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夏の思い出 A [2011年10月10日(Mon)]
もう2ヶ月以上も前のことになっちゃいましたが、今日こそは四万十川の思い出を綴ろうと思います。…。

7月の終わり頃、マツコ・ゴツコと念願の四万十川に行ってきました。2月某日、マツコ一族の集いの席で高知行きたいって話をしたのがきっかけ。高知のおばあ様のお家に泊めて頂いたりして、4日間の楽しいふれあい旅行になりました。

万智さんの第2歌集『かぜのてのひら』を知らない人はいないでしょうけど(…知らない人はこんなブログ読む前にぜひそっちを読んでくださいネっ)、そのタイトルになったのがこの一首。

ヒヨコ 四万十に光の粒をまきながら川面をなでる風の手のひら  (〜かぜのてのひら〜)

私はこの短歌が大大大好きで、その他の四万十川や高知にまつわる万智さんの短歌もエッセイも大好きなので、四万十川といえばそれはそれは憧れの地だったわけです。

6月のはじめ頃だったかな、私の夏休みは8月いっぱいまでって決めた途端、四万十川に行くなら今だ!って思いつき、マツコに電話をしたところ即OK。彼女は仕事を休まなきゃいけないのに、その身軽さを嬉しく思いました。でも2人で電車で行くなら回れる場所が限られちゃうなぁって思っていたら、病気療養のために休職中のゴツコのことを思い出しました。ダメもとで電話したら行きたいって言うので、大阪から3人で車で行くことになりました。(結果的に運転は2人が全部してくれたのですが。) 

出発前日、大阪のゴツコ邸に泊まりに行って、パパママに数年来の胸のつかえを聞いてもらって、ひとしきり恋のから騒ぎもして案の定夜更かしをして眠りました。

第1日目、おにぎりを作って、9時前に出発して、明石海峡大橋を渡って、淡路島を過ぎて、大鳴門橋を渡って、四国に入りました。まずは徳島の大歩危小歩危を目指してたんだけど、途中どのあたりだったかな、あんまりにも吉野川が美しいので、川を見ながらおにぎりを食べました。観光地でもなんでもないところでこの絶景って!四万十川まで行って、やっぱり吉野川の方が良かったなんてガッカリするかもなぁって、ちょっと思ったくらいです。でも絶景の種類がちがってたので、やっぱりどっちも出会えて幸せな川でした♪

巨岩に寝っころがって、ヘン顔の写真を撮り合ったりして、長時間その川岸にいました。ホントは香川で讃岐うどん食べてから行こうかなんて言ってたんだけど、そんなことしなくて良かったです。香川・愛媛にはまた改めて訪れたいと思います。

そして大歩危峡に行きました。そのあたりには妖怪が住んでいるらしいです。妖怪のお土産がいっぱい売ってて、売店のお姉さんに聞いたらナントカっていう妖怪がいますよって教えてくれたんだけど、2か月経ったら忘れちゃいました。子泣き爺みたいなんだったっけ?で、舟くだりをしました。白い岩がずーっと斜め45度くらいに続いてて、大自然は神様の芸術作品だねって感心しながら見てました。小歩危ってのは舟くだりでUターンしたあたりのことなのかな。大歩危は大股で歩くと危ないところ、小歩危は小股で歩くと危ないところだそうです。

妖怪ソフトを食べてから、近くのかづら橋に行きました。日本三大奇橋に選ばれているそうですが、植物の蔓を編んで橋にしているらしいです。私は高いところとかホント苦手なんだけど、でもせっかくだから歩きました。予想通りビビりまくりました。後ろから、小さな子どもを片手で抱えてヒョイヒョイと歩いてくるステキなパパがいて、思わず声をかけてしまいました。彼はこの旅で出会った男前NO.2です。ちなみに男前NO.1は明石大橋のサービスエリアで写真を撮ってくれた人、NO.3は四万十川の舟くだりの船頭さんです。

橋を渡り終わってから河原に出て、男前ファミリーが水と戯れている様子をほのぼの見ながら、岩を登ったり降りたりして遊んでました。私は奈良でケガした足がまだ若干痛かったんだけど、それでも楽しみをガマンするよりは痛いのをガマンしようと思いました。そうそうこの3人のメンバーで前回会ったのは去年12月の秋田だったけど、その時も私は事故の直後で傷だらけだったのです。でもケガ人の私じゃなくて病人のゴツコでもなくて一番健康なマツコが登った岩から降りられないって大騒ぎしてました。怪しげな集金係の案山子に駐車料金を払ってそこを出発したのは、もう夕方の5時くらいだったかな。

一路高知へ。伯母さんのお家に着いたのはたしか7時過ぎ。5ヶ月ぶりの再会によく来たねぇって大歓迎してくれて、酒蔵を改造したおしゃれな居酒屋に連れてってくれました。四万十川と同じくらい楽しみにしていた高知のカツオ!思い出してもヨダレが出ます。高知じゃ近ごろ、塩で食べるのが流行りだそうで、塩とタレと両方ごちそうになりました。魚でいちばん好きなのは鯛よりマグロよりカツオだって、今の私なら迷わず答えるでしょう。

居酒屋を出てから夜のはりまや橋を見せてくれるっていうので歩いていると、よさこい祭りの練習をしている人たちをたくさんたくさん見かけました。2週間後に本番を控えていたようで、鳴子を手にみんな一生懸命でした。あー本番の時に来れば良かったなんて言ってたら、またいらっしゃいって伯母さんが言ってくださるので、あつかましくもまたいつか本当にお邪魔したいです。

ヒヨコ 踊らねば見えない空があるのだと少女は言えり「よさこい祭り」   (〜こんにちは、ふるさと〜)

はりまや橋は日本の観光地の中ではガッカリスポットの定番みたいに言われてますが、あんなに有名なのに大したことないやんって思ったらガッカリだけど、一見フツーの橋があんなにも有名になったのはすごいことだと思います。語り継がれる悲恋の物語に、やっぱり多くの人の胸を打つものがあるってことですよね。

伯母さんは翌日以降の旅行プランを細かく考えてくれていて、無計画な私たちはおかげ様で充実の旅ができました。旅の記念に鳴子もプレゼントして頂いて、私とゴツコはそれを握っては伯母さんから教わったヨイヨイヨイをやってました。おばあ様のお家では「ごっくん」ていうむちゃおいしいジュースを頂いて気づけばもうすっかり高知が大好きになっていました。

ヒヨコ 未来ばかり言いて故郷は言わざりき君を育てし高知この町  (〜かぜのてのひら〜)

2日目、最初は7月にオープンしたばっかりの幕末志士社中に行きました。マツコ・ゴツコは「龍馬伝」を見てたらしくて、軽くレキジョな私よりもなんか分かってる風で悔しかったです。でも龍馬のコスプレをやったり、中岡慎太郎と一緒に写真撮ったりして楽しかったです。コスプレが嬉しくて後から来たお客さんにもオススメして着るお手伝いとかしてたら、後からスタッフの人だと思ったって言われました。

龍馬って幕末の志士の中でもダントツの人気があるような気がするんだけど、そんなにそんなに、たとえば松陰先生よりも尊敬されるほどの人なんだろうかって、私はまだまだ勉強不足なんだけど思ってしまいます。龍馬はなんか天運を持ってる人って気がするんですよね。最近、孫社長を敬っている私は、孫さんは松陰先生みたいだなって思っちゃうくらいなのに、でも社長は松陰先生のことにはぜんぜん触れないで龍馬にぞっこんみたい。やっぱり龍馬は行動して成功して目に見える形で時代を動かしたからなのかな。志に惚れるなら松陰先生じゃない?…まぁいいや。

