日本財団公益コミュニティサイト CANPAN CANPANブログ:公益法人,NPO,CSR,社会貢献活動のための無料ブログ
海洋汚染情報 −海の事件簿−
海上で起きた重大な汚染事件・事故について、独自の視点から鋭くメスを入れ、分析・解説する”海の社会部デスク”、その名も”元海の男”、職業”(さすらい派)研究員”による海の事件簿。
2009年07月
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
london_bitter様 元海の男  
『★私のライフワークとは?★』 (05/29)
最新トラックバック
『★第58寿和丸転覆海難、不起訴処分の理由に思う★』[2009年07月03日(金)]
昨年6月23日、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和丸”が転覆し後に沈没、死者4人、行方不明者13人(後に死亡認定)が出た海難の続報です。

事故発生から一年目を迎えようとした先月3日、操舵室に当直者を配置するなどの安全確保を怠ったことにより乗組員を死亡させたとして、業務上過失致死の疑いで、福島海上保安部は“第58寿和丸”のK漁労長(当時57歳)を被疑者死亡のまま書類送検しました。

報道によると福島地検・いわき支部は、昨日(7月2日)までに、送検されたK漁労長について、被疑者死亡を理由に不起訴処分とする決定を下したとのことです。

送検理由を振り返ってみましょう。かいつまんで述べると、「シーアンカーによる漂泊中、海上強風警報が発令されている状況下、(同丸の最高責任者たる漁労長は、)迫り来る危険を早く察知し、乗組員を退船させるなどの対応を取るべきなのに、操舵室に見張りを立てていなかった。

その結果、高波を受け、乗組員の避難誘導もされないまま、同丸は転覆・沈没に至った。死者が出たのは漁労長の業務上の過失である。」でした。

“操舵室に見張りを立てていなかった”について、私はいまだに納得しきれていません。以前にもお伝えしたとおり、第58寿和丸の生存者は関係者に対し、「シーアンカーによる漂泊中、常日頃から、日中には幹部船員の誰かが必ず操舵室にいた。事故が発生した午後1時半頃にも誰かがいたと思う。」と話しています。

さらに、生存者の一人は、「自分は船室にいたので詳細は分からない。」としながらも、「(自室の下に位置する)操舵機のモーターの作動音が(時折)聞こえていた。(誰かが操舵室に居て、手動で操作しない限り、作動音は発生しない。)」と話しています。

また、第58寿和丸の僚船も、「シーアンカーによる漂泊中、(第58寿和丸の)操舵室には必ず誰かが居た。第58寿和丸に限っては間違いない。」と述べています。

特に操舵機のモーター音云々の話はとてもリアリティーに富んでいます。私のような船員出身者ならば、自らの体験に基づき、「なるほど、なるほど。私も錨泊中、自室で休んでいる際、作動テストのための操舵機のモーター音を自室でときどき確認し、しっかり守錨直が行われていることに安堵したことがある。」と頷ける話です。

第58寿和丸の生存者が、死亡・行方不明となった幹部船員たちの失態を隠蔽するため、作り話を語ったとはとても思えないのは私だけなのでしょうか。

こうしたことを考えるに、“操舵室に見張りを立てていなかった”という特定は、果たして合理的かつ客観的と言えるのでしょうか。

なぜ、“操舵室に見張りを立てていなかった”と判断したのでしょうか。私はやはり、特定した事故原因と大いに関係しているからと思わざるを得ません。

事故の原因について福島海上保安部は、海上保安大学校(広島県・呉市)の鑑定結果をもとに、「(シーアンカーによる漂泊中)、船首方向から来襲した大波(有義波高の2倍の6m前後)を船体に受け、復元力を消失し、転覆・沈没した。」と特定しました。

