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海洋汚染情報 −海の事件簿−
海上で起きた重大な汚染事件・事故について、独自の視点から鋭くメスを入れ、分析・解説する”海の社会部デスク”、その名も”元海の男”、職業”(さすらい派)研究員”による海の事件簿。
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『(墾丁国立公園 その3)台湾からのメッセージ第10報』[2006年12月16日(土)]
5.野に咲く可憐な花


ふと目に付いた可憐な花。思わずシャッターを切っていたら、環境保護処(環境省)の随行員の呂さんが一言、「先生、この花は外来種です。生物多様性問題は、我々にとって重要な課題です!」

思わずずっこけた。でも、きれいなので・・・。

呂さん曰く、「動物も然りです。台湾猿や台湾リスなど、台湾の在来動物を保護していくことも、環境保護処の重要な政策です。」

「日本では、台湾猿や台湾リスなどの外来生物の越境移動問題に困っている。」とは、口が裂けても言えなかった。

6.不思議な景観


このエリア一体は、珊瑚の隆起によってもたらされた地形とのこと。

草原や森のところどころに、珊瑚起源の岩石によって形成された不思議な景観が見られる。



『(墾丁国立公園 その2)台湾からのメッセージ第9報』[2006年12月16日(土)]
3.鵝鑾鼻


”船乗り”ならば誰もが知っている、台湾最南端の岬、”鵝鑾鼻”。

灯台に通じる遊歩道では、地元産の色とりどりの貝殻で作った、装飾品の屋台が、所狭しと並んでいる。

折からの北東季節風が吹き荒れ、店先の装飾品は、まるで風鈴のように音を立て、翻弄されていた。

4.座礁漁船の残骸


”鵝鑾鼻”近くの遊歩道脇に、無造作に置かれた木造漁船の残骸。つい最近、近くの海岸に座礁したとのこと。

ここは、自然豊かな国立公園であると共に、海の難所であることを忘れてはならない。



『(墾丁国立公園)台湾からのメッセージ第8報』[2006年12月16日(土)]
台湾からのメッセージ発信も、間もなく終了、今日は昨日視察した、台湾最南端の墾丁国立公園の風景をお届けします。

南はバシー海峡、そして、西は台湾海峡、さらに東は太平洋と、三方を海に囲まれた台湾最南端の恒春半島一体は、美しい自然景観と豊かな生物相に恵まれ、1982年、台湾初の国立公園に指定されました。

以後、豊かな自然を求め、この地を訪れる、国内外からの観光客は、周年を通じ絶えることはありません。

一方、すぐ沖合いの海域は、外航船の常用航路となっていて、海洋汚染事故の脅威に常に晒されています。事実、数年前、国内最大の油流出事故も、ここ墾丁国立公園内の海岸で発生したのでした。

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1.砂島


貝殻と珊瑚の粒によって形成された、ベージュ色の美しい砂浜、”砂島海岸”。

わずか、400メートルの短い海岸ながら、公園内で最も美しく、また、貴重な海岸植生が認められることから、人の立ち入りは一切禁止となっている。

2.バシー海峡


台湾最南端の地からバシー海峡を望む。150キロ先はフィリピン。海上交通の要所であるとともに、”船の墓場”としても知られる。

特に、大東亜戦争中は、数多くの日本艦船が”海の藻屑”と化した、悲しい歴史がある。







『(北東季節風)台湾からのメッセージ、第七報』[2006年12月15日(金)]
台湾からのメッセージ、第七報をお伝えします。

すでにお伝えしたとおり、本日は、海洋汚染事故発生の蓋然性と危機管理対策について、環境保護署(環境省)の呂さんと共同レポートを作成するため、台湾最南端の地域を視察しました。

呂さんは大学卒業後、強制徴兵制制度による軍人生活を経て、現在の行政府(環境省)に就職するまでの間、この墾丁の国立公園で、自然を求めてこの地にやってきたツーリストを対象に、インストラクターを勤めていた経験があり、そのガイドぶりは言うまでもあません。

この時期この海域は、信じられないほど強烈な北東季節風が容赦なく吹き荒れています。おそらく、風速は毎秒20メートルを超えていたことでしょう。沖合いの海域が海上航路の難所であることは、疑う余地がありません。

きれいに整備された国立公園の海岸べりの遊歩道内に、最近座礁したものと思われる、木造漁船の残骸が、無造作に積み重なれていました。

「乗組員は、どうなったのだろう。」と思うと、視察どころの騒ぎではありませんでした。感無量の面持ちで、残骸の前にたたずみました。何も知らない観光客が、不思議なものでも見るように、その脇を通り過ぎてゆきました。

