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夏の思い出 @ [2011年09月01日(Thu)]
お久しぶりです♪ 想定外の災害つづきですが、皆さんのご無事を願ってます!
備えあれば憂いなしは昔の話かな。備えて備えて、それでも油断しないでいましょうね。

前回の更新が7月3日ということは…、夏の思い出はやっぱり今年のサラダ記念日から書かないとね!

今年のサラダ記念日(7月6日)は私はツイッターを1日に何度も何度も見てました。トレンドにたぶん半日以上「サラダ記念日」が入ってて、いろんな人のつぶやきを見てニヤニヤしてました。たくさんの人が自分の好きな万智さんの短歌をツイートしてて、とっても興味深く見てました。

好きな万智さんの短歌を一つとかって言われても私には選びきれません。 が、せっかくだからツイートしました。でももし今日だったら、ちがう短歌を選ぶかも。今、ふとよぎる好きな歌。

ヒヨコ 長崎の梨の甘さや君が血につながる果実切り分けている   (〜チョコレート革命〜)

ヒヨコ 「たすけて」といえばあなたは会いに来てくれるだろうかくれぬだろうか (〜かぜのてのひら〜)  

8日から、関西の若者4人が来るっていうんで、サナちゃんやイクさんたちと一緒に多賀城に炊き出しに行ったり、津波に負けずに相馬で稲を育ててる私の卓球仲間のT氏の田んぼを見せてもらいに行きました。避難所では避難されてる方の人数が少なくなるに伴ってボランティアも減ってるみたいです。T氏は去年まで稲を育ててた家の前の田んぼが津波をかぶっちゃったので、離れた場所を借りて今年も田植えをしたとのこと。無事でいてくれて、それだけで嬉しいです。稲が元気なのも本当によかった〜。

翌週はペロリと関西旅行に行きました。一生忘れられないであろう、高松塚古墳。私は自転車で下り坂に急ブレーキでつんのめって、転んだら頭上から自転車が降ってきて、人生最大の大ケガをしました。。。顔や腕のキズはいっこうに跡が消えません。おかげでお嫁にいけない言い訳ができました。痛みをガマンしてガマンしてそれでも登った甘樫の丘では感極まって、やまとは国のまほろばって呟いて力尽きても悔いはないくらいでした。古典とかで習った大和三山もきれいに見えました。満身創痍の女帝気分。

石舞台古墳は思ってたよりめちゃくちゃ大きくて、天気も良かったので空に映えてキレイでした。石室にも入ったけど、こんな所でも地震が怖かったです。もしもの時でも、よりによって蘇我馬子と同じお墓に入るのだけはカンベンです。聖徳太子が生まれたっていう橘寺とか飛鳥大仏が有名な飛鳥寺とかにも行きました。その時代の歴史小説を読んでて、すごく行きたいって思った法興寺っていうお寺、ガイドブックにも載ってないからもうなくなったんだと思ってたら、その後身がいまの飛鳥寺だそうです。ここから日本の仏教が始まったんだなぁって、朝日に祈るような気持ちで新しい日本、災害に強い町になりますようにって祈りました。

明日香村から奈良市に行って、興福寺と奈良国立博物館の仏像館に行きました。興福寺って言ったら阿修羅人気で今でこそ大人気だけど、昔ってそうでもなかったことないですか?関西に住んでた頃、たまに友人たちと東大寺とか正倉院展とかに行っても、目の前の興福寺に行ったことはなくて、仙台に来てから仕事で行ったのが初めてでした。そして初めて行った時ステキな仏像ばっかりいっぱいあって、なんで今まで来なかったんだろうって思ったくらいです。今年行ったら拝観料が高くなってたような。

奈良は昨年の平城京1300年にあわせてずいぶんと様変わりしてました。ちょうど奈良博が夜間入場できる日だったから、夜に新しくできた仏像館に行ったんだけど、初めて興福寺の国宝館に行った時くらい感動しました。いろんなお寺の仏像があったけど、その中でも勝林寺ってお寺の十一面観音様には痛みも忘れて吸い込まれちゃいました。傷だらけであこがれの奈良ホテルにご宿泊。

奈良ではほかにも東大寺・春日大社・唐招提寺・薬師寺・法起寺・中宮寺・法隆寺に行きました。初めて行った唐招提寺には、いつだか仙台の展覧会で観た鑑真和上像を見たくて行ったのに、1年のうちで和上像が見られるのはほんの数日らしくて見られず。でも和上のお墓があるお庭(なんていうんだっけ?)に美しい苔が敷きつめられてて幽遠な感じでした。薬師寺から徒歩すぐでした。薬師寺に行くなら寄らなきゃ損だと思います。

薬師寺は東塔が修復のため見られないって何かで聞いた気がして、東塔ないならやめとこうかって言いながらそれでも行ったんだけど、あれ、普通に見られました。かつて薬師寺のお坊さんからくり返しお話を聞いたので、つい受け売りで道連れに説明したくなっちゃいます。薬師三尊の薬師如来様はお医者さん、日光菩薩は日勤の看護婦さん、月光菩薩は夜勤の看護婦さん。24時間休みなく心の病気も身体の病気も治してくれますよ、って。なので友の病気快復と自分のケガの快復を祈りました。

