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海洋汚染情報 −海の事件簿−
海上で起きた重大な汚染事件・事故について、独自の視点から鋭くメスを入れ、分析・解説する”海の社会部デスク”、その名も”元海の男”、職業”(さすらい派)研究員”による海の事件簿。
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『★我が家の社会実験とは?★』[2009年05月26日(火)]
“モスキート音”をご存知でしょうか。文字どおり“蚊の音”です。これを人工的に作った場合、高周波音であるため、聴力の衰えた我々中高年には一切聞こえず、育ち盛りの若者には“不快音”として聞こえるのだそうです。

なんでも、欧米の学生たちの間で、授業中、中高年の教師に気付かれることなく、携帯電話の着受信音を確認する手段として流行しているそうです。若者にとっては、たとえ不快音であっても、教師に気付かれるよりは“マシ”ということなのでしょう。

中三の娘曰く、「うちのクラスにも、校則で禁じられているのに、時たま携帯電話を持ってくる子がいる。授業中、着信音などはもってのほか、マナーモードにしていても、振動音が周囲に響き渡り、先生に気付かれはしまいかと、周りの生徒が“ドキッ”とすることがある。」だそうです。

最近、“モスキート音”が我が国にも“輸入”されてきました。先週、一部の新聞が取り上げていました。とは言っても、若者が自分たちの利益のために使うのではなく、我々中高年が使うためなのです。

深夜の若者の“たむろ”や“いたずら”に困っている、コンビニや駐車場のオーナーが、若者を寄せ付けないための手段として、この“モスキート音”に着目、人工発生装置を取り付け始めたのがきっかけです。“新しモノ”好きの、ごく一部のオーナーの取り組みのようです。

こうした中、深夜の公園での若者の“たむろ”問題に苦慮している自治体の一つ東京都・足立区でも、先週から、区内一箇所の公園に発生装置を取り付け、深夜に“モスキート音”を流す社会実験を開始したそうです。

しかし、足立区の若者たち、不快なはずのこの音が流れても「気にならない!」と強がり、一向に立ち去る気配はなく、実験を担当する区の中高年職員をがっかりさせているようですが。

と言うことで、早速その“モスキート音”なるものを探し出し、“視聴”してみたわけです。8,000Hzから開始し、1,000Hzごとに周波数を上げていくと14,000Hzあたりで私には聞こえなくなります。こここまで聞こえるだけでも、30代前半に匹敵する優秀な耳なのだそうです。

これ以上に上げたところで、私にはまったく聞き取れません。実験はこれにて終了です。早速、自宅で妻と二人の娘を対象に実験を進めたいと考えています。

我が家はこの手の実験が大好きです。先日も、“顔認証たばこ自販機”が近所に設置されたと聞き、家族4人で実験をしに行きました。他の客に迷惑がかかるといけないと思い、朝6時過ぎに出掛けました。

さて、実験結果です。中三の上の娘は、普通の状態の顔のままで認証を受け、見事にはねられた後、顔をしかめたり、舌を出したりと、いろいろと試したのですが、いずれもはねられました。機械の性能は見事です。

一方、小五の下の娘は、私に抱きかかえられ、認証用の鏡に向かい合い、姉と同じような行為を繰り返しました。いくら試してもダメかと思っていたところ、四度目でどういうわけか認証がパスしてしまいました。偶然なのでしょうが、これには驚きました。

無論、私と妻はどのような顔をかざしても、すべて一発で認証はパスです。しかし、妻は憮然としています。理由を尋ねてみました。

妻曰く、「あなたの認証の時には、機械は5秒ほど考えて、“パス”の結論を出していた。しかし、私の場合は、何度試してもたった3秒ほどで“パス”の結論を出している。あなたは私より5歳も年上なのに、私よりもじっくり考えて結論を出すなんて“不公平だ!”」だそうです。

「朝だから化粧ののりが悪いからだろう。昼間ならば、お前も5秒ほど待ってくれるに違いない!」と慰めてやった私です。タバコ自販機の管理者の方、いたずらではなく実験ですので悪しからず。