日本と台湾、言葉の違いや国境はあっても、命の尊さには差は無いのです。おそらはく亡くなったであろう乗組員の無念さを察知し、私はそっと手を合わせました。

さて、今私は今回の台湾出張の起点、台北に戻っています。明日、午後の飛行機で日本に帰り、元通りの生活に戻ります。

私の随行の呂さんは、明日、奥さん(学位取得のため主婦・母親兼大学院生)が、インドで開催される学会出席のため、台湾を旅立つとのこと、無論、私は彼を早めに自宅に帰し、一人でくつろいでいます。

一週間、いろいろのことがありました。無論、私にとっては、すべて、スキル・アップのため、新たな知見の集積です。人間、学ばなければ人生は終焉です。

本当に、いろいろと勉強になりました。呂さんをはじめ、皆さんには心から感謝申し上げます。ありがとう、「謝・謝。」。

特に、通訳の”徐さん”、本当にありがとう。私の娘も、君のように才女に成長してくれたら、親として本当にありがたいのだけど(無理か?)。

もう一度だけ、公開します。これが最後です。





『(どちら早い?)台湾からのメッセージ(第六報)』[2006年12月14日(木)]
台湾からのメッセージ、第六報をお伝えします。

すでにお伝えしたとおり、本日は朝から午後3時頃まで、高雄近郊にある、台湾第二の石油・ケミカル会社の防災担当者などを対象に、昨日と同様の検討会をこなしました。

途中、港湾当局のチャターボートに乗船し、高雄港を事細かに視察する機会も与えられました。

すでに、途絶えかけていた、ここ高雄港の記憶も、海から港を眺めることによって、徐々に元に戻ってきました。

”船乗り”を卒業して10年以上がたちますが、「まだ、”潮っけ”は抜けていなかった。」と、少しは安心した次第です。

そして夕方、例によってあわただしく移動し、今は台湾最南端の観光地、墾丁の町に到着しました。

台湾政府機関や企業、港湾関係者に対する、ケミカル事故への危機管理対策に関する指導・助言という最重要目的は、本日をもって終了しました。あとは、前回のブログでお伝えしたとおり、ここ墾丁の町で、プラスアルファーの案件を片付けるだけです。

さて、今日の夕食時、台北からずっと私に付き添っている、環境保護処(環境省)の呂さんが、静かな口調で私に問いかけました。

「昨日訪れた台湾第一位の化学メーカーと、本日訪れた第二位の化学メーカー、いったいどちらが早く、先生の指導・助言を取り入れ、ケミカル海上流出事故対策に乗り出すと思いますか?」

私はすかさず、次のように述べました。

「両社とも、私の話に熱心に耳を傾けていました。検討会のメンバーの今後の意欲に関しては、甲乙付け難いと思います。しかし、企業としての取り組みという点から言うと、間違いなく今日の高雄の企業ではないかと思います。」

呂さんは、にっこりと微笑んで述べました。

「では、その理由は?」

私は次の通り解説しました。

「理由は三つあります。一つ目は両企業の設立の経緯です。昨日のF社は、設立時から民間企業であったと聞きました。対して、今日のC社は、もともとは国策企業であったと聞いています。

したがって、政府の意向に沿った新しい取り組みは、元国策企業のほうが先駆的に行うことが予想されるからです。F社はC社の様子を見て、推進するはずです。

二つ目は両企業の立地条件です。F社の工場は、広大な人口島をすべて利用して作られています。

もともとは、生物相が貧弱な広大な荒地であったため、今もその周辺には、F社以外の社会経済活動や住民生活が、ほとんど認められません。

したがって、F社による安全や環境に対する取り組みの中で、守るべき弱者や第三者の存在が具体的に見えてきません。

その点、C社は隣接した他企業や住宅地の存在、あるいは、周辺海域での漁業活動やレジャー産業など、”誰のための安全なのか、誰のための環境保護なのか”が、明らかです。

最後は会社の特質です。F社は創業者が、苦労してここまで大きくした企業と聞いています。社内のあちこちには、苦労時代を教訓とした創業者の語録が、至るところに掲示されていました。

一方、工場内の事務所は、米国のホワイトハウスを模した、筆舌しがたい、超豪華な総大理石造りの建築様式でした。外壁だけではなく、内部の床も壁もすべて本物の真っ白な大理石でした。

