『★イージス艦海難、“あたご”が増速?★』[2008年09月18日(木)]
今年2月19日、海上自衛隊のイージス艦“あたご”と、千葉県・新勝浦市漁協所属の漁船“清徳丸”が衝突、親子2人の漁船員が行方不明(後に死亡認定)となった海難の続報です。
この海難の第四回目の審判が昨日(9月17日)、横浜地方海難審判庁で開かれました。審判には“清徳丸”の遼船で、事故当時、同船の後方を航行していた“金平丸”のI船長が証言台に立ちました。
私はてっきり今回の証人尋問は、自身の主張(清徳丸とは衝突の危険はなかった。しかし、清徳丸が右転したことにより、衝突の危険が生じる見合い関係へと移行した。清徳丸側に原因があった。)を証明するため、“あたご”側が要請したのかと思っていました。
しかし、報道によると、“清徳丸”が所属していた新勝浦市漁協(千葉県・勝浦市)が申し出たものだそうです。
I長は「7〜8マイル先から、(左舷前方に、“あたご”と思しき)大型船の灯火が見えていた。大型船は舵を切るのに時間がかかる。そこで、自分たちが避航したほうが早いと考えた。
右に舵を切ったのだが、“あたご”の接近は我々の予想以上に早かった。そこで、次に左に舵を切り直し避けた。
前方には“清徳丸”の船尾灯が見えていた。“清徳丸”は針路の変更はしなかった。」などと当時の状況を説明し、“あたご”側の主張に真っ向から反論したそうです。
さらに、I船長は“あたご”の速力に関し、気になる発言をしました。曰く、「(通常、もっと安全な距離を保って避航しているのだが、それができなかった。)“あたご”のスピードが(思ったより)早く思えた。20ノットぐらいで走っている感じを受けた。」旨を述べたようです。
衝突当時の“あたご”の速力は、10ノット強だったとされています。10ノットという速力は、“あたご”の最大速力の三分の一に相当する超低速です。
理由はおそらく、東京湾への入域を日出後とするため、事故現場となった海域での時間調整だったのでしょう。あるいは、横須賀入港後、遠洋航海を慰労するセレモニーなどが予定されていたのかもしれません。
事故当時、今回証言した“金平丸”、そしてもう一隻の“康栄丸”までも、“あたご”の進行に対し、どういうわけか、文字どおり海上で“右往左往”しています。彼らのGPSに残った航跡記録が、その“慌てふためきぶり”を物語っています。
場合によっては、“あたご”の衝突相手は“清徳丸”ではなく、彼らであっても、決して不思議な状況ではありませんでした。
予想外の高速船の接近であるならば、“読み”違いも、たまにはあるでしょう。しかし、“清徳丸”以外の“金平丸”と“康栄丸”までが、“読み間違い”を起こしているのです。
彼らは“素人”ではありません。相手船の動静把握については、感覚的に身についているはずなのです。もちろん、人間ですからミスはあるでしょう。しかし、揃いも揃って三者“読み間違い”は、単なる偶然として片付けられないかもしれません。
こうした中、I船長の「“あたご”のスピードが(思ったより)早く思えた。20ノットぐらいで走っている感じを受けた。」は極めて印象的な発言です。
私も“あたご”の速力に関しては、疑問を持っています。3月24日の私のブログには、次のように記載されています。
「・・・はたして“あたご”の速力は、衝突の直前、全速後進をかけるまで、本当に10.4ノットのままだったのでしょうか。右舷の漁船団を早くかわす必要性から、一時的にも増速した可能性はないのでしょうか。」
理事官(刑事裁判の検察に相当)の申立書には、“あたご”の速力に関し、以下のように記載されています。
「03時10分航海長は、野島埼灯台から177.5度31.18海里の地点に達したところで、針路を328度に転じ、海潮流の影響を受けて324度の実航針路及び10.6ノットの速力で自動操舵により続航した。」
以下、衝突までの一時間以上、速力に関する記述はなく、「04時07分少し前、野島埼灯台から189.6度22.93海里の地点において、原針路及びほぼ原速力のまま、その艦首部と清徳丸の左舷中央部とが衝突した。」とされています。
すなわち、衝突時に至までの間の“あたご”の速力には触れていません。無論、綿密な証拠調べが行なわれ、増速の事実はなかったと認定し、あえて書かなかったのでしょう。
しかし、今回のI船長の発言は妙に気にかかります。身内を擁護するため、あえて当時の感覚を捏造したとはとても思えません。実際、自分らも右往左往したのですから、たとえ感覚的な問題とはいえ、当時、20ノットに思えたという意識は事実だったのでしょう。

