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海洋汚染情報 −海の事件簿−
海上で起きた重大な汚染事件・事故について、独自の視点から鋭くメスを入れ、分析・解説する”海の社会部デスク”、その名も”元海の男”、職業”(さすらい派)研究員”による海の事件簿。
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『★漁船転覆海難、なぜイーパブが?★』 (07/01)
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『★第58寿和丸転覆海難、海難原因を大胆推測(その3)!★』[2008年07月09日(水)]
6月23日午後、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和(すわ)丸(135トン)”が転覆し後に沈没、死者・行方不明者が出ている海難の続報です。

この事故では3人の方が救助されたものの、4人の方が死亡、残り13人の方はいまだ行方不明のままです。

海上保安庁による捜索は打ち切られ、継続されていた遼船2隻による専従捜索も、先週末(7月5日)をもって終了しました。

専従捜索を行なっていた2隻は、その後、操業をしながらの捜索に切り替えています。現場海域での操業を終えた後、明日(7月10日)までには母港の小名浜港に帰港する予定と聞いています。

事実上、本海難に関する捜索活動はすべて打ち切られたことになります。13人の方々の帰りを待ち侘びるご家族の心情を察するに、誠に残念でなりません。無論、私以上に、最後まで捜索活動に従事した遼船をはじめ、漁業関係者の悔しさも筆舌に尽くしがたいかと思います。

さて、本海難の原因ですが、本ブログの愛読者の皆さんは既にご承知のとおり、私ははじめから三角波やフリーク波ありきではなく、シーアンカー(別名パラアンカー)の離脱や漁具の移動など、あらゆる可能性を考えることが肝要と伝えてきました。

特に、シーアンカーが正常に機能していたのか否かが、私は本海難の原因究明の最大のポイントだと思い、事故当初から指摘してきました。

第58寿和丸は横方向から大波を2回受けて転覆・沈没しました。シーアンカーとは、船首部分から延ばしたロープの先端に落下傘状の抵抗となる物体が装着されたものです。海中で水平方向に展開した落下傘をイメージしてください。

これを投入することにより、船首は風上の方向を常に向き続け、船体は風に対して平行な姿勢を保つことができます。また、風による圧流もある程度抑制することができます。

第58寿和丸はシーアンカーを使用していながら、あろうことか横方向から波を受けたのです。無論、予期せぬ方向からの大波が突如現れた可能性も否定できません。

しかし、むしろ、まずはシーアンカーが正常に機能していたかどうかを検証すべきです。私は察するに、転覆前、今まで正常に正面から波を受けていたのに、転覆時にあっては、自船の腹を波に曝す状態となっていた、すなわち、シーアンカーが正常に働いていなかった可能性を疑っています。

その原因こそ、今回の事故の原因を解く鍵で、私はシーアンカーの離脱又は破損が原因と見ています。

第58寿和丸は完全にエンジンを停止させ、シーアンカーに態勢を委ねていたとされています。おそらく、第58寿和丸の操舵室内には当直員もいなかったのでしょうか。

この状況で、何かの理由でシーアンカーのロープが外れ、あるいはシーアンカーが破損したとしたら、安定していた船体の姿勢はただちに崩れ、波風を真横から受ける最悪の態勢へと陥ります。しかしながら、当直員不在では気付くのが遅れ、エンジン停止ではただちに船体を立て直すことも困難です。

シーアンカーを用いた漁船などの小型船の荒天避泊は、教科書などにも記載されている一般的な手法で、けっして誤ったやり方ではありません。法律でも、一定の漁船に対しては、シーアンカーの装備を義務付けています。

ただし、ただ単にシーアンカー投下し、船体を波に委ね、乗組員は休んでいても良いという訳ではありません。操舵室に当直員を立て、エンジンをアイドリング状態とし、いついかなる不測の事態に対しても、エンジン及び舵を使用して船体を立て直せる状況としておくことが基本のはずです。

私の知る限り、シーアンカーを用いた荒天避泊中の転覆事故は、過去にもありました。ただし、プレジャーボートによる事故でした。しかも、使用していたシーアンカーは、荒天避泊用のものというよりは、むしろ、遊漁中に船体を波風に立て、移動を最小限に抑えることを主目的とした簡易なものでした。

今回の事故のように、大型漁船による本格的なシーアンカーを用いた荒天避泊中の転覆事故は、極めて稀なケースと言えます。

報道によると、一部の専門家からは、「シーアンカーが船首の動きを制限し、傾いた船体の復元力を妨げたのではないか。」との指摘があるそうです。たしかに、船を安定させるためのシーアンカーが、突然の横波に対し、逆に船の運動を抑制する可能性はあるでしょう。

しかし、この推測はあくまでもシーアンカーが正常に機能していたことを前提にしたものです。繰り返しになりますが、むしろ、まずはシーアンカーが正常に機能していたかどうかを検証すべきです。