苦労して自分を育てた母の銅像が、正面エントランスに”どんと”置かれていました。

さらに、隣接する場所には、本社を訪問するお客さん専用のホテル兼迎賓館が建てられていました。その周辺は、広大な(母親の)メモリアルパークが作られていました。

一方、C社はどこにでもある、何の変哲も無い”事務所でした。

贅をつくすのも結構ですが、他の企業ならば、金銭的な余裕があれば、先に安全問題や環境問題に予算を割くのではないでしょうか。

断言は出来ませんが、こうした理由から、私はC社の取り組みが早いと思います。」

私はこのように述べました。

呂さんはにっこりと微笑み、「まだ、五日しかいないのに、先生は台湾のことをよくおわかりですね。」と述べました。

皆さんは、どのように予想しますか。

今回の出張では、環境保護処の呂さんは無論のこと、通訳の徐女史には大変お世話になりました。

関西の一流大学に留学経験のある彼女の日本語は完璧で、また、その明るい性格は、長い会議で疲れた皆の心を和ませました。

そして何よりも、誰もがうなず、とびっきりのく美人です。今日は特別に、私の素顔を徐さんとともに公表します。


      通訳の徐女史と高雄港のケミカル埠頭にて








『(早起きして・・・)台湾からのメッセージ(第五報)』[2006年12月14日(木)]
昨晩の更新に引き続き、台湾からのメッセージ、第五報をお伝えします。

お伝えしたとおり、私は今、台湾南西岸の一大都市、高雄に滞在しています。滞在といってもわずか一日だけです。

朝から午後3時頃まで、高雄近郊にある、台湾第二の石油・ケミカル会社の防災担当者などを対象に、昨日と同様の検討会をこなし、あわただしく移動してゆきます。

台湾北部の首都、台北を基点とした私の出張の最終目的地、台湾最南端に位置する墾丁の町に向かうためです。これから先は行き止まり、つまり、海しかありません。バシー海峡を隔て、約150キロメートル先はフィリピンです。

ここ墾丁の町一帯は、台湾の国立公園に指定された、風光明媚な観光地です。しかし、どうやら、観光目的で私を引っ張り出したわけではなさそうです。

実はこの地、数年前、大型鉱石運搬船の座礁に伴い、台湾最大の油流出事故が発生した場所でもあるのです。

沖合いの海域は、日本に向かうものを含め、船舶交通が盛んな要所です。事故に発展しなくても、たびたび、油汚染の被害を受けている沿岸域でもあるようです。

こうした海洋汚染の実態の検証を、私にさせようと考えているようです。

バシー海峡と聞いて、私のブログのかつての一大テーマ、「知床海鳥漂着事件」と結びつけたあなたは、かなりの”通”です。

実はバシー海峡、大東亜戦争中、米潜水艦などによって攻撃され沈没した、数多くの日本艦船の墓場でもあるわけです。沈没船の分布密度からすれば、世界一の海域のはずです。

海底には今も、多くの御霊とともに、船体に残存した油が封印されているはずです。いや、60年以上を経た今、封印が”解かれた”可能性も否定できません。

墾丁一帯の海洋汚染の原因、それは一体何なのか。”さすらい派”のこの目で、しかと確認してこようと思っています。

朝未だ早い(台湾時刻は日本より1時間遅いのです。)のですが、今からホテル周辺の河岸を散歩に出かけてきます。



        台湾海岸巡防署(海上保安庁)の巡視艇(台湾の石油・ケミカル工場専用港)









『(まだまだ)台湾からのメッセージ(第四報)』[2006年12月13日(水)]
台湾からのメッセージ、第四報をお伝えします。

本日は、台湾南西岸の一大都市、高雄に滞在しています。私が”船乗り”であった今から20年ほど前、コンテナ船に乗船し、何度も訪れた港町でした。ですが、歴史は私のために止まってはいませんでした。

高雄は想像を絶する発展を遂げていました。何とか、当時の面影を見つけようと思ったのですが、呆然とするばかりです。私の記憶の糸口は、まったく見つかりませんでした。”老船乗り”は、ただただ、唖然とするばかりでした。

気分を新たに、環境保護処(環境省)の担当者、”呂さん”と一緒に夜景見物に出かけ、思う存分、海鮮料理を楽しみました。本当においしかったですよ。

無論、仕事もきっちりこなしています。今日の相手は台湾随一の化学品メーカーの防災担当者と技術者の皆さん達でした。相手は、台湾を代表する専門家だけあって、ケミカル海上流出事故対策に関し、かなりの自信を持っていました。