具体的には、「最初の高波で(船首の右舷側を中心に)海水約76トンが甲板上にたまった。」と報じられています。

この点なのです。操舵室に幹部船員がいて見張りを行っていた場合、突然、眼下の船首甲板を大波が襲い、しかも、ほぼブルーワークを満たすまでの大量の海水がとどまっている状況を見て、どう対応したでしょうか。

まず間違いなく、船内に危険を知らせる警報を鳴らし、乗組員に知らせていたはずです。しかし、実際には警報は鳴らされませんでした。少なくとも生存者は聞いていないと伺っています。

そこで、“当時、操舵室に見張りを立てていなかった”という判断が下されたのではないでしょうか。最初に結論ありきで途中経過の推定を行う場合、どうしても、いくつかの事象を避けざるを得ないことになりがちです。

なお、生存者は後部甲板から脱出する直前、操舵室の後ろの階段から降りてきた甲板長(死亡)に遭遇したと伺っています。

彼は生存者に対し“エンジンをかけろ!”とだけ伝え、他の作業に出向いたそうです。事実だとすれば、幹部船員である甲板長が、操舵室から降りてきたのです。

仮に操舵室の眼下の船首甲板を大波が襲い、しかも、ブルーワークを満たすまでの大量の海水がとどまっていたとしたら、少なくとも甲板長はそのことについて、何か一言でも触れるはずです。

なによりも、操舵室内には少なくとも甲板長がいたこととなり、“操舵室に見張りを立てていなかった”とは言い切れない気がします。

私は事故当時、幹部船員の誰か少なくとも一人が操舵室内にいたと思っています。しかも、一回目の衝撃の後、他の幹部船員らも慌てふためき、ごく短時間のうちに続々と操舵室に集結したのではないかと思っています。甲板長もその一人であったと思います。

しかし、集まった幹部船員らでさえ、少なくとも操舵室から見渡す限り、何が起こったのか判断できないような状況が、第58寿和丸を見舞ったのではないでしょうか。

そのため、ある幹部船員はエンジンの発動に向かい、ある幹部船員は後部甲板のクレーンの発動に向かった、こうして、何が起きているのかわからないまま、幹部船員らはできる限りの対応措置を行おうとした最中、ごく短時間のうちに転覆に至ったのではないでしょうか。

私は海上保安庁の大ファンの一人です。皆さんもよくご承知のとおりです。しかし、今回に関しては、正直申し上げて、不起訴の理由が“被疑者死亡”ではなく、“嫌疑不十分”であることを期待していました。


『★カンナム1の行き先やいかに?★』[2009年07月02日(木)]
武器やミサイル部品、さらには核関連物資を積載している疑いがあるとして、米海軍が追跡中の北朝鮮の貨物船“カンナム1(702総トン)”に関する話題です。

報道によると、香港の南約400キロを南下中であったカンナム1は、一昨日(6月30日)、急遽針路を転じ、北の方角、すなわち出港地方面に戻っていることが分かったそうです。

報道によるとカンナム1は6月17日、北朝鮮西岸の南浦(ナンポ)港を出港、黄海・東シナ海・南シナ海・シンガポール海峡を経て、ミャンマーに向け航行中だとされていました。

また、同号はミャンマーの港で荷卸しを行い、代わりに食料を積載するのではないかとの憶測も報じられていました。しかしながら、ミャンマー政府はカンナム1が入港する可能性があることすら認めていないとのことでした。

北転後の新しい目的地は不明ですが、少なくともシンガポール海峡方面への航海を断念したのはたしかなようです。

米軍は国連安全保障理事会決議に基づき、哨戒機や偵察衛星によってカンナム1の監視を続け、当該情報に基づき、イージス艦が追尾していると報じられてきました。

さて、カンナム1ですが、海運会社向けのインターネットの会員制有料情報サイトを見る限り、2008年7月20日、中国の青島(Qingdao)を出港したのを最後に、今まで約1年間にわたり、出入港の動静は報告されていません。

