清徳丸”が衝突、親子2人の漁船員が行方不明(後に死亡認定)となった事故がありました。

こうしたことから、第58寿和丸の遭難を知った防衛省としては、あらゆる可能性を視野に入れ、念のため現場海域を哨戒させることとしたのではないでしょうか。結果は無論“シロ”と聞いています。

仮に潜水艦が135総トンの鋼船と衝突した場合、自身がまったく無傷であると考えるのは、あまりにも無謀です。現場海域で浮上しなかったとしても、どこかで哨戒機の警戒網に引っかかる行動を取らざるを得なかったものと推測されます。

ここまで言っても、「哨戒機の警戒網をすり抜けたに違いない!」、「寿和丸と一緒に沈んだかもしれない!」など、言い訳は山ほどあるに違いありません。

しかし、カタストロフィ的なストーリーをあれこれ組み立てる以前に、通常起こりうる現象の可能性について、丹念に検証することのほうが、はるかに重要なはずです。悲惨な事故を二度と繰り返さないためにも。



『★第58寿和丸転覆海難、海難原因を大胆推測(その16)!★』[2008年08月20日(水)]
6月23日午後、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和(すわ)丸(135トン)”が転覆し後に沈没、死者・行方不明者が出ている海難の続報です。

皆さんご記憶のとおり、事故から約一ヶ月が経過したころ、第58寿和丸の事故原因を潜水艦との衝突とする、あるいは、その可能性を匂わす説がにわかに浮上しました。

著名な軍事評論家が可能性があることをテレビ番組で発言し、また、雑誌に投稿したことが最初であったと記憶しています。

続いて、M新聞及びT新聞が、横浜地方海難審判理事所(刑事裁判の検察に相当)の関係者の話に基づく内容として、潜水艦説(あるいは、それを匂わす内容)を報道しました。一部のラジオ番組でも取り上げられていました。

特にT新聞は、「船の下からの強い衝撃のため右舷の船底を損傷し、沈没したとみられることが横浜地方海難審判理事所の調査で分かった。理事所は、乗組員の証言などから、損傷は潜水艦との衝突で生じた可能性もあるとみて調査している。」旨を掲載し、潜水艦との衝突の可能性を明言しました。

その後、海上自衛隊の幹部や政府高官が、相次いで会見し、潜水艦との衝突の可能性は把握していない旨発言しました。

一体、一連の報道のきっかけとなった、横浜地方海難審判理事所の関係者とは誰なのか、我々海事専門家の間でも未だに謎のままです。

さて、政府高官らによる会見で、正式に否定されたはずの潜水艦説も、逆に否定されればされるほど、怪しいと思うのが人の常です。未だに疑っている方もいるのではないでしょうか。

実は第58寿和丸の遭難発覚後、自衛隊はかなり早いタイミングで、現場海域に哨戒機を投入したと聞いています。

T新聞のスクープ直後、Y新聞は、海上幕僚長の話として、「(事故現場海域には)海上自衛隊の潜水艦も航行しているが、接触や修理するような不具合があったという報告は一切上がっていない」と伝えています。

おそらく、第58寿和丸の遭難当時、海自の潜水艦が付近海域にいたのでしょう。いても何ら不思議ではありません。

皆さんもご記憶のとおり、今年2月19日、千葉県南房総市の野島崎の南約40キロの海上で、海上自衛隊のイージス艦“あたご”と、千葉県・新勝浦市漁協所属の漁船“清徳丸”が衝突、親子2人の漁船員が行方不明(後に死亡認定)となった事故がありました。

こうしたことから、第58寿和丸の遭難を知った海自としては、あらゆる可能性を視野に入れ、念のため現場海域を哨戒させることとしたのではないでしょうか。結果は無論“シロ”と聞いています。

無論、哨戒機による哨戒によって100%、潜水艦を発見できるとは限りません。潜水艦の発生音の静粛性が増し、また、長時間にわたり浮上もしくはシュノーケル航行しなくても済むタイプが増えている中、哨戒機が有する赤外線暗視装置、逆合成開口レーダー、アクティブブイなどのハイテク装置をもってしても、発見できない可能性はあるでしょう。

しかし、135総トンの鋼船と衝突した場合、相手の潜水艦がまったく無傷であると考えるのは、あまりにも無謀です。仮に現場海域で浮上しなかったとしても、どこかで哨戒機の警戒網に引っかかる行動を取らざるを得なかったものと推測されます。

また、哨戒機以外にも、海上保安庁の航空機などが、現場海域には展開していました。潜水艦以外の他船についても、当然のことながら該当するものがあれば、マークされているはずです。大型漂流物についても然りです。

こうしたことから、第58寿和丸の遭難原因に関し、私は潜水艦との衝突説はおろか、他船や大型漂流物との衝突説についても疑問視しています。海自や海保の哨戒及び捜査能力は、皆さんがが想像する以上に優秀です。


『★第58寿和丸転覆海難、海難原因を大胆推測(その15)!★』[2008年08月18日(月)]
6月23日午後、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和(すわ)丸(135トン)”が転覆し後に沈没、死者・行方不明者が出た海難の続報です。

報道によると、先週の木曜日(8月14日)、横浜地方海難審判理事所は、静岡県・沼津市の戸田漁港で、第58寿和丸と類似した他の漁船を使った調査を実施したとのことです。

調査に参加したのは理事官ら6人、第58寿和丸とほぼ同船型の巻網漁船H丸を借り受け、巻網の重量や保管場所、船体構造などについて調査したとのことです。

無論、類似しているとはいえ、所詮は別の漁船、しかも、第58寿和丸の遭難時の状況を再現させることもままなりません。したがって、巻網漁船の一般的な構造等を把握し、今後の原因究明の基礎資料にする程度の調査かと思われます。