また、第58寿和丸が、操舵室に当直員を立て、エンジンをアイドリング状態とし、いついかなる不測の事態に対しても、エンジン及び舵を使用して船体を立て直せる状況としておくという、基本運用を行なっていたか否かも検証すべきです。



『★私よりも上手? 予知能力海難発生!★』[2008年07月07日(月)]
昨日のブログでお伝えしたとおり、私は今日から一泊二日の予定で入院します。衝撃波による結石の粉砕術を受けるためです。

さて、本日(7月7日)から北海道洞爺湖サミットが開幕されます。会議の内容もさることながら、やはり心配なのはテロなどの妨害活動です。

無論、警察をはじめ海上保安庁などの関係機関が、万全の警備体制を敷いているのですから心配はないと思います。しかし、人一倍心配性の私にとって、杞憂に終わってくれれば有難いとは思いつつ、ついつい心配でならないのです。

本日、私が入院するため、“上等兵(中にの上の娘)”は、先ほど一人で都心の学校に出かけてゆきました。心配性の“オヤジ”ゆえ、校則違反であることは重々承知しつつ、今回に限り、携帯電話を彼女に持たせ、「人込みはできるだけ避け、早い時間帯に通学し、早い時間帯に帰宅しなさい。」と指示しました。

思い起こせば10数年前、東京で発生した地下鉄サリン事件の際、“虫の知らせ”なのか、朝から通勤に向かうことをためらい続け、ついには再び布団にもぐりこみ、欠勤してしまいました。ずる休みです。

当時、私が霞が関駅までの通勤に、毎日利用していた池袋駅発の地下鉄が、サリンによるテロ攻撃のターゲットになったことを知ったのは、昼になってからでした。

同じ車両で時々顔を見かけた霞が関の某官庁の職員も、当日被害に遭い、病院で治療を受けたと後日聞きました。自身の運の良さに正直驚きました。

予知能力とまではいかないものの、心配性の心配も、数を重ねることにより、時に正しい結果を導き出すこともあるようです。

さて、予知能力と言えば、世にも不思議な海難が昨日(7月6日)発生しました。昨日午前四時半ごろ、香川県坂出市の貨物船“第十一エーコープ(199総トン)”が、静岡県御前崎市沖を航行中、戸田漁協所属の巻き網漁船“第二十三協栄丸(19総トン)”の漁具を引っ掛け、同船を転覆させました。

その結果、第二十三協栄丸の船長(37歳)が海中転落しましたが、付近にいた僚船によって無事救助され、事なきを得ました。

実は第十一エーコープ、昨日のブログで取り上げた“お騒がせ”の張本人なのです。

すなわち、第十一エーコープは一昨日(7月5日)午後4時ごろ、濃霧の東京湾で「プレジャーボートと衝突したようだ。乗員三人が海に投げ出されたかもしれない。」と第三管区海上保安本部(横浜)に連絡をしたあの船なのです。

一時、騒然となりましたが、横須賀海上保安部が調べたところ、貨物船に衝突の痕跡はなく、捜索の結果、被害船に関する情報も見当たらないことから、同船の勘違いということで決着し、同船は再び航海を開始したその直後の今回の事故だったのです。

正に最初の“幻の海難”は、同船の“予知能力”が成した技だったのです。世にも珍しい海難事例となりました。

『★菓子屋横丁と濃霧海難★』[2008年07月06日(日)]
昨日(7月5日)から、神戸の義母と義姉が東京に遊びに来ています。先日、近所で催されたイベント後の“お楽しみ抽選会”に参加した“上等兵(中二の上の娘)”と“二等兵(小四の下の娘)が、関西空港と羽田空港の往復ペア航空券を見事にあてたのです。

彼女たちは迷うことなく、航空券を神戸の二人にプレゼントしたのです。孫や姪に久しぶりに再会できることを楽しみに、二人はその航空券で早速上京してきたのです。

昨日は羽田空港で二人をピックアップし、そのまま埼玉の“小京都”、川越の町に出かけました。我が家のミニバンに六人も乗ることは珍しいことです。“上等兵(中二の上の娘)”と“二等兵(小四の下の娘)は、定位置の中列シートから後列シートに移動しました。

二人の娘の楽しみは、川越の菓子屋横丁での駄菓子の購入です。菓子屋横丁は多くの駄菓子屋が立ち並ぶ川越の観光スポットです。

一歩踏み入れると、昔懐かしい駄菓子がどの店の店頭にもあふれ返り、団子や煎餅の醤油の焼ける香ばしい匂いが周辺に漂い、私自身も子供に帰ってしまうような不思議な場所です。

彼女たちは、両親から購入制限額を言い渡されることなく、あるいは自身の財布の中身の心配をせず、祖母と伯母から思う存分、好きなだけ買ってもらえたのですから、喜びもひとしおでした。夜は築地の寿司屋で夕食、実に楽しい一日でした。明けて本日の予定も盛りだくさんです。