また、同サイトが同時に公開する、カンナム1が搭載しているAIS(船舶自動識別装置)から発せられた電波に基づく同号の位置情報を確認してみました。それによると、カンナム1は今年5月31日に北朝鮮・南浦を出港、一旦、北上し、その日のうちに北朝鮮・中国国境の鴨緑江の河口部沖合いに達しています。

そのまま、6月8日の午後までAISを作動させ、自身の位置を知らしめながら、ほぼ8日間にわたり同河口付近にとどまり、その後、再び南浦に引き返しているように思われます。

“思われる”というのは、6月8日以降、現在に至るまで、同号からのAIS情報が記載されていないためです。電波が届きにくい環境にあったのか、あるいはAISの電源を落としているものと推測されます。

前述のとおり、報道によるとカンナム1は6月17日、南浦港を出港したとされています。鴨緑江の河口部沖合いでの沖待ち後、6月9日に南浦に再入港、8日間同港にとどまり出港、その直後から今回の追跡劇に至ったということなのでしょうか。現在、同号はいったいどの港に向っているのか、少なくとも“前途多難”であることに間違いはないようです。



『★横浜の開港と30年前の思い出・・・★』[2009年07月01日(水)]
安政5年(1858年)7月29日、日本はアメリカと修好通商条約を結びました。その約一年後の安政6年(1859年)7月1日、同条約に基づき、横浜が開港されたのでした。150年前の今日のことです。横浜では開港150年を記念して、さまざまなイベントが開催されています。

当初、アメリカ側が開港を想定していたのは、東海道の宿場町として栄えていた“神奈川宿”、今の神奈川区・東神奈川のあたり、現在の横浜港の北側でした。

一方、幕府は修好通商条約が、しぶしぶ同意せざるを得なかった不平等条約であることも踏まえ、できる限り、市民の産業経済活動が盛んな場所から遠ざけ、影響が及ばない場所に開港すべく奔走しました。その結果、それまで漁村であった今の横浜港・大桟橋のあたりを開港、アメリカ側の要請を事実上回避したのでした。

もし、アメリカの思惑どおり、東神奈川が開港されていたならば、今の横浜港はもっと北寄りに展開し、横浜の中心地は今の東神奈川や鶴見あたりになっていたものと予想されます。

さて、今から約30年前、新前航海士であった私がK丸に初乗船したのは神戸港、その後、初入港したのが横浜港・高島桟橋でした。

K丸は在来貨物船であったため、荷役には数日間を要しました。夜の街に出かけるチャンスはいくらでもありました。当時、横浜の繁華街といえば関内・伊勢崎町、桜木町の裏手の野毛の飲食街も大いに繁盛していました。私の馴染みの店もこうした場所にありました。

一方、横浜駅の周辺といえば、これが県庁所在地の駅前なのかと驚くほど、見事なまでに寂れていたのを思い出します。

また、船が着桟した高島桟橋の周辺には、見るからに怪しげな薄汚れた赤提灯の屋台が数軒、飲み足りないと勝手に思い込んでいる酔っ払い船員を魅了するように並んでいました。

先日、仕事に向うため、このあたりを久しぶりに通りました。無論、まわりの景色はすっかり変わり果て、当時の面影は微塵も残っていませんでした。30年経ったのですから当たり前の話なのですが、寂しい限りでした。


『★平戸沖漁船転覆・沈没海難、16万人の署名の意義とは★』[2009年06月30日(火)]
本年4月14日、長崎県・平戸市・尾上島の北約13キロの沖合で、巻網漁船“第11大栄丸(135トン)”が転覆・沈没、乗組員10人が救助されたものの、12人が行方不明となっている海難の続報です。

今週末、行方不明者の家族の有志とその支援者らは、同船の引き揚げと遺体収容などを嘆願する署名が、活動開始以来1ヶ月半の間に、約16万人分に達したことを明らかにしました。