私も機会があれば、一度見ておきたいと思っていました。先を越されてしまいましたが、今後、チャレンジしたいと思っています。

さて、第58寿和丸の事故の原因について、私は以下のように推測しました。

「“第58寿和丸”はパラシュートアンカーを投入し、荒天避泊していた。船首からは55ミリの丈夫なロープが繰り出されていた。

現場海域のうねりが“第58寿和丸”のほぼ正面方向から押し寄せ、かつ、その周期が船の長さ約38メートルに“ドンピシャ”と整合しているような状況下、短時間とはいえ、周期が短く(数秒程度)、かつ、比較的波高の高い(4メートル程度)風浪が一時的に発生し、その方向は船首右寄りからだった。

うねりの山が“第58寿和丸”の船首楼を通過し、船首が下に沈みこもうとした瞬間、短く鋭く切り立った風浪が続けて二発、船首右舷方向から襲ってきた。

エンジンをかけて航行中、あるいは、単に漂流中であったならば、軽いパンチング(船首・尾部が波によって下から衝撃を受ける現象)に見舞われた程度で、難なくかわしていたであろう。

しかし、このロープが、船首部分の波による上下動を阻害する役割を果たしてしまった。船首の下からの持ち上げに対し、ロープは引っ張られ伸びたが切れることはなかった。むしろ、切れてしまえば、この参事は起きなかったであろう。

船首部分、船首楼の後縁直下、右舷側の船底部分を下から襲ったパンチングは、応力を一箇所に集中させ、一発目で船底外板に亀裂を発生せしめ、二発目でその亀裂が増大、広範な破壊へと至らせた。二区画以上に及ぶ水密区画が破られ、海水が一気に船内に浸入した。」

すなわち、直接の原因は波の衝撃に伴う船体損傷による浸水としながらも、損傷を受けた理由として、パラシュートアンカーが船首部の運動を阻害したことに起因するものとしました。

パラシュートアンカーとは、正確には、抵抗体の形をパラシュート状にしたシーアンカーのことを指します。

漁船が洋上で荒天に遭遇した際、シーアンカーを使用して避泊(正確には“漂躊(ひょうちゅう))する対処方法は、海事関係者などの間では、古くからポピュラーな運用術の一つとして認められてきました。

昭和40年10月7日に発生した、マリアナ沖漁船集団海難(207名死亡)を契機に、緊急時におけるその有効活用に期待が寄せられました。

こうしたことから、昭和40年代前半、使用時の船体の動き、船の大きさに適した抵抗体の面積、安全な展張方法など、シーアンカーに関する様々な調査研究が行なわれ、その成果は使用にあたっての指針として現在に受け継がれています。

実際問題、シーアンカーを使用した漂躊中の漁船の海難は、極めて珍しいと言えます。にもかかわらず、今回発生してしまった第58寿和丸の悲劇は、偶然が重なった、めったに起きない“例外”として片付け、果たして良いのでしょうか。

私はシーアンカーに関する調査研究が盛んに行なわれた、昭和40年代当時の調査研究報告書や論文などを集め、改めて読み直してみました。

するとあることに気付きました。抵抗体をどの位の大きさにすれば、どのような形状にすれば、船の大きさに適した漂躊効果が得られるのか、あるいは、安全に展張するためにはどうすればよいのか、こうした課題についての研究は十分なされています。

しかし、漂躊時の船体運動に関する解析が十分ではなかったのです。当時、今のように、数値シミュレーション等の解析技術が発達していませんでした。そのため、シーアンカー使用後における風浪等の影響に伴う船体運動についての解析は、十分行なわれていなかったのです。

当時の論文の一つには、この点を今後の課題として挙げてありました。また、報告書の一つには、シーアンカーによる荒天漂躊は、あくまでも緊急避難的手法であり、余裕があれば、他の海域や港に避難することがベストな方法だとする記述もありました。

どうやら、当時の研究は、緊急避難的手法としての有効性を検証したにとどまり、漂躊後の安全性の検証、すなわち、船体運動に伴う次の危険に関しては、十分な解析ができていなかった(できなかった)のが真相のようです。

こうしたことから、今回の第58寿和丸の海難は、当時の技術では解析し切れなかった何らかの事象が偶発的に起こった可能性も否定できません。

皆さんご存知のとおり、今般、漁船の燃料費の高騰が漁業経営の根幹を圧迫している現状に対し、政府は値上がり分の大半を事実上、直接補填する方針を決めました。

具体的には、燃料の消費量を通常より1割以上削減する省エネ努力を行なった漁業者グループに対し、燃料費の値上がり分の9割に相当する金額を負担することとしています。

今後、漁船に対し、ますます省エネ対策の推進が求められる中、少々の荒天に際しては、港に戻ることなく、シーアンカーを使用して現場海域で漂躊する漁船のニーズがますます増えることが予想されます。

私は、シーアンカーを使用した漂躊の安全性について、最新の知見を持って再検証する必要があると思います。



『★第58寿和丸転覆海難、海難原因を大胆推測(その14)!★』[2008年08月08日(金)]
6月23日午後、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和(すわ)丸(135トン)”が転覆し後に沈没、死者・行方不明者が出た海難の続報です。

(以下、前回の続き)
“第58寿和丸”は、ローラーやウインチ、ドラムなどの漁労機器を油圧ポンプによって駆動する仕様になっていたと思われます。また、ウィンドラス(揚錨機)などの係船機器や、クレーンやデリックなどの荷役機器も、同じく油圧ポンプによって駆動する仕様になっていたと思われます。

