『★パンダのいない上野・・・★』[2008年05月07日(水)]
ゴールデンウィーク中、川遊びやダイビング、サーフィンなどによる水難事故が発生しました。危惧していたのですが、誠に残念でなりません。
さて、私たち家族はと言えば、これといった遠出はせず、もっぱら、都内の観光施設で休暇を過ごしたのでした。5月4日には、浅草の“花やしき”に出かけました。上野動物園も有力候補だったのですが、「パンダのいない上野はつまらない。」ということで、却下となりました。
今を去ること36年前の1972年7月6日、福田赳夫氏との自民党総裁に勝利した田中角栄氏がが総理大臣に就任、第一次田中内閣が誕生しました。
当時、田中氏は日本初の大正生まれの首相で、苦学の末、首相の地位を得た実績から“今太閤”などと称される一方、“コンピュータ付きブルドーザー”と形容されるほどの行動力と繊細な知見を兼ね備え、発足当時の内閣支持率は実に異例の70%にも達しました。
田中首相の初仕事であり、かつ、在任中の最大の成果が、日本と中国との国交正常化でした。同年9月、就任したばかりの田中首相が訪中し、時の周恩来首相とトップ会談を行い、日中共同声明を調印するに至りました。ここに日中の国交が回復したのでした。
これを記念して、中国側は日本に対し、日中国交回復の“証(あかし)”として、世界中で中国だけに生息する希少動物であるパンダを贈呈することを約束しました。
同年10月28日、東京の上野動物園に、中国からオスのパンダの“カンカン(康康)”と、メスのパンダの“ランラン(蘭蘭)”がやってきたのでした。二頭は同年11月5日より、一般公開されました。
上野動物園には冷暖房完備の専用飼育舎が設けられ、厳戒警備の中、連日6万人にもの見物客が押し寄せました。
何を隠そうこの私も、中学生ながら、家族揃って上野動物園を久しぶりに訪れたのでした。約2時間も待たされた挙句、警備員に急かされながら、わずか1、2分の短時間でパンダの“檻(おり)”を通り過ぎていった記憶が残っています。
前後の列の間隔を気にしつつ、横目で眺めた檻の中には、確かにパンダがいたような、いないような、溢れ返った群衆の存在以外、これといった印象がなかったのが、記憶に残っています。パンダの檻の横を通り過ぎた、満足感だけだったのかもしれません。
以後、上野動物園のパンダは、“フェイフェイ(飛飛/オス)”、“ホアンホアン(歓歓/メス)”、“チュチュ (初初/オス)、”トントン(童童/メス)“、”ユウユウ(悠悠/オス)、“リンリン(陵陵/オス)、”シュアンシュアン(拴拴/メス)と続いてきたのでした。
しかし、本年4月30日、“リンリンの死亡をもって、上野動物園のパンダは途絶えてしまいました。
報道によると、今般来日した中国の胡錦濤国家主席は昨日(5月6日)、福田首相との夕食会の席上、日本に対しパンダ2頭(つがい)を貸与する意向を表明したとのことです。
おそらく、上野動物園にパンダが戻ってくることになるのでしょう。パンダに象徴される日中国交回復で名を挙げた田中角栄氏、一方、田中氏との首相争いに敗北した福田赳夫氏の息子さんである福田康夫首相がトップ会談で同じパンダ外交ですから、役割は入れ替わるものの、歴史は繰り返しているのでしょうか。
もっとも、今回のパンダの貸与に関しては、歓迎の声が上がる一方、高額のレンタル料などを理由に疑問視する声も挙がっているようです。

さて、私たち家族はと言えば、これといった遠出はせず、もっぱら、都内の観光施設で休暇を過ごしたのでした。5月4日には、浅草の“花やしき”に出かけました。上野動物園も有力候補だったのですが、「パンダのいない上野はつまらない。」ということで、却下となりました。
今を去ること36年前の1972年7月6日、福田赳夫氏との自民党総裁に勝利した田中角栄氏がが総理大臣に就任、第一次田中内閣が誕生しました。
当時、田中氏は日本初の大正生まれの首相で、苦学の末、首相の地位を得た実績から“今太閤”などと称される一方、“コンピュータ付きブルドーザー”と形容されるほどの行動力と繊細な知見を兼ね備え、発足当時の内閣支持率は実に異例の70%にも達しました。
田中首相の初仕事であり、かつ、在任中の最大の成果が、日本と中国との国交正常化でした。同年9月、就任したばかりの田中首相が訪中し、時の周恩来首相とトップ会談を行い、日中共同声明を調印するに至りました。ここに日中の国交が回復したのでした。
これを記念して、中国側は日本に対し、日中国交回復の“証(あかし)”として、世界中で中国だけに生息する希少動物であるパンダを贈呈することを約束しました。
同年10月28日、東京の上野動物園に、中国からオスのパンダの“カンカン(康康)”と、メスのパンダの“ランラン(蘭蘭)”がやってきたのでした。二頭は同年11月5日より、一般公開されました。
上野動物園には冷暖房完備の専用飼育舎が設けられ、厳戒警備の中、連日6万人にもの見物客が押し寄せました。
何を隠そうこの私も、中学生ながら、家族揃って上野動物園を久しぶりに訪れたのでした。約2時間も待たされた挙句、警備員に急かされながら、わずか1、2分の短時間でパンダの“檻(おり)”を通り過ぎていった記憶が残っています。
前後の列の間隔を気にしつつ、横目で眺めた檻の中には、確かにパンダがいたような、いないような、溢れ返った群衆の存在以外、これといった印象がなかったのが、記憶に残っています。パンダの檻の横を通り過ぎた、満足感だけだったのかもしれません。
以後、上野動物園のパンダは、“フェイフェイ(飛飛/オス)”、“ホアンホアン(歓歓/メス)”、“チュチュ (初初/オス)、”トントン(童童/メス)“、”ユウユウ(悠悠/オス)、“リンリン(陵陵/オス)、”シュアンシュアン(拴拴/メス)と続いてきたのでした。
しかし、本年4月30日、“リンリンの死亡をもって、上野動物園のパンダは途絶えてしまいました。
報道によると、今般来日した中国の胡錦濤国家主席は昨日(5月6日)、福田首相との夕食会の席上、日本に対しパンダ2頭(つがい)を貸与する意向を表明したとのことです。
おそらく、上野動物園にパンダが戻ってくることになるのでしょう。パンダに象徴される日中国交回復で名を挙げた田中角栄氏、一方、田中氏との首相争いに敗北した福田赳夫氏の息子さんである福田康夫首相がトップ会談で同じパンダ外交ですから、役割は入れ替わるものの、歴史は繰り返しているのでしょうか。
もっとも、今回のパンダの貸与に関しては、歓迎の声が上がる一方、高額のレンタル料などを理由に疑問視する声も挙がっているようです。




