『★第58寿和丸転覆海難、海難原因を大胆推測(その5)!★』[2008年07月11日(金)]
6月23日午後、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和(すわ)丸(135トン)”が転覆し後に沈没、死者・行方不明者が出ている海難の続報です。
この事故では3人の方が救助されたものの、4人の方が死亡、残り13人の方はいまだ行方不明のままです。
海上保安庁による捜索に引き続き、遼船による専従捜索も、先週末(7月5日)をもって終了しました。船体は約5,000メートルの深海底に沈んでいるものと見られ、今後、事故原因の究明は発見された遺留品、生存者や付近にいた遼船の証言などに限定され、困難を極めることが予想されます。
事故原因に関する専門家の推論も、が“三角波(複数の異なる方向からの波どうしがぶつかり、鋸の歯のような形状の、垂直方向に破壊力の大きな波ができる現象)”説のほか、 “フリーク波(外洋で突発的に現われる巨大波浪現象)”説などがあります。
さらに、私が唱えてきたシーアンカー(パラシュートアンカー)の損傷・離脱説や漁具の移動、甲板上の開口部からの海水侵入説など、多方面に及んでいます。
最近では潜水艦との衝突という珍説まであるようです。1982年(昭和57年)1月6日、ベーリング海で発生した遠洋底引き網漁船の“第二十八あけぼの丸(549.64総トン)”の沈没海難の際にも、「あけぼの丸の魚網を潜水艦が引っ掛けたためだ。」とする珍説が流れた記憶があります。
いずれにせよ、この中のいくつかの要素が複合した可能性が高く、どの説が正しいのか、どの説が主たる原因なのかは一概には言い切れないはずです。
今後行なわれる海難審判では、もっとも可能性が高い原因が導き出されるのでしょう。しかし、船体は深海底に沈み、大海原で起きた突発的な出来事で目撃者もなく、3人の生存者も命からがら脱出した状況では、これが真相であるとは断定は困難なはずです。
真相は神様と海底に静かに眠っている“第58寿和丸”だけが知っているということなのでしょう。船体の発見とその調査には、膨大な手間隙と巨額の経費がかかるため、実施の可能性は薄いものと思われます。
仮に主たる原因が、突発的に発生した巨大波とした場合、“第58寿和丸”が遭遇した波はどれほどの大きさだったのでしょうか。
さて、巨大波といえば、私が過去に目撃した最大の巨大波は、ハリウッド映画に登場したものです。
映画“ポセイドンアドベンチャー”や“パーフェクトスト−ム”に登場した巨大波は、映像上で船体の大きさと比べて判断するに、優に70メートルを超えていたように思えます。
無論、映画ですから、ここまで大きな波は実際にはまずあり得ないとしても、冬季の北太平洋などでは有義波高20メートル、一発大波が50メートルに達することも十分あり得る話です。
以前のブログでも紹介しましたが、今から約20年前、私は北米定期コンテナ船の三等航海士としてS丸に乗船、カナダのシアトル港から横浜港に向かう、北太平洋航海中の出来事でした。
折からの台風並み、いやそれ以上に発達した低気圧の影響で、付近海域は稀に見る暴風に見舞われました。最大瞬間風速は30メートルに達し、また、有義波高も17、8メートルに達していたと覚えています。船員生活の中、恐怖心を抱いたのは、後にも先にもその時だけでした。
夜の8時から12時までの航海当直に立ち、レーダーを覗いていると、西方から北米方面に向かう一隻の反航船の映像を捉えました。
めったに、船と行き逢うことのない海域です。また、同じく荒天に耐えている船に接し、安堵感を求める気持ちもあり、私は約1キロメートルの距離ですれ違うこととし、近づいてゆきました。
反航船も同じ気持ちだったのでしょう。徐々に近づいてきました。やがて、大波に大船が翻弄される様子を目視するに至りました。まるで、昔の円谷映画の特撮シーンのようでした。今でも、はっきりと覚えています。
お互いに双眼鏡で目視し合いながら、VHF電話で交信し、相手の当直者としばらくの間、気象・海象について、情報交換を行いました。
最後に、互いに荒天下での今後の健闘を称え合い、航海の安全を祈り合い、惜しみながらも受話器を置きました。
私は正直、彼との交信によって、とても勇気がわきました。この荒天下、他にもがんばっている航海士がいたからです。相手の韓国人航海士も、はじめは不安そうな声でしたが、話が弾むと緊張感が解け、別れ際の声は晴れ晴れとしていました。
船の名前は、“ハンジン・インチョン号”。それから、数日後のことでした。“ハンジン・インチョン号”遭難の悲報に触れたのは。
同号は荒天下の北太平洋で、突然消息を絶ち、その後も行方不明のままです。後日、同号の救命ブイ一つが流れているのを、他の船が発見したと聞いています。
おそらく、“ハンジン・インチョン号”は40メートルを超える一発大波の直撃を受けたに違いありません。私たちの船はたまたま運が良かったのでしょう。
この救命ブイ以外、“ハンジン・インチョン号”の遭難を示す手がかりは、今に至るもまったくないと聞いています。

この事故では3人の方が救助されたものの、4人の方が死亡、残り13人の方はいまだ行方不明のままです。