“第58寿和丸”は完全にエンジンを停止させ、シーアンカーに態勢を委ねていました。こうした状況の中、突然、二度の衝撃を船首右舷寄り部分に受けた後、右舷傾斜が止まらなくなった緊急事態に陥ったとしたら、果たして、船長ら幹部船員は、真っ先に何をするでしょうか。

衝撃の原因究明はさておき、まずは自船がおかれた状況を、可及的速やかに把握することが第一でしょう。すなわち、浸水し転覆の危機に瀕しているならば、その事実を認識し、浸水場所と浸水量を即座に判断、然るべき防水措置や排水措置を講じ、傾斜を止め、復元力を失わないための努力をするでしょう。

口にするのは極めて簡単です。しかし、実際には、転覆までに与えられた猶予は実際にはわずか1〜2分でした。時計の秒針が1、2回転する間に、これらすべてを“てきぱき”とこなすのは神業です。どんなに優秀で技量にすぐれた船員でも、不可能なはずです。

せいぜい、浸水している事実を察知するのが精一杯なのではないでしょうか。あるいは、停止中のエンジンをかけることに集中するかもしれません。

しかし、多くの場合、わずか1〜2分間では、そこまでも達せず、わけのわからないまま、右舷傾斜だけが増大し、そのまま転覆に至ってしまうに違いありません。

そこで重要なのが、「油圧を作動させろ!」という、生存者が聞いた言葉の意味です。

二度の衝撃を船首右舷寄り部分に受け、右舷傾斜が止まらなくなった緊急事態に陥った中、乗組員は原因が把握できず、慌てふためいたことでしょう。

「油圧を作動させろ!」とは、メインエンジンを始動させるための準備段階として、潤滑油ポンプをかけ、その油圧を高めるという意味だったのかもしれません。

あるいは、自船がおかれた状況の把握に努める中、船首部に位置する油圧ユニットから、油量レベルの低下を示す緊急警報が届いた、あるいは、同機の冠水など、電気的な異常を知らせるアースランプが点灯したのかもしれません。

そうであるならば、乗組員にとって、自船がおかれた状況把握のための、唯一の手掛かりだったとも推測できます。

「油圧を作動させろ!」はこうした状況の中、同機の異常の有無を点検し、自船がおかれた状況把握の手掛かりにするため、「試しに油圧ユニットを起動させてみろ!」という意味で、発せられた言葉であったのかもしれません。

あるいは、引き続く右舷への傾斜を停止させるため、デリックなどの荷役機器によって、漁具等の重量物を反対の左舷方向に移動させるべく、「油圧を作動させろ!」という言葉が発せられたのかもしれません。

さらに、パラアンカーの不具合を疑い、パラアンカーのロープを伸ばすため、係船装置を動かそうとしたのかもしれません。

いずれにせよ、この時点では既に、船首部に位置する油圧ユニットはすでに破損し、作動できる状態ではなかったような気がします。

なぜならば、“第58寿和丸”の船首部分は、右舷前方から来襲した波の衝撃によって、右舷方向からすでに破壊され、もしくは折損に近い状況に陥っていたものと推察できるからです。

当該折損による浸水は二つ以上の水密区画に達し、一気に短時間での転覆・沈没が避けられない事態に陥っていたのではないでしょうか。

在りし日の“第58寿和丸”の写真を見るたびに、しみじみ思うことがあります。同船の外観は、漁船らしからぬ、実にスマートな形状をしています(登録長:38.05メートル、型幅:8.10メートル、型深:3.35メートル)。

特に、船首部分はシャープに前方に突き出し、一見、海軍の駆逐艦をイメージするまでの精悍さが目立ちます。迅速かつ的確に巻網漁業を行なうにあたり、機動性や操縦性能を重視したからなのでしょう。

無論、こうした船型は他の巻網漁船にも例はあり、“第58寿和丸”だけが特別であるわけではありません。

スマートな形状を思わせるのは、型深が比較的浅い(3.35メートル)ことも一つの理由です。魚網を舷側から巻き上げる際の利便性を重視したからなのでしょう。これも他の巻網漁船も同様で、“第58寿和丸”だけが特別であるわけではありません。

型深が浅いということは、それだけ海水が打ち上げられやすいことを意味します。そのため、波に襲われ、大量の海水が前部上甲板に打ち上げ、破壊された開口部から、あるいは、開いていた開口部から、船内に浸水したとする見方もあるでしょう。

仮にそうだとしましょう。しかし、海水が打ち上げられやすいということは、裏を返せば、打ち上げられた海水が逃げ出しやすいことも意味します。

また、“第58寿和丸”の前部上甲板は、船首楼と船橋に囲まれ、船体全体から見ればそれほど広くはありません。わずか1〜2分間で船体を転覆に至らしめるに十分な大量の海水を滞留させ、一気に船内侵入させるほどのスペースとは思えません。

しかも、船橋内の通路を後方に向って通行し、脱出を果たした生存者は、船橋内への浸水を目撃していません。すると、打ち上がった海水の船内への侵入箇所は、船橋内ではなく、船首楼又は前部上甲板ということになります。

前部上甲板又は船首楼、いずれの開口部が破壊され、あるいは開いていて、一つの水密区画に海水が浸入したとしても、わずか1〜2分間で船体を転覆に至らしめるとは思えません。

こうしたことから、打ち上げられた海水による浸水説には、私は否定的です。

さて、当時、現場海域は風速10メートル、有義波高2メートル程度だったと聞いています。普通に考えれば、漁船の船首部を一瞬のうちに破壊させるほどの激しい時化とは言えません。

