『★漁業実習船沈没海難、私の旧友の受難!★』[2008年10月09日(木)]
昨夕は事務所を早々に抜け出し、自宅近くの居酒屋で、“思い出酒”に浸っていました。小・中学校をともにした同窓生M君が、病気で亡くなったのです。
51歳、あまりにも早すぎる別れでした。校庭や体育館を陽気に走り回る、M君の元気な姿がまるで昨日のことように私の脳裏に浮かんでは消え、ついつい、深酒をしてしまいました。
小・中学校をともにした同窓生の訃報は、20歳を目前に単車による交通事故で亡くなったH君、幼い子供を残したまま、28歳の若さで不治の病に倒れたKさんに引き続き、今回で三度目です。
しかし、働き盛りで無念の死を遂げた今回のM君のケースは、H君やKさんのケースとはまた違った意味で、いろいろと考えさせられました。
さて、私が“思い出酒”に浸っていた最中、あわや大惨事に発展しかねない、驚きの海難が発生しました。
昨日(10月8日)午後6時45分ごろ、鳥取県・境港市の境港の沖で、島根県教育委員会が所有する漁業実習船“わかしまね」(196総トン)と、”JF(漁業協同組合)しまね“西郷支所(島根県・隠岐の島町)所属の巻網漁船”第22事代(ことしろ)丸“が衝突しました。
その結果、“わかしまね”は45分後の午後7時半ごろ沈没しました。“わかしまね”には島根県立隠岐水産高校の生徒ら計25人が乗っていましたが、2人が軽症を負ったものの、幸いなことに全員が救命ボートに乗り移り、”第22事代(ことしろ)丸“に無事救助されたとのことです。
“わかしまね”は先月29日、生徒らのイカ釣り実習のため出港、水揚げのため境港に戻る途中だったとのことです。また、”第22事代(ことしろ)丸“は巻網漁のため、境港を出港した直後だったとのことです。
どうやら、”第22事代(ことしろ)丸“の船首が、“わかしまね”の右舷に衝突した模様で、衝突後、“わかしまね”は右舷傾斜を増し、右舷から沈没に至ったようです。
”第22事代(ことしろ)丸“は自力航行可能で、救助活動を終えた後、そのまま境港に入港しました。ニュース映像を見る限り、同丸は船首右舷の外板を3〜4メートルにわたって凹損し、甲板上のハンドレールも損傷していました。
境海上保安部は現場海域などで実況見分を行い、衝突時の状況などを調べるとともに、業務上過失往来危険罪の容疑で、双方の関係者から事情聴取する方針と伝えられています。
衝突から沈没までの時間が比較的長く(約45分)救命ボートを利用する時間的余裕があったこと、入港準備のためほとんどの者が救命胴衣を着用し緊張感に満ちたスタンバイ状態であったこと、衝突現場が港からわずか400メートルと近く海域も比較的穏やかだったこと、相手漁船の損傷が比較的小さく航行や救助作業等に差し障りがなかったことなどが幸いしました。まかり間違えば、大惨事となっていても、けっして不思議はありませんでした。
沈没した“わかしまね”は、平素から島根県立隠岐水産高校及び浜田水産高校の漁業や航海・機関乗船実習などに使用されています。事故発生時には、島根県立隠岐水産高校二年の生徒13人、教諭2人、乗組員10人が乗り込んでいました。
隠岐水産高校といえば、奇しくも三年前の昨日(10月8日)、生徒の有志を対象とした講演会の講師として訪れたことがあります。
私はボランティア活動の社会的意義や重要性について、生徒たちに講演しました。また、流出した油の回収技術などをアドバイスしました。
昼休みや休憩時間には、生徒らとともに、魚釣や球技などに興じた思い出が懐かしく蘇りました。実に人懐っこく、かつ、礼儀正しい生徒さんばかりでした。
また、夕刻には近所の公民館の広間を借り揚げ、校長先生をはじめ主な先生方と夕食をともにし、遅くまで楽しく語らいました。生徒のことを第一に考える、実に教育熱心なすばらしい先生ばかりでした。