さて、昨日(7月5日)は濃霧の東京湾で海難が相次ぎました。午後3時15分ごろには、観音崎沖で、貨物船“第十八清光丸(199総トン)”と、遊漁船“第十広川丸(15総トン)が衝突、広川丸の遊漁客2人と船長の3人が軽傷を負いました。広川丸は自力で帰港したそうです。

また、午後5時ごろにも、現場付近の海域で航行中の貨物船同士が衝突しました。両船は自力航行可能で、負傷者もありませんでした。

さらに、午後4時ごろには、貨物船“第十一エーコープ(199総トン)”から「プレジャーボートと衝突したようだ。乗員三人が海に投げ出されたかもしれない。」と第三管区海上保安本部(横浜)に連絡があったとのことです。

一時、騒然となりましたが、横須賀海上保安部が調べたところ、貨物船に衝突の痕跡はなく、被害船に関する情報も寄せられていないことから、見間違いいうことで落ち着きそうです。安心しました。

さて、私事で恐縮ですが、私は明日から一泊二日の予定で入院します。結石が詰まってしまい、衝撃波による粉砕術を受けるためです。痛みもなく普通の生活を送っているのですが、粉砕することを勧められました。

と言うことで、明日・明後日のブログ更新は休むかもしれません。あしからず。


『★私のウナギは国産?★』[2008年07月04日(金)]
水産物輸入販売会社U社と水産物卸し会社S社による、中国産ウナギの偽装事件が相変わらず世間を賑わせています。

昨日の報道によればえ、U社は中国産ウナギを、“愛知県三河一色産”と表示された箱に詰め替えるにあたり、協力謝金として高松市の業者に対し、現金1億円を渡していたことも判明したとしています。

ウナギは私の大好物の一つです。蒸し暑い陽気の中、昼休み、特に何が食べたいでもなく、事務所近くをぶらぶら歩いていると、漂う蒲焼の匂いに誘われ、フラフラとウナギ屋に飛び込みたくなる衝動に駆られます。

敵もなかなか心得たもので、入店を迷っていると思しき客に対しては、蒲焼を焼く団扇の動きを活発化させ、詰めの誘いに力を注ぎます。

こと私に関しては、この誘いに対し、毎回のように負け続けています。したがって、今日のような雨上がりの蒸し暑い昼休み、私はできるだけウナギ屋の前を通らないようにしています。特に、昨晩新橋で呑み過ぎ、懐の寂しい今の状況下でははなおさらです。

さて、会社の近くには、安く早く提供されることで知られる、大衆的なウナギ屋が一件あり、サラリーマンに重宝がられ、昼休みには行列ができるほど繁盛しています。私もしばしば足を運んでいます。

店内には昔から現在に至るも、「当店は国産ウナギを使用しています。」なる張り紙が数箇所に掲げられています。煙で燻され、すっかり色あせた張り紙ですが、効果は抜群です。

昼食代を奮発し入店したサラリーマンたちは、満足げにその張り紙を一瞥しながら、外の雑踏を尻目に、優越感に浸りながら、もくもくとウナ丼と格闘しています。その姿は日本の平和そのものです。

しかし、数年前、店内の一番端の、奥まった席でウナギと格闘していた私は、あることに気付きました。私の席の横に、無造作に積み重ねられた段ボール箱には、台湾産のウナギが梱包されていたことを示す中国語の表示がなされていたのです。

何かの悪い冗談かと思いましたが、その後、何度か通った際も、積み上げた高さは変化するものの、常にその位置には、台湾産のウナギが梱包されていたことを示す、中国語の表示がなされている段ボール箱が置かれていました。

私以外にも、気付いていた客がいたようです。しかし、決まってその反応は、何かいけないものでも見てしまった時のように、思わず目をそむけます。

その姿は、まるで子供のようでした。もちろん、私も見て見ないふりをしていたサラリーマンたちの仲間です。

お店に真偽のほどを尋ねたいのはやまやまなれど、「そうだ! うちは中国産だよ! じゃなきゃ、こんな値段でウナギが食える訳ないだろ!」などと開き直られた暁には、昼食代を奮発し入店した自分が惨めで居てたまれなくなるからです。結局、聞かずじまいでした。

時は巡り、食品偽装が社会問題化している最近では、“偽装”段ボール箱はすべて撤去されました。代わりにお茶の空き箱などが、無造作に積み重ねられています。

さて、私は今まで、この店で国産ウナギを食していたのでしょうか。また、今日、仮に食べに行くとしたら、食すのは国産ウナギなのでしょうか。誰か教えてください。



『★第58寿和丸転覆海難、海難原因を大胆推測(その2)!★』[2008年07月03日(木)]
6月23日午後、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和(すわ)丸(135トン)”が転覆し後に沈没、死者・行方不明者が出ている海難の続報です。

この事故では3人の方が救助されたものの、4人の方が死亡、残り13人の方はいまだ行方不明のままです。

海上保安庁による捜索は打ち切られ、対策本部は解散されました。一方、遼船による捜索は、ひところに比べ大幅に縮小し、2隻体制とはなったものの継続しています。昨日(7月2日)、遼船が再び現場海域に向かい、小名浜港を旅立ってゆきました。