『★バンコクに旅立ちます★』[2009年01月27日(火)]
昨日お伝えしたとおり、私は今からタイ、バンコクに海外出張に出かけてきます。

アセアン諸国の海事関係者を対象に、海上でのケミカル流出事故を想定した机上訓練の指導、そして、防除手法についての講演を行うためです。

指導・訓練といっても、私は実戦に長けた専門家ではありません。そのあたりは他の専門家に任せ、私はもっぱら理論的な事を中心に進めたいと思います。

今、私は成田空港の待合室にいます。会社から持ち出してきたパソコンの操作に苦慮し、無線ランの設定が思うようにできませんでした。

ということで、ビジネスコーナーで、硬貨を投入してのブログ更新となったわけです。間もなく出発時刻、では元気に入ってまいります。

残してきた仕事が気がかりですが、まあ、しょうがないですね。次回のブログ更新はタイからです。
『★明けましておめでとうございます。★』[2009年01月01日(木)]
明けまして、おめでとうございます。本ブログご愛読者の皆様、本年もよろしくお願い申し上げます。

私はと言えば、すでに朝から良い気分になり、懐メロ番組を見ながら、青春の曲を謳歌しているところです。

昨夜も9時過ぎには就寝、その後、一度目を覚まし、除夜の鐘を聞きながら、再び心地よい睡眠を貪ったのでした。

言うまでもなく除夜の鐘とは、大晦日の深夜0時をはさみ、寺で撞かれる鐘のことを言います。

一年間の月数の12、二十四節の24、七十二候の72を足した合計が108となることから、あるいは、(4×9)+(8×9)=108が、”四苦八苦”を意味することなどから、撞く回数は108回が相場と決められています。

私の知る限り、108回のうち107回は旧年中(12月31日)に、108回目だけが新年(1月1日)に撞かれるものと信じていました。

昨夜、深夜12時少し前に私が目を覚まし、耳を澄ますと、それぞれ違った方角・距離、計4か所の寺院からの除夜の鐘の音色が確認されました。

自慢じゃないですが、昔、船乗り時代にとった杵柄、複数方向からの霧中信号の識別は慣れたものです。

確認したところ、4か所のうち、108回目が新年に撞かれ、それをもって鐘撞きが終わった寺院は二か所のみ、残りの二寺院については、その後も鐘撞きが続きました。

鐘撞きが始まった時刻は定かではないのですが、少なくとも日付が変わっても、競うように2寺院の”鐘撞き合戦”は繰り広げられました。

うち、一寺院の鐘撞きは0時20分過ぎに、また、もう一寺院に至っては1時過ぎまで続きました。

本当に108回だったのか否かは、数を数えていなかったので定かではありません。少なくとも言えることは、一回ごとの音質が安定していなかったことから、おそらく、一回ごとに、参拝客に撞かしていたものと思われます。

どうでも良いことなのですが、数を勘定しておけばよかったと、しばらく気になりました。

『★今年一年、お世話になりました★』[2008年12月31日(水)]
今年も残すところ、あと8時間ほどとなりました。いかがお過ごしでしょうか。

さて、本ブログの今年のヒット数は、すでに約13万件を超えました。また、年明け早々には、本ブログ開設以来のヒット数が、30万件の節目を迎える予定です。

ご愛読者の皆様には、今年一年、さまざまなご意見やご指摘、励ましの声をいただきました。本ブログを長く続けてこられたのは、こうした皆様のおかげです。心から感謝申し上げます。

来年もご愛読・ご声援のほど、よろしくお願い申し上げます。また、来年こそ、海の事件・事故の少ない、平和な年となることを心から祈っております。

今年一年、お世話になりました。良いお正月をお迎えください。また来年、お会いしましょう。

『★パスモを見たことのない専業主婦とは★』[2008年11月14日(金)]
ここ一週間、私と中二の娘は毎朝、最寄りの駅まで、いつものバスではなく、私の運転するマイカーで通っています。私たちが降りた後、助手席の妻が運転を交代し、自宅に戻る仕組みです。

