『★第58寿和丸転覆海難、海難原因を大胆推測(その12)!★』[2008年08月06日(水)]
6月23日午後、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和(すわ)丸(135トン)”が転覆し後に沈没、死者・行方不明者が出た海難の続報です。
先日のブログでは、“第58寿和丸”の海難原因に関し、考察を進めました。結果、船首右舷部分への何らかの衝撃に伴い、船内に“浸水”し、転覆・沈没に至らしめたであろうと述べました。
また、“第58寿和丸”を“浸水”に至らしめた原因に関しては、船体内部からの衝撃、船体外部からの衝撃、そして、開口部等の破損が考えられるとお伝えしました。
現在までに把握した事故当時の状況を改めて整理してみましょう。それぞれ、信頼に足りる事実関係を羅列し、私なりのコメントを加えてみました。
1)船首右舷寄り部分に対し、二度の衝撃があった。
・・・一部で報じられたような、機関室船底部への突き上げるような衝撃ではなかったと考えられます。
2)最初の衝撃で右舷側に傾斜したが、すぐに止まった。すぐに二度目の衝撃があり、徐々に右舷側に傾斜をはじめ、今度は止まらなかった。
・・・いったん、左舷傾斜し、直後に右舷傾斜したわけではなかったようです。当該衝撃に伴い、船体右舷側への“浸水”が生じ、船体の右舷傾斜を一気に加速せしめたものと思われます。
3)生存者の脱出に際し、船内通路の通行に支障はなかった。後部上甲板に出た際、海水は右舷側のサイドローラー付近(上甲板の端)にまで達していた。
後部上甲板上に置かれた魚網の荷崩れは起きていなかった。右舷側に傾いている後部上甲板上を、左舷側に向って駆け上がった。直後、右舷側に転覆し、左舷側甲板から海面に振り落とされた。避難を始めてから、わずか1〜2分程度のことだった。
・・・通路通行時にはそれほどでもなかった右舷傾斜は、上甲板に至った際には、すでに“第58寿和丸”の復元力を消失させるに足りるまでに達していたようです。
わずか、衝撃を受けてからわずか1〜2分の間に、復元力を消失させるに足りる急激な浸水が右舷船首より部分で発生したものと思われます。
少なくとも、生存者が後部上甲板に飛び出した時点では、その上に置かれた魚網の荷崩れは起きていなかったのですから、右傾斜の原因は漁具の移動ではなく、“浸水”である可能性が高いことを物語っています。
4)生存者が避難する際、通路上で機関長と出くわした。機関長は機関室に入っていった。
・・・生存者が通路を通過した時点では、右舷傾斜はそれほどではなかったことを意味しています。極限状態であるならば、機関長は機関室に戻らず、生存者と一緒に脱出していたもの思われます。
また、機関室船底部への衝撃であるならば、機関の最高責任者である機関長が把握できていないはずありません。
機関長がいったん通路に出て、機関室に戻って行った状況から察するに、機関長は少なくとも機関室への衝撃ではないことを察していたものの、一体、何の衝撃かわからず、とりあえず通路に様子を見に来て、機関室に降りて行ったと考えるべきでしょう。
5)海上に投げ出された生存者は、“第58寿和丸”の船尾から伸ばされたロープにつながれていたレッコボート(作業船)に乗り移った。その際、レッコボートと係留ロープ、第58寿和丸”は一直線上にあった。
・・・転覆時、“第58寿和丸”の船体の船首から前方に伸ばされたパラシュートアンカーも、これらと同様、一直線上にあったことを意味します。
すなわち、パラシュートアンカーは正常に機能していたのです。パラシュートアンカーを先頭に、同アンカーロープ、“第58寿和丸”の船体、船尾係留ロープ、レッコボートの順番にずらりと一直線上に並び、それぞれが船首方向からの波風に正面を向け、立っていた状態だったのです。
少なくとも、転覆する瞬間まで、船の側面から、横波を不用意に受けるような状況下ではなかったことを意味します。
6)転覆・沈没した海域には、“第58寿和丸”のものと思しき重油が海面に浮いていた。
・・・この点に関し、一部の報道は、大量の油と表現した上で、機関室直下の燃料タンクから漏れたためで、潜水艦が機関室を直撃し、燃料タンクを破損させたことを示唆しています。
“第58寿和丸”の船体構造から察するに、たとえ、二重底タンクを打ち破られたとしても、わずか1〜2分間での転覆・沈没には至らないはずです。
百歩譲って、衝撃が二重底タンクをつき抜け、さらに機関室の床を打ち破り、浸水が機関室に達したとしましょう。そうであるならば、機関室は水没し、船体は沈没するかもしれません。
その場合、“第58寿和丸”は船尾方向に向って沈没してゆくはずです。「右舷側に傾いている後部上甲板上を、左舷側に向って駆け上がった。直後、右舷側に転覆し、左舷側甲板から海面に振り落とされた。」とする生存者の証言と噛み合いません。
また、通路にいったんは上がってきた機関長が、急激に水没する状況下の機関室に降りて行ったとは考えにくいことです。
転覆・沈没した海域に浮かんでいた重油は、おそらく“第58寿和丸”のものと考えて間違いないでしょう。ただし、機関室直下の二重底燃料タンクが破損したものではなく、転覆・沈没時にエア抜きなどから噴出したものと推測されます。
あるいは、転覆・沈没時に機関室内の重量物が移動し、機関室内に設置された燃料サービスタンク(二重底タンクから汲み上げた燃料を一時保管するタンク)に激突、それを破壊した結果、機関室内部から海上に流出したものと推測されます。

