『★海難審判法の“大改悪”とは?★』[2008年07月15日(火)]
間もなく、法改正を経て、海難審判制度の大改革が行なわれようとしています。私に言わせば、“改革”ではなく、明治以来の海事分野における行政“大改悪”の一つとして、歴史に名を残すのではないかと心配しています。
時を遡り明治時代、日清戦争に勝利した日本では、国際的地位が一気に向上したことに伴い、西欧の列強国を模範とした様々な法整備が加速化しました。
海事の世界でも、海難防止を図るための法整備が進められました。すなわち、“海員懲戒法”でした。
つまり、「海難を起こした船員を徹底的に懲らしめてやれば、彼らは深く反省し、同じ過ちを二度と繰り返さないであろう。すなわち、海難防止に寄与することになる。」、これが“海員懲戒法”の趣旨です。皆さんは笑うかもしれませんが、明治時代に制定された法律です。仕方ない話かもしれません。
“海員懲戒法”の時代は、大東亜戦争の終結直後まで続きました。日本海運は戦争により、壊滅的なダメージを蒙りました。多くの優秀な船員が戦死し、また、残された船舶も、そのほとんどが粗雑な“戦時標準船”や老朽船などに限られていました。
しかも、戦争によって航路標識などはことごとく破壊され、海上のいたるところには、機雷などが残されたままでした。せっかく戦争が終わり、日本の復興のために海運に寄せられる期待が高まる中、こうした状況下にあっては、海難はあとを絶ちませんでした。
せっかく戦争を生き残った貴重な船員や船が、次々と海難の餌食になっていったのでした。ちょうど、新憲法が制定されたこともあり、民主主義の世の中にマッチした、新たな海難防止のための法律を整備しようとする機運が高まりました。
そこで、“海員懲戒法”に代わって整備されたのが、“海難審判法”なのです。海難審判法の第一条には、「この法律は、海難審判庁の審判によつて海難の原因を明らかにし、以てその発生の防止に寄与することを目的とする」と記されています。
すなわち、海難の再発を防止するため、海難審判を通じ、その発生原因を徹底的に究明しようというのがこの法律の趣旨なのです。
「悪いことをした船員を懲らしめればよい。」とする明治時代の法律が、もろくも崩壊したのでした。「海難の再発を防止するには、個人の責任追及ではなく、原因の究明である。」 今の時代でも、航空機事故等の分野では、責任追及型の再発防止策から原因追求型の再発防止策に切り替わっていることは、万人が知るところです。海事の世界では大東亜戦争の直後、新憲法の制定とほぼ同時にこうした斬新な発想が取り入れられたのでした。
大学時代、“海難審判法”について学んだ私は感動を覚えました。「さすが、国際感覚豊かな海の世界では、戦後民主主義の発想を、海難防止の分野にいち早く取り入れたのだな。」と納得しました。
無論、海難審判は行政審判ですから、最終的には船員に対する海技免状の停止などの行政処分が伴います。しかし、行政処分が目的ではなく、明らかにされた原因に見合った行政処分が関係者に課されるわけです。
海難審判を傍聴した人は知ってのとおり、行政処分をどうするかの審議は、仮に全体を3時間とした場合、ほんの数分なのです。
ほとんどの審議が、理事官(刑事裁判の検察に相当)と補佐人(刑事裁判の弁護人に相当)が互いに証拠を出し合い、それぞれの原因究明のための主張に費やされるのです。
たまには、腑に落ちない審判が下されることもあります。しかし、それは例外であり、ほとんどの審判では、論理的かつ科学的な原因究明がなされています。私は日本の海難審判制度を心から誇りに思っています。
今般、海難審判法が“改正”されようとしています。もっとも、私にとっては“改悪”ですが、第一条“目的”には、おおむね次のようなことが書かれています。
「この法律は、職務上の故意又は過失によって海難を発生させた海技士等の懲戒を行うため、海難審判所における審判の手続き等を定め、もって海難の発生の防止に寄与することを目的とする。」