地球温暖化に逆行することは重々承知していますが、これには訳があります。娘が膝を痛め、満足に歩行することができない状況なのです。

その原因はというと、背丈の伸び盛りにありがちな、いわゆる“成長痛”というやつです。ここ二年ほどの間に彼女はすくすくと育ち、20センチ以上も身長が伸び、あっという間に妻の背丈を“一首”近く越え、私の背丈にまで達する勢いです。

もう止まったと思いきや、なおも成長を続ける彼女は、膝関節の発達が追いつかず、何度も悲鳴を上げ、そのたびに整形外科に通っているのです。今回も同じパターンのようです。

駅でマイカーを降り、改札口に到達すると、「パスモ(PASMO/ICチップ内臓の鉄道・バス共通の乗車カード)が入っている財布がない!」と言い出しました。

「家を出る際、通学カバンの中に仕舞ってあるのを、しっかり確認したのに・・・」と、本人は言っていますが、子供の言うことは所詮信用できません。

カバンの中身をあらいざらい全部出させ、一緒に探してみたのですが、確かに見当たりません。ふと、あることを思い出しました。

私が先ほど運転していた際、途中の交差点で、黄色の注意信号に引っ掛かり、無理をせず、ブレーキを踏み込み停車したのでした。若干、急制動気味となり、停車した弾みで“ゴトン”と、何かが倒れる音が車内に響きました。

彼女は後部座席において、リクライニング・シートを最大限後ろに寝かせ、仰向けにふんぞり返り、わずかな時間にもかかわらず、一時の睡眠をむさぼっています。床に置かれた彼女の通学カバンが、停車した弾みで倒れたのでした。

妻がすかさず、「何か倒れたんじゃない? 中身は飛び出していない? 大丈夫?」と彼女に問いかけました。「ムニャ、ムニャ、大丈夫・・・・」

案の定、妻の忠告にもかかわらず、良く確かめもせず、そのまま改札口に来てしまったのです。彼女も思い当たる出来事に気付いたようです。「あっ、思い出した。あの時だ!」と小さく叫びました。

それ見たことかと思い、「お母さんに言われたのに、よく確かめないからだ、反省しろ!」と叱ったところ、「違う! お父さんが悪い! 急ブレーキをかけたからだ!」だそうです。

知能が未発達な子供と言い合っているほど、朝の私は暇ではありません。彼女の切符を買ってやり、そのまま赤坂見附の駅に二人で到着しました。

早速、妻に連絡、車内を捜索させたところ、財布は無事に発見されました。運転席の下に落ちていたとのことでした。帰りの交通費を娘に渡し、念のため、「財布の中にパスモはあるのか?」と妻に問いかけたところ、「そんなモン、ないですよ・・・」と、あっさり言います。

何とも不思議な展開となってきました。「財布はあったのに、中にパスモがないということか?」と再度確認すると、「そのとおりだ!」と断言します。

頭がクラクラしてきました。そのまま娘と別れ、取りあえず事務所に到着、再度、妻に確認の連絡を入れました。

「娘は財布の中にパスモを入れておいた、と言っているが、本当にないんだな? では、ややこしい話かもしれないが、倒れたカバンから財布が飛び出し、飛び出した財布からパスモが抜き落ちたのかもしれない。もう一度、車内を捜索しろ!」

結果はと言うと、「やはり、ありません。」とのことでした。「では聞くが、財布の中には何が入っていたか解説しろ!」

と言うことで、妻は「小銭が少々、コンビニのレシート三枚、テレホンカード一枚、・・・」と羅列してゆきます。「それと、地下鉄の定期券・・・」

「ちょっと待て、今、地下鉄の定期券と言ったな? どんな定期券だ?」

「プラスチック製で、地下鉄の絵が描いてあって、有効期間と、荻窪・赤坂見附と利用区間が書いてあります! 普通の定期券です!」と言い放ちます。

「馬鹿モン! それがパスモなんだ! ICチップが内蔵された定期券のことをパスモと言うんだだ!」

何のことはない、専業主婦の妻は、パスモについて、言葉では聞いていたものの、実物を見るのは初めてだったのです。表面に“パスモ”と日本語で記載され、数字が羅列された、クレジットカードのようなものを想像していたとのことです。