家族らは7月2日ごろ目処に、集まった署名を携え上京、国に提出するとともに、首相や農相らとの面談を実現させ、同種事故の再発防止策の充実や新たな法整備などを求めてゆきたいとのことです。

記者会見に臨んだ行方不明者の母親は、「一日でも早く家に帰してやりたい。もう少し待ってて・・・」などと、涙ながらに語ったと伝えられています。

以前にも述べたとおり、国や政治家に対し民意を伝えるための署名活動を行なう上で、全国規模での“10万人”という署名数は大きな数値目標です。状況次第では、国会議員数名分の当落を左右しかねない民意だからです。

海難という一般の方には馴染みの薄い分野での署名活動で、短期間での10万人分以上の達成の事例は、今年初頭の第58寿和丸の事例に引き続き、過去二例目と認識しています。

それだけ、両事故に対する国民の注目が集まっているわけです。もちろん、私も大いに注目しています。


『★日光丸海難、事故調査報告書に思う★』[2009年06月29日(月)]
昨年4月5日未明、青森県の陸奥湾の沖合で、ホタテ漁を行っていた青森市漁協・久栗坂支所所属の漁船“日光丸(5・1トン)が沈没、8人全員が犠牲となった海難の続報です。

運輸安全委員会は6月26日、この海難の事故原因についての報告書を取りまとめました。要約すると以下のとおりです。

「日光丸はホタテを過積載し、バランスが不安定で波の影響を受けやすい状況下、(ホタテ籠の回収などに使用する長さ約8メートルの)クレーンのブームを、左上方に展開したまま航行していた。

航行中、高さ1メートル超の横波の周期と、船の横揺れ周期とが合致する、いわゆる“同調横揺れ”が起きた。

こうした状況下、乗組員や高く積まれていた網などが、横揺れによってバランスを崩し片舷に移動、船体がさらに大きく傾斜し海水が打ち込み、甲板上の魚倉等の開口部から船内に流れ込み、予備浮力を完全に喪失、船体の姿勢を立て直すことはできず、ついには転覆・沈没に至った。

また、乗組員が救命胴衣を着用していなかったこと、(僚船が自ら救助に向ったため、)海上保安庁への通報が遅れたことが、本件事故の被害拡大に関与した可能性があると考えられる。

なお、この日はホタテの水揚げ開始日で、同市漁協の組合長も務めていた船長の責任感は強く、割り当て漁獲量を加工業者に渡したかったのではないかと思われる(荒天下での無理な操業が事故を招いた)。」

私の推測とおおむね合致しているのですが、大きな違いは、運輸安全委員会は日光丸の事故を、操業後の帰港中の出来事だとしている点です。

海底から引き揚げられた日光丸のクレーンのブームは、操舵室前方を支点とし、左舷船首部分に向って先端がそびえ立っていました。

クレーンを使った作業中であるならば、ブームの先端部から出ている吊り上げ用のワイヤーロープ、そして、さらにその先端に位置するフックは、垂直方向に垂れ下がっているはずなのですが、ブーム先端から出ているワイヤーロープは、ブームの下部に沿って船尾方向に戻り、フックと共にブームの支点部分に固縛されていました。

つまり、ブームだけは使用時の状態で左前方上空に向ってそびえ立ち、ワイヤーロープとフック類は不使用時の状態のまま、固定されていました。

私の常識からすれば、荒天下、クレーンのブームを左上方に展開したまま帰港の途につくなどは考え付きません。そこで、クレーンをこれから使用しようとしていた、あるいはこれから格納しようとしていたと思ったわけです。

しかし、報告書を読む限り、日光丸は一網分のホタテ(約2.5〜3.0トン)を回収し終わり、帰港する最中の事故だとしています。

僚船の船長も、「日光丸が魚網(パールネット)を回収しているのを目撃した。日光丸は帰港するとき、いつもクレーンを振り出していた。バランスをとるためだと思っていた。」と供述しているそうです。