出港に先立ち、小名浜港では行方不明者の早期発見を祈る行事が開催されました。“施餓鬼(せがき)”と呼ばれるこの行事には、行方不明者の家族のほか、漁協関係者ら約200人が参加しました。

祈願のための僧侶による読経が行なわれ、行方不明者の家族には、供物(うどん)や行方不明者の名前が書かれた木札などが手渡されたそうです。

これらの品々は遼船に託され、事故現場海域で海中に投げ入れるとのことです。“うどん”飢えに苦しむ行方不明者に捧げる意味のほか、生還のためのロープを意味し、行方不明者がそれを利用して戻ってきてほしいという思いが込められているとのことです。

その他、遼船には行方不明者の家族らから、好物や嗜好品なども託され、家族らは最後の願いを託し、遼船が見えなくなるまでいつまでも見送り、泣き崩れる女性や涙をぬぐう男性もいたとのことです。

悲惨な海難が起こるたびに、こうした光景を目のあたりにします。私自身も、海事専門家として自分の力の足りなさを心底感じ、胸が張り裂けそうになります。月並みな言葉かもしれませんが、二度と繰り返してほしくありません。私も決意を新たに努力したいと思います。

さて、現場海域の事故当時の映像を見た方はお気付きのとおり、ロープが海面近くの海中をプカプカと浮遊しているのが確認できました。

長さはおそらく、直線に伸ばせば、200メートルから300メートルはあったと思われます。色は濃い黄色又はオレンジ色に見えました。

太さはあくまでも推定ですが、20ミリ程度のものではないでしょうか。一体あれは何なのでしょうか。

黄色だとしたら、まず、巻き網用のロープという可能性がまず考えられます。1艘巻き網漁船の第58寿和丸は、当然、巻き網用のロープを有しています。色は通常白が多いのでしょうが、黄色もあり得ます。

しかし、オレンジだとしたら、他のロープの可能性もあります。言うまでもなく、オレンジ色は救命色です。私の知る限り、オレンジ色のロープは救命に関する備品にのみ多用されています。

たとえば、救命索など救命器具に使用されているロープ類は、ほぼ例外なくオレンジ色のはずです。シーアンカーのロープも、通常、白又はオレンジ色に塗装されていることが多いのではないでしょうか。

本ブログの愛読者の皆さんは既にご承知のとおり、私ははじめから三角波やフリーク波ありきではなく、シーアンカー(パラシュートアンカー)の離脱や漁具の移動など、あらゆる可能性を考えることが肝要と伝えてきました。

したがって、海面近くの海中をプカプカと浮遊していたあのロープが、巻き網用のロープなのか、シーアンカー(別名:パラアンカー)のロープなのか、確認する必要があります。



『★第58寿和丸転覆海難、海難原因を大胆推測!★』[2008年07月02日(水)]
6月23日午後、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和(すわ)丸(135トン)”が転覆し後に沈没、死者・行方不明者が出ている海難の続報です。

この事故では3人の方が救助されたものの、4人の方が死亡、残り13人の方はいまだ行方不明のままです。

海上保安庁の巡視船・航空機、遼船による懸命の捜索活動が続けられていましたが、一昨日(6月30日)、第二管区海上保安本部(宮城県・塩釜市)は、捜索を打ち切り、対策本部を解散しました。

事故からすでに一週間が経過し行方不明者の生存は絶望的なこと、船体が水深約5000メートルの深海底に沈んでいる可能性が高いこと、捜索範囲がますます拡大していること、これ以上の新たな遺留品等の発見は極めて困難であることなどが主な理由です。

一方、諦め切れないのが第58寿和丸の遼船です。規模はひところに比べ大幅に縮小し、2隻体制とはなったものの、本日(7月2日)から遼船による捜索活動が再開される見通しです。

報道によれば、小名浜機船底曳網漁協の担当者は、「海上保安庁の捜索打ち切りは残念であるが、必ず行方不明者につながる手掛かりを発見したい。」と話しているそうです。

今回の海上保安庁の捜索打ち切りのタイミングを捉え、今回の事故に関し、横浜地方海難審判理事所(神奈川県・横浜市)は重大海難事件に指定することを決定しました。

今後この海難は刑事事件としての可能性を視野に海上保安庁が調査し、また、海難の発生原因の追究について海難審判が行なわれることとなります。

今回の事故の原因については、発生当初から多くの報道や海事関係者が“三角波(複数の異なる方向からの波どうしがぶつかり、鋸の歯のような形状の、垂直方向に破壊力の大きな波ができる現象)”説を唱えてきました。

また、最近では、“フリーク波(外洋で突発的に現われる巨大波浪現象)”の可能性を指摘する声も聞こえています。

本ブログの愛読者の皆さんは既にご承知のとおり、私ははじめから三角波やフリーク波ありきではなく、シーアンカー(パラシュートアンカー)の離脱や漁具の移動など、あらゆる可能性を考えることが肝要と伝えてきました。

