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NIE研究大会。 [2009年11月24日(Tue)]
こんばんは。 光陰矢のごとしで、私は先日29歳になりました。 
お祝いしてくださった皆さまありがとうございましたっドキドキ小

29歳になっても、あいかわらず電気毛布で長電話っていう生活をしていたら、長電話友だちにもいいかげん飽きられてきたようで、ストーブを買って暖かい部屋で本を読んだりテレビを見たりすればいいんじゃないの?だって。。 淋しいこと言うよねペンギン

仕方がないので、ヨドバシにストーブを買いに行きました。 お湯を沸かしたりお餅が焼けるような石油ストーブもいいんだけど、まちがってみよちゃんが接触して丸焼けになったら困るので、ファンヒーターにしました。 27日にお届け予定なので、それからはぬくぬくとブログ書こうかなって思います。

最近のトピックスとしては、21日にメディアテークで万智さんのトークイベントがありましたキラキラ 絵本作家のとよたかずひこさんとの対談で、子どもの頃の読書体験や、お子様と一緒に絵本を読む時間のこととか楽しいお話をたくさん聴かせていただきました。 そうそう万智さんが、『かーかん、はあい』でも紹介してくださった『かみさまからのおくりもの』をみんなに読んでくれました。 赤ちゃんが生まれると、神様がひとりひとりに贈り物をくださるって話。 万智さんのお声をうっとりと聴きながら、私が神様にいただいたのは、きっと「万智さんにであう」だなって思いました。

お誕生日(18日)には、研修のため残業っていうつまらない予定しかなくて、がっかりしながら一旦はお家に帰ったものの、こんな誕生日はいやだっ!って思って、夜の町にくりだし、ご近所ナベ君、ミセス・スガ様、星空マロン先生にお祝いしてもらいましたリボン 日頃つきあいを怠っていながら、祝ってくださいと言わんばかりのタイミングで現れた私に、期待通りのあたたかさで「おめでとう」って言ってくれる、やっぱり持つべきものはご近所さんです。 ステキなお誕生日をありがとうっ♪

20日には会社のチーム飲み会がありましたジョッキ チーム解散!って今月の初め頃に聞いたときは青天の霹靂で、お先真っ暗だったんだけど、その日が近づいてきたらようやく仕方ないかなぁって思いはじめてきたものの、、あぁでもやっぱり残念だなぁ。。 センパイ方から頂いた薫陶を胸に、新しいチームでもしばらくがんばってみようと思います。 お世話になりました…あ、でも今後も何かとよろしくお願いしますっ。 仕事はモチロン、お昼休みにみんなでワニワニパニック行ったりしましょうネ。

22日は関西でお祝いごとがあったので、サナちゃん・Mっちたちと日帰り関西旅行に行きましたロケット 2月に早稲田大学で一緒に万智さんにお会いした東京の紳士にも再会したので、きのうも仙台で万智さんのイベントあったんですよーなんて、大さわぎな私でした。 彼は万智さんに特別な思い入れはないようなんだけど、紳士なのでやっぱり喜んでくれました。 一緒に万智さんにお会いしたってだけで、私からしたらすっかり万智さんつながりの仲間だと思ってるんだけどナ。 また東京で何かあるときはー、なんて言ってはみたけどステキな方はそうそう誘えるもんじゃないです。。 次回のいつかが楽しみです。

きのうは本屋さんでちらっと見た『婦人公論』で、万智さんの歌にちょっと心を打たれちゃいました。 スローガンは書くまいっておっしゃってた万智さんにしてはスローガン的な気がしたけど、何よりも何よりも、大事なのはほんとそうだなって…ここには紹介しないので、どうぞ最新号の『婦人公論』の「うた便り」チェックしてみてくださいね。 

ここのところ「うた便り」は新彊ウイグル自治区の写真と、それに合わせた万智さんの短歌みたいだけど、なんでかな。 万智さんが行かれたわけじゃないですよね…? 夏の旅行の感激を忘れないうちに、私も新彊の歌を詠みたくなりました。 短歌を考えたら万智さんと一緒に旅をした気分になれるかもしれませんね。 思いついたら、ここで紹介するかも、しないかも。