いわゆる“同調横揺れ”が起きたとする推測にも一理あります。否定しません。しかし、最大の原因がクレーンのブームの展開であったことは、帆船の乗船経験のある者ならば、感覚的に理解できるはずです。

なお、報告書は「海象が悪化したとき、積載量を減らして十分な乾舷を確保することにより、横波による海水の流入を防ぐべきである。」と述べています。

日光丸は複数ではなく、一網分のホタテ(約2.5〜3.0トン)しか回収していません。荒天下、これでも積載量が多すぎ、海難発生の原因の一つとなり得るならば、「一網分のホタテの養殖量をもっと減らすべきではないか。」と言及しても良いような気がするのですが、報告書はそこまで踏み込んでいません。

さらに、この日に解禁となったのは、貝殻の直径が8センチ程度の“半成貝”と呼ばれるホタテです。スーパーの店頭に並ぶ際には、“ベビーホタテ”などの愛称が付けられているあのホタテです。

“日光丸”の8人の乗組員のうち、本職の漁業者は2人だけでした。そのうちの一人、船長のKさんは、誰もがその“技量”を認める、一流の“漁師さん”だったとのことです。

しかし、残りの6人は、繁忙期であることから臨時に雇用された、いわゆる“アルバイト漁師さん”、本来、建設業などを本業とする方々でした。

さらに、“アルバイト漁師さん”の本業への差し障りを考慮してか、あるいは、市場への出荷時刻を考慮してか、漁は深夜から未明にかけて実施されました。

こうした要素は、今回の事故の直接的な原因でないにしろ、何らかの遠因となっていた可能性も否定できません。

昨今、漁業者の高齢化や人数不足はますます進み、どこもかしこも、慢性的な若手後継者不足に悩んでいるのが現状です。

解禁日ともあれば、待ちに待った稼ぎ時、効率的に漁を行うために、わざわざお金を工面して若手の働き手を雇うことに対し、誰がそれを責めることができるでしょうか。私にはできません。

今回の報告書にもそれを多少匂わす記述はなされてはいますが、はっきりとは明言していません。できればもう一歩踏み込んで頂きたかったのですが。


『★マイケル・ジャクソンさんとファラ・フォーセットさんの死に思う・・・★』[2009年06月26日(金)]
先程来、各メディアによる、歌手のマイケル・ジャクソンさんの死亡報道が続いています。曰く、「ジャクソンさんは自宅で倒れ呼吸停止状態であるところを発見され、救急隊員によって、ロサンゼルスの病院に救急搬送されたが、死亡が確認された。」とのことです。50歳でした。

当初、死亡情報と昏睡状態との情報が入り乱れていたようですが、徐々に前者を報じるメディアが増えてきたようです。

死因は明らかになっていないようですが、2、3のメディアが“心臓まひ”の可能性が高いことを示唆しています。

また、同じく、米女優ファラ・フォーセットさんの、死亡が朝から盛んに報じられています。62歳でした。末期がんで闘病生活を続けていたそうです。

彼女は、1970年代に日本でも放映されたテレビドラマ“チャーリーズ・エンジェル”に出演し、一世を風靡しました。

何を隠そう、私の妻が彼女の大ファンです。私と付き合い始めた当初も、思い起こすに、フォーセットさんとそっくりな髪型をなびかせていたと記憶しています。今は全体的に、かなり形状変化しましたが・・・。

一方、妻の姉、私にとっては義姉なのですが、彼女はマイケル・ジャクソンさんの大ファンです。ライブにもたびたび出掛けていました。同時に姉妹の大ファンが亡くなるとは、結構、運命的なものを感じざるを得ません。

幸いなことに、私がファンである吉永小百合さんはお元気なようで安心です。



『★潜水艦海難に思う、切断ケーブルはいずこ?★』[2009年06月24日(水)]
6月17日正午過ぎ、青森県・東通村の尻屋崎の東約28キロの太平洋上で、海上自衛隊の潜水艦“おやしお(2,750排水トン)”が、調査船”資源(10,395総トン)が曳航中のケーブルに接触し、これを切断した事故の続報です。