私が前もって課した課題発表に関し、当初は、「自分たちはここまで最善を尽くしている。他に何をすべきなのか。言ってみろ。」という態度が窺い知れました。

ですが、”おそるおそる”、約2時間にわたり申し上げた私の助言(苦言?)に対し、最後は、心から賛同の意を表して頂きました。

「あなたの助言は、我社のケミカル海流出事故対策の基本を根本から考え直すに値する素晴らしい内容でした。心からお礼申し上げます。必ず、あなたの指摘どおり、台湾を代表する我社としては、体制の再構築を図りたいと思います。」と言われ、全員の拍手で見送られた際には、丸一日の疲れも吹っ飛びました。

実は正直言って、「はるばる日本から来台し、その程度の知見か。来るまでもいない。」などと、言われたらどうしようかと思っていたので、大いに安心しまいした。面目はどうにか保たれました。

さて、昨日朝、台湾南端沖の離島、小蘭嶼至近の海上で発生した、中型漁船による中規模油流出事故の第ニ報をお伝えします。

台湾船籍の漁船、”金明財七号”が座礁し、184トンのA重油油が流出したという事件です。私の疑問は、中型漁船の燃料保有量として、180トンはあまりに多すぎるという点でした。

今日になって、この疑問が氷解しました。同号は漁船といっても、漁業には従事していなかったようなのです。

台湾では、漁船の燃料であるA重油は、無税(揮発油税など)なのです。A重油といっても、性状は軽油に匹敵します。

ディーゼル車も動かすことが出来ます。その他、様々な陸上機器の燃料として転用が可能です。

台湾の漁業者の収入はかなり低いと聞いています。そのため、漁船を改造し、漁獲物のかわりに、大量のA重油を積載できるような漁船が存在するらしいのです。

無論、陸上業者への転売目的で、違法行為です。同号もそのような目的の、”偽装”漁船だったらしいとのことです。

船舶用のA重油は、軽油に匹敵するといっても、含有硫黄分は、陸上並みの厳しい規制を受けていません。

したっがて、A重油を転用した不法軽油の陸上での使用は、大気汚染の元凶となり、台湾では社会問題となっています。

今回の油流出事故は、このような事情があったようです。



『(続きます)台湾からのメッセージ(第三報)』[2006年12月12日(火)]
私は本日午後、台湾の首都台北を発ちました。陸路を3時間かけて南下し、今は中部西岸の港町、彰化県の鹿港という町に滞在しています。

数百年前の昔、この町は台湾第二の都市として栄えたとのことです。現在は、名所旧跡などを目当てに訪れる観光客で賑わう、中堅地方都市となっています。日本で言ったら、鎌倉あたりに相当するでしょうか。

町の至るところに古い寺があり、また、一部の町並みは、当時のままに保存されているようです。先ほど、その町並みを見学してきました。

敵の侵略に対する防護策として、町並みの道路はまっすぐではなく、”あみだくじ”のように折れ曲がっていました。たしか、日本の城下町にも、同じような町並みがあったような記憶があります。

近年、この町の近郊に、大きな工業港が建設され、その背後には、台湾を代表する一大化学品メーカーが誘致されました。

こうしたことから、このエリアは、台湾の沿岸海域の中で、ケミカルタンカーの出入りがもっとも激しい海域の一つとなりました。

そこで、明日は、化学品メーカーや、地方行政府の防災担当者を対象に、ケミカルの海上流出事故に備えた討論会を開催することとなっています。

ケミカルの海上輸送事故に備えた危機管理対策や、既存の防災計画など、前もって私がお願いしていたテーマに従い、まずは各担当者から発表していただきます。それに対し、私が助言することとなっています。講演以上に気を使う手法ですが、とても楽しみです。

ところで、今日の午前中は台北の環境保護処(環境省)は、朝から”バタバタ”していました。私は九時半から、前もって希望していた職員を対象に、ケミカル事故対策に関する個別ミーティングを行う予定でしたが、その予定も一時間以上遅延となりました。

それもそのはず、本日朝、台湾南端沖の離島、小蘭嶼至近の海上で中規模の油流出事故が発生したのでした。

台湾船籍の”金明財七号”という中型漁船が遭難し、乗組員11名全員は救助されたものの、184トンの油が流出したという一報が寄せられたとのことでした。

台湾では、100トン以上の規模の流出事故は、行政院(政府)が直轄して扱うこととなっていて、担当は他ならぬ環境保護処(環境省)です。

年に数回の事故が、私が滞在中の本日、目の前で発生したのでした。朝から”バタバタ”するはずです。

中型漁船の燃料保有量として、180トンはあまりに多すぎます。流出量についての情報が正確ではない可能性があります。

また、漁船の場合、大型母船などを除き、燃料はほぼ軽油に相当する重油を使用しているはずです。しかも、発生地点は外洋です。積極的な防除活動は行わずとも、比較的短時間で、自然浄化することが期待されます。