皆さんに対する海の事故の解説が私の使命だと認識していましたが、実は“灯台下暗し”、家族への社会事情の解説が疎かだったようです。反省しています。今日は朝からドタバタしてしまい、馬鹿な話で終始してしまいました。お後がよろしいようで・・・。

『★本日は船の科学館にいます★』[2008年08月05日(火)]
世界初の民間の海難防止研究機関として誕生した(社)日本海難防止協会は、今年、創立50周年を迎えたそうです。

同団体はこれを記念し、戦後日本の代表的な海難を振り返る、パネル展示会を開催中です。本日は海上保安庁長官も見学に来られると聞いています。

私は同団体に請われ、今から会場に出掛け、説明の大役を仰せつかる予定です。

四面を海で囲まれた日本にとって、海運や漁業は国民生活の大切な命綱です。海洋基本法が制定され、海洋に対する国民の意識が高まるなか、海上輸送や漁業にはつきものの“海難”という悲しい現実を見つめ直し、海洋のもたらす様々な恩恵を再認識すべきではないでしょうか。

“海難”は単なる交通事故とは性格が異なります。発生当時の社会情勢や世相を映し出す“鏡”でもあるのです。悲惨な“海難”を直視し、その歴史を振り返れば、当時の社会情勢や世相が垣間見えてきます。


1.名称:
「戦後海難の歴史と再発防止への取り組み」
主催:社団法人 日本海難防止協会
共催:財団法人 日本海事科学振興財団
後援:海上保安庁、産経新聞社

2.場所:
船の科学館・羊蹄丸、「アドミラルホール」
※ ゆりかもめ、「船の科学館」駅下車(新橋駅から17分、豊洲駅から14分)

3.日時:
2008年8月1日(金曜日)〜8月31日(日曜日) AM10:00〜PM6:00

4.入場料
無料

5.お問い合わせ
 03(3502)2231 日本海難防止協会


『★菓子屋横丁と濃霧海難★』[2008年07月06日(日)]
昨日(7月5日)から、神戸の義母と義姉が東京に遊びに来ています。先日、近所で催されたイベント後の“お楽しみ抽選会”に参加した“上等兵(中二の上の娘)”と“二等兵(小四の下の娘)が、関西空港と羽田空港の往復ペア航空券を見事にあてたのです。

彼女たちは迷うことなく、航空券を神戸の二人にプレゼントしたのです。孫や姪に久しぶりに再会できることを楽しみに、二人はその航空券で早速上京してきたのです。

昨日は羽田空港で二人をピックアップし、そのまま埼玉の“小京都”、川越の町に出かけました。我が家のミニバンに六人も乗ることは珍しいことです。“上等兵(中二の上の娘)”と“二等兵(小四の下の娘)は、定位置の中列シートから後列シートに移動しました。

二人の娘の楽しみは、川越の菓子屋横丁での駄菓子の購入です。菓子屋横丁は多くの駄菓子屋が立ち並ぶ川越の観光スポットです。

一歩踏み入れると、昔懐かしい駄菓子がどの店の店頭にもあふれ返り、団子や煎餅の醤油の焼ける香ばしい匂いが周辺に漂い、私自身も子供に帰ってしまうような不思議な場所です。

彼女たちは、両親から購入制限額を言い渡されることなく、あるいは自身の財布の中身の心配をせず、祖母と伯母から思う存分、好きなだけ買ってもらえたのですから、喜びもひとしおでした。夜は築地の寿司屋で夕食、実に楽しい一日でした。明けて本日の予定も盛りだくさんです。

さて、昨日(7月5日)は濃霧の東京湾で海難が相次ぎました。午後3時15分ごろには、観音崎沖で、貨物船“第十八清光丸(199総トン)”と、遊漁船“第十広川丸(15総トン)が衝突、広川丸の遊漁客2人と船長の3人が軽傷を負いました。広川丸は自力で帰港したそうです。