“資源”は日本国政府が所有する三次元物理探査船で、経済産業省・資源エネルギー庁が所管しています。事故当時、同船は三陸沖での海底資源調査のため、受信機を装備した直径6センチ、長さ4,800メートルのケーブル10本を曳航中でした。

“おやしお”はこのうち7本のケーブルを切断、うち3本は現場海域で回収されたものの、残り4本(いずれも全長の一部)は漂流を開始しました。

海上保安庁は航行警報を発し、付近船舶に注意を呼びかけるとともに、巡視船等による捜索を行なってきました。その他、海上自衛艦1隻、航空機3機、経済産業省がチャーターした警戒船4隻も捜索にあたってきました。

しかしながら、発見には至らず、海上保安庁については6月20日をもって、また、海上自衛隊については6月22日をもって、いずれも専従捜索を終了しています。

今のところ、同切断ケーブルの漂流に伴う、航行船舶への被害は報告されていません。航行警報も削除されているようですが、付近航行船は念のため、注意するに越したことはないようです。

金華山沖には長さ約8メートルのクジラの死骸も漂流しているようですので、併せて注意が必要です。まさか、ケーブルがからまった死骸ではないとは思いますが・・・。



『★第58寿和丸転覆海難、今日で丸一年★』[2009年06月23日(火)]
昨年6月23日、千葉県・犬吠崎の沖合の太平洋上で、福島県・いわき市の巻き網網漁船“第58寿和丸”が転覆し後に沈没、死者4人、行方不明者13人(後に死亡認定)が出た海難の続報です。

海難発生から今日で丸一年目を迎えました。事故が発生したと推測される午後1時半、私は一人で黙祷を捧げます。亡くなった乗組員の方々に私なりに伺いたいことを、いくつか問いかけたいと思います。

今月になってにわかに動きが活発になりました。ご承知のとおり、福島海上保安部は6月3日、事故当時、操舵室に当直者を配置するなどの安全確保を怠ったとして、業務上過失致死の疑いで、“第58寿和丸”のK漁労長(当時57歳)を被疑者死亡のまま書類送検しました。

送検理由については、「シーアンカーによる漂泊中、海上強風警報が発令されている状況下、同丸の最高責任者たる漁労長は、迫り来る危険を早く察知し、乗組員を退船させるなどの対応を取るべきなのに、操舵室に見張りを立てていなかった。その結果、高波を受け、乗組員の避難誘導もされないまま、同丸は転覆・沈没に至った。死者が出たのは漁労長の業務上の過失である。」とのことでした。

また、事故の原因については、海上保安大学校(広島県・呉市)の鑑定結果、すなわち、「シーアンカーによる漂泊中、(有義波高の2倍の6m前後の)高波に遭遇すれば、同丸は復元力を消失、短時間のうちに転覆・沈没する可能性があると思われる。」に基づき、連続した2回のフリーク波への遭遇と捉えたようです。

多くの報道は、「(有義波高の2倍の6m前後の)高波に遭遇する確率は1000分の1程度で、あり得る話である。」という論調で報じています。たしかに、統計上はそのとおりなのですが、2回連続の確率はその二乗の100万分の1の確率となります。きちっと計算してください。

さらに、「最初の高波で右舷側を中心に海水約76トンがたまった。」と報じられています。手元にある、第58寿和丸の詳細船体図面をもとに計測してみたところ、船首甲板にほぼ並々と海水を満たした数値がおおむね76トンに匹敵します。

仮に鑑定どおり、最初の波で船首甲板に並々と海水が満たされたとしましょう。この場合、同丸の復元性資料などを紐解く限り、船首喫水が80センチほど増え、船体が全体に20センチほど沈降します。