その昔、今回の事故現場海域では、大時化(しけ)の中を航行中の大型鉱石運搬船が、船首を破断した事例がありました。20メートルクラスの巨大三角波が襲ったことが原因と指摘されました。

波を原因とする説に関しては、こうした事例に基づき、今回の事件に関し今までは、想像を超えた大きな波が“第58寿和丸”襲ったのではないかとするイメージが先行し、議論が行なわれていたように思います。

私は異常と言えるようなレベルの波が “第58寿和丸”の周囲だけに突然現れ、同船を襲ったのではないと考えています。

同船を襲った波、実は当時の有義波高の2倍程度、せいぜい4、5メートル程度、北太平洋ではさほど珍しいくもないレベルだったのではないでしょうか。

では、その程度の大きさの波の衝撃で、鋼鉄製の“第58寿和丸”の船首部分が折損、もしくはそれに近い状況に陥るものなのでしょうか。

当時、現場海域には低気圧が通過中で、“第58寿和丸”は漁を休み、パラシュートアンカーを投入し、荒天避泊をしていました。

一昨日、私はT大学のT教授と遅くまでこの海難について議論しました。私たちは本海難を以下のようにイメージするに至りました。

「低気圧の通過する中、“第58寿和丸”の周囲では、今まで風速10メートル程度であった定常風が一時的に強まり、もしくは、ごく短時間とはいえ突風が吹いた。その風向きは、船首やや右方向からだった。

たとえば、現場海域のうねりが“第58寿和丸”のほぼ正面方向から押し寄せ、かつ、その周期が船の長さ約38メートルに“ドンピシャ”と整合しているような状況下、短時間とはいえ、周期が短く(数秒程度)、かつ、比較的波高の高い(4メートル程度)風浪が一時的に発生し、その方向は船首右寄りからだった。

うねりの山が“第58寿和丸”の船首楼を通過し、船首が下に沈みこもうとした瞬間、短く鋭く切り立った風浪が続けて二発、船首右舷方向から襲ってきた。

そして、シャープに前方に突き出した“第58寿和丸”の船首部分、船首楼の後縁直下、右舷側の船底部分を下から襲った。“三角波”と表現しても間違いではないかもしれない。

エンジンをかけて航行中、あるいは、単に漂流中であったならば、軽いパンチング(船首・尾部が波によって下から衝撃を受ける現象)に見舞われた程度で、難なくかわしていたであろう。

しかし、“第58寿和丸”はパラシュートアンカーを投入し、荒天避泊していた。船首からは55ミリの丈夫なロープが繰り出されていた。

このロープが、船首部分の波による上下動を阻害する役割を果たしてしまった。船首の下からの持ち上げに対し、ロープは引っ張られ伸びたが切れることはなかった。むしろ、切れてしまえば、この参事は起きなかったであろう。

船首部分、船首楼の後縁直下、右舷側の船底部分を下から襲ったパンチングは、応力を一箇所に集中させ、一発目で船底外板に亀裂を発生せしめ、二発目でその亀裂が増大、広範な破壊へと至らせた。二区画以上に及ぶ水密区画が破られ、海水が一気に船内に浸入した。」

以上です。ダウンに至るほどではない、ボクシングの軽いジャブ攻撃も、片方の手で髪の毛を掴まれ、顔を固定された状態で叩き込まれたとしたら、それは必殺パンチになる理屈と一緒です。

それ以外にも、副次的な要因はいろいろと推察されます。たとえば、損傷部分付近の部材に、平素の運航の積み重ねによって疲労が生じ、既に発見困難な小さなクラックなどが生じていたとか、たまたまその時の清水や燃料、漁具等の積み付け状態が応力を増長させる方向に働いたとかなどです。

いずれにせよ、今回の事故に関し、“第58寿和丸”の乗組員はおろか、僚船を含む船団、船主などに大きな過失はなく、責められるべき点はなかったと考えています。言うなれば、大自然を前にした、不可抗力だと考えます。

パラシュートアンカーによる荒天避泊時、エンジンを停止していた点についても、仮にエンジンをいつでも使える状態にしていたとしても、今回の事故を回避できたかと聞かれれば、極めて難しいと言わざるを得ません。

また、この程度の海・気象状況下にあっても、そもそもパラシュートアンカーによる荒天避泊を行なうこと事態が不適切だと言う声があるとすれば、それを、長年にわたり一般的運用法の一つとして捉えてきた、行政、海事、漁業、教育に係るすべての関係機関は再検討を行なわなければなりません。

いずれにせよ、深海潜水調査船による沈没船の船体調査を実施すれば、事故原因に関し、すべてでないにしろ、ある程度のことは判明する可能性はあります。私もそれを期待しています。以前、船体調査実施の可能性を示唆する報道もありました。

しかし、5,000メートルの海底ともなると、船体調査はおろか、沈没船体の存在場所の確認ですら極めて困難であり、巨額の費用を必要とします。期待は大いにするものの、その可能性は極めて低い気がします。

『★第58寿和丸転覆海難、海難原因を大胆推測(その13)!★』[2008年08月07日(木)]
6月23日午後、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和(すわ)丸(135トン)”が転覆し後に沈没、死者・行方不明者が出た海難の続報です。

本ブログでは連続して、“第58寿和丸”の海難原因についての考察を進めています。

事故発生時、“第58寿和丸”のパラシュートアンカーは正常に機能、波風に対しほぼ正面を向けた姿勢下にあり、横波を不用意に受けるような状況下ではありませんでした。

“第58寿和丸”は、船首右舷寄りの部分に、二度にわたって何らかの衝撃を受け、船内に“浸水”、わずか1〜2分の間に急激な右舷傾斜が起こり、ついには復元力を失い、転覆・沈没に至った可能性が高いこともわかってきました。