明日は仙台市立榴岡小学校で、万智さんが公開授業をされるらしいです。 でも教育関係者じゃなきゃダメってことなので、なんとかもぐり込みたかったのだけれど諦めました。 宮城県NIE活動20年記念大会だって。 NIEっていうのは「Newspaper in Education」つまり、教育に新聞を、って意味らしいです。 この1日のためだけにでも教員免許とればよかったかなぁ。 小学生も羨ましいです。 来世でも万智さんに出会えたら、私は万智さんの教え子になりたいです。 明日のことはきっと近いうちに河北新報に紹介されると思うので、そしたらまたここでもご紹介しますね。  
◆愛された [2009年11月13日(Fri)]
昨夜、ご近所の同僚と深夜のガストでくっちゃべってました。 このところ寒くて家に帰ったら電気毛布にくるまってるだけなので、たまに誰かと仕事帰りにお茶しよ〜ってことになります。 3人以上集まればついつい空騒ぎしちゃうけど、2人だとこれからの人生どうしようなんて話になりやすいものです。 迷える年頃だもんねー。 

帰りの車の中で彼女の恋ばなを聞いてたら、突如こんなことを言いました。
「まりりん、あれだよ、愛された記憶はどこか透明で…いつだってひとり?だっけ…?」
もう!見直しちゃったよね。 よく知ってんじゃん♪ 

ヒヨコ 愛された記憶はどこか透明でいつでも一人いつだって一人   (〜サラダ記念日〜)

だよ、って教えてあげたら、それそれ、万智さんはいいこと言うね!だって。 でしょでしょ。

私がタヌキに貸してあげた本に書いてたのを見たっていうので、ぜったい 『風になる』 のことなんだけど、それってたしか夏になる前だったんじゃないかな。 読んだ時に「うぉー、これだ!」って思ったらしいのです。 どうしてその感激をこれまで伝えてくれなかったんでしょ。 私もなんだかますますこの歌が大好きになりました。 

大切な人たちと一緒にいても、「いつでも一人いつだって一人」な気分ってありますよね。 寒さは淋しさを助長させるので、まいっちゃってます。 毎年この季節は、テレサ・テンの『アカシアの夢』が沁みてきます。 私がテレサファンになったのはこの歌からっていう1曲です。

電線ロマン。 [2009年11月08日(Sun)]
携帯電話の技術とかって、ほんと意味わかんないね!って、先日長電話友だちと話してたんだけど、あれって空気の中になんか音の粒みたいなのが漂ってんのかな。 そして体の中とかも通り抜けていったりしてるんかな。 昭和な暮らしをしてる私でも、携帯がなかったら淋しくて死んじゃうと思うので、科学の恩恵にはとっても感謝してますが、その謎めいた仕組みはちょっとコワいくらいに感じます。 

家の電話だって、意味はまったくわかんないんだけど、ちゃんと線でつながってるのが分かるからコワくはないです。 でも音速は1秒間に340mって習ったのにさ、なんで遠くの人と時差もなく話せるのか不思議。 音の速度じゃなくて、電気の速度とかなのかな。

いつだかハッチャンが、私とおうのさんを窓辺に手招きして教えてくれました。 あれが東北電力の線、あれがNTTの線、あれがケーブルテレビの線… もうすっかり忘れちゃったけど、意識して見ると、街じゅう電線がはりめぐらされてて蜘蛛の巣みたいです。 

電線を伝って家と家がつながってる、町と町がつながってるってのは、なんかロマンを感じます。 …って、職場の人に話してもあまり共感してくれなかったけど。。 こないだ読んだ本じゃ、せまい日本の道路の下だけでも長さにして60万キロ(地球15周分)の電話線が通ってるらしいです。 すごいことだと思うけどなぁ。

私はJRの線路沿いに住んでたので、昔から窓の外を見ながら、この線路をずーっと行ったら万智さんのいる東京に行けるんだ!とか、考えてた子なので、今は線路のかわりに電線にロマンを感じるのかもしれません。 大切なものは目に見えないって、星の王子さまはいうけれど、離ればなれになった友人たちとの心のつながりを思うよすがにもなるものです。 赤い糸より電話線!?