しかし、これだけではすぐには転覆しません。また、並々と溜まった海水もブルーワーク下部の隙間(排水口)から、どんどん排水されてゆきます。条件は時間が経つにつれ改善されていくのです、

問題は決定打となるべき、2回目の高波です。最初の高波で船体条件をこのように変化させたにしても、2回目の外力がただちに襲い、しかも、それが想像を絶する破壊力でない限り、転覆・沈没には至らないはずです。

そのあたりを鑑定結果はどのように論じているのか、すなわち、2回目の高波をどの程度ととらえたのか、専門家の一人として是非拝見したいものです。


『★自殺者過多傾向はクルーズ業界にマイナスイメージ?★』[2009年06月22日(月)]
1989年は、日本そして世界が激動した年でした。年明け早々の1月7日、昭和天皇が崩御、昭和時代の幕が閉じ、世は平成に移り変わったのでした。

4月1日には消費税法が施行され、日本初の消費税制度がスタートしました。当初、消費税は3%でした。4月11日には神奈川県・川崎市・高津区の竹藪で、1億円の札束が発見されるという奇妙な事件が発生しました。

6月24日には昭和を代表する国民的歌手、美空ひばりさんが死去、7月13日の参議院選挙では消費税問題などが争点となり、自民党は単独過半数割れとなる惨敗を期し、首相が退陣に追い込まれたのでした。

海外では6月4日、中華人民共和国・北京市で、自由化を求める一般市民と軍との衝突事件、すなわち“天安門事件”が発生したのでした。

10月23日にはハンガリーが社会主義を捨て共和国となり、11月9日にはドイツの“ベルリンの壁”が崩壊、11月24日にはチェコスロバキアの共産党政権が崩壊、12月22日にはルーマニアのチャウシェスク政権が崩壊するなど、東欧諸国の社会情勢が激変した年でもありました。

一方、海事の世界では1989年(平成元年)は“クルーズ元年”と称されています。 この年、日本初の豪華外航客船2隻が相次いで就航しました。また、東京湾や瀬戸内海でも、景色を楽しみながら食事を楽しめる、豪華なクルージング・シップやレストラン・シップが登場したのもこの頃でした。

豪華客船による本格的なクルージングは、単なる移動手段としての従来の旅客船の運航とはまったく異なるもので、いわゆる欧米型の海洋性レクリェーション、それも“大金持ち”の“道楽”と考えられていました。

時はバブル経済の最終期、いくら、にわか“成金”が巷に溢れているとはいえ、欧米の特権階級の究極の“遊び”であるクルージングが、日本でも現実のものとなるとは、多くの国民が予想していなかったはずです。私のそうでした。

戦後の荒廃から立ち上がり、 「東洋の奇跡」と称される経済成長を遂げた日本が、海洋性レクリェーションの分野でも欧米並みの成長を果たしたのでした。

日本では今や豪華客船によるクルーズは、単なる一部の特権階級の“道楽”としてではなく、熟年層を中心とした多くのリピーターたちに支えられ、ある程度の金銭的・時間的余裕を有する人々の趣味・社交の文化の一つとして、社会的にも十分認識されていることは皆さんご承知のとおりです。

先週の外電の中に、昨今の世界的な不況をものともせず、人気に衰えないクルーズ産業に対し、警鐘を投げかけている記事を見かけました。

曰く、カナダの大学の教授の話として、「世界のクルーズ船で、今年に入り、すでに12名が海中転落によって死亡又は行方不明となっている。その大多数は自殺で、ごく一部に飲酒が原因の転落事故も含まれている。自殺者数の過多は客船業界にとってはマイナスイメージである。」なのだそうです。

いったい、世界中でどれだけのクルーズ客船が就航し、どれだけの乗客が今年に入り乗船したのかは分かりません。

仮に、本年度上半期に世界中でクルージングを楽しんだ人々が10万人いたとします。日本のクルージング人口は20万人、米国は1.000万人と言われていますので、実際にはもっと多くの人々がクルージングに参加したと思われますが、この際ですから10万人としておきます。