その後、私は自身が関係した海事関係の報告書などを、隠岐水産高校に毎年寄贈し続けています。私にとって隠岐水産高校は、いわば旧友です。本当に不幸中の幸いでした。胸を撫で下ろしています。

51歳、あまりにも早すぎる別れでした。校庭や体育館を陽気に走り回る、M君の元気な姿がまるで昨日のことように私の脳裏に浮かんでは消え、ついつい、深酒をしてしまいました。
小・中学校をともにした同窓生の訃報は、20歳を目前に単車による交通事故で亡くなったH君、幼い子供を残したまま、28歳の若さで不治の病に倒れたKさんに引き続き、今回で三度目です。
しかし、働き盛りで無念の死を遂げた今回のM君のケースは、H君やKさんのケースとはまた違った意味で、いろいろと考えさせられました。
さて、私が“思い出酒”に浸っていた最中、あわや大惨事に発展しかねない、驚きの海難が発生しました。
昨日(10月8日)午後6時45分ごろ、鳥取県・境港市の境港の沖で、島根県教育委員会が所有する漁業実習船“わかしまね」(196総トン)と、”JF(漁業協同組合)しまね“西郷支所(島根県・隠岐の島町)所属の巻網漁船”第22事代(ことしろ)丸“が衝突しました。
その結果、“わかしまね”は45分後の午後7時半ごろ沈没しました。“わかしまね”には島根県立隠岐水産高校の生徒ら計25人が乗っていましたが、2人が軽症を負ったものの、幸いなことに全員が救命ボートに乗り移り、”第22事代(ことしろ)丸“に無事救助されたとのことです。
“わかしまね”は先月29日、生徒らのイカ釣り実習のため出港、水揚げのため境港に戻る途中だったとのことです。また、”第22事代(ことしろ)丸“は巻網漁のため、境港を出港した直後だったとのことです。
どうやら、”第22事代(ことしろ)丸“の船首が、“わかしまね”の右舷に衝突した模様で、衝突後、“わかしまね”は右舷傾斜を増し、右舷から沈没に至ったようです。
”第22事代(ことしろ)丸“は自力航行可能で、救助活動を終えた後、そのまま境港に入港しました。ニュース映像を見る限り、同丸は船首右舷の外板を3〜4メートルにわたって凹損し、甲板上のハンドレールも損傷していました。
境海上保安部は現場海域などで実況見分を行い、衝突時の状況などを調べるとともに、業務上過失往来危険罪の容疑で、双方の関係者から事情聴取する方針と伝えられています。
衝突から沈没までの時間が比較的長く(約45分)救命ボートを利用する時間的余裕があったこと、入港準備のためほとんどの者が救命胴衣を着用し緊張感に満ちたスタンバイ状態であったこと、衝突現場が港からわずか400メートルと近く海域も比較的穏やかだったこと、相手漁船の損傷が比較的小さく航行や救助作業等に差し障りがなかったことなどが幸いしました。まかり間違えば、大惨事となっていても、けっして不思議はありませんでした。
沈没した“わかしまね”は、平素から島根県立隠岐水産高校及び浜田水産高校の漁業や航海・機関乗船実習などに使用されています。事故発生時には、島根県立隠岐水産高校二年の生徒13人、教諭2人、乗組員10人が乗り込んでいました。
隠岐水産高校といえば、奇しくも三年前の昨日(10月8日)、生徒の有志を対象とした講演会の講師として訪れたことがあります。
私はボランティア活動の社会的意義や重要性について、生徒たちに講演しました。また、流出した油の回収技術などをアドバイスしました。
昼休みや休憩時間には、生徒らとともに、魚釣や球技などに興じた思い出が懐かしく蘇りました。実に人懐っこく、かつ、礼儀正しい生徒さんばかりでした。
また、夕刻には近所の公民館の広間を借り揚げ、校長先生をはじめ主な先生方と夕食をともにし、遅くまで楽しく語らいました。生徒のことを第一に考える、実に教育熱心なすばらしい先生ばかりでした。
その後、私は自身が関係した海事関係の報告書などを、隠岐水産高校に毎年寄贈し続けています。私にとって隠岐水産高校は、いわば旧友です。本当に不幸中の幸いでした。胸を撫で下ろしています。