クローバー ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲  (佐佐木信綱)

日本で一番古い塔は? →法隆寺  日本で一番高い塔は? →東寺
では日本で一番美しい塔は? →「薬師寺!」って言わされるのが修学旅行生の常でした。
そんなお坊さんの話、私は大好きです。

だけどやっぱり一番好きなお寺って聞かれたら法隆寺かな。大ケガしながらもバカみたいに長い距離を歩いたので、法隆寺あたりが一番辛かったけど、それでも私が大恩を感じてる夢違観音様にお目にかかって心が軽くなりました。バカみたいに歩いた理由は初の法起寺に立ち寄ったからなんだけど、先日のレキジョの会で、レキジョたちが刀自古郎女(とじこのいらつめ)って人について語ってて、私はさっぱり話についていけず、次回は話に混ざりたいので勉強してゆかりのあるお寺に行ってみたってわけです。

法起寺は遠くの道路からでもきれいな三重塔が見えていて、前から一度は行ってみたかったんだけど、誰にゆかりがあるかなんて知らなかったです。で、行ってみたら小さなお寺で、係のおっちゃんが、ここは法隆寺と一緒に、日本で最初の世界遺産だとか教えてくれたので、聖徳太子の奥さんが住んでたって聞いたんだけど?って言ったら、そんなん聞いたことないなぁって言ってました…。でもその場所が昔、岡本の宮って呼ばれてて色んな人が住んどったから、奥さんもいてはったんかなぁって。レキジョたちに刀自古の絵葉書とかお守りとかでもお土産に買いたかったけど、お土産はひとつも売ってませんでした。他にお客さんもいなかったので、おっちゃんはめっちゃ親切にしてくれました。っていうか、私のケガが足も顔もハンパない惨状だったので、旅行中に会った人はみんな親切にしてくれたんだけど。。

あとは京都に行って、祗園祭りの宵山と山鉾巡行を見ました。祗園祭は貞観地震・貞観大津波の年にはじまったそうですね。鎮魂と復興を祈願して行われた御霊会が祇園祭の起源とされてるみたいです。今年は関西でも、お寺とか神社とかその他あらゆるところで東北地方を応援してもらってるのを実感しました。今年流行のひんやりタオルを首に巻いて、山鉾見てました。見ていて面白いかって言ったら私はそうでもないんだけど、昔ながらの伝統行事を京都の人たちが大切に大切に守り伝えてはることが貴く美しいって思います。長刀鉾とかはしかし迫力ありますよ。

ほかには修学院離宮、延暦寺、日吉大社、大原などに行きました。修学院離宮がすっごく広くて驚きました。将来、本当に大好きな人たちだけで集団生活したいなぁって時々思うんだけど、あんな場所がいいなぁ。延暦寺では災難続きの私にペロリが厄除け守りを買ってくれました。本格的厄払いに行きたいと思うこの頃です。大原は大学時代にセンパイやO24君と、秋に寂光院行きたいねって話してたその夏に、放火により寂光院全焼っていう悲しすぎる事件があって流れてしまったので、10年くらいたってようやくお参りしてきました。

三千院は「女ひとり」の歌でしか知らなかったけど、ほんとに恋に疲れた時に癒してくれそうな場所でした。写経の部屋で、書き終えてお供えするときに、なんと正座ができました。左のひざ周辺に南部せんべい2枚分くらいのあざができててそれはそれは痛かったんだけど。関西の神様仏様ありがとうございますって思ったら、その直後に三千院で正座をなさってる観音様を見たんです。めずらしいですよね。今後、足が痛くて正座できない人には三千院をオススメしたいと思います。

なんか、関西だけで長くなっちゃって、夏の思い出はまだまだ書きたいのだけど、次回にします。


あ、そうそう、私が人生で初めて覚えた短歌は、これまた大好きな歴史マンガより、

クローバー 天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも  (阿倍仲麻呂)

なんだけど、その三笠山が春日山のお隣だってのを今年初めて知りました。「春日なる」って言ってるのにね、子どものころなんか意味はほとんどわかんなかったから。 私はこれを覚えた年に百人一首のカルタを買ってもらって、全然意味はわかんないのに全部おぼえました。小学校二年生の冬休みです。いま思うと、万智さんの短歌がこんなに大好きだなぁって思えるのも、子どもの時に意味わかんなくても三十一文字のリズムになじんじゃったからかもしれません。それもこれも、まんが人物日本史と出会えたおかげです。

小学2年生の万智さんの息子さんも、カルタで四字熟語やことわざをたくさん覚えておられるそうです。意味がわかんなくても、覚えとくことにすっごい意味があるのかもしれませんね。二十数年たって、あの時百人一首おぼえて良かったなぁーって私は心からそう思います。