昨日(7月1日)のY新聞は、第58寿和丸に積まれた魚網が固定されずに移動した可能性を指摘していました。すなわち、専門家の話として、高波を受けて同船が右に傾いた際、水分を含んだ重い網が右舷側に流れ、傾斜を増長させた可能性があるとしています。

巻き網漁業用の魚網の乾燥重量は約40トンとのことですが、使用直後にあっては大量の水分を含み、また、海洋漂着ゴミなどが巻き込まれ、その重さは倍以上になります。

総トン数135トンの比較的大型の漁船と言えども、最大100トン近い重量に変貌する魚網は、船の安定性を大きく左右する重量物以外の何ものでもありません。

無論、こうした重量物が動揺によって移動しないよう、甲板上の指定された沖場所に、しっかりと固縛しておくことがベストの荒天準備です。しかし、荒天が過ぎ去ったならば、ただちに漁が再開できるよう、固縛を怠っているケースもしばしば見受けられ、時に海難へと発展しています。

事実、第58寿和丸を所有する漁業会社S商店のN社長は、一昨日(6月30日)の記者会見で、「すぐに網を展張するためには、よほどひどい時化(しけ)の時以外は固縛しないのが普通である。第58寿和丸も“大丈夫だ”と判断し、固縛していなかった可能性もある。」と語ったそうです。

三角波にしろ、フリーク波にしろ、大きな波を受けて大傾斜したところに、甲板上の重量物が傾斜方向に移動すれば、かなり壊滅的なさらなる傾斜の増長原因となり、復元力の消失に至ることが容易に予想されます。

加えて、燃料高騰の煽りを受けて、燃料タンクに燃料が満載されていないような状況であったとしたら、自由水影響も介在した可能性があります。

自由水影響とは、タンク内などに存在する流動性のある液体が、船体の傾きによって低位に流れ、さらに復原力を失わせる現象のことを言います。

燃料タンク内が燃料で満たされていれば、自由水影響は起こり得ません。しかし、タンク内の燃料が自由に動き回れるような液量である場合、自由水影響もさらなる傾斜の増長原因となり得ます。

加えて、仮に甲板上のどこかの開口部が閉じられずに開いていたとしたら、これは間違いなく致命的な要素です。

1982年(昭和57年)1月6日、ベーリング海で発生した遠洋底引き網漁船の“第二十八あけぼの丸(549.64総トン)”の沈没海難も、1986年(昭和61年)6月16日、福島県沖で発生した海洋調査船“へりおす(50総トン)”の沈没海難も、甲板上の開口部が閉じられていなかったことが致命的要因と推定されています。

その他、第58寿和丸が事故当時、シーアンカー(別名パラアンカー)を投入し、船首は風上の方向を常に向き続け、船体は波風に対して平行な姿勢を保っていたはずなのに、なぜ、二度も続けて横波に遭遇したかも重要なポイントです。

昨日のブログでお伝えしたとおり、第58寿和丸が転覆する約1時間半前の6月23日正午ごろ、事故現場の北約10キロの地点にいた遼船の乗組員が、「前方から大きな波を2回受け、衝撃を感じた」と話していたことが報じられています。

多くの皆さんは、「遼船も同じような大波を受けたのか。」と思ったことでしょう。しかし、私は違った見方をしています。

遼船は前方から大波を受けているのです。つまり、遼船のシーアンカー(別名パラアンカー)は正常に機能していたのです。そのため、時化(しけ)を乗り越えられたのです。

一方、第58寿和丸は横方向から大波を受けたのです。すなわち、シーアンカー(別名パラアンカー)は正常に機能していなかったのです。転覆前、すでに波に対し自船の腹を見せる状態だったのです。

その原因こそ、今回の事故の原因を解く鍵です。私はシーアンカー(別名パラアンカー)の離脱又は破損が原因と見ています。

第58寿和丸は完全にエンジンを停止させ、シーアンカーに態勢を委ねていたとされています。エンジンを切っていたのは、おそらく燃料の節約のためでしょう。また、推測ですが、第58寿和丸の操舵室内には当直員がいなかったのではないでしょうか。間もなく再開される漁に備え、シーアンカーに命を託し、休んでいたのではないでしょうか。

こうした状態でもし、何かの理由でシーアンカーのロープが外れた場合、安定していた船体の姿勢はただちに崩れ、波風を真横から受ける、最悪の態勢へと陥ります。

すぐさま、エンジンを使って舵を操り、船体を立て直す必要がありますが、エンジンを切ったまま、ほとんどの乗組員が仮眠中の場合、迅速な対応が間に合わないのです。



『★第58寿和丸転覆海難、異常多発のフリーク波か?★』[2008年06月30日(月)]

6月23日午後、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和(すわ)丸(135トン)”が転覆し後に沈没、死者・行方不明者が出ている海難の続報です。

