台湾からのメッセージ、第六報をお伝えします。
すでにお伝えしたとおり、本日は朝から午後3時頃まで、高雄近郊にある、台湾第二の石油・ケミカル会社の防災担当者などを対象に、昨日と同様の検討会をこなしました。
途中、港湾当局のチャターボートに乗船し、高雄港を事細かに視察する機会も与えられました。
すでに、途絶えかけていた、ここ高雄港の記憶も、海から港を眺めることによって、徐々に元に戻ってきました。
”船乗り”を卒業して10年以上がたちますが、「まだ、”潮っけ”は抜けていなかった。」と、少しは安心した次第です。
そして夕方、例によってあわただしく移動し、今は台湾最南端の観光地、墾丁の町に到着しました。
台湾政府機関や企業、港湾関係者に対する、ケミカル事故への危機管理対策に関する指導・助言という最重要目的は、本日をもって終了しました。あとは、前回のブログでお伝えしたとおり、ここ墾丁の町で、プラスアルファーの案件を片付けるだけです。
さて、今日の夕食時、台北からずっと私に付き添っている、環境保護処(環境省)の呂さんが、静かな口調で私に問いかけました。
「昨日訪れた台湾第一位の化学メーカーと、本日訪れた第二位の化学メーカー、いったいどちらが早く、先生の指導・助言を取り入れ、ケミカル海上流出事故対策に乗り出すと思いますか?」
私はすかさず、次のように述べました。
「両社とも、私の話に熱心に耳を傾けていました。検討会のメンバーの今後の意欲に関しては、甲乙付け難いと思います。しかし、企業としての取り組みという点から言うと、間違いなく今日の高雄の企業ではないかと思います。」
呂さんは、にっこりと微笑んで述べました。
「では、その理由は?」
私は次の通り解説しました。
「理由は三つあります。一つ目は両企業の設立の経緯です。昨日のF社は、設立時から民間企業であったと聞きました。対して、今日のC社は、もともとは国策企業であったと聞いています。
したがって、政府の意向に沿った新しい取り組みは、元国策企業のほうが先駆的に行うことが予想されるからです。F社はC社の様子を見て、推進するはずです。
二つ目は両企業の立地条件です。F社の工場は、広大な人口島をすべて利用して作られています。
もともとは、生物相が貧弱な広大な荒地であったため、今もその周辺には、F社以外の社会経済活動や住民生活が、ほとんど認められません。
したがって、F社による安全や環境に対する取り組みの中で、守るべき弱者や第三者の存在が具体的に見えてきません。
その点、C社は隣接した他企業や住宅地の存在、あるいは、周辺海域での漁業活動やレジャー産業など、”誰のための安全なのか、誰のための環境保護なのか”が、明らかです。
最後は会社の特質です。F社は創業者が、苦労してここまで大きくした企業と聞いています。社内のあちこちには、苦労時代を教訓とした創業者の語録が、至るところに掲示されていました。
一方、工場内の事務所は、米国のホワイトハウスを模した、筆舌しがたい、超豪華な総大理石造りの建築様式でした。外壁だけではなく、内部の床も壁もすべて本物の真っ白な大理石でした。
苦労して自分を育てた母の銅像が、正面エントランスに”どんと”置かれていました。
さらに、隣接する場所には、本社を訪問するお客さん専用のホテル兼迎賓館が建てられていました。その周辺は、広大な(母親の)メモリアルパークが作られていました。
一方、C社はどこにでもある、何の変哲も無い”事務所でした。
贅をつくすのも結構ですが、他の企業ならば、金銭的な余裕があれば、先に安全問題や環境問題に予算を割くのではないでしょうか。
断言は出来ませんが、こうした理由から、私はC社の取り組みが早いと思います。」
私はこのように述べました。
呂さんはにっこりと微笑み、「まだ、五日しかいないのに、先生は台湾のことをよくおわかりですね。」と述べました。
皆さんは、どのように予想しますか。
今回の出張では、環境保護処の呂さんは無論のこと、通訳の徐女史には大変お世話になりました。
関西の一流大学に留学経験のある彼女の日本語は完璧で、また、その明るい性格は、長い会議で疲れた皆の心を和ませました。
そして何よりも、誰もがうなず、とびっきりのく美人です。今日は特別に、私の素顔を徐さんとともに公表します。
通訳の徐女史と高雄港のケミカル埠頭にて