一部のマスコミは、機関室直下の二重底燃料タンクを潜水艦の衝突によって破壊され、転覆・沈没したのではないかと伝えました。

しかし、衝撃の発生場所は機関室ではなく船首右舷寄りです。また、仮に機関室直下の二重底タンクが打ち破られたとしても、わずか1〜2分間で転覆・沈没するほどの事態には至らないはずです。
 
無論、衝撃が凄まじく、二重底にとどまらず、機関室の床を打ち破ったとしましょう。浸水は機関室全域に行きわたり、ひょっとすると沈没するかもしれません。

しかし、その場合、“第58寿和丸”は、浸水した機関室を下にして沈むはずです。すなわち、船尾方向に向って沈没してゆくはずです。右舷側に転覆したとする生存者の証言と噛み合いません。

また、生存者は脱出時、居住区の通路で機関室の最高責任者である機関長に出くわしています。機関長はその後、機関室に降りて行ったそうです。機関室が急激に水没する状況下、機関長がその内部に降りて行くとは、極めて考えにくいことです。

したがって、浮上してきた潜水艦との衝突云々はさておき、少なくとも、機関室船底部の破損説は、かなり苦しい状況となってきたのではないでしょうか。

こうした中、“第58寿和丸”が所属する漁業組合の組合長さんから、再度、重要な情報が寄せられてきました。主な内容は以下のとおりです。

曰く、「(生存者が)レッコボートに乗り移った後、“第58寿和丸”は船尾部分を海面上に出して、船首から沈んでいった。」

生存者は、“第58寿和丸”がスクリュープロペラを露出させながら沈没してゆく状況を、レッコボートから目撃していたそうです。

やはり、 “第58寿和丸”は船首右舷寄りに発生した何らかの衝撃に伴い一気に“浸水”、わずか1〜2分の間の急激な右舷傾斜によりそのまま転覆、直後、浸水した船首部分を下にして沈没していったことで間違いないのではないでしょうか。

さて、“第58寿和丸”を“浸水”に至らしめた衝撃の原因は何でしょうか。言うまでもなく、船体内部からの衝撃と、船体外部からの衝撃の二つに分けられます。まず、右舷船首部分の船体内部からの衝撃の可能性について考えてみたいと思います。

船首部分に所在するのは、水密区画である空間スペースをそのまま有効活用した、ストア(倉庫)や魚倉、タンクなどのはずです。

機器類が設置されているとしても、漁労機器や係船装置などを駆動するための油圧ユニット、バウスラスター(船体を左右に移動させるための装置)、せいぜい冷凍機などでしょうか。

わずか1〜2分の間に“第58寿和丸”を大傾斜させ、転覆・沈没せしめるためには、外板に生じた数センチ程度の破口による浸水では小さすぎます。

おそらく、数十センチ以上、場合によってはメートルに達する大破口又は大損傷が生じ、二区画以上の水密区画を同時に、一気に浸水せしめた状況が予想されます。

“第58寿和丸”は漁船です。したがって、軍艦のように、ストア内などに強力な爆発物を保管しているとは思えません。また、設置された機器類による不測の事態によって、船体内部からこれだけのダメージを生じさせることは、不可能に近いと思われます。

したがって、船体内部からの衝撃については、可能性は低いように思います。やはり、船首右舷寄り部分に対し、船体外部から加わった衝撃に伴う破壊・浸水、または、その付近にある開口部等の破損に伴う浸水を疑うべきではないでしょうか。

興味ある情報が、やはり組合長さんから寄せられています。通路で避難中の生存者と遭遇した機関長は、「油圧を作動させろ!」の声を聞いて、機関室へ降りて行ったそうです。「油圧を作動させろ!」は、一体何を意味するのでしょうか。
(つづく)



『★第58寿和丸転覆海難、海難原因を大胆推測(その12)!★』[2008年08月06日(水)]
6月23日午後、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和(すわ)丸(135トン)”が転覆し後に沈没、死者・行方不明者が出た海難の続報です。

先日のブログでは、“第58寿和丸”の海難原因に関し、考察を進めました。結果、船首右舷部分への何らかの衝撃に伴い、船内に“浸水”し、転覆・沈没に至らしめたであろうと述べました。

また、“第58寿和丸”を“浸水”に至らしめた原因に関しては、船体内部からの衝撃、船体外部からの衝撃、そして、開口部等の破損が考えられるとお伝えしました。

現在までに把握した事故当時の状況を改めて整理してみましょう。それぞれ、信頼に足りる事実関係を羅列し、私なりのコメントを加えてみました。

1)船首右舷寄り部分に対し、二度の衝撃があった。

・・・一部で報じられたような、機関室船底部への突き上げるような衝撃ではなかったと考えられます。

2)最初の衝撃で右舷側に傾斜したが、すぐに止まった。すぐに二度目の衝撃があり、徐々に右舷側に傾斜をはじめ、今度は止まらなかった。

・・・いったん、左舷傾斜し、直後に右舷傾斜したわけではなかったようです。当該衝撃に伴い、船体右舷側への“浸水”が生じ、船体の右舷傾斜を一気に加速せしめたものと思われます。

3)生存者の脱出に際し、船内通路の通行に支障はなかった。後部上甲板に出た際、海水は右舷側のサイドローラー付近(上甲板の端)にまで達していた。

後部上甲板上に置かれた魚網の荷崩れは起きていなかった。右舷側に傾いている後部上甲板上を、左舷側に向って駆け上がった。直後、右舷側に転覆し、左舷側甲板から海面に振り落とされた。避難を始めてから、わずか1〜2分程度のことだった。