残り13人の方はいまだ行方不明のままです。現場海域での捜索は、たびたび荒天に阻まれるものの、いまだ懸命に行われています。ただし、遼船による捜索活動は、事故から一週間が経過したことから、本業のことも考え、態勢縮小の苦渋の選択を迫られている状況のようです。

こうした中、昨日(6月29日)、現場海域での捜索に参加していた遼船が、捜索の際に回収した、第58寿和丸のものと思しき遺留品約100点を携え、福島県・いわき市の小名浜港に入港しました。

これらの遺留品は、福島海上保安部の職員によって確認や写真撮影などが行われた後、本日(6月30日)より当分の間、所属する船会社が手配した倉庫内に保管され、乗組員の家族らに公開されるとのことです。

さて、今回の事故の原因については、発生当初から多くの報道や海事関係者が、“三角波(複数の異なる方向からの波どうしがぶつかり、鋸の歯のような形状の、垂直方向に破壊力の大きな波ができる現象)”犯人説を取り上げてきました。

一方私は、はじめから三角波ありきではなく、シーアンカー(パラシュートアンカー)の離脱や漁具の移動など、あらゆる可能性を考えることが肝要と伝えてきました。

今日のS新聞朝刊は、波が犯人とするも、“三角波”ではなく、むしろ“フリーク波”の可能性が高いことを示唆する記事を掲載しています。

フリーク波とは外洋で突発的に現われる一種の異常波浪のことを指します。フリークとは文字通り“気まぐれ”、あるいは“風変り”な波のことを言います。一般には、“一発大波”のほうが馴染みがあるのではないでしょうか。

つまり、外洋の波は通常、比較的一定の周期で一定の高さで安定しているはずなのですが、突然、巨大な波が出現する現象です。

一般に外洋では、100回の波のうち1回に有義波高の1.5倍、1,000回の波のうち1回に2倍近い大波が出現すると言われています。2倍どころか、それ以上の大波も否定できません。

たしか、ハリウッド映画の“ポセイドン・アドベンチャー号”を襲い、転覆させたのも、超巨大なフリーク波という設定になっていたと思います。

さて、第58寿和丸の転覆時の状況ですが、船首右方向から襲ってきた横波を受けて船体が左舷に傾斜、右舷側に“揺り戻された”ところを、今度は再び同じ方向から襲ってきた二回目の横波でさらに大傾斜し転覆に至ったとされています。

フリーク波が二度も連続して襲ったとしたら、よほどの偶然が重なったと言わざるを得ません。100万回に1回の確率です。

なお、報道によると、第58寿和丸が転覆する約1時間半前の6月23日正午ごろ、事故現場の北約10キロの地点にいた遼船の乗組員が、「前方から大きな波を2回受け、衝撃を感じた」と話しているそうです。

局所的かつ一時的な三角波なのか、従来の確率を超え異常に多発したフリーク波なのか、それとも他に原因があるのか、二度と悲劇を繰り返さないためにも、慎重に考察する必要があります。



『★漁船転覆海難、仏壇返しだったのか?★』[2008年06月27日(金)]
6月23日午後、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和(すわ)丸(135トン)”が転覆し後に沈没、死者・行方不明者が出ている海難の続報です。

残り13人の方はいまだ行方不明のままで、海上保安庁の巡視船・航空機、遼船による懸命の捜索活動が今も続いています。

今回の事故で、生還を果たした3人は、転覆時、船体後方にロープでつながれていた作業艇を発見、それに乗り込み、九死に一生を得ました。

昨日(6月26日)、その作業艇が僚船に曳航され、小名浜港へ戻ってきました。私はせいぜい船外機付きの”伝馬船“かと思っていましたが、長さ約10メート、幅約5メートルもある、頑丈そうな立派な船でした。

外見上、損傷箇所は見受けられず、“主(あるじ)”たる多くの乗組員を現場海域に残したまま、無人で帰港した姿を見た行方不明者の家族らの無念は、察するに余りあるところでした。

さて、第58寿和丸の転覆時の状況ですが、船首右方向から襲ってきた横波を受けて船体が左舷に傾斜、そのわずか数秒後、再び同じ方向から襲ってきた二回目の横波でさらに大傾斜し転覆に至ったとされています。

したがって、私を含め多くの専門家は、右方向から連続して来襲した二回の波により、左舷側に転覆したものと理解していました。

しかしながら、昨日(6月26日)の福島海上保安部の発表によると、そうではないとのことです。

曰く、「右舷からの一回目の波で大きく左に傾いた。その後、復元力が働き、逆の右舷側に大きく“揺り戻った”。次いで、二回目の波が襲って海水が右舷側に入り、右舷側に転覆した。」との見解を示したのです。

