『★第58寿和丸転覆海難、海難原因を大胆推測!★』[2008年07月02日(水)]
6月23日午後、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和(すわ)丸(135トン)”が転覆し後に沈没、死者・行方不明者が出ている海難の続報です。
この事故では3人の方が救助されたものの、4人の方が死亡、残り13人の方はいまだ行方不明のままです。
海上保安庁の巡視船・航空機、遼船による懸命の捜索活動が続けられていましたが、一昨日(6月30日)、第二管区海上保安本部(宮城県・塩釜市)は、捜索を打ち切り、対策本部を解散しました。
事故からすでに一週間が経過し行方不明者の生存は絶望的なこと、船体が水深約5000メートルの深海底に沈んでいる可能性が高いこと、捜索範囲がますます拡大していること、これ以上の新たな遺留品等の発見は極めて困難であることなどが主な理由です。
一方、諦め切れないのが第58寿和丸の遼船です。規模はひところに比べ大幅に縮小し、2隻体制とはなったものの、本日(7月2日)から遼船による捜索活動が再開される見通しです。
報道によれば、小名浜機船底曳網漁協の担当者は、「海上保安庁の捜索打ち切りは残念であるが、必ず行方不明者につながる手掛かりを発見したい。」と話しているそうです。
今回の海上保安庁の捜索打ち切りのタイミングを捉え、今回の事故に関し、横浜地方海難審判理事所(神奈川県・横浜市)は重大海難事件に指定することを決定しました。
今後この海難は刑事事件としての可能性を視野に海上保安庁が調査し、また、海難の発生原因の追究について海難審判が行なわれることとなります。
今回の事故の原因については、発生当初から多くの報道や海事関係者が“三角波(複数の異なる方向からの波どうしがぶつかり、鋸の歯のような形状の、垂直方向に破壊力の大きな波ができる現象)”説を唱えてきました。
また、最近では、“フリーク波(外洋で突発的に現われる巨大波浪現象)”の可能性を指摘する声も聞こえています。
本ブログの愛読者の皆さんは既にご承知のとおり、私ははじめから三角波やフリーク波ありきではなく、シーアンカー(パラシュートアンカー)の離脱や漁具の移動など、あらゆる可能性を考えることが肝要と伝えてきました。
昨日(7月1日)のY新聞は、第58寿和丸に積まれた魚網が固定されずに移動した可能性を指摘していました。すなわち、専門家の話として、高波を受けて同船が右に傾いた際、水分を含んだ重い網が右舷側に流れ、傾斜を増長させた可能性があるとしています。
巻き網漁業用の魚網の乾燥重量は約40トンとのことですが、使用直後にあっては大量の水分を含み、また、海洋漂着ゴミなどが巻き込まれ、その重さは倍以上になります。
総トン数135トンの比較的大型の漁船と言えども、最大100トン近い重量に変貌する魚網は、船の安定性を大きく左右する重量物以外の何ものでもありません。
無論、こうした重量物が動揺によって移動しないよう、甲板上の指定された沖場所に、しっかりと固縛しておくことがベストの荒天準備です。しかし、荒天が過ぎ去ったならば、ただちに漁が再開できるよう、固縛を怠っているケースもしばしば見受けられ、時に海難へと発展しています。
事実、第58寿和丸を所有する漁業会社S商店のN社長は、一昨日(6月30日)の記者会見で、「すぐに網を展張するためには、よほどひどい時化(しけ)の時以外は固縛しないのが普通である。第58寿和丸も“大丈夫だ”と判断し、固縛していなかった可能性もある。」と語ったそうです。
三角波にしろ、フリーク波にしろ、大きな波を受けて大傾斜したところに、甲板上の重量物が傾斜方向に移動すれば、かなり壊滅的なさらなる傾斜の増長原因となり、復元力の消失に至ることが容易に予想されます。
加えて、燃料高騰の煽りを受けて、燃料タンクに燃料が満載されていないような状況であったとしたら、自由水影響も介在した可能性があります。
自由水影響とは、タンク内などに存在する流動性のある液体が、船体の傾きによって低位に流れ、さらに復原力を失わせる現象のことを言います。
燃料タンク内が燃料で満たされていれば、自由水影響は起こり得ません。しかし、タンク内の燃料が自由に動き回れるような液量である場合、自由水影響もさらなる傾斜の増長原因となり得ます。
加えて、仮に甲板上のどこかの開口部が閉じられずに開いていたとしたら、これは間違いなく致命的な要素です。