・・・通路通行時にはそれほどでもなかった右舷傾斜は、上甲板に至った際には、すでに“第58寿和丸”の復元力を消失させるに足りるまでに達していたようです。

わずか、衝撃を受けてからわずか1〜2分の間に、復元力を消失させるに足りる急激な浸水が右舷船首より部分で発生したものと思われます。

少なくとも、生存者が後部上甲板に飛び出した時点では、その上に置かれた魚網の荷崩れは起きていなかったのですから、右傾斜の原因は漁具の移動ではなく、“浸水”である可能性が高いことを物語っています。

4)生存者が避難する際、通路上で機関長と出くわした。機関長は機関室に入っていった。

・・・生存者が通路を通過した時点では、右舷傾斜はそれほどではなかったことを意味しています。極限状態であるならば、機関長は機関室に戻らず、生存者と一緒に脱出していたもの思われます。

また、機関室船底部への衝撃であるならば、機関の最高責任者である機関長が把握できていないはずありません。

機関長がいったん通路に出て、機関室に戻って行った状況から察するに、機関長は少なくとも機関室への衝撃ではないことを察していたものの、一体、何の衝撃かわからず、とりあえず通路に様子を見に来て、機関室に降りて行ったと考えるべきでしょう。

5)海上に投げ出された生存者は、“第58寿和丸”の船尾から伸ばされたロープにつながれていたレッコボート(作業船)に乗り移った。その際、レッコボートと係留ロープ、第58寿和丸”は一直線上にあった。

・・・転覆時、“第58寿和丸”の船体の船首から前方に伸ばされたパラシュートアンカーも、これらと同様、一直線上にあったことを意味します。

すなわち、パラシュートアンカーは正常に機能していたのです。パラシュートアンカーを先頭に、同アンカーロープ、“第58寿和丸”の船体、船尾係留ロープ、レッコボートの順番にずらりと一直線上に並び、それぞれが船首方向からの波風に正面を向け、立っていた状態だったのです。

少なくとも、転覆する瞬間まで、船の側面から、横波を不用意に受けるような状況下ではなかったことを意味します。

6)転覆・沈没した海域には、“第58寿和丸”のものと思しき重油が海面に浮いていた。

・・・この点に関し、一部の報道は、大量の油と表現した上で、機関室直下の燃料タンクから漏れたためで、潜水艦が機関室を直撃し、燃料タンクを破損させたことを示唆しています。
 
“第58寿和丸”の船体構造から察するに、たとえ、二重底タンクを打ち破られたとしても、わずか1〜2分間での転覆・沈没には至らないはずです。
 
百歩譲って、衝撃が二重底タンクをつき抜け、さらに機関室の床を打ち破り、浸水が機関室に達したとしましょう。そうであるならば、機関室は水没し、船体は沈没するかもしれません。

その場合、“第58寿和丸”は船尾方向に向って沈没してゆくはずです。「右舷側に傾いている後部上甲板上を、左舷側に向って駆け上がった。直後、右舷側に転覆し、左舷側甲板から海面に振り落とされた。」とする生存者の証言と噛み合いません。

また、通路にいったんは上がってきた機関長が、急激に水没する状況下の機関室に降りて行ったとは考えにくいことです。

転覆・沈没した海域に浮かんでいた重油は、おそらく“第58寿和丸”のものと考えて間違いないでしょう。ただし、機関室直下の二重底燃料タンクが破損したものではなく、転覆・沈没時にエア抜きなどから噴出したものと推測されます。

あるいは、転覆・沈没時に機関室内の重量物が移動し、機関室内に設置された燃料サービスタンク(二重底タンクから汲み上げた燃料を一時保管するタンク)に激突、それを破壊した結果、機関室内部から海上に流出したものと推測されます。



『★第58寿和丸転覆海難、海難原因を大胆推測(その11)!★』[2008年08月04日(月)]
6月23日午後、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和(すわ)丸(135トン)”が転覆し後に沈没、死者・行方不明者が出た海難の続報です。

前回のブログでは、今回の海難の原因を考察するにあたり、3人の生存者の証言とする内容が、二分していることをお伝えしました。

一つ目が、事故発生当初から報じられていた証言です。若干のニュアンスの違いこそあれ、おおむね以下を内容としたものです。

「連続して二回、衝撃を船首右舷に受けた。その後、右舷側に傾き、転覆し沈没した。」

パラアンカーに身をゆだね、船首方向から波風を受け、漂泊している状況下で、船首から衝撃を受けるとしたら、まず真っ先に考えられるのは“波”による衝撃です。

したがって、この証言内容に基づき、“三角波(複数の異なる方向からの波どうしがぶつかり、鋸の歯のような形状の、垂直方向に破壊力の大きな波ができる現象)”説や“フリーク波(外洋で突発的に現われる巨大波浪現象)”説が、事故原因として取り上げられたのは至極当然の話と言えます。

一方、二つ目の証言内容として、事故発生から一ヶ月ほど後に登場したのが、横浜地方海難審判理事所(刑事裁判の検察に相当)関係者が生存者から聞いたとし、M新聞などが報じたものです。おおむね以下を内容としたものです。

「体験したことのない衝撃を機関室の船底部から受け、急激に右舷側に傾き、転覆し沈んだ。」

この証言内容に関しては、さらに、「機関室下の燃料タンクから漏れたとみられるA重油が海面に大量に浮いていた点(何らかの衝撃でタンクが破損した可能性がある。)」、「波を受ける側の右舷側に大傾斜して転覆した点(“揺り戻し現象”として片付けるには不自然である点)」、短時間で沈没した点(通常ならば転覆しても最低数時間は浮いているはず)」などが付け加えられていました。