おそらく生還した3人の証言から導いた見解なのでしょう。しかし、私を含めた多くの専門家は、可能性としては否定できないものの、かなりレアなケースのような気がします。

私は、“揺り戻し”なる言葉にノスタルジーを感じます。昭和30年代に活躍した第45代横綱、先々代の若乃花の全盛期の得意技が“揺り戻し(又は呼び戻し)”でした。

若乃花は相手に右を差し、左から投げを打つと見せかけて、相手が自身の右手に体重を掛けたところを見計らい、丸太棒のような右手を急激に突き出します。その反動で相手は、左後方の土俵に向って、頭からほぼ逆さまに、仰向けに倒れるという荒業です。

腕力によほど優れていないと滅多に決まらない大技で、別名、“仏壇返し(ぶつだんがえし)”とも言われています。海難事故の世界でも、“揺り戻し”が決まることはレアなケースです。

多くの報道は、以前、これらの波の正体を三角波と指摘しています。三角波とは、複数の異なる方向からの波どうしがぶつかり、鋸の歯のような形状の、垂直方向に破壊力の大きな波ができる現象を言います。

台風や発達した低気圧が通過する際など、三角波は確かに海域の海象・気象次第で、突発的に発生する可能性があり、今回の事故原因の一つの可能性として着目する必要があります。

しかし、本ブログで指摘しているとおり、はじめから三角波ありきではなく、シーアンカー(パラシュートアンカー)の離脱や漁具の移動など、あらゆる可能性を考えることが肝要です。

また、第58寿和丸を含む巻き網漁船船団が、低気圧を避けるにあたり、港に帰ることをせず、シーアンカーを用いた現場海域での荒天避泊を選択した判断に、疑問を投げかける声も挙がっています。

第58寿和丸を所有するS商店(福島県・いわき市)のN社長は「(シーアンカーを用いた現場海域での荒天避泊は、)、水深が深い海域で荒天を乗り切る一般的な対応だ」と反論しているそうです。

事故現場海域付近において、同じ方法で荒天避泊を行なっていた遼船も、第58寿和丸と同様、三角波に襲われ遭難しかけた、あるいは三角波を確認したというならばまだしも、そのような情報は今のところ入ってきません。

同船だけが遭難した固有の要素、それが何であるか、慎重に見極める必要があります。



『★漁船転覆海難、なぜイーパブが?★』[2008年06月26日(木)]
6月23日午後、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和(すわ)丸(135トン)”が転覆し後に沈没、死者・行方不明者が出ている海難の続報です。

残り13人の方はいまだ行方不明のままで、海上保安庁の巡視船・航空機、遼船による懸命の捜索活動が今も続いています。

昨日(6月25日)の報道は、第58寿和丸が転覆・沈没した際、衛星非常用位置指示無線標識(通称イーパブ)が作動しなかったことを取り上げ、関係機関が調査に着手したことを伝えていました。

イーパブとは船舶の遭難時、自動的に信号を発し、衛星経由で最寄りの海上保安機関に位置情報などを知らせる装置です。

転覆・沈没までに比較的時間の余裕のある場合には、救命ボートなどに備品として積み込み、あるいは、人力で作動させた上で海上に投下することもあります。

しかし、今回のように時間的余裕のない場合にあっても、水圧の変化を感知し、自動的にアンテナが飛び出し船体から離脱、海面に浮上して信号を出す仕組みとなっています。

第58寿和丸を所有する水産会社S商店は、「第58寿和丸にも装置は装備されていたが、船体と一緒に海中に沈んでしまい、浮上・作動しなかったのではないか。」と話しているそうです。

確かにその可能性もあります。そのほか、ごく一部の船では、時化などによる海上落下を防ぐため、細索などで船体にわざわざくくり付けているなど、誤った備付けを行なっている事例もあり、一概には言えません。

もっとも、今回の事件については、仮にイーパブが正常に作動していたとしても、海上保安機関による事故認識がほんのわずか早まったに過ぎず、あまり大勢には影響がなかったような気もします。そうは言っても、法律違反があったのか、なかったのか、調査するのが“お役所”の務めなのでしょう。

さて、昨日(6月25日)の東京新聞朝刊は、今年2月19日に発生した海上自衛隊のイージス艦“あたご”の衝突海難を改めて取り上げ、「希薄な当事者意識」、「船乗りとして稚拙」、「情報共有がない」、「縦割りの弊害」などの“見出し”を掲げ、かなり辛辣な評価を下していました。

もっとも、これらの“見出し”の“出どころ”は専門家のコメントで、うち二つは何を隠そう私のコメントからの引用です。取材に対し、確かにそのようなことは述べました。しかし、“見出し”用に縮めてしまうと、かなり厳しい用語となっていしまいます。

海上自衛隊の皆さん、二度とこのような事故は繰り返してほしくはないという、期待と応援の気持ちを込めて述べたつもりです。怒らないで下さいね。



『★漁船転覆海難、三角波が原因なのか?★』[2008年06月25日(水)]
一昨日(6月23日)、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和(すわ)丸(135トン)”が転覆し後に沈没、死者・行方不明者が出ている海難の続報です。

