『★漁船転覆海難、仏壇返しだったのか?★』[2008年06月27日(金)]
6月23日午後、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和(すわ)丸(135トン)”が転覆し後に沈没、死者・行方不明者が出ている海難の続報です。
残り13人の方はいまだ行方不明のままで、海上保安庁の巡視船・航空機、遼船による懸命の捜索活動が今も続いています。
今回の事故で、生還を果たした3人は、転覆時、船体後方にロープでつながれていた作業艇を発見、それに乗り込み、九死に一生を得ました。
昨日(6月26日)、その作業艇が僚船に曳航され、小名浜港へ戻ってきました。私はせいぜい船外機付きの”伝馬船“かと思っていましたが、長さ約10メート、幅約5メートルもある、頑丈そうな立派な船でした。
外見上、損傷箇所は見受けられず、“主(あるじ)”たる多くの乗組員を現場海域に残したまま、無人で帰港した姿を見た行方不明者の家族らの無念は、察するに余りあるところでした。
さて、第58寿和丸の転覆時の状況ですが、船首右方向から襲ってきた横波を受けて船体が左舷に傾斜、そのわずか数秒後、再び同じ方向から襲ってきた二回目の横波でさらに大傾斜し転覆に至ったとされています。
したがって、私を含め多くの専門家は、右方向から連続して来襲した二回の波により、左舷側に転覆したものと理解していました。
しかしながら、昨日(6月26日)の福島海上保安部の発表によると、そうではないとのことです。
曰く、「右舷からの一回目の波で大きく左に傾いた。その後、復元力が働き、逆の右舷側に大きく“揺り戻った”。次いで、二回目の波が襲って海水が右舷側に入り、右舷側に転覆した。」との見解を示したのです。
おそらく生還した3人の証言から導いた見解なのでしょう。しかし、私を含めた多くの専門家は、可能性としては否定できないものの、かなりレアなケースのような気がします。
私は、“揺り戻し”なる言葉にノスタルジーを感じます。昭和30年代に活躍した第45代横綱、先々代の若乃花の全盛期の得意技が“揺り戻し(又は呼び戻し)”でした。
若乃花は相手に右を差し、左から投げを打つと見せかけて、相手が自身の右手に体重を掛けたところを見計らい、丸太棒のような右手を急激に突き出します。その反動で相手は、左後方の土俵に向って、頭からほぼ逆さまに、仰向けに倒れるという荒業です。
腕力によほど優れていないと滅多に決まらない大技で、別名、“仏壇返し(ぶつだんがえし)”とも言われています。海難事故の世界でも、“揺り戻し”が決まることはレアなケースです。
多くの報道は、以前、これらの波の正体を三角波と指摘しています。三角波とは、複数の異なる方向からの波どうしがぶつかり、鋸の歯のような形状の、垂直方向に破壊力の大きな波ができる現象を言います。
台風や発達した低気圧が通過する際など、三角波は確かに海域の海象・気象次第で、突発的に発生する可能性があり、今回の事故原因の一つの可能性として着目する必要があります。
しかし、本ブログで指摘しているとおり、はじめから三角波ありきではなく、シーアンカー(パラシュートアンカー)の離脱や漁具の移動など、あらゆる可能性を考えることが肝要です。
また、第58寿和丸を含む巻き網漁船船団が、低気圧を避けるにあたり、港に帰ることをせず、シーアンカーを用いた現場海域での荒天避泊を選択した判断に、疑問を投げかける声も挙がっています。
第58寿和丸を所有するS商店(福島県・いわき市)のN社長は「(シーアンカーを用いた現場海域での荒天避泊は、)、水深が深い海域で荒天を乗り切る一般的な対応だ」と反論しているそうです。
事故現場海域付近において、同じ方法で荒天避泊を行なっていた遼船も、第58寿和丸と同様、三角波に襲われ遭難しかけた、あるいは三角波を確認したというならばまだしも、そのような情報は今のところ入ってきません。