1982年(昭和57年)1月6日、ベーリング海で発生した遠洋底引き網漁船の“第二十八あけぼの丸(549.64総トン)”の沈没海難も、1986年(昭和61年)6月16日、福島県沖で発生した海洋調査船“へりおす(50総トン)”の沈没海難も、甲板上の開口部が閉じられていなかったことが致命的要因と推定されています。
その他、第58寿和丸が事故当時、シーアンカー(別名パラアンカー)を投入し、船首は風上の方向を常に向き続け、船体は波風に対して平行な姿勢を保っていたはずなのに、なぜ、二度も続けて横波に遭遇したかも重要なポイントです。
昨日のブログでお伝えしたとおり、第58寿和丸が転覆する約1時間半前の6月23日正午ごろ、事故現場の北約10キロの地点にいた遼船の乗組員が、「前方から大きな波を2回受け、衝撃を感じた」と話していたことが報じられています。
多くの皆さんは、「遼船も同じような大波を受けたのか。」と思ったことでしょう。しかし、私は違った見方をしています。
遼船は前方から大波を受けているのです。つまり、遼船のシーアンカー(別名パラアンカー)は正常に機能していたのです。そのため、時化(しけ)を乗り越えられたのです。
一方、第58寿和丸は横方向から大波を受けたのです。すなわち、シーアンカー(別名パラアンカー)は正常に機能していなかったのです。転覆前、すでに波に対し自船の腹を見せる状態だったのです。
その原因こそ、今回の事故の原因を解く鍵です。私はシーアンカー(別名パラアンカー)の離脱又は破損が原因と見ています。
第58寿和丸は完全にエンジンを停止させ、シーアンカーに態勢を委ねていたとされています。エンジンを切っていたのは、おそらく燃料の節約のためでしょう。また、推測ですが、第58寿和丸の操舵室内には当直員がいなかったのではないでしょうか。間もなく再開される漁に備え、シーアンカーに命を託し、休んでいたのではないでしょうか。
こうした状態でもし、何かの理由でシーアンカーのロープが外れた場合、安定していた船体の姿勢はただちに崩れ、波風を真横から受ける、最悪の態勢へと陥ります。
すぐさま、エンジンを使って舵を操り、船体を立て直す必要がありますが、エンジンを切ったまま、ほとんどの乗組員が仮眠中の場合、迅速な対応が間に合わないのです。

この事故では3人の方が救助されたものの、4人の方が死亡、残り13人の方はいまだ行方不明のままです。
海上保安庁の巡視船・航空機、遼船による懸命の捜索活動が続けられていましたが、一昨日(6月30日)、第二管区海上保安本部(宮城県・塩釜市)は、捜索を打ち切り、対策本部を解散しました。
事故からすでに一週間が経過し行方不明者の生存は絶望的なこと、船体が水深約5000メートルの深海底に沈んでいる可能性が高いこと、捜索範囲がますます拡大していること、これ以上の新たな遺留品等の発見は極めて困難であることなどが主な理由です。
一方、諦め切れないのが第58寿和丸の遼船です。規模はひところに比べ大幅に縮小し、2隻体制とはなったものの、本日(7月2日)から遼船による捜索活動が再開される見通しです。
報道によれば、小名浜機船底曳網漁協の担当者は、「海上保安庁の捜索打ち切りは残念であるが、必ず行方不明者につながる手掛かりを発見したい。」と話しているそうです。
今回の海上保安庁の捜索打ち切りのタイミングを捉え、今回の事故に関し、横浜地方海難審判理事所(神奈川県・横浜市)は重大海難事件に指定することを決定しました。
今後この海難は刑事事件としての可能性を視野に海上保安庁が調査し、また、海難の発生原因の追究について海難審判が行なわれることとなります。
今回の事故の原因については、発生当初から多くの報道や海事関係者が“三角波(複数の異なる方向からの波どうしがぶつかり、鋸の歯のような形状の、垂直方向に破壊力の大きな波ができる現象)”説を唱えてきました。
また、最近では、“フリーク波(外洋で突発的に現われる巨大波浪現象)”の可能性を指摘する声も聞こえています。
本ブログの愛読者の皆さんは既にご承知のとおり、私ははじめから三角波やフリーク波ありきではなく、シーアンカー(パラシュートアンカー)の離脱や漁具の移動など、あらゆる可能性を考えることが肝要と伝えてきました。
昨日(7月1日)のY新聞は、第58寿和丸に積まれた魚網が固定されずに移動した可能性を指摘していました。すなわち、専門家の話として、高波を受けて同船が右に傾いた際、水分を含んだ重い網が右舷側に流れ、傾斜を増長させた可能性があるとしています。