また、「パラアンカーの不具合や漁具の荷崩れもなかった点」、「事故当時、僚船のレーダーや目視では、周辺海上に他船はいなかった点」なども付加され、総じて、見えない水中物体との衝突、すなわち潜水艦との衝突を読者に想起させる内容となっていました。事実、T新聞は潜水艦衝突説を前面に掲げていました。

衝撃は船首に生じたのか、それとも、船体の後部に所在する機関室の船底から突き上げるものだったのか、どちらの証言内容が真実なのか、今後、海難原因を考察する上で、大変重要な点です。

こうした中、“第58寿和丸”が所属する漁業組合の組合長さんから、重要な情報が寄せられてきました。主な内容は以下のとおりです。

「私ども(組合)は生存者から、“機関室を突き上げるような衝撃”の話は聞いていません。“船首右舷寄りの二度の衝撃”と聞いております。

最初の衝撃で右舷側に傾斜したそうです。すぐに、傾斜は止まったので、避難などの対応はしなかったそうです。

しかし、すぐに二度目の衝撃があり、徐々に右舷側に傾斜をはじめ、今度は止まらなかったとのことです。そのため、避難したそうです。

(生存者は)避難にあたり、通路を通過する際、体を(備え付けの手すりなどで)保持する必要がなかったそうです。すなわち、傾斜角はさほどではなかったようです。

機関長も(いったん)通路に出てきて、(再度、)機関室に戻っていったそうです。それほど、大傾斜ではなかったからです。

(生存者が、)艫(とも:船の後ろ側)中央出入り口から、(後部上甲板に)出たそうです。その時、(後部上甲板では、)右舷側サイドローラー付近にまで、水が来ていたそうです。(後部上甲板への中央)出入り口には、まだ水は来ていなかったそうです。

傾斜はあるものの、甲板上の魚網の荷崩れは起きていなかった。(後部上甲板上を)左舷側に駆け上ることができた。

転覆時、左舷側から(海面に)振り落とされた。避難を始めてから、わずか1〜2分程度のこととのことだった。」

以上のお話には、貴重な情報が凝縮されています。

まず、“第58寿和丸”が受けた二度の衝撃ですが、船体の後部に所在する機関室の船底から突き上げるものだったのではなく、やはり、船首右舷寄りからのものだったようです。

機関室への衝撃であるならば、機関室の最高責任者である機関長がいったん通路に出てきて、再度、機関室に戻って行くはずありません。機関長はそれどころではないはずです。この点からも、機関室への衝撃云々は不可解な話です。


次に、傾斜の様子も、私にとっては驚きでした。「最初の衝撃で右舷側に傾斜した。すぐに、傾斜は止まった。すぐに二度目の衝撃があり、徐々に右舷側に傾斜をはじめ、今度は止まらなかった。」

すなわち、船首右舷寄りからの二度の衝撃により、いずれも右へ右へと傾いていったことになります。

一時報道されていた“揺り戻し現象”、すなわち、「右舷からの一回目の波で大きく左に傾いた。その後、復元力が働き、逆の右舷側に大きく“揺り戻った”。次いで、二回目の波が襲って海水が右舷側に入り、右舷側に転覆した。」も、事実ではなかったことになります。

また、“三角波”にせよ、“フリーク波”にせよ、船首右舷寄りからの波の大きな衝撃を受け、船体がいずれ衝撃に対しても、右へ右へと傾くとは、不可思議以外の何ものでもありません。

さらに、傾斜から転覆に至る状況も、時間的には1〜2分とは言え、当初、生存者の通路の通行に支障はなく、また、後部甲板に出た際、漁具の移動も認められなかったことから、傾斜は徐々に増していったようです。

一体、何を意味するのでしょうか。

船首右舷部分の衝撃に伴う船内への“浸水”が、“第58寿和丸”を転覆・沈没に至らしめたことを物語っているようです。

では、“第58寿和丸”を“浸水”に至らしめた原因は何なのでしょうか。単純に三つが考えられます。一つ目は、“第58寿和丸”内部からの衝撃により、右舷船首外板が内側から破損するケースです。

二つ目は、外部からの衝撃により、右舷船首部の外板が外側から破損するケースです。三つ目はその類似パターンですが、右舷船首部に位置する開口部等が、外部からの衝撃により破損するケースです。



『★第58寿和丸転覆海難、海難原因を大胆推測(その10)!★』[2008年07月31日(木)]
6月23日午後、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和(すわ)丸(135トン)”が転覆し後に沈没、死者・行方不明者が出た海難の続報です。

事故原因に関しては、当初、3人の生存者が、「連続して二回、波の来襲を受けて右舷側に転覆し沈没した。」と証言したと報じられ、“三角波(複数の異なる方向からの波どうしがぶつかり、鋸の歯のような形状の、垂直方向に破壊力の大きな波ができる現象)”説や“フリーク波(外洋で突発的に現われる巨大波浪現象)”説が取り上げられました。

その後、M新聞などが報じた、横浜地方海難審判理事所(刑事裁判の検察に相当)が生存者から聞いたとする証言は、「体験したことのない衝撃を機関室の右舷(左舷と報じているメディアもある。)船底部から受け、急激に右舷側に傾き沈んだ。」に転換しています。

真偽の程はとこかく、“波”という言葉は一切登場しません。当初からこの証言が先行していたとしたら、原因究明に関しては、“波”とする説よりもむしろ、何らかの物体との衝突説が主流となっていたに違いありません。