この海難の第四回目の審判が昨日(9月17日)、横浜地方海難審判庁で開かれました。審判には“清徳丸”の遼船で、事故当時、同船の後方を航行していた“金平丸”のI船長が証言台に立ちました。
私はてっきり今回の証人尋問は、自身の主張(清徳丸とは衝突の危険はなかった。しかし、清徳丸が右転したことにより、衝突の危険が生じる見合い関係へと移行した。清徳丸側に原因があった。)を証明するため、“あたご”側が要請したのかと思っていました。
しかし、報道によると、“清徳丸”が所属していた新勝浦市漁協(千葉県・勝浦市)が申し出たものだそうです。
I長は「7〜8マイル先から、(左舷前方に、“あたご”と思しき)大型船の灯火が見えていた。大型船は舵を切るのに時間がかかる。そこで、自分たちが避航したほうが早いと考えた。
右に舵を切ったのだが、“あたご”の接近は我々の予想以上に早かった。そこで、次に左に舵を切り直し避けた。
前方には“清徳丸”の船尾灯が見えていた。“清徳丸”は針路の変更はしなかった。」などと当時の状況を説明し、“あたご”側の主張に真っ向から反論したそうです。
さらに、I船長は“あたご”の速力に関し、気になる発言をしました。曰く、「(通常、もっと安全な距離を保って避航しているのだが、それができなかった。)“あたご”のスピードが(思ったより)早く思えた。20ノットぐらいで走っている感じを受けた。」旨を述べたようです。
衝突当時の“あたご”の速力は、10ノット強だったとされています。10ノットという速力は、“あたご”の最大速力の三分の一に相当する超低速です。
理由はおそらく、東京湾への入域を日出後とするため、事故現場となった海域での時間調整だったのでしょう。あるいは、横須賀入港後、遠洋航海を慰労するセレモニーなどが予定されていたのかもしれません。
事故当時、今回証言した“金平丸”、そしてもう一隻の“康栄丸”までも、“あたご”の進行に対し、どういうわけか、文字どおり海上で“右往左往”しています。彼らのGPSに残った航跡記録が、その“慌てふためきぶり”を物語っています。
場合によっては、“あたご”の衝突相手は“清徳丸”ではなく、彼らであっても、決して不思議な状況ではありませんでした。
予想外の高速船の接近であるならば、“読み”違いも、たまにはあるでしょう。しかし、“清徳丸”以外の“金平丸”と“康栄丸”までが、“読み間違い”を起こしているのです。
彼らは“素人”ではありません。相手船の動静把握については、感覚的に身についているはずなのです。もちろん、人間ですからミスはあるでしょう。しかし、揃いも揃って三者“読み間違い”は、単なる偶然として片付けられないかもしれません。
こうした中、I船長の「“あたご”のスピードが(思ったより)早く思えた。20ノットぐらいで走っている感じを受けた。」は極めて印象的な発言です。
私も“あたご”の速力に関しては、疑問を持っています。3月24日の私のブログには、次のように記載されています。
「・・・はたして“あたご”の速力は、衝突の直前、全速後進をかけるまで、本当に10.4ノットのままだったのでしょうか。右舷の漁船団を早くかわす必要性から、一時的にも増速した可能性はないのでしょうか。」
理事官(刑事裁判の検察に相当)の申立書には、“あたご”の速力に関し、以下のように記載されています。
「03時10分航海長は、野島埼灯台から177.5度31.18海里の地点に達したところで、針路を328度に転じ、海潮流の影響を受けて324度の実航針路及び10.6ノットの速力で自動操舵により続航した。」
以下、衝突までの一時間以上、速力に関する記述はなく、「04時07分少し前、野島埼灯台から189.6度22.93海里の地点において、原針路及びほぼ原速力のまま、その艦首部と清徳丸の左舷中央部とが衝突した。」とされています。
すなわち、衝突時に至までの間の“あたご”の速力には触れていません。無論、綿密な証拠調べが行なわれ、増速の事実はなかったと認定し、あえて書かなかったのでしょう。
しかし、今回のI船長の発言は妙に気にかかります。身内を擁護するため、あえて当時の感覚を捏造したとはとても思えません。実際、自分らも右往左往したのですから、たとえ感覚的な問題とはいえ、当時、20ノットに思えたという意識は事実だったのでしょう。





担当の同窓生Tさんに伺ったとところ、「おまえは、匿名ブログだから!」とのことでた。
名前を出したら、言いたいことの半分も書けません。
あいもかわらず、私のブログは腫れもの扱いです。