そこから桂浜に行って、龍馬記念館に行って、高知城に行って、市内を散策して、夕食を食べて、龍馬の生家跡に行って帰りました。

桂浜を見ながら、この海が龍馬の志や世界への憧れを育んだんだねって友が言ってました。私は震災後、何度か被災地の海を見たけど、観光としては久しぶりです。でもやっぱり津波のことは考えてしまいました。怖いんじゃないけど、心が静寂になったのを感じました。でもそんな話はしないで、万智さんの海の短歌を2人に教えてあげました。

ヒヨコ 今日までに私がついた嘘なんてどうでもいいよというような海

この旅でいろいろ万智さんの短歌を教えてあげたけど、2人ともこの短歌がいたく気に入ったようでした。マツコなんかiPhoneで写真を撮って、その短歌を添えてツイッターで万智さんに送ったりしてました。万智さんも喜んでくださったみたいで、私もうれしいですっ。

龍馬記念館での一番の思い出は、龍馬のチーズケーキを食べたことです。でもバカバカしすぎるその楽しさを伝えられる気がしないので詳細は割愛します。龍馬記念館の屋上は伯母さんの観光イチ押しスポットらしくて、潮風に吹かれながら思い思いの時間を過ごしていました。

高知城で学んだ驚くべき事実。板垣退助ってさぁ、「板垣死すとも自由は死せず」って叫んで亡くなったって思うでしょ?ところが、実際はその後もけっこう長く生きておられたらしいです。学んだことで覚えてるのはそのくらいで、あとは天守閣に登って殿様ごっこをやってました。

あとは歩いてる途中でよさこい練習中の小学生を体育館の横から覗き見したり、市民で賑わう市場でおみやげを物色したりしました。伯母さんおススメの料理屋さんにごはん食べに行って、食後は伯父さんの車で龍馬の生家に立ち寄ってもらって(真っ暗だったけど…)無事に2日目も終了。

あれ、旅はまだ半分なのに長くなっちゃいました。なかなか四万十川にはたどり着けませんが、また次回に。やっぱりいろいろ覚えてるうちに書いておきたいですね。。

夏の思い出 @ [2011年09月01日(Thu)]
お久しぶりです♪ 想定外の災害つづきですが、皆さんのご無事を願ってます!
備えあれば憂いなしは昔の話かな。備えて備えて、それでも油断しないでいましょうね。

前回の更新が7月3日ということは…、夏の思い出はやっぱり今年のサラダ記念日から書かないとね!

今年のサラダ記念日(7月6日)は私はツイッターを1日に何度も何度も見てました。トレンドにたぶん半日以上「サラダ記念日」が入ってて、いろんな人のつぶやきを見てニヤニヤしてました。たくさんの人が自分の好きな万智さんの短歌をツイートしてて、とっても興味深く見てました。

好きな万智さんの短歌を一つとかって言われても私には選びきれません。 が、せっかくだからツイートしました。でももし今日だったら、ちがう短歌を選ぶかも。今、ふとよぎる好きな歌。

ヒヨコ 長崎の梨の甘さや君が血につながる果実切り分けている   (〜チョコレート革命〜)

ヒヨコ 「たすけて」といえばあなたは会いに来てくれるだろうかくれぬだろうか (〜かぜのてのひら〜)  

8日から、関西の若者4人が来るっていうんで、サナちゃんやイクさんたちと一緒に多賀城に炊き出しに行ったり、津波に負けずに相馬で稲を育ててる私の卓球仲間のT氏の田んぼを見せてもらいに行きました。避難所では避難されてる方の人数が少なくなるに伴ってボランティアも減ってるみたいです。T氏は去年まで稲を育ててた家の前の田んぼが津波をかぶっちゃったので、離れた場所を借りて今年も田植えをしたとのこと。無事でいてくれて、それだけで嬉しいです。稲が元気なのも本当によかった〜。

翌週はペロリと関西旅行に行きました。一生忘れられないであろう、高松塚古墳。私は自転車で下り坂に急ブレーキでつんのめって、転んだら頭上から自転車が降ってきて、人生最大の大ケガをしました。。。顔や腕のキズはいっこうに跡が消えません。おかげでお嫁にいけない言い訳ができました。痛みをガマンしてガマンしてそれでも登った甘樫の丘では感極まって、やまとは国のまほろばって呟いて力尽きても悔いはないくらいでした。古典とかで習った大和三山もきれいに見えました。満身創痍の女帝気分。

石舞台古墳は思ってたよりめちゃくちゃ大きくて、天気も良かったので空に映えてキレイでした。石室にも入ったけど、こんな所でも地震が怖かったです。もしもの時でも、よりによって蘇我馬子と同じお墓に入るのだけはカンベンです。聖徳太子が生まれたっていう橘寺とか飛鳥大仏が有名な飛鳥寺とかにも行きました。その時代の歴史小説を読んでて、すごく行きたいって思った法興寺っていうお寺、ガイドブックにも載ってないからもうなくなったんだと思ってたら、その後身がいまの飛鳥寺だそうです。ここから日本の仏教が始まったんだなぁって、朝日に祈るような気持ちで新しい日本、災害に強い町になりますようにって祈りました。

明日香村から奈良市に行って、興福寺と奈良国立博物館の仏像館に行きました。興福寺って言ったら阿修羅人気で今でこそ大人気だけど、昔ってそうでもなかったことないですか?関西に住んでた頃、たまに友人たちと東大寺とか正倉院展とかに行っても、目の前の興福寺に行ったことはなくて、仙台に来てから仕事で行ったのが初めてでした。そして初めて行った時ステキな仏像ばっかりいっぱいあって、なんで今まで来なかったんだろうって思ったくらいです。今年行ったら拝観料が高くなってたような。

奈良は昨年の平城京1300年にあわせてずいぶんと様変わりしてました。ちょうど奈良博が夜間入場できる日だったから、夜に新しくできた仏像館に行ったんだけど、初めて興福寺の国宝館に行った時くらい感動しました。いろんなお寺の仏像があったけど、その中でも勝林寺ってお寺の十一面観音様には痛みも忘れて吸い込まれちゃいました。傷だらけであこがれの奈良ホテルにご宿泊。

奈良ではほかにも東大寺・春日大社・唐招提寺・薬師寺・法起寺・中宮寺・法隆寺に行きました。初めて行った唐招提寺には、いつだか仙台の展覧会で観た鑑真和上像を見たくて行ったのに、1年のうちで和上像が見られるのはほんの数日らしくて見られず。でも和上のお墓があるお庭(なんていうんだっけ?)に美しい苔が敷きつめられてて幽遠な感じでした。薬師寺から徒歩すぐでした。薬師寺に行くなら寄らなきゃ損だと思います。

薬師寺は東塔が修復のため見られないって何かで聞いた気がして、東塔ないならやめとこうかって言いながらそれでも行ったんだけど、あれ、普通に見られました。かつて薬師寺のお坊さんからくり返しお話を聞いたので、つい受け売りで道連れに説明したくなっちゃいます。薬師三尊の薬師如来様はお医者さん、日光菩薩は日勤の看護婦さん、月光菩薩は夜勤の看護婦さん。24時間休みなく心の病気も身体の病気も治してくれますよ、って。なので友の病気快復と自分のケガの快復を祈りました。