この事故では、3人の方が救助されたものの、4人が死亡、残り13人の方がいまだ行方不明となっていて、海上保安庁の巡視船・航空機などによる懸命の捜索活動が続いています。

昨日(6月24日)、救助された3人が僚船によって福島県いわき市・小名浜港に帰港したことから、事故時の状況が次第に明らかになってきました。

報道によると、彼らは船室内のベッドで仮眠していたところ、23日午後1時20分ごろ、船首右方向から襲ってきた横波を受けて船体が左に傾斜、そのわずか数秒後、再び同じ方向から襲ってきた二回目の横波でさらに大傾斜したとのことです。

3人は危険を感じ飛び起き、着の身着のままで救命胴衣を着ける暇もなく甲板上に出たところ、船体の左傾斜は収まることなく、そのまま彼らは海上に投げ出され、直後、船体は完全に裏返しとなったようです。

その後、3人は船体後方にロープでつながれていた作業艇を発見、それに乗り込み、艇内備え付けの工具でロープを切断したそうです。

ほとんどの報道が、今回の事件の直接の原因として、“三角波(複数の異なる方向からの波どうしがぶつかり、鋸の歯のような形状の、垂直方向に破壊力の大きな波ができる現象)”を取り上げています。

しかし、本当に三角波が今回の海難の原因であったのか、慎重に調査を進めていく必要があります。

三角波のすべてが、船舶に壊滅的なダメージを与えるかと言えば、必ずしもそうではありません。要はその大きさ、すなわち破壊力の問題です。

確かに今回の事故のあった海域は、特に冬場、太平洋の大きなうねりと、北西季節風とが鈍角で交差し、時に5メートル以上に達する大きな三角波が発生することで知られている海域です。

1969年(昭和44年)1月4日、鉱石運搬船“ぼりばあ丸(33,768総トン)”を損傷させ沈めたのも、また、約13ヶ月後の1970年(昭和55年)2月9日、同じく鉱石運搬船“かりふおるにあ丸(34,001総トン)” を損傷させ沈めたのも、巨大な三角波の仕業だと言われています。

その他、今回の事故現場海域付近で、三角波が原因と思われる損傷を受けた船舶は数多く存在します。古い船乗りたちは畏怖の念を持って、この海域を“魔の海域”と称していました。したがって、今回の事故に関しても、三角波を真っ先に疑うのは、至極当然な話と思います。

三角波が巨大化するにあたっては、その前兆からスタートし、徐々に大きくなっていくはずです。航走中の船が、たまたま巨大化した三角波が発生している海域に進入したのならまだしも、今回の場合、寿和丸は荒天避泊中、すなわちほぼその海域にとどまっていた状態でした。

そうした状況の中、第58寿和丸を目掛け、たまたま巨大な三角波が、突然二つ三つ発生したとは考えにくい気がします。

また、第58寿和丸のまわりには7隻の僚船が、同じように荒天避泊していました。詳しいことはわかりませんが、おそらく、数キロ程度の適当な距離は保っていたものの、ほぼ集団となって現場海域にいたものと思われます。

今のところ、無事であった他の僚船から、「三角波を見た。」という情報は入ってきていません。船乗りならば、実際の三角波どころか、その前兆ですら見落とすはずはありません。

近くにいた僚船は、「第58寿和丸のレーダーによる船影がおかしいと思い、船の方を見ると船底のようなものが見えた。」と話しています。

どうやら僚船にとっても、第58寿和丸の遭難は青天の霹靂であったようなニュアンスに取れます。現場海域にいたすべての船が三角波に翻弄され、戦い続け、第58寿和丸だけが犠牲になったという話ではないようです。

また、「船首右方向から襲ってきた横波を受けて船体が左に傾斜、そのわずか数秒後、再び同じ方向から襲ってきた二回目の横波でさらに大傾斜した。」という生存者の話からは、船底から激しく突き上げてくる、本来の三角波の衝撃とは若干イメージが異なるような気がします。

昨日のブログでも指摘したとおり、現場海域を撮影したニュース映像に、一瞬ですが、漂流しているシーアンカーが映し出されていました。

特段、落下傘部分も、つながっているロープも壊れている様子はなく、先端にいるはずの“主(あるじ)”、すなわち、寿和丸だけが消滅した姿は実に哀れでした。

私は沈没時にロープの結び目が寿和丸の船体から外れたのか、それとも、何かの理由でロープが外れたのかに注目しています。

第58寿和丸は完全にエンジンを停止させ、シーアンカーに態勢を委ねていたのです。いわば命綱だったのです。

もし、何かの理由でシーアンカーのロープが外れた場合、安定していた船体の姿勢はただちに崩れ、波風を真横から受ける、最悪の態勢へと陥ります。

すぐさま、エンジンをかけ舵を操り、船体を立て直す必要がありますが、ほとんどの乗組員が仮眠中の場合、迅速な対応が間に合わない可能性も否定できません。



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