また、午後5時ごろにも、現場付近の海域で航行中の貨物船同士が衝突しました。両船は自力航行可能で、負傷者もありませんでした。

さらに、午後4時ごろには、貨物船“第十一エーコープ(199総トン)”から「プレジャーボートと衝突したようだ。乗員三人が海に投げ出されたかもしれない。」と第三管区海上保安本部(横浜)に連絡があったとのことです。

一時、騒然となりましたが、横須賀海上保安部が調べたところ、貨物船に衝突の痕跡はなく、被害船に関する情報も寄せられていないことから、見間違いいうことで落ち着きそうです。安心しました。

さて、私事で恐縮ですが、私は明日から一泊二日の予定で入院します。結石が詰まってしまい、衝撃波による粉砕術を受けるためです。痛みもなく普通の生活を送っているのですが、粉砕することを勧められました。

と言うことで、明日・明後日のブログ更新は休むかもしれません。あしからず。


『★東京タワーの思いで・・・★』[2008年06月10日(火)]
日曜日の昼下がり、“上等兵(中二の上の娘)”と“二等兵(小四の下の娘)”を家に残した私と妻は、そわそわしながら、東京港区の芝公園近くにあるホテルの宴会場へと出かけて行きました。

かねてより楽しみにしていた、“利き酒の会”に参加するためです。受け付けで手続きを済まし、入り口で各種“おつまみ”が詰められた弁当箱と、利き酒用のお猪口を受け取り、いざ会場に突入・・・。

中は全国の蔵元さんが出展する“利き酒”ブースが所狭しと並び、各々自慢の日本酒を用意して待ち構えています。来場者は、好みの日本酒を試飲しながら、“おつまみ”をほおばり、蔵元の説明に頷き、心行くまで“左党”であることの幸せを堪能するという画期的なイベントです。

日本酒のほか、様々な焼酎、梅酒などの果実酒、中国酒、洋酒などのブースもあります。また、支給された“おつまみ”以外にも、自分たちが用意した酒に見事なまでにマッチした、気の利いた“おつまみ”を用意したブースもありました。

あれにしようか、こちらを試そうか、いろいろ迷いながら、頻繁に“利き酒”を繰り返します。少しずつの飲酒とはいえ、あっという間にほろ酔い気分となり、気分はすっかり居酒屋モードに突入です。

開始から約一時間、まだまだ物足りない気持ちを抑えつつ、残してきた子供達の手前もあり、後ろ髪を惹かれる思いで、いまだ盛況の会場を後にした私たち夫婦でした。

さて、ホテルの外に出た私たち、久しぶりに夫婦水入らずとなったわけですが、また陽が高いこともあり、付近を散歩することとしました。

無論、若い夫婦ならいざ知らず、老齢の私たちはロマンチックなデートなどお互いまったく想定していません。「どこに行きましょうか?」と問う妻に対し、私はひとこと「東京タワー!」

理由を尋ねる妻に対し、「昔、私が子供の頃、親子で東京タワーに行ったことがある。その時、売店に東京タワーの形をした、それは大きなチョコレートが売られていたのを覚えている。懇願したが親に買ってもらえず、いつかは独占して食べつくしたいと考えていた。40年の歳月を経て、今日こそ、そのチャンスなのだ!」と答える私でした。

歩くこと約15分、ふもとの険しい坂道もものともせず、いざ東京タワーの真下に位置するビルに到着、展望エレベーターなどには目もくれず、お土産コーナーになだれ込んだ私たちでした。さすが週末の東京タワー、施設内は家族旅行や団体旅行の観光客でごったがえしていました。