そんなわけで今日は電話にまつわる万智さんの恋の歌。

ヒヨコ 長電話すればするほど会いたくて 切れない心 置けない受話器  (〜とれたての短歌です。〜)
                    ひと
ヒヨコ 「もしもし」と きれいな声の女だった 受話器を置いて何かが終わる
  (〜もうひとつの恋〜)

ヒヨコ 私からかけた時だけ長電話 ふりむきながら 愛されている  (〜とれたての短歌です。〜)

ヒヨコ 「です・ます」で話し続けている君の背景にあるファミリーランド  (〜チョコレート革命〜)
あの日。A [2009年11月05日(Thu)]
あっという間にまた1週間。 テトリスしてたわけじゃないです。 
ブログ更新してなかったのは電気毛布を買ったせいです(?) 寒いですね〜っ!!


先日のつづき…10年前の10月30日。

あの日は早朝から指宿名物の砂蒸し温泉を体験! バスの出発が早かったから、砂蒸しするには5時くらいに起きたんじゃなかったかな。 おばちゃんがシャベルで全身に砂かけてくれてね。 気持ちよかったけど、重くて熱くて、長くはやってられませんでした。 土から這い出した後、海のとなりの露天風呂で、朝日を見たんじゃなかったっけ。

朝ごはんの時、たまたま万智さんがまた近くの席に来てくれたので、砂蒸しやってきたんですよーみたいなことを言ったら、早起きしたねーみたいな、若い人はさすがねーみたいな、よく覚えてないけどそんなことを言ってくれました。

日比野克彦さんがデザインされたっていうド派手なペイントのバスに乗って、指宿周辺を巡ったんでした。 開聞岳とか、どこかの港とか、知覧の武家屋敷とか、、あとは、どこだっけ。 

短歌を作ってみましょうっていう旅だったので、私もがんばっていくつか考えました。 とてもここで披露できるものじゃないけど、その都度万智さんに見てもらいました。 万智さんが線とか◎印をつけてくれて、この助動詞がいいねとか、この言葉はなくても伝わるからほかの言葉にしたらいいよとかってアドバイスをしてくれました。

ほかの参加者は年配の方たちが多かったです。 お母さんと来ていた女の子を除けばたぶん私が最年少だったかな。 大人たちは遠慮しちゃうのか、あんまり万智さんに話しかけたりしてなかったので、私はけっこうお話できるチャンスがありました。 万智さんがあの日のことをどれだけ覚えてはるんやろう?って気になるところだけど、覚えてなかったらショックなのでとても聞けません。。

万智さんがあの旅で作った短歌が、その年の12月号の角川『短歌』に載ってます。 さらにそのうちの2首が『プーさんの鼻』にも載ってます。 どの2首なのかは私と万智さんのヒ・ミ・ツです…んなワケはないんだけど、ヒミツにしたい気分をわかってくださいっ(?) 

夢中になって恋人のことを忘れてましたが、私のノートに1つだけ彼の作った短歌も残っています。 彼が短歌を詠んだなんて人生最初で最後かもしれません。 先日「あれからちょうど10年だよ」って久しぶりに電話してみたら、あんまり覚えてないみたいでガッカリしました。 「…君には一日(ひとひ)我には一世(ひとよ)」 ってこういうことだと思います。 淋しいですね。

万智さんとお別れしたのは、たしか城山ホテルに戻ってバスを降りたところだったかな。 別れ際に「短歌をこれからも続けて作ってね」って言ってもらったんでした。 それから恋人の名前で「良い旅を…!」ってノートに書いてくれました。 私の名前にしてもらえばよかった…私なら額に入れて床の間に飾るのに…(床の間ないけど。) 去年彼が仙台に来た折に、ついにそのページをあげちゃったことを、後悔はしてないんだけど、大切にしてよって心から思います。

鹿児島にはあのあと2回行きました。 桜島・知覧・開聞岳… 年を取ったら鹿児島に住みたいなぁって、時々思います。 陽射しが強くて、青空がきれいで、とっても幸せな秋でした。