クローバー ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲  (佐佐木信綱)

日本で一番古い塔は? →法隆寺  日本で一番高い塔は? →東寺
では日本で一番美しい塔は? →「薬師寺!」って言わされるのが修学旅行生の常でした。
そんなお坊さんの話、私は大好きです。

だけどやっぱり一番好きなお寺って聞かれたら法隆寺かな。大ケガしながらもバカみたいに長い距離を歩いたので、法隆寺あたりが一番辛かったけど、それでも私が大恩を感じてる夢違観音様にお目にかかって心が軽くなりました。バカみたいに歩いた理由は初の法起寺に立ち寄ったからなんだけど、先日のレキジョの会で、レキジョたちが刀自古郎女(とじこのいらつめ)って人について語ってて、私はさっぱり話についていけず、次回は話に混ざりたいので勉強してゆかりのあるお寺に行ってみたってわけです。

法起寺は遠くの道路からでもきれいな三重塔が見えていて、前から一度は行ってみたかったんだけど、誰にゆかりがあるかなんて知らなかったです。で、行ってみたら小さなお寺で、係のおっちゃんが、ここは法隆寺と一緒に、日本で最初の世界遺産だとか教えてくれたので、聖徳太子の奥さんが住んでたって聞いたんだけど?って言ったら、そんなん聞いたことないなぁって言ってました…。でもその場所が昔、岡本の宮って呼ばれてて色んな人が住んどったから、奥さんもいてはったんかなぁって。レキジョたちに刀自古の絵葉書とかお守りとかでもお土産に買いたかったけど、お土産はひとつも売ってませんでした。他にお客さんもいなかったので、おっちゃんはめっちゃ親切にしてくれました。っていうか、私のケガが足も顔もハンパない惨状だったので、旅行中に会った人はみんな親切にしてくれたんだけど。。

あとは京都に行って、祗園祭りの宵山と山鉾巡行を見ました。祗園祭は貞観地震・貞観大津波の年にはじまったそうですね。鎮魂と復興を祈願して行われた御霊会が祇園祭の起源とされてるみたいです。今年は関西でも、お寺とか神社とかその他あらゆるところで東北地方を応援してもらってるのを実感しました。今年流行のひんやりタオルを首に巻いて、山鉾見てました。見ていて面白いかって言ったら私はそうでもないんだけど、昔ながらの伝統行事を京都の人たちが大切に大切に守り伝えてはることが貴く美しいって思います。長刀鉾とかはしかし迫力ありますよ。

ほかには修学院離宮、延暦寺、日吉大社、大原などに行きました。修学院離宮がすっごく広くて驚きました。将来、本当に大好きな人たちだけで集団生活したいなぁって時々思うんだけど、あんな場所がいいなぁ。延暦寺では災難続きの私にペロリが厄除け守りを買ってくれました。本格的厄払いに行きたいと思うこの頃です。大原は大学時代にセンパイやO24君と、秋に寂光院行きたいねって話してたその夏に、放火により寂光院全焼っていう悲しすぎる事件があって流れてしまったので、10年くらいたってようやくお参りしてきました。

三千院は「女ひとり」の歌でしか知らなかったけど、ほんとに恋に疲れた時に癒してくれそうな場所でした。写経の部屋で、書き終えてお供えするときに、なんと正座ができました。左のひざ周辺に南部せんべい2枚分くらいのあざができててそれはそれは痛かったんだけど。関西の神様仏様ありがとうございますって思ったら、その直後に三千院で正座をなさってる観音様を見たんです。めずらしいですよね。今後、足が痛くて正座できない人には三千院をオススメしたいと思います。

なんか、関西だけで長くなっちゃって、夏の思い出はまだまだ書きたいのだけど、次回にします。


あ、そうそう、私が人生で初めて覚えた短歌は、これまた大好きな歴史マンガより、

クローバー 天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも  (阿倍仲麻呂)

なんだけど、その三笠山が春日山のお隣だってのを今年初めて知りました。「春日なる」って言ってるのにね、子どものころなんか意味はほとんどわかんなかったから。 私はこれを覚えた年に百人一首のカルタを買ってもらって、全然意味はわかんないのに全部おぼえました。小学校二年生の冬休みです。いま思うと、万智さんの短歌がこんなに大好きだなぁって思えるのも、子どもの時に意味わかんなくても三十一文字のリズムになじんじゃったからかもしれません。それもこれも、まんが人物日本史と出会えたおかげです。

小学2年生の万智さんの息子さんも、カルタで四字熟語やことわざをたくさん覚えておられるそうです。意味がわかんなくても、覚えとくことにすっごい意味があるのかもしれませんね。二十数年たって、あの時百人一首おぼえて良かったなぁーって私は心からそう思います。
橋本高校! [2010年11月10日(Wed)]
10月31日。 万智さんファンなら誰もが1度は訪れたい(?)神奈川県立橋本高校に行ってきました〜学校 って言っても外から眺めただけですが。 

まさかだけれど知らない方のために書いておくと、ここは万智さんが4年間国語の先生をなさってた学校です。 私がその頃の教え子の皆さまをどれほどうらやましく思っているかは筆舌に尽くせませんが、そこは運命なので仕方がないです。

去年だっけ、万智さんがたしか横田やさんとのお話の中で、橋本もすっごく発展して都心から行き易くなったっていうようなお話をされてたのを思い出して、東京に行くならって朝っぱらから京王線で向かったわけです。 橋本駅の前には相原高校ってのがあって、相原駅に近い方に橋本高校がありました。 なんか不思議。 

橋本高校は見たところ何の変哲もないフツーの学校だったけど、それでもやっぱり私の長年の憧れの場所であり、万智さんの思い出がいっぱいいっぱい詰まった場所で、ここであんな歌やこんな歌が生まれたんだって思うと感無量でした。 中に入りたかったけど、所詮部外者なのでピンポンも押せず、テニスコートとかグランドとかを見ながら学校を一回りして帰ってきました。 門の外から写真なんか撮って、そうとう不審者に見えたでしょうネ、、、

ヒヨコ 万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校   (〜サラダ記念日〜)

ヒヨコ 気にかかることはさておき教壇に立てば身にしむ『伊勢物語』  (〜かぜのてのひら〜)

ヒヨコ マシュマロのような文字書く少女らにハートと星の書き順を聞く     ( 同 )

ヒヨコ メロンパンいやレモンパンの議論して昼休み過ぎてゆきし日もあり   ( 同 )

ヒヨコ 紙ふぶき 最後の授業に花束をもらってヤツらに泣かされている    ( 同 )

ヒヨコ 四回の春夏秋冬くぐりくぐりぬけてさよなら橋本高校            ( 同 )

それから、橋本駅の近くにあるという万智さんの歌碑をさがしてさんざん歩き、ようやく見つけました。 短歌がどーんと大きく書いてあるのを想像してたので、最初に通った時にも見逃してしまっていたようです。 写真がコレ↓ 万智さんの文字が見えますか?