私は、パラアンカーが正常に機能していたのか否かが、私は本海難の原因究明の最大のポイントだと思い、事故当初から指摘してきました。

しかし、パラアンカー原因説も、撤回せざるを得ない状況に追い込まれました。“第58寿和丸”が所属する漁業組合の組合長さん曰く、

「パラアンカー本体は今年3月、メーカーによる点検が行われたばかりである。また、アンカーロープ(55ミリ径×300メートル)は、近年(平成18年4月)購入したばかりである。」

「(海上に投げ出された生存者は、)“第58寿和丸”の船尾から伸ばされたロープにつながれていたレッコボート(作業船)に乗り移った。その際、レッコボートと係留ロープ、第58寿和丸”は一直線上にあった。」とのことでした。

転覆時、“第58寿和丸”の船体と、その船尾方向に伸ばされた係留ロープ、そして、レッコボートが一直線上にあったということは、船首から前方に伸ばされたパラシュートアンカーも、これらと同様、一直線上にあったことを意味します。

すなわち、パラシュートアンカーは正常に機能していたのです。パラシュートアンカーを先頭に、同アンカーロープ、“第58寿和丸”の船体、船尾係留ロープ、レッコボートの順番にずらりと一直線上に並び、それぞれが船首方向からの波風に正面を向け、立っていた状態を意味するのです。

“第58寿和丸”は少なくとも転覆する瞬間まで、船首を波風に立てた状態にあり、自然に対し、教科書通りの安定した姿勢を保ち続けていたのです。横波を船の側面から不用意に受けるような状況下ではなかったのです。

したがって、横波が原因とする説とパラアンカーの不具合が原因とする説は、同時に消えてしまう可能性が高いのです。

前回のブログでお伝えしたとおり、M新聞などが伝えた生存者の証言、すなわち「、体験したことのない、機関室船底部を突き上げるような衝撃があった。」は果たして真実なのか、見極める必要があります

さて、今日は横波原因説とパラアンカー不具合説を否定した上で、“機関室船底部を突き上げるような(波以外の)衝撃”の正体について考察を進めたいと思います。

まずは、漂流物との衝突の可能性についてです。私も現役時代、様々な漂流物を目撃してきました。

材木やコンテナなどの漂流物は珍しいことではありません。得体の知れない人口構造物の漂流も何度か経験があります。

中には、何かのプラントの一部と思しき、長径20メートルにも及ぶ人口構造物の漂流を目撃したこともあります。

“第58寿和丸”は漁船といえども、135総トンの鋼船です。外板の鉄板の厚みは、1センチはあるのではないでしょうか。

したがって、航走中ならまだしも、パラアンカーに身をゆだね、漂泊している状況下で、波風に漂う程度のスピードの木材やアルミ製のコンテナなどが接触した程度で、転覆・沈没に至るまでの壊滅的なダメージを受けるとは考えられません。

また、プラントなどの大型漂流物に関しては、確かに突起部分などが激突した場合、状況次第では壊滅的なダメージを受ける可能性も否定できません。

しかし、忘れてはならないのが、“第58寿和丸”は少なくとも転覆する瞬間まで、船首を波風に立てた状態にあり、自然に対し、教科書通りの安定した姿勢を保ち続けていたという点です。

プラントなどの大型漂流物も、波風に委ねられて漂流しています。一方、“第58寿和丸”も、波風に委ねられて漂流しています。すなわち、両者、同じ方向に移動しているわけです。

波風に対する抵抗となるパラアンカーが展開されている分、“第58寿和丸”の漂流速度のほうが遅い状況下にあります。

プラントなどの大型漂流物が“第58寿和丸”に襲いかかるとしたら、船首方向からということになります。

したがって、「機関室船底部を突き上げるような衝撃があった。」が正しいならば、漂流物が船首を通り越して、船尾の機関室に到達し、“第58寿和丸”に激突したと断じるのは、かなり苦しい理屈かと思われます。

次に生物との衝突可能性はいかがなものでしょうか。近年、日本でも、高速船とクジラとの衝突に伴う乗客の負傷例が続きました。

“第58寿和丸”はパラアンカーに身をゆだね、ほとんど止まった状態でした。高速船ならばまだしも、中・低速船や停泊中の船舶と、クジラとの衝突事例は聞いたことはありません。

しかし、実際にはクジラの乱獲が進む以前の古き良き時代、のろのろと進む低速船とクジラが衝突する事例も、決して珍しいことではなかったようです。

事実、私が入社した1980年頃、古手の船員の何人かから、低速船でクジラと衝突した体験談を聞いたことがありました。

クジラの乱獲が進む前の大昔の話と思っていましたが、最近、若手の船員からも同様の衝突事例を聞いいたことがあります。

公的機関に報告されないのは、高速船と違い船体損傷や負傷者などを伴わないためで、中・低速船とクジラとの衝突事例もあり得るのです。

特にクジラの個体数が豊富な海域では、障害物との回避動作が緩慢な、何らかの障害を持った個体が増え、それらが低速どころか、ほぼ停止状態の船舶との衝突に巻き込まれるケースも無いとは言えないでしょう。

北太平洋エリアにも、最大重量100〜150トンに達する大型鯨類が存在すると聞きます。しかし、大型と言えども生身の体を持った生物です。

ほぼ停泊状態にある、135総トンの鋼船に激突し、果たして、外板厚さ1センチの鋼板をぶち破り、転覆・沈没に至るまでの壊滅的なダメージを与えることができるのでしょうか。

体重数百キロの巨漢プロレスラーが、駐車中の軽自動車に対し、全速力で体当たりしても、ボディーがへこむことはあっても、穴を開けることはできない気がします。

したがって、生物衝突説もかなり苦しい気がします。



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