いずれにせよ、初期情報からは、事件の詳細は不明でした。

しかし、念のため、日本の海上保安庁にもお知らせしておきました。私は海のボランティア組織、「海守(うみもり)」の熱心な会員ですから当然です。













『(速報)台湾からのメッセージ(第二報)』[2006年12月12日(火)]
昨日に引き続き、台湾からのメッセージをお届けします。

ここ台湾でも、ケミカルタンカーの海難に伴う、海洋汚染の脅威が現実のものとなっています。

昨年の10月10日、台湾北端からわずか数キロの沖合いで、韓国船籍のケミカルタンカー、「SAMHO BROTHER号(2,761総トン)」が沈没しました。

同号は、積荷のベンゼン3,136トンを船内に残存したままで、今も船体の撤去は行われていません。

沈没の状態が、かなり変則的です。船尾側のタンクの破損により沈没にいたった同号は、船尾をまるで”尻餅”でもついたように、海底に接しています。

一方、船首部分は海面から”にょっきり”と突き出した状態となっています。どうして、このような不安定な状態のまま、一年以上、船体が保たれているのか、詳しくは聞いていませんが、写真を見る限り、そういうことなのでしょう。

船主側は、台湾政府による船体撤去要請に対し、のらりくらりと拒否し続けているようです。政府曰く、「命令拒否に対する罰金は、一日当たり100万円以上。罰金は累積され、すでに数億円に達している。罰金についても、支払う気はないのでは。」とのことです。

また、台湾政府は、同号からの積荷ベンゼンの抜き取り作業につき、日本のサルベージ会社に打診したところ、約80億円の見積もりが送られ、頭を抱えているとのことです。

一方、政府内部には、「軍隊を投入し、いっそのこと、船体を爆破してしまおう。」との強硬論も出ているようですが、海洋環境問題を所掌する環境保護処(環境省)は、反対しているとのことです。

私も同じ意見であることを、昨日の意見交換で述べました。

いつ、ベンゼンが流出するか分からない、危険な残骸が、台湾の目と鼻の先に、放置されているのです。脅威そのものです。

しかし、考えてみると、たとえベンゼンが流出しても、海流の関係で、ほとんど台湾の沿岸には漂着しない可能性があります。

では、どこに向かうのでしょうか。答えは言うまでもありません。我々の母国、日本です。
『台湾からのメッセージ』[2006年12月11日(月)]
先週お伝えしたとおり、私は今、台湾にいます。

台湾政府の要請により、約一週間、台湾の各都市を巡り、その間、関係官庁の職員や化学業界関係者、海運会社関係者などを対象に、ケミカルの海上流出事故に備えた危機管理対策などについて、指導・助言を行うことが、今回の出張の目的です。

本日はその初日、台湾北部にある首都、台北市において、環境保護署(日本の環境省)の職員を対象に、約4時間にわたる基調講演をこなし、ホテルに戻ってきたところです。

孤軍奮闘、4時間の講演は、体力に関しては、比較的余力のある私でも、さすがにこたえました。

当初、3時間が予定だった講演時間が過ぎても、次から次に、職員の皆様から質問の嵐が飛びかい、講演時間はさらに1時間延長されたのでした。

この問題に関する台湾の皆さんの関心の高さは想像以上でした。疲れもさることながら、これだけ反応のある講演は、私も初めての経験で、お驚きました。

しかも、講演終了後、環境大臣の部屋に呼ばれ、閣下からじきじきにお礼を言われました。また、30分にわたり、ケミカルの海上流出事故対策に関し、意見交換をすることもできました。

たとえ”(さすらい派)研究員”と言えども、日本では考えられない光栄なことでした。

「今回は私の知見を披露しましたが、今後は、日台協力の下、互いに協力しましょう。」と私が述べた折には、大学教授出身の大臣は、「そのとおり。よろしくお願いします。」と、何度もうなずいていらっしゃいました。

また、謁見の後は、環境保護署の担当職員が、とてもおいしい”飲茶”ディナーに招待してくれました。

という事で、今日の疲れは、現在までに解消できたわけです。今は、成田空港で仕入れた”レミーマルタン”をグラスに並々と注ぎながら、ブログの更新をしているわけです。

明日からも頑張ります。明日の予定は、先ほど聞いたつもりなのですが、詳細は忘れました。何とかなるでしょう。

インターネットが使えるようならば、引き続き、近況をお伝えします。



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