ヒヨコ 紫のもっとも淡き一群れに想いをのせんあじさいの花   (〜サラダ記念日〜)

ところで、仙台市野草園に万智さんの歌碑を建てようプロジェクト協賛者募集中♪…って私が勝手に言ってるだけなんだけど、同僚のイイヤ丸さんのご主人が石屋さんで、私のヘタな絵を渡したら後日お見積書をくれたんです。 それが思ったほど高くないんですね。 ちなみにその絵に書いたのは

ヒヨコ 野の草の一つひとつに名前あることのやさしさ 春を歩めり   (〜こんにちは、ふるさと〜)

です。 野草園にぴったりでしょっ。 なぜ野草園かって言うと、たとえば話を持ちかけたときにいいよって言ってもらえそうな気がするから。 でもそれより万智さんに私がそんなお願いできるかっていうと、もしチャンスがあったとしても、言いたいけど、言えないかも知れません。

話が逸れましたが、そういうわけで束の間の相模原散歩たのしかったです☆ 
その後新宿に戻って、絵画コンテストで入賞したっていうONUの絵の展覧会を観に行って、それからもう何年も何年もお会いしたかった初恋の方に会ってきました。 なんで今さら初恋なんだってのを書き始めると長くなるのでまた次回書きますね。 橋本高校と初恋デート、私の長年の夢がまた2つ同時に叶っちゃいました猫 
熊本&大分。 [2010年11月07日(Sun)]
15年来の望みが叶って、先週東京で初恋の方にお会いしてきました♪

でもその前に、九州旅行の記録です。



10月17日からタヌキと2泊3日の九州ツアーに行ってきました。 わけあって?私たち以外はみなさん仙南のややご年配の方たちだったので、のんびりゆったりの旅程で日頃の疲れを癒してきました。

出発の朝は7時前に空港に集合だったので、ここだけはのんびりしていられません。 16日の夜から空港ちかくのタヌキのお家にお泊まり。 旅行の前にってタナ様が出雲大社のお守りを届けに来てくれて、夜おそくまで話し込んでいました。 タナ様は1ヶ月くらい休暇をとって、西日本をバイクでまわってきたらしく、別府の地獄蒸しプリンが美味しいなどということを教えてくれました。 タナ様のお話を聞いて、私もいつかバイクか車で九州ひとり旅をしたいな、いや、する!って思いました。 思い出の場所を巡って懐かしい人たちにも会いに行きたいです。

17日、空港に着いたら参加者の方が続々と集まってきてました。 思えばツアー旅行なんて自分が添乗員をやってた時以来です。 ご挨拶なさってる添乗員さんを見ながら、前は自分があちら側でご挨拶していたのかと思うと信じられないような、思い出したくないような、当時のドキドキがよみがえってくるようでした。 年々小心者になっていくのか、最近は職場の朝会でご挨拶するだけでも緊張しちゃってダメです。 でもツアー旅行は時間や行動範囲も限られるものだから、その分せっかくなので色んな方とお話できればいいなって思いました。 

まずは飛行機で伊丹空港へ。 乗り換えの合間にタヌキが(これから九州に行くっていうのに、)(まだここは伊丹なのに、)(なぜか四国の)讃岐うどんをおみやげに買っていました。 なにもわるくないんだけどね。。 それから熊本空港へ飛び立ちました。 たしか私が初めて飛行機に乗ったのがJEXの「伊丹→熊本」路線でした。 誰にも内緒で好きな男に会いに行った18歳の夏。 あれはあれでやっぱり初恋みたいな気がするなぁ。 空が澄みわたっていて、地上が日本地図そのままに見えて、日頃の高所恐怖症も吹っ飛んで、心の底から感動したのを今でもはっきり思い出せます。 花火を見て、お城の公園を散歩して、白川の河原からSLを眺め、船で天草に渡ったのもたしかあの時…と思い出に耽っていると、すぐ熊本に着きました。

お食事(馬しゃぶ)を食べてから水前寺公園を見学。 水前寺清子さんが結婚式を挙げたっていうありがたーい神社のおみくじで、私は大吉を引きました♪ その後、門前の売店で「いきなり団子」を買ってバスで食べました。 九州についてから1度もお腹がへったなんてことはなく、常にお腹いっぱい胸いっぱいの幸せな時間でした。 

熊本の友人あーちゃんが働いてるっていう鶴屋デパートの前を通り過ぎて、熊本城に行きました。 ずいぶん様子がかわったように見えたのは、最近、本丸御殿が修復されたとのこと。 御殿の中には大御台所ってのがあって、近頃チャングムに夢中な私は宮中の水刺間(スラッカン)と重ね合わせて、そこに生きた女たちを想いました。

お城を出たあと、横井小楠さんの記念館に行きました。 幕末志女仲間には恥ずかしい話ですが、この方の功績を私は何も知らずにいました。 早くから開国を唱えて、松陰先生や坂本龍馬にも大きな影響をもたらしたとのこと。 バスガイドさんがちらっと言ってた「彼は楠木正行に憧れて小楠の名前をつけた」ってのが気になってて、いま調べたら桜井の別れの後にも正行は南朝方として戦って、明治維新の尊王の模範とされていたらしいです。

1日目は内牧温泉に泊まって、おいしいお食事 、楽しい宴会、久々の温泉を堪能しました。

18日。 バスで阿蘇山にのぼりました。 周辺の山をひっくるめて阿蘇山と呼ぶそうなので、正確には中岳ってところにのぼったみたいです。 肥後は火の国よ恋の国〜 燃える中岳よ胸焦がす〜 ( 火の国の女 ) の、あの中岳です。 お天気はすばらしく晴れてたんだけど、火山ガス発生のため火口までは行けませんでした。 今回の旅のお供・つよし(ディープインパクトのぬいぐるみ)を草千里に遊ばせて、タヌキと丘の上までずいぶん歩きました。

その後なんだかワイナリーに行って、由布岳を見上げながら昭和歌謡を口ずさみ、それから湯布院に行きました。 軽井沢を小さくしたみたいってガイドさんが言ってはったように、かわいい雑貨屋さんとかおしゃれなカフェの建ちならぶステキな街でした。 また大分を訪れるなら今度は湯布院に泊まってゆっくり散策したいです。 私はリスのガラス細工などを買いました。

別府のお宿に向かう途中、鶴見岳のふもとを通りかかりました。 21世紀を迎えた瞬間、あの時も私は大分にいて、元旦の初日の出を見る予定だったわりにはずいぶんと寝坊してしまって、お昼近くになってからロープウェイで鶴見岳にのぼったんでした。 タヌキがバスでも外でも『岬めぐり』を歌うので、旧い恋に思わずしんみりしてしまいます。 

宿に着いたら温泉入ろーって思っていたら、仙南マダムの愛猫談議に聞き入ってるうち夕食の時間に。 優雅なマダムのお話を聴きながら、猫の愛し方ひとつでこんなにも自分の生き様を表現できるんだって感心しちゃいました。 連夜の宴会。 やっぱり昭和の歌は深いねって言って、帰ったら昭和のカラオケ大会やろうねって話はこの時に企画された話。 ←もちろん早速やりました。 

最終日は別府の地獄を見に行って、タナ様おすすめの地獄蒸しプリンを味わいました。
ヒヨコ 蒸すという甘く優しく残酷な行為ののちの美味とこそ知れ  (〜九十八の旅物語〜)
これは万智さんが大分に行かれて別府で「地獄釜会席」を召し上がった時の短歌です。 なにが残酷なのかって気になった方は、「九十八の旅物語」を読んでみて下さい。 大分について他にもいろいろご紹介してくださっていますョ。

高崎山へ行く途中に港を通りかかったら、戦艦大和かってくらいの見たことないような巨大な船が停泊していて仰天しました。 ちょうどマイミクさんに大分の海上自衛隊の方がいらっしゃったので、後日聞いてみると、あれが護衛艦だっていうのを教えてくれました。 あんな船に乗ってみたいです! 