同船だけが遭難した固有の要素、それが何であるか、慎重に見極める必要があります。

残り13人の方はいまだ行方不明のままで、海上保安庁の巡視船・航空機、遼船による懸命の捜索活動が今も続いています。
今回の事故で、生還を果たした3人は、転覆時、船体後方にロープでつながれていた作業艇を発見、それに乗り込み、九死に一生を得ました。
昨日(6月26日)、その作業艇が僚船に曳航され、小名浜港へ戻ってきました。私はせいぜい船外機付きの”伝馬船“かと思っていましたが、長さ約10メート、幅約5メートルもある、頑丈そうな立派な船でした。
外見上、損傷箇所は見受けられず、“主(あるじ)”たる多くの乗組員を現場海域に残したまま、無人で帰港した姿を見た行方不明者の家族らの無念は、察するに余りあるところでした。
さて、第58寿和丸の転覆時の状況ですが、船首右方向から襲ってきた横波を受けて船体が左舷に傾斜、そのわずか数秒後、再び同じ方向から襲ってきた二回目の横波でさらに大傾斜し転覆に至ったとされています。
したがって、私を含め多くの専門家は、右方向から連続して来襲した二回の波により、左舷側に転覆したものと理解していました。
しかしながら、昨日(6月26日)の福島海上保安部の発表によると、そうではないとのことです。
曰く、「右舷からの一回目の波で大きく左に傾いた。その後、復元力が働き、逆の右舷側に大きく“揺り戻った”。次いで、二回目の波が襲って海水が右舷側に入り、右舷側に転覆した。」との見解を示したのです。
おそらく生還した3人の証言から導いた見解なのでしょう。しかし、私を含めた多くの専門家は、可能性としては否定できないものの、かなりレアなケースのような気がします。
私は、“揺り戻し”なる言葉にノスタルジーを感じます。昭和30年代に活躍した第45代横綱、先々代の若乃花の全盛期の得意技が“揺り戻し(又は呼び戻し)”でした。
若乃花は相手に右を差し、左から投げを打つと見せかけて、相手が自身の右手に体重を掛けたところを見計らい、丸太棒のような右手を急激に突き出します。その反動で相手は、左後方の土俵に向って、頭からほぼ逆さまに、仰向けに倒れるという荒業です。
腕力によほど優れていないと滅多に決まらない大技で、別名、“仏壇返し(ぶつだんがえし)”とも言われています。海難事故の世界でも、“揺り戻し”が決まることはレアなケースです。
多くの報道は、以前、これらの波の正体を三角波と指摘しています。三角波とは、複数の異なる方向からの波どうしがぶつかり、鋸の歯のような形状の、垂直方向に破壊力の大きな波ができる現象を言います。
台風や発達した低気圧が通過する際など、三角波は確かに海域の海象・気象次第で、突発的に発生する可能性があり、今回の事故原因の一つの可能性として着目する必要があります。
しかし、本ブログで指摘しているとおり、はじめから三角波ありきではなく、シーアンカー(パラシュートアンカー)の離脱や漁具の移動など、あらゆる可能性を考えることが肝要です。
また、第58寿和丸を含む巻き網漁船船団が、低気圧を避けるにあたり、港に帰ることをせず、シーアンカーを用いた現場海域での荒天避泊を選択した判断に、疑問を投げかける声も挙がっています。
第58寿和丸を所有するS商店(福島県・いわき市)のN社長は「(シーアンカーを用いた現場海域での荒天避泊は、)、水深が深い海域で荒天を乗り切る一般的な対応だ」と反論しているそうです。
事故現場海域付近において、同じ方法で荒天避泊を行なっていた遼船も、第58寿和丸と同様、三角波に襲われ遭難しかけた、あるいは三角波を確認したというならばまだしも、そのような情報は今のところ入ってきません。
同船だけが遭難した固有の要素、それが何であるか、慎重に見極める必要があります。