端的に言うと「船員を懲戒し、海難の再発防止を行なう。」ということなのです。言うまでもなく、日清戦争の時代に逆戻りしたのです。これを“改悪”と言わずして、何と言うべきなのでしょうか。
この続きはいずれまた・・・。

時を遡り明治時代、日清戦争に勝利した日本では、国際的地位が一気に向上したことに伴い、西欧の列強国を模範とした様々な法整備が加速化しました。
海事の世界でも、海難防止を図るための法整備が進められました。すなわち、“海員懲戒法”でした。
つまり、「海難を起こした船員を徹底的に懲らしめてやれば、彼らは深く反省し、同じ過ちを二度と繰り返さないであろう。すなわち、海難防止に寄与することになる。」、これが“海員懲戒法”の趣旨です。皆さんは笑うかもしれませんが、明治時代に制定された法律です。仕方ない話かもしれません。
“海員懲戒法”の時代は、大東亜戦争の終結直後まで続きました。日本海運は戦争により、壊滅的なダメージを蒙りました。多くの優秀な船員が戦死し、また、残された船舶も、そのほとんどが粗雑な“戦時標準船”や老朽船などに限られていました。
しかも、戦争によって航路標識などはことごとく破壊され、海上のいたるところには、機雷などが残されたままでした。せっかく戦争が終わり、日本の復興のために海運に寄せられる期待が高まる中、こうした状況下にあっては、海難はあとを絶ちませんでした。
せっかく戦争を生き残った貴重な船員や船が、次々と海難の餌食になっていったのでした。ちょうど、新憲法が制定されたこともあり、民主主義の世の中にマッチした、新たな海難防止のための法律を整備しようとする機運が高まりました。
そこで、“海員懲戒法”に代わって整備されたのが、“海難審判法”なのです。海難審判法の第一条には、「この法律は、海難審判庁の審判によつて海難の原因を明らかにし、以てその発生の防止に寄与することを目的とする」と記されています。
すなわち、海難の再発を防止するため、海難審判を通じ、その発生原因を徹底的に究明しようというのがこの法律の趣旨なのです。
「悪いことをした船員を懲らしめればよい。」とする明治時代の法律が、もろくも崩壊したのでした。「海難の再発を防止するには、個人の責任追及ではなく、原因の究明である。」 今の時代でも、航空機事故等の分野では、責任追及型の再発防止策から原因追求型の再発防止策に切り替わっていることは、万人が知るところです。海事の世界では大東亜戦争の直後、新憲法の制定とほぼ同時にこうした斬新な発想が取り入れられたのでした。
大学時代、“海難審判法”について学んだ私は感動を覚えました。「さすが、国際感覚豊かな海の世界では、戦後民主主義の発想を、海難防止の分野にいち早く取り入れたのだな。」と納得しました。
無論、海難審判は行政審判ですから、最終的には船員に対する海技免状の停止などの行政処分が伴います。しかし、行政処分が目的ではなく、明らかにされた原因に見合った行政処分が関係者に課されるわけです。
海難審判を傍聴した人は知ってのとおり、行政処分をどうするかの審議は、仮に全体を3時間とした場合、ほんの数分なのです。
ほとんどの審議が、理事官(刑事裁判の検察に相当)と補佐人(刑事裁判の弁護人に相当)が互いに証拠を出し合い、それぞれの原因究明のための主張に費やされるのです。
たまには、腑に落ちない審判が下されることもあります。しかし、それは例外であり、ほとんどの審判では、論理的かつ科学的な原因究明がなされています。私は日本の海難審判制度を心から誇りに思っています。
今般、海難審判法が“改正”されようとしています。もっとも、私にとっては“改悪”ですが、第一条“目的”には、おおむね次のようなことが書かれています。
「この法律は、職務上の故意又は過失によって海難を発生させた海技士等の懲戒を行うため、海難審判所における審判の手続き等を定め、もって海難の発生の防止に寄与することを目的とする。」
端的に言うと「船員を懲戒し、海難の再発防止を行なう。」ということなのです。言うまでもなく、日清戦争の時代に逆戻りしたのです。これを“改悪”と言わずして、何と言うべきなのでしょうか。
この続きはいずれまた・・・。