ヒヨコ 耳の穴こしょこしょ指で掻いてやる猿の母さんのような気持ちで  (〜プーさんの鼻〜)
高崎山にはお猿がたくさんいて、小猿がメチャメチャかわいかったです。 バスで隣りあったご夫婦に私が申年だって言ったら、そうだろうと思ったって言われて、、なんでかな。 私とタヌキは趣向が似ているわけじゃないんだけど、2人ともささやかな願いとして猿を飼いたいと思っています。 私はアメディオみたいに肩乗りのいつも側から離れない猿を希望。 ほんとはみよちゃんも肩乗りにしつけたかったのだけれど、まったく聞いてくれないんだもん。

旅行の最後に臼杵の石仏を見に行って、あとは一路福岡空港へ。 30分ほど空港にいますよって言っても懐かしい男はドラマのように会いには来てくれなかったけれど、海に山に愛おしく懐かしい日々を思い返し、旅行中は心も温泉に浸かっている気分でした。 時々ふっと甦るジャイアンの声、昔の男を忘れない限りおまえは本当に幸せにはなれないよ、って言葉をそうかな?うん、そうかも?いやしかし…って何度考えたかわからないけど、結果として忘れたりはしないのだから、心の中の休息地として大切にしようと思います。
 
今回はタヌキ家ご両親のお取り計らいによって、旅行には無料ご招待していただきました。 なんとお礼を言っていいのか、、ありがとうございましたっ! 関係者の皆さまも、お世話になりました。
大曲&郡山。 [2010年08月30日(Mon)]
ヒヨコ はなび花火そこに光を見る人と闇を見る人いて並びおり   (〜かぜのてのひら〜)

大曲の花火大会に行ってきました〜。 ↑今回はどっちかっていうと私は光を見る人でした。 先日の高崎ひとりぼっち花火では、どっちかっていうと闇を見る人だったと思うけど。

秋田の実家に帰っちゃったお友だちに会うのが花火以上の楽しみだったんだけど、お友だちに会えただけじゃなく、お友だちの親戚一同総勢30人くらいとご一緒させていただきました。 大曲の人たちにとったらこの日ばかりは親族が集まる、お正月みたいなものらしいです。 自分の親族だってこんなに集まるのはお葬式とかしかないような、、

大曲の花火は今年が100周年の記念の年で、各煙火会社の競技作品と、大会提供っていう例年の花火に加えて100周年の特別企画もあって、豪華な花火のフルコースでした。 桟敷席をとっていただいたので、ちょうど正面で10号割物花火を見られました。 

競技の課題ってことみたいなんだけど、はじめに10号割物花火を2発あげて、その後に音楽に合わせた連発の花火を見せてくれます。 よその花火大会だと連発の花火をこそ観たいけれども、単発の花火をじっくり観るのもステキです。 美しい円形にひらくとそれだけでも感動だし、光の変化の種類も多種多様で、つい声をあげてしまいます。

花火のいいところは美しいだけじゃなくて、あんなにたくさんの人が1度に感動できること。 花火の下ではみんなが平等って気がします、なんとなく。 わぁ!とか、おぉ〜っとか、ヘンな声をあげながらどこからともなく沸き起こる拍手。 コンサート会場の拍手みたいに大げさじゃないのが好きです。 映画を観てほろっと涙が出ちゃうような感じで、ほろっと拍手しちゃった、みたいな?

5年くらい前にも大曲の花火を観に行って、あの時は仙台に帰る道が混むからって、青森側に抜けて、次の日は白神山地に行きました。 どうせその日のうちには帰れないのだから、そんなプランもオススメです。 でも私がこれから行くときは、コンブのお家を定宿にします!

クローバー

ところで、遅くなりましたが、先日万智さんのイベントで郡山に行ってきました。 この夏2度目のナマ万智さん。 今回も絵本についてのお話だったんだけど、私が印象に残っていることは、万智さん親子が大好きな「ぶたのたね」っていう絵本と、「エルマーの冒険」、ぜんぜん関係ない本なんだけど、ある1ヶ所の共通点を見つけて親子でにんまりしたみたいな話。そのお話を聞いた時に「クマのプーさん!!」って思いました。

親子でにんまりしたワケは、おなじ絵本を一緒に読んできた親子だからこそって、万智さんはお子様との話として紹介してくれたんだけど、『101個目のレモン』の中の「クマのプーさん」は万智さんとお母様とのお話です。 

「スカーフを二枚、上手に組み合わせて結ぶと、まるで新しいブラウスのように見えます」っていう雑誌の記事を見て、万智さんがそれをやってみられたそうなんですが…、万智さんが「お母さん、どんな風に見える?」って聞いたら、お母様が「そうねぇ、スカーフを二枚結んでいるように見えるわ」って。 そこで母と娘は同時に噴き出して…「ひどーい、それじゃクマのプーさんじゃない!」と。 なにゆえそれがクマのプーさんなのか、、、→詳細は『101個目のレモン』を読んでみて下さい♪  プーさんを読んだ人にはわかるかも。 

会場で万智さんがあのお話をされたとき、『101個目のレモン』を読んだ人は、私と一緒ににんまりしてたかもしれません。 …うまく説明できなくてすみません。 あと『花さき山』とか『さんびきのヤギのがらがらどん』とか、万智さんのお好きな絵本を紹介してくれました。

万智さんのお話きければ満足だったので、すぐ帰る予定だったんだけど、おなじ会場ではその日夏祭り?みたいなのをやっていて、万智さんが「こんなに楽しいなら子どもも連れてきたらよかった」っておっしゃってたので、私もそんなに楽しいものだったら、ってついつい長居してしまいました。そしてB級グルメの浪江やきそばを食べたり、なつかしい絵本を読みふけってました。 でも仕事には少しでも行く約束だったので日が暮れる前に仙台に戻りました。
軽井沢&群馬県。 [2010年08月10日(Tue)]
先日、万智さんのイベントで軽井沢に行ってきました。
矢代朝子さんとの対談では、軽井沢で詠まれた短歌をたくさん紹介してくださって、歌の詠まれた背景についてもいろいろ楽しいお話を聞かせていただきました。 第2部のパーティーではいっぱいお話もできて幸せでしたっ♪ ちょうど仙台では七夕祭りの本番っていう日で、私は七夕様に心から感謝しました。 何をお話したかはヒ・ミ・ツです。 とかいって会社ではついつい喋っちゃうけどね、、、 

前日はせっかく遠くに行くんだからって、私にとっては未知の国・群馬県にも行ってきました。(ちなみに軽井沢はおとなりの長野県です。) 群馬県って私にはダルマと富弘美術館(←軽井沢から遠いので断念。)しか思いつかなくて、同僚に聞いたらコンニャクがあるんじゃない?とか言うので、期待しないでとにかく行ってみようって思いました。 

ネットで調べてると、富岡製糸場がメイン観光スポットっぽかったので、まずはそちらに。 名前はたしか社会科の授業かなんかで聞いたことあるような… でも今回行って、メッチャ勉強してきましたよ。 だって他に見たいところも思いつかなかったから。 日本の近代産業の礎とも言うべき工場だそうです。興味のある方は調べてみてくださいっ。