海上保安庁による捜索に引き続き、遼船による専従捜索も、先週末(7月5日)をもって終了しました。船体は約5,000メートルの深海底に沈んでいるものと見られ、今後、事故原因の究明は発見された遺留品、生存者や付近にいた遼船の証言などに限定され、困難を極めることが予想されます。
事故原因に関する専門家の推論も、が“三角波(複数の異なる方向からの波どうしがぶつかり、鋸の歯のような形状の、垂直方向に破壊力の大きな波ができる現象)”説のほか、 “フリーク波(外洋で突発的に現われる巨大波浪現象)”説などがあります。
さらに、私が唱えてきたシーアンカー(パラシュートアンカー)の損傷・離脱説や漁具の移動、甲板上の開口部からの海水侵入説など、多方面に及んでいます。
最近では潜水艦との衝突という珍説まであるようです。1982年(昭和57年)1月6日、ベーリング海で発生した遠洋底引き網漁船の“第二十八あけぼの丸(549.64総トン)”の沈没海難の際にも、「あけぼの丸の魚網を潜水艦が引っ掛けたためだ。」とする珍説が流れた記憶があります。
いずれにせよ、この中のいくつかの要素が複合した可能性が高く、どの説が正しいのか、どの説が主たる原因なのかは一概には言い切れないはずです。
今後行なわれる海難審判では、もっとも可能性が高い原因が導き出されるのでしょう。しかし、船体は深海底に沈み、大海原で起きた突発的な出来事で目撃者もなく、3人の生存者も命からがら脱出した状況では、これが真相であるとは断定は困難なはずです。
真相は神様と海底に静かに眠っている“第58寿和丸”だけが知っているということなのでしょう。船体の発見とその調査には、膨大な手間隙と巨額の経費がかかるため、実施の可能性は薄いものと思われます。
仮に主たる原因が、突発的に発生した巨大波とした場合、“第58寿和丸”が遭遇した波はどれほどの大きさだったのでしょうか。
さて、巨大波といえば、私が過去に目撃した最大の巨大波は、ハリウッド映画に登場したものです。
映画“ポセイドンアドベンチャー”や“パーフェクトスト−ム”に登場した巨大波は、映像上で船体の大きさと比べて判断するに、優に70メートルを超えていたように思えます。
無論、映画ですから、ここまで大きな波は実際にはまずあり得ないとしても、冬季の北太平洋などでは有義波高20メートル、一発大波が50メートルに達することも十分あり得る話です。
以前のブログでも紹介しましたが、今から約20年前、私は北米定期コンテナ船の三等航海士としてS丸に乗船、カナダのシアトル港から横浜港に向かう、北太平洋航海中の出来事でした。
折からの台風並み、いやそれ以上に発達した低気圧の影響で、付近海域は稀に見る暴風に見舞われました。最大瞬間風速は30メートルに達し、また、有義波高も17、8メートルに達していたと覚えています。船員生活の中、恐怖心を抱いたのは、後にも先にもその時だけでした。
夜の8時から12時までの航海当直に立ち、レーダーを覗いていると、西方から北米方面に向かう一隻の反航船の映像を捉えました。
めったに、船と行き逢うことのない海域です。また、同じく荒天に耐えている船に接し、安堵感を求める気持ちもあり、私は約1キロメートルの距離ですれ違うこととし、近づいてゆきました。
反航船も同じ気持ちだったのでしょう。徐々に近づいてきました。やがて、大波に大船が翻弄される様子を目視するに至りました。まるで、昔の円谷映画の特撮シーンのようでした。今でも、はっきりと覚えています。
お互いに双眼鏡で目視し合いながら、VHF電話で交信し、相手の当直者としばらくの間、気象・海象について、情報交換を行いました。
最後に、互いに荒天下での今後の健闘を称え合い、航海の安全を祈り合い、惜しみながらも受話器を置きました。
私は正直、彼との交信によって、とても勇気がわきました。この荒天下、他にもがんばっている航海士がいたからです。相手の韓国人航海士も、はじめは不安そうな声でしたが、話が弾むと緊張感が解け、別れ際の声は晴れ晴れとしていました。
船の名前は、“ハンジン・インチョン号”。それから、数日後のことでした。“ハンジン・インチョン号”遭難の悲報に触れたのは。
同号は荒天下の北太平洋で、突然消息を絶ち、その後も行方不明のままです。後日、同号の救命ブイ一つが流れているのを、他の船が発見したと聞いています。
おそらく、“ハンジン・インチョン号”は40メートルを超える一発大波の直撃を受けたに違いありません。私たちの船はたまたま運が良かったのでしょう。
この救命ブイ以外、“ハンジン・インチョン号”の遭難を示す手がかりは、今に至るもまったくないと聞いています。





私も今朝気が付き、驚きました。理事所が現時点で記者に話した(?)ことに対してです。
”潜水艦”という言葉は登場していませんが、記事内容はそれを完全に示唆していますね。
船底衝撃云々の話は、海事専門家の間でも”噂”になっていました。
”AERA”の記事を書かれた評論家の方も、そのあたりをご存じで、ご自身の専門の立場で潜水艦説を唱えられたのだと推察いたします。
我々としては、すべての説を科学的根拠を基に根気よくつぶす、もしくは沈没船調査が実施されない限り、正面から取り上げにくいのが現状です。
右舷燃料タンク等の破損によって、果たして今回のような転覆・沈没に至るのかを含め、慎重に検証する必要があると思います。