数十件の土産屋が立ち並ぶ中、“東京タワーチョコ”を探すものの、見つからないのです。「そんな馬鹿な!」と思いつつ、次から次へと店を移動すること30分・・・。

あきれ果てる妻を尻目に、これが最後のチャンスと、東京タワーの直営店と思しき売店にたどり着いたのでした。「あの〜、東京タワーの形をした大きなチョコレートありますか?」という私の問いに対し、若い店員は「当店ではあつかっておりません。」と冷淡にのたまいます。

「40年前にはたしかにあったのですが・・・。」との私の食い下がりに対し、「そんな昔のことは知りません!」だそうな。

「あなたのことですから、蔵前国技館の相撲チョコと勘違いしたのではないですか?」と、笑いながら訊ねる妻の問いかけを無視し、逃げるようにその場を立ち去った私でした。「いつか必ず探して見せます、東京タワーの形をした大きなチョコレート、それまで待っていろよ・・・」、心の中で新たな誓いをたてたのでした。

大東亜戦争の終戦から11年が経過した1956年(昭和31年)12月、国連総会が日本の加盟を全会一致で可決し、日本の国際社会への復帰が認められたのでした。

この年の「経済白書」は、「もはや戦後ではない。これからの経済成長は近代化によって支えられる」と謳ったのです。日本が戦後の復興期を脱し、高度経済成長の明るい未来がすぐそこまで迫っていることを表す言葉として、「もはや戦後ではない」は一大流行語となりました。私はその翌年、1957年(昭和32年9月)に東京・杉並区の阿佐ヶ谷で生を受けました。

そして、1958年(昭和33年)、日本は“神武景気”以来の経済的繁栄を享受し、内需増加から企業利潤の増加、設備投資の増加、内需増加という好循環を生み出す状況下にありました。“1万円札”の発行、関門トンネルの開通、そして東京タワーの完成などは、その象徴的な出来事だったのです。


『★夏の家族旅行と洞爺湖サミット★』[2008年05月01日(木)]
明日(5月2日)から、青森港と函館港の間を結ぶ、2隻目の高速フェリー、“ナッチャンWorld(ワールド)”の運航が開始されます。

“ナッチャンWorld(ワールド)”は、昨年9月に就航した“ナッチャンRera(レラ)”の姉妹船です。アルミ合金製の船体で、全長120メートル、総トン数は約1万トン、双胴型のフェリーとしては世界最大級とのことです。

乗客最大約800人を乗せ、乗用車350台とともに、青森・函館間をわずか2時間、36ノット(時速67km)のスピードで爆走します。

昨日(4月30日)、就航を間近に控え、函館港に停泊中の“ナッチャンWorld(ワールド)”の船内で、テロ対処訓練が開催されました。

この訓練は、7月に日本で開催される“主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)”に備えたもので、北海道警とフェリー運航会社が合同で行なったと報じられています。

客室内に有害な化学物質が散布され、車両甲板には爆弾が仕掛けられたとの想定のもと、負傷者の救助、化学物質や爆発物の処理などが行なわれたとのことです。

さて、サミットはさておき、訓練もさておき、私も“ナッチャンWorld(ワールド)”又は “ナッチャンRera(レラ)”に乗りたくなりました。洞爺湖に行きたくなりました。

と言うことで、今年の夏の家族旅行は、マイカーによる北海道周遊と相成ったのです。石神井公園の私の自宅から青森のフェリーターミナルまで、およそ700キロメートル、どうなることやら・・・。



『★女武者となった“上等兵”★』[2008年04月25日(金)]
明後日(4月27日)の日曜日、私たちが居住する東京・石神井公園では、毎年恒例の“照姫まつり”が開催されます。

今から500年以上前の文明9年(1477年)4月、江戸城を築城したことでも知られる太田道灌は、三宝寺池(現:東京都練馬区)の豊島(てしま)泰経の居城(石神井城)を包囲していました。

豊島氏は、道灌と対峙する長尾景春の味方について戦(いくさ)に参加、負け戦を繰り返した末、自らの居城である石神井城に逃げ込んできたのでした。

同年4月28日、道灌は石神井城に対し、総攻撃をしかけました。落城が間近であることを察した豊島泰経は、可愛がっていた白馬に家宝の金の鞍をのせ、城の背後の崖から、白馬もろとも三宝寺池に入水、自らの命を絶ったのでした。