そこから隣町の小幡っていう城下町に行ってみようと思ったのはいいけれど、バスが1時間以上なかったようなので、6キロくらいの道のりをどうせ歩いても1時間ちょっとだろうと思ったのが大失敗でした。。 半分くらい歩いたところでサンダルが壊れちゃって、しょうがないからヒールのあるサンダルに履き替えたものの、前に進む気は失せちゃって、およそ3キロを引き返しました。。。 予定通りにはいかない旅先のハプニングは嫌いじゃないんだけど、今回はほんと足が痛くて辛かったです。 それでも替えのサンダルを持っていってただけ助かりました。
   
なので初めての群馬県はちょっと苦い思い出だけど、軽井沢の帰りには高崎まつりの花火大会を見てきたので満足です。 高崎まつりの会場で、花火も見ながら私は一生懸命ダルマを探してました。 でも見つけることができず、しまいには駅のおみやげ屋さんでGETしました。 

ダルマを3つ買ったのは願いごと3つ叶えてほしいから。 
@赤ダルマ=万智さんと奥の細道できますように。 
A黄ダルマ=ヨーロッパに無事に行けて、いっぱい楽しいことをして、そして無事に帰国できますように。 
B青ダルマ=懐かしい人からお返事が来ますように。

願いを込めながら右の目を入れて、成就したら左の目を描くらしいんだけど、私はダルマの右目を入れながらあることに気がつきました。 自分が万智さんと奥の細道なんて、夢見ることさえおこがましいくらいなんだけど、万智さんのおかげで軽井沢にも行けたんだし、来週郡山に行けるのも万智さんのおかげ。 各地の旅先でも万智さんの歌や言葉に思いを馳せて旅情にひたれるように、そばに大好きな万智さんを感じられるなら、ひとりの細道でもいいんじゃないかな。 だから、ちょっと願いは叶ってるんじゃないかって、左目をちいさく入れてみました。

行く前から決めていたんだけど、軽井沢から懐かしい人に絵はがきを出しました。 私の気分を万智さんの短歌で言うと下記のごとくです。

ヒヨコ 一枚の葉書きを君に書くための/旅かもしれぬ/旅をつづける  (〜もうひとつの恋〜)

ヒヨコ 引き返すことのできない心もて仰ぐ浅間は決意のかたち   (〜チョコレート革命〜)

ヒヨコ 今日あたり届いてしまうあなたへの手紙の言葉を何度もたどる  (〜かぜのてのひら〜)

軽井沢には文学碑がたくさんあって、だから浅間山がドーンと見える場所に、私は「引き返す…」の歌碑を建てたいなぁって思いました。 ああいうのって何円くらいするんでしょうね。 土地代とかもいるのかな、、、
石巻。 [2010年04月20日(Tue)]
ようやく桜も咲きそうやねって矢先の、週末の雪にはビックリしましたね。
皆さまはいかがお過ごしですか。

私は腱鞘炎になってもパチンコがやめられずにいます。 4月前半までは勝率すごい良かったのに、手の痛さが増すごとに負けがこんできました。 パチンコはひまつぶしくらいしかいいことないかと思ってたけど、けっこうパチンコから広がる世界もあるもので…。

「サイボーグ009」が私のお気に入りの機種なんだけど、これまでマンガも読んだことないのに、パチンコで連日いい思いをさせてもらったので、先日思い立って石巻へ行ってきました。 

石巻市には石ノ森萬画館ていうマンガミュージアムがあって、石ノ森章太郎さんとはどんなゆかりか分からないですが、街じゅうにサイボーグ009や仮面ライダー、ロボコンなどの絵やモニュメントであふれています。 

仙台−石巻を結ぶJR仙石線は電車の外側も車内も萬画づくしです。 石巻駅に下り立つと、ホームにも009の等身大モニュメントが。 思わず一緒に写真撮りたくなっちゃいます。 特に目的はない小旅行だったので、とりあえず萬画館に行って「サイボーグ009」の漫画を読もうって決めました。 

そこらの慢画喫茶でも読めるものをわざわざ石巻で読むのは時間のムダかなって気もしたんだけど、あえて石巻まで行って、石ノ森萬画館でサイボーグを読むってのはとってもぜいたくな気分でいいかもって考えなおしたりして。 そんなムダなぜいたくができるのも、パチンコの009のおかげだもの♪ 働いて稼いだお金とはやっぱり使うときの惜しさが違います。 ついついサイボーグ009のお守りまで買っちゃいました。 

萬画館には3年くらい前に仲間たちとドライブがてら立ち寄ったことがあって、萬画館周辺の感じもとっても良かったので、またゆっくり来たいね〜って言ってたんだけど、まさか1人でまた来ることになるなんてね。 旧北上川が海にでる辺りの中洲に萬画館があるので、周囲には小さな船が繋留されてたりして、漁船好きの(いえ、漁師好きの)私にはとっても魅力的だったわけです。 やっぱ港町っていいですね〜。

初めて読んだ『サイボーグ009』は私にはちょっとむずかしくて…単行本の1巻は読みきったけど、眠くなっちゃいました。。 チームのみんながいつも一緒に戦うわけじゃないってことや、みんなそれぞれの特殊能力を持ってるってことがわかったくらいで。。 パチンコに登場する敵も出てこなかったし、「あとは勇気だけだっ!」っていう期待してたセリフも1巻には出てこなかったので残念でした。 

萬画館を出たあと、向かい側にある教会に寄ってみました。 ハリストス正教会っていって、木造の教会の中では日本一古い建物だそうです。 小さな教会で誰も人がいなかったのでじっくり見学してきました。 もとは別の場所にあったんだけど、宮城県沖地震で被災して、修復の際に移築したそうです。 

古い建物って階段がけっこう急だけど、この教会の階段は特にすごい急勾配でした。 ここで勉強になったことは、ハリストスっていうのはキリストっていう意味(たしかにちょっと似てますね)とか、キリスト教の宗派(教派?)によって十字架の形が違うとか、そういうこと。 へぇ〜って思うことがいっぱいあったんだけど、2週間もたつとあんまり覚えてません…。 十字架の施されたキレイな白壁、法隆寺の夢殿を洋風にした感じのステキな建物でした。 

教会を出たあとは、これからどうしようと思って、以前石巻に住んでたことがあるという銀さんに聞いてみました。 いま石巻にいるんだけど見所はどこ?って聞いたら 「萬画館と日和山公園くらいじゃない?」というので、公園には何があんの?ってさらに尋ねると「何もないけど…」って。 何もないけど海が見えるよっていうので、他にあてもないし日和山公園とやらを目指すことにしました。 

町の中歩くだけでもけっこう楽しいです。 私がキョロキョロまわりを見ながら歩いてたら、通りすがりのおじいさんが道案内をしてくれました。 道案内って言っても、目的地も告げていないのに…。「いま赤になってる信号が青になったら渡ってから次の角を左に行って…」って、どこに行けってことなんだかわかんないまま、「ありがとうございます」って言って従うことにしました。 すると住宅地の中に迷い込んだんだけど、持ってる地図だと方角的には日和山公園の方だったので良かったです。

坂をのぼっていくと、公園はすぐにわかりました。 何もないって聞いて期待薄だったわりに、とっても眺めのいい場所でした。 石巻随一の景勝地らしいです。 人もたくさんいました。 梅がようやく咲きはじめの頃でした。 なぜだか1つの檻の中で、シカとアヒルが飼われてました。 海を眺めてると、万智さんの短歌がいつも頭をよぎります。

ヒヨコ 見えぬからなおいつまでも見ておりぬ海のむこうにあるはずの国   (〜かぜのてのひら〜)