さて、12名という数字は、これらの乗客が普通に生活していても自殺に至る数値よりも少ないような気がします。

なぜならば、2008年の統計を紐解くと、世界の国々の中で、人口10万人あたりの自殺者数の最高はリトアニアの38.6人、ベラルーシの35.1人、ロシアの32.2人と続きます。

日本は23.7人で第8位、お隣りの韓国は21.9人で第11位です。中国は13.9人で第16位、米国は11.0人で42位です。

12人という人数はほぼ米国並みの数値であり、欧米諸国全体からいっても平均的な数字といえます。

12人という数字が自殺者数の過多を示し、客船業界にとってはマイナスイメージなのか、私は納得できないのですが、皆さんはいかがでしょうか。


『★潜水艦海難に思う、隊歌を思い返せば?★』[2009年06月19日(金)]
6月17日正午過ぎ、青森県・東通村の尻屋崎の東約28キロの太平洋上で、海上自衛隊の潜水艦“おやしお(2,750排水トン)”が、調査船”資源(10,395総トン)が曳航中のケーブルに接触し、これを切断した事故の続報です。

お伝えしたとおり、“資源”は日本国政府が所有する三次元物理探査船で、事故当時、三陸沖での海底資源調査のため、受信機を装備した直径6センチ、長さ4,800メートルのケーブル10本を曳航中でした。

当初、“おやしお”との接触により、うち6本が切断したと伝えられていましたが、その後の調査で切断されたのは7本であったことが判明しました。

7本のうち2本は現場海域で既に発見されたようですが、残り5本は発見されていません。海上保安庁は航行警報を発し、付近船舶に注意を呼びかけるとともに、巡視船等による捜索を行なっているとのことです

第二管区海上保安本部(宮城県・塩釜)の発表によると、“おやしお”の艦長は事情聴取に対し、「(事故当時、船体に)異音を連続して感じた。」と話したそうです。また、“おやしお”の艦橋付近には、接触の証拠となる数カ所の擦過跡が確認されたとのことです。

また、“資源”を所管する経済産業省資源エネルギー庁によると、“資源”は切断後に回収したケーブルや予備ケーブルによって補修作業を行い、調査を再開する予定とのことです。

さらに、今回の探査に関し、当初予定した7月4日までには終了せず、ずれこむ可能性も示唆したそうです。なお、同庁はケーブルの被害額の算定を始めたとのことです。

資源エネルギー庁の担当課はたしか石油・天然ガス課のはずです。同課のH課長とは昨年末、北海道での講演でご一緒しました。課員の皆さんともども対応に追われ、さぞやご多忙のこととお察し申し上げます。

以前にもブログに書いたのですが、私が “船乗り”の道を歩み、現在の職に就いたのは、少年時代に海上自衛隊の体験入隊イベントに参加したことがきっかけです。私は古きよき時代の海上自衛隊の“ファン”なのです。

体験入隊を通じ、私は海上自衛官からさまざまなことを学びました。海の“掟(おきて)”や“交通ルール”、さらに、“シーマンシップ”の何たるかなどです。当時の海上自衛隊の隊歌は今でも覚えています。

男と生まれ、海を行く、
若い命の血は燃える、
かおれ桜よ、黒潮に、
備え揺るがぬ旗じるし、
おお、選ばれた自衛隊、
海を守る我ら

昨日のブログで私は、「海上自衛隊は初心に立ち返り、“船乗り教育”の改善を行なわなければならない。いや、“あたご”海難を教訓とし、すでに改善されていなければならない。」と述べました。この歌詞を思い返せば、私の伝えたい真意をお分かりいただけるかと思うのですが。



| 次へ
プロフィール


リンク集
http://blog.canpan.info/maikohinako/index1_0.rdf