泰経には照姫という、美しい次女がいました。父の最期を見届けた照姫は、その死を悲観し、父の後を追って三宝寺池に身を投げ、果てたのでした。

太田道灌は照姫の死を憐れみ、彼女の亡骸を弔い、小さな塚を築きました。後に姫塚と呼ばれるこの塚の脇には老松(照日の松)がそびえ、この木に登り上から池面を望むと、泰経とともに水底に沈んだ金の鞍が、燦然と輝いて見えると言い伝えられています。これが世に言う、石神井・三宝寺池の照姫伝説です。

もっとも、泰経には照姫なる娘はいなかったという説や、そもそも泰経は石神井城を逃れ、相模の国まで落ちのびたという文献も残っているようですが、この際、それはどうでもよいのです。

私たちにとって、照姫は永遠の悲劇のヒロイン、それも絶世の美女とであればこそ、その悲しい末路に哀れみを常に感じ続けているのです。

そうです。“照姫まつり”は、照姫を偲ぶ祭なのです。祭の最大の見所は、何と言っても“時代行列”です。

照姫や豊島泰経とその奥方が竜神を従え、鎧武者、稚児、女武者、花拍子、巫女などとともに、当時を再現した豪華な衣装や装備をまとい、石神井公園を基点とし、周囲の街中を練り歩くのです。

祭の当日には、艶やかな時代行列を目当てに、区内はおろか、近隣から約10万人の観光客が訪れ、大小さまざまな屋台が所狭しと立ち並ぶ、一大イベントなのです。

いつもは、うっとりと時代行列に見入っていた私たち家族は、今年、一大決心をしました。「見ているだけではつまらない、家族から行列参加者を出そう!」ということなのです。

照姫や豊島泰経とその奥方の役は、以前は本職の俳優を採用していたことがありますが、最近では、他の役と同様、練馬区民からの公募なのです。

今年の初め、家族会議が開かれ、家族四人のうち誰が応募するのか、審議が行なわれました。私が豊島泰経の役に応募するのは、あまりに“あたり役”すぎて、他の応募者の夢を打ち破ることになるとされ、ただちに却下となりました。

次に“下士官(私の妻)”ですが、「本当は照姫をやりたい。でも、奥方でもしかたない!」などと、神をも恐れぬことを言っていましたが、冷静かつ客観的な私の目で見る限り、“吉原のやり手ばあさん”あたりが適役です。

しかし、調べてみたところ、該当する役は、行列には存在しません。そこで、仕方なく、私と同様、却下ということになりました。

続いて、“二等兵(小4の下の娘)”ですが、剥いたゆで卵に目鼻を付けたような顔立ちのため、白塗りの化粧がとても似合いそうです。年齢からいっても、正に“稚児”の役にうってつけです。

早速、説得にかかりましたが、本人は色気より食い気、「行列に参加すれば、楽しみにしている屋台での“買い食い”ができない!」と、断固拒否の姿勢を示しました。最近、“幼児虐待!”などの言葉を覚え、多用するため、これも仕方なく却下と相成りました。

最後に残ったのが“上等兵(中2の上の娘)”です。私譲りの美貌に加え、中学校では演劇部に所属しています。もっとも、“万年、照明係”で、いまだかって役をもらったことはないとのことです。

しかし、ものは言いよう。オーディション応募用紙に彼女の制服姿の写真を添付し、演技派の美少女を示唆する記述を長々としたため、ポストに投函した私たち夫婦でした。

結果は見事に落選、最低で中学2年生以上という条件があったのに、応募当時は1年生だったからでしょうか。ということで、照姫役には落選したものの、女武者の役で、復活当選と相成ったのでした。

学校帰り、今日も彼女は公民館で行列の“振り付け”の稽古、“吉原のやり手ばあさん”は、その付き添いででかけるようです。皆さんも是非、石神井公園の“照姫まつり”にお越しください。明後日の日曜日です。



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