石川啄木・斉藤茂吉・釈超空とかの歌碑も建ってました。 石川啄木や宮澤賢治はおとなり岩手県の出身ですが、2人とも中学校の修学旅行で石巻を訪れたそうです。 宮澤賢治はその修学旅行のときに、生まれて初めて海を見たそうで、その感動を綴った詩の碑もありました。

クローバー われらひとしく丘に立ち/ 青ぐろくしてぶちうてる/ あやしきもののひろがりを
   東はてなくのぞみけり/ そは巨いなる塩の水 / 海とはおのもさとれども
   伝へてきゝしそのものと/ あまりにたがふこゝちして/ たゞうつゝなるうすれ日に
   そのわだつみの潮騒えの/ うろこの國の波がしら/ きほひ寄するをのぞみゐたりき


物心ついてから初めて海を見たら、どんなこと思うんでしょうね。 巨いなる塩の水かぁ、ですよね。 考えたらすっごい不思議だけど、不思議に思ったことないなぁ。 たしかに、あやしきもののひろがりに違いないです。 

日和山公園には奥の細道の旅の途中、芭蕉と曾良も立ち寄ったそうで、2人の像が建ってました。 曾良の腕が芭蕉の背中に突き刺さってるように見えました。 何度も言うようだけど私の夢はいつか万智さんと、芭蕉と曾良みたいに旅をすることです。 でもこんな景勝地に来て短歌の1首も思いつかないようじゃ、難しいですね…(泣)

その日は公園ですっかり満足しちゃったので、まだまだ早い時間だったけど、仙台に帰ってきました。

翌週009のお守りを持ってパチンコに行ったら見事に大負けしました。 なんでやねんっ。
まぁ仕方がないです。。 でもいい気分転換になりました。 暖かくなってきたし、ちょいちょい出かけようと思います。  
あの日。A [2009年11月05日(Thu)]
あっという間にまた1週間。 テトリスしてたわけじゃないです。 
ブログ更新してなかったのは電気毛布を買ったせいです(?) 寒いですね〜っ!!


先日のつづき…10年前の10月30日。

あの日は早朝から指宿名物の砂蒸し温泉を体験! バスの出発が早かったから、砂蒸しするには5時くらいに起きたんじゃなかったかな。 おばちゃんがシャベルで全身に砂かけてくれてね。 気持ちよかったけど、重くて熱くて、長くはやってられませんでした。 土から這い出した後、海のとなりの露天風呂で、朝日を見たんじゃなかったっけ。

朝ごはんの時、たまたま万智さんがまた近くの席に来てくれたので、砂蒸しやってきたんですよーみたいなことを言ったら、早起きしたねーみたいな、若い人はさすがねーみたいな、よく覚えてないけどそんなことを言ってくれました。

日比野克彦さんがデザインされたっていうド派手なペイントのバスに乗って、指宿周辺を巡ったんでした。 開聞岳とか、どこかの港とか、知覧の武家屋敷とか、、あとは、どこだっけ。 

短歌を作ってみましょうっていう旅だったので、私もがんばっていくつか考えました。 とてもここで披露できるものじゃないけど、その都度万智さんに見てもらいました。 万智さんが線とか◎印をつけてくれて、この助動詞がいいねとか、この言葉はなくても伝わるからほかの言葉にしたらいいよとかってアドバイスをしてくれました。

ほかの参加者は年配の方たちが多かったです。 お母さんと来ていた女の子を除けばたぶん私が最年少だったかな。 大人たちは遠慮しちゃうのか、あんまり万智さんに話しかけたりしてなかったので、私はけっこうお話できるチャンスがありました。 万智さんがあの日のことをどれだけ覚えてはるんやろう?って気になるところだけど、覚えてなかったらショックなのでとても聞けません。。

万智さんがあの旅で作った短歌が、その年の12月号の角川『短歌』に載ってます。 さらにそのうちの2首が『プーさんの鼻』にも載ってます。 どの2首なのかは私と万智さんのヒ・ミ・ツです…んなワケはないんだけど、ヒミツにしたい気分をわかってくださいっ(?) 

夢中になって恋人のことを忘れてましたが、私のノートに1つだけ彼の作った短歌も残っています。 彼が短歌を詠んだなんて人生最初で最後かもしれません。 先日「あれからちょうど10年だよ」って久しぶりに電話してみたら、あんまり覚えてないみたいでガッカリしました。 「…君には一日(ひとひ)我には一世(ひとよ)」 ってこういうことだと思います。 淋しいですね。

万智さんとお別れしたのは、たしか城山ホテルに戻ってバスを降りたところだったかな。 別れ際に「短歌をこれからも続けて作ってね」って言ってもらったんでした。 それから恋人の名前で「良い旅を…!」ってノートに書いてくれました。 私の名前にしてもらえばよかった…私なら額に入れて床の間に飾るのに…(床の間ないけど。) 去年彼が仙台に来た折に、ついにそのページをあげちゃったことを、後悔はしてないんだけど、大切にしてよって心から思います。

鹿児島にはあのあと2回行きました。 桜島・知覧・開聞岳… 年を取ったら鹿児島に住みたいなぁって、時々思います。 陽射しが強くて、青空がきれいで、とっても幸せな秋でした。
あの日。 [2009年10月29日(Thu)]
1999年10月29日。 今からちょうど10年前のこの日が、人生で最高に幸せな日だったと、いまだに私はやっぱりそう思うんです。 もしくは翌日の10月30日。 

鹿児島で開かれた日本文化デザイン会議の関連イベントで、万智さんと一緒に短歌を作ろうっていうなんともステキな1泊2日のバスツアーがあって、しかも初恋?の彼と参加した(無理について来てもらった)ってわけです。 

詳細なスケジュールなんかは、記憶が薄れちゃったけど、あの時の気分は今でもくっきり心に残ってます。 幸せってなんだっけ?って疑問に感じても、あの日の気分!って思ったら解決♪ だから万智さんと当時の恋人にはとっても感謝しています。 どっちの方が愛してたかって、そりゃぁどっちもですけど…10年たっても冷めない愛は万智さんの方だったみたい。 

九州の新聞で参加者を募集してたみたいで、博多っ子の恋人Dさんが知らせてくれたんでした。 即座に「行く!一緒に行こーっ。」って言った時の彼の困惑した感じもなんか覚えてます。 「俺は短歌なんて作りきらんけん!君だけ行かんとね」みたいな? 私の万智さんファイルには、貧乏学生だった私が2人分の参加費を振り込んだキャッシュサービス利用明細まで残ってるので、ほんと無理やりだったかもね。

イベントの前後にも、ついでの旅行で南九州を一緒に旅して、それはそれで素晴らしい時間だったんだけど、あんまり書くと未練な女みたいなのでやめときますが、とにかく万智さんと会ったのは10月29日! 