巻き網漁業用の魚網の乾燥重量は約40トンとのことですが、使用直後にあっては大量の水分を含み、また、海洋漂着ゴミなどが巻き込まれ、その重さは倍以上になります。
総トン数135トンの比較的大型の漁船と言えども、最大100トン近い重量に変貌する魚網は、船の安定性を大きく左右する重量物以外の何ものでもありません。
無論、こうした重量物が動揺によって移動しないよう、甲板上の指定された沖場所に、しっかりと固縛しておくことがベストの荒天準備です。しかし、荒天が過ぎ去ったならば、ただちに漁が再開できるよう、固縛を怠っているケースもしばしば見受けられ、時に海難へと発展しています。
事実、第58寿和丸を所有する漁業会社S商店のN社長は、一昨日(6月30日)の記者会見で、「すぐに網を展張するためには、よほどひどい時化(しけ)の時以外は固縛しないのが普通である。第58寿和丸も“大丈夫だ”と判断し、固縛していなかった可能性もある。」と語ったそうです。
三角波にしろ、フリーク波にしろ、大きな波を受けて大傾斜したところに、甲板上の重量物が傾斜方向に移動すれば、かなり壊滅的なさらなる傾斜の増長原因となり、復元力の消失に至ることが容易に予想されます。
加えて、燃料高騰の煽りを受けて、燃料タンクに燃料が満載されていないような状況であったとしたら、自由水影響も介在した可能性があります。
自由水影響とは、タンク内などに存在する流動性のある液体が、船体の傾きによって低位に流れ、さらに復原力を失わせる現象のことを言います。
燃料タンク内が燃料で満たされていれば、自由水影響は起こり得ません。しかし、タンク内の燃料が自由に動き回れるような液量である場合、自由水影響もさらなる傾斜の増長原因となり得ます。
加えて、仮に甲板上のどこかの開口部が閉じられずに開いていたとしたら、これは間違いなく致命的な要素です。
1982年(昭和57年)1月6日、ベーリング海で発生した遠洋底引き網漁船の“第二十八あけぼの丸(549.64総トン)”の沈没海難も、1986年(昭和61年)6月16日、福島県沖で発生した海洋調査船“へりおす(50総トン)”の沈没海難も、甲板上の開口部が閉じられていなかったことが致命的要因と推定されています。
その他、第58寿和丸が事故当時、シーアンカー(別名パラアンカー)を投入し、船首は風上の方向を常に向き続け、船体は波風に対して平行な姿勢を保っていたはずなのに、なぜ、二度も続けて横波に遭遇したかも重要なポイントです。
昨日のブログでお伝えしたとおり、第58寿和丸が転覆する約1時間半前の6月23日正午ごろ、事故現場の北約10キロの地点にいた遼船の乗組員が、「前方から大きな波を2回受け、衝撃を感じた」と話していたことが報じられています。
多くの皆さんは、「遼船も同じような大波を受けたのか。」と思ったことでしょう。しかし、私は違った見方をしています。
遼船は前方から大波を受けているのです。つまり、遼船のシーアンカー(別名パラアンカー)は正常に機能していたのです。そのため、時化(しけ)を乗り越えられたのです。
一方、第58寿和丸は横方向から大波を受けたのです。すなわち、シーアンカー(別名パラアンカー)は正常に機能していなかったのです。転覆前、すでに波に対し自船の腹を見せる状態だったのです。
その原因こそ、今回の事故の原因を解く鍵です。私はシーアンカー(別名パラアンカー)の離脱又は破損が原因と見ています。
第58寿和丸は完全にエンジンを停止させ、シーアンカーに態勢を委ねていたとされています。エンジンを切っていたのは、おそらく燃料の節約のためでしょう。また、推測ですが、第58寿和丸の操舵室内には当直員がいなかったのではないでしょうか。間もなく再開される漁に備え、シーアンカーに命を託し、休んでいたのではないでしょうか。
こうした状態でもし、何かの理由でシーアンカーのロープが外れた場合、安定していた船体の姿勢はただちに崩れ、波風を真横から受ける、最悪の態勢へと陥ります。
すぐさま、エンジンを使って舵を操り、船体を立て直す必要がありますが、エンジンを切ったまま、ほとんどの乗組員が仮眠中の場合、迅速な対応が間に合わないのです。





海面に浮遊していたロープはオレンジ色でした。
言うまでもなく、オレンジ色は救命色です。
私の知る限り、シーアンカーのロープは通常、オレンジ色に塗装されていることが多いのではないでしょうか。