先日のブログでは、“第58寿和丸”の海難原因に関し、考察を進めました。結果、船首右舷部分への何らかの衝撃に伴い、船内に“浸水”し、転覆・沈没に至らしめたであろうと述べました。
また、“第58寿和丸”を“浸水”に至らしめた原因に関しては、船体内部からの衝撃、船体外部からの衝撃、そして、開口部等の破損が考えられるとお伝えしました。
現在までに把握した事故当時の状況を改めて整理してみましょう。それぞれ、信頼に足りる事実関係を羅列し、私なりのコメントを加えてみました。
1)船首右舷寄り部分に対し、二度の衝撃があった。
・・・一部で報じられたような、機関室船底部への突き上げるような衝撃ではなかったと考えられます。
2)最初の衝撃で右舷側に傾斜したが、すぐに止まった。すぐに二度目の衝撃があり、徐々に右舷側に傾斜をはじめ、今度は止まらなかった。
・・・いったん、左舷傾斜し、直後に右舷傾斜したわけではなかったようです。当該衝撃に伴い、船体右舷側への“浸水”が生じ、船体の右舷傾斜を一気に加速せしめたものと思われます。
3)生存者の脱出に際し、船内通路の通行に支障はなかった。後部上甲板に出た際、海水は右舷側のサイドローラー付近(上甲板の端)にまで達していた。
後部上甲板上に置かれた魚網の荷崩れは起きていなかった。右舷側に傾いている後部上甲板上を、左舷側に向って駆け上がった。直後、右舷側に転覆し、左舷側甲板から海面に振り落とされた。避難を始めてから、わずか1〜2分程度のことだった。
・・・通路通行時にはそれほどでもなかった右舷傾斜は、上甲板に至った際には、すでに“第58寿和丸”の復元力を消失させるに足りるまでに達していたようです。
わずか、衝撃を受けてからわずか1〜2分の間に、復元力を消失させるに足りる急激な浸水が右舷船首より部分で発生したものと思われます。
少なくとも、生存者が後部上甲板に飛び出した時点では、その上に置かれた魚網の荷崩れは起きていなかったのですから、右傾斜の原因は漁具の移動ではなく、“浸水”である可能性が高いことを物語っています。
4)生存者が避難する際、通路上で機関長と出くわした。機関長は機関室に入っていった。
・・・生存者が通路を通過した時点では、右舷傾斜はそれほどではなかったことを意味しています。極限状態であるならば、機関長は機関室に戻らず、生存者と一緒に脱出していたもの思われます。
また、機関室船底部への衝撃であるならば、機関の最高責任者である機関長が把握できていないはずありません。
機関長がいったん通路に出て、機関室に戻って行った状況から察するに、機関長は少なくとも機関室への衝撃ではないことを察していたものの、一体、何の衝撃かわからず、とりあえず通路に様子を見に来て、機関室に降りて行ったと考えるべきでしょう。
5)海上に投げ出された生存者は、“第58寿和丸”の船尾から伸ばされたロープにつながれていたレッコボート(作業船)に乗り移った。その際、レッコボートと係留ロープ、第58寿和丸”は一直線上にあった。
・・・転覆時、“第58寿和丸”の船体の船首から前方に伸ばされたパラシュートアンカーも、これらと同様、一直線上にあったことを意味します。
すなわち、パラシュートアンカーは正常に機能していたのです。パラシュートアンカーを先頭に、同アンカーロープ、“第58寿和丸”の船体、船尾係留ロープ、レッコボートの順番にずらりと一直線上に並び、それぞれが船首方向からの波風に正面を向け、立っていた状態だったのです。
少なくとも、転覆する瞬間まで、船の側面から、横波を不用意に受けるような状況下ではなかったことを意味します。
6)転覆・沈没した海域には、“第58寿和丸”のものと思しき重油が海面に浮いていた。
・・・この点に関し、一部の報道は、大量の油と表現した上で、機関室直下の燃料タンクから漏れたためで、潜水艦が機関室を直撃し、燃料タンクを破損させたことを示唆しています。
“第58寿和丸”の船体構造から察するに、たとえ、二重底タンクを打ち破られたとしても、わずか1〜2分間での転覆・沈没には至らないはずです。
百歩譲って、衝撃が二重底タンクをつき抜け、さらに機関室の床を打ち破り、浸水が機関室に達したとしましょう。そうであるならば、機関室は水没し、船体は沈没するかもしれません。
その場合、“第58寿和丸”は船尾方向に向って沈没してゆくはずです。「右舷側に傾いている後部上甲板上を、左舷側に向って駆け上がった。直後、右舷側に転覆し、左舷側甲板から海面に振り落とされた。」とする生存者の証言と噛み合いません。
また、通路にいったんは上がってきた機関長が、急激に水没する状況下の機関室に降りて行ったとは考えにくいことです。
転覆・沈没した海域に浮かんでいた重油は、おそらく“第58寿和丸”のものと考えて間違いないでしょう。ただし、機関室直下の二重底燃料タンクが破損したものではなく、転覆・沈没時にエア抜きなどから噴出したものと推測されます。
あるいは、転覆・沈没時に機関室内の重量物が移動し、機関室内に設置された燃料サービスタンク(二重底タンクから汲み上げた燃料を一時保管するタンク)に激突、それを破壊した結果、機関室内部から海上に流出したものと推測されます。





昨夜、頂いた情報について、T大学のT教授と二人で遅くまで議論いたしました。
T氏は若い頃、10年間漁船勤務後に学者になった方で、私と意見が合います。