夜に城山観光ホテルに集合して、たしか万智さんほかフィールドワークの講師の方々のお話がちょっとあって、指宿のホテルまで移動してから、一緒にお食事をしたんじゃないかな。 いくつかテーブルがあったんだけど、同じテーブルでしかも万智さんのおとなりだったんだから、エヘッ。 自分が何を話したかあんまり思い出せないんだけど、大阪に住んでて、大学生で…みたいな話かな。 鹿児島のご婦人たちが、鹿児島の言葉についてお話されてるのを万智さんが興味深くききながら、ちっちゃなメモ帖にいろいろ書きこんでらした姿が印象的でした。 「砂糖ぶねが遠い」とか「お茶飲まないとケガするぞ」みたいなこととか。

たぶんこの日はお食事して終わったと思うんだけど、左に万智さん、右に恋人っていう、両手に花?いや、両手に…なんていうか、もっと例えようもない幸せのモト?みたいな状況で、ほんと私は心から死んでもいいって思ったんですよね〜。 そして、直後に生きてるとこんな幸せがあるんだ!って思い直したものです。 そういう気分が、今とっても懐かしいです。  

あれから10年。 私がいまだに独身でしかも仙台にいようとは、当時にしてみたらまったくの想定外の出来事です。。 さらに万智さんが仙台にお住まいだなんてことも。 18歳かぁ、私にもそういう年の頃があったんだなーって、しみじみと年寄りくさいことを思います。 

青春を謳歌してたっていうのかな、たとえばこの先どんなステキな恋にめぐり合っても、「人生最良の日」はなかなか塗りかえられないんじゃないかって気がします。 初恋ってそんなもんじゃない? でももしその日付が更新されるとしたら、きっとその日も万智さんがいてくださるからだろうって、思わずにはいられません。

胸がいっぱいになってしまったので、10月30日の思い出は明日かきます。 たぶん。
遠野。 [2009年09月25日(Fri)]
9月22日。 旅の3日目。 この日は岩手県の 遠野 に行ってきました。

前日の日光の友人に「明日はどこ行こかな〜」って話してた時に「遠野とか行けば?」って言われたので、即決。 なぜなら 『ふるさとの風の中には』 『短歌の旅』 でも紹介されている、ここも万智さんゆかりの地だからね。 万智さんの本を1度も読んだことのない彼にしてはすごい名案だと感激してしまいました。 

で、8時頃の新幹線で新花巻へ行き、釜石線で遠野まで行きました。 遠野だったら仙台からバスでも行けちゃうんだけど、釜石線の眺めは最高です! 新幹線では昨日買った文庫本の『津軽』を読んでたんだけど、釜石線に乗り換えてからは窓の外ばっかりみてました。 ふるさとと呼びたい風景です。

ヒヨコ 花巻に揺れる野のくさ単線の線路が似合う夕日が落ちる   (〜短歌の旅〜)

万智さんは1990年の春と秋に、花巻に行かれたようです。 遠野へはその春に。
2回とも宮澤賢治をたずねての旅だったみたいです。 彼のふるさとが花巻なんですね。

花巻の宮澤賢治記念館や、盛岡の石川啄木記念館へは6年くらい前?に岩手出身の方にふるさと案内ついでに連れてってもらったんだけど、やっぱりその時も私の中では万智さんの行かれた場所に行きたいって気持ちの方が強くて、、万智さん聞いたら呆れちゃうかな。。 

クローバー 遠野は数年前に仕事で訪れたことがあります。 ちょっと旅行したいなって思った時、私はできれば初めての土地に行ってみたいと思ってしまうので、今回も友人に言われなかったら遠野は候補地にもなんなかったと思うんだけど、じっさい仕事で行ったって遠野の何を見てきたわけでもないんですよね。 しかも仕事と旅じゃ風景も何もかも違って見えます。  

遠野での思い出は、兵庫県出身の若い先生に出会ったことと、女子高校生たちに民話を伝授してもらったこと。 先生は地元の教員試験に何度か失敗しちゃって、冗談半分岩手の試験を受けたら受かっちゃったって話でした。 仙台にいたって関西人には会わないのに、遠野まできちゃった人がいるなんてね。 すごく2人で喜び合った秋、もう5年くらい前だったかな。 

高校生たちからは「オシラサマ」って話を教えてもらいました。 熱を出した子の付き添いをしていた時にその子から聞いた話。 看病に来た友だちの数人が、私に「うっそー、オシラサマ知らないんですかっ?」って驚いてたのが印象的でした。 遠野はやっぱり民話のふるさとなんですね。 「オシラサマ」は人間の娘と馬が恋をしちゃった話なんだけど、興味のある方は調べてみてください。

自転車 さて、今回は遠野駅でレンタサイクルを借りて市内を廻りました。 時候がら、そういうお客さんが他にもたくさんいて、駅周辺はとってもにぎやかでした。

市内MAPをもらって、まずは「伝承園」ってところに行きました。 遠野の民話を柳田國男に伝えた地元の佐々木喜善って方の記念館がありました。 地方に伝わる昔話って、日本中いくらでもあるんだろうけど、核家族の多い現代だと語り継がれることなく消えていっちゃう話も多いでしょうね。 ここで柳田國男の 『遠野物語』 を買いました。 読んでから行けばいいのにね。。 小諸でも津軽でもそう思いました。。

オシラサマを祀っているお堂とか、機織の実演とかを見学しました。 語り部の方のお話も聞きました。 「むがぁす、あったずもな…」って始まります。 これがとっても気にいった私は旅から戻ってさっそくウィルコムのタダ友に、この口調で「オシラサマ」と「かっぱ」の話を聞かせました。 最後のしめは「どんどはれっ。」です。

それから近くの「カッパ淵」に行きました。 おとなりに「常堅寺」ってお寺があって、ここにはカッパの狛犬がいらっしゃいます。 

◇ むがぁす(昔)、カッパいたずらさして、馬を川に引き込もうとしたずもな、馬おどろいて、カッパさ引きずったまま馬小屋に帰ってきたずもな、、家の人に見づがっで殺されそうになっだが、常堅寺の和尚がたすけでぐれだと。 ある時、お寺から火が出だども、そん時のカッパ、火ぃ消しでくれだと。 そいからこん寺ではカッパ狛犬さ祀るようになっだんだと。 どんどはれっ。 ◇

--- 言葉はずいぶん間違いだらけと思いますが、遠野物語を私に語らせるとこういう調子です。 
もっと長い話なんだけど要約すればこんな感じ (?) 

万智さん大絶賛の博物館はリニューアルのため、来年の春まで閉館なんだって。 それはちょっと残念だったんだけど、町のいろんなところで昔ながらの文化を伝えてくれる品々を見ることができました。

そういえば先日、同僚のさよよんが突拍子もない質問をしてきました。 「もしも万智さんを1日貸切にできたら何がしたい?」って…、そんなもしもは考えたこともないけれど、でも迷わず答えてました。「1日だけでもいっしょに旅したいなぁ」って。 そしたら、「たとえば?グランドキャニオンとか?」って言うので、「いや、昔ながらの暮らしをしてる人たちを一緒に訪ねてったりしたいかな」って。 …その時は遠野もいいな、と今回思いました。…なぁんて、万智さんごめんなさい。

自転車 さてさて、それからこんどは田舎のあぜ道を自転車でこいで行きました。 地図よりも看板を信じちゃってそうなったんだけど。 田んぼの広がる向こうに山。 珍しくはない風景だけど、どこかに似てるって思いました。 あ、武生だ。 万智さんのふるさとをたずねて行って、たしかあの時もレンタサイクルを借りたんでした。 大学1年の夏だったかな。 たぶん心の風景がかぶったのかも。

ヒヨコ 遠野には遠野のために選ばれた風吹いており花咲いており

遠野は宮澤賢治の童話 『風の又三郎』 の舞台になってるんだって。 そう聞くと、三郎くんは小学校に来たザシキワラシなんじゃないかって思います。

心いやされる田舎道を通って、「たかむろ水光園」ってところに行きました。 宿泊施設のお庭みたいだからあんまり期待はしてなかったんだけど、昔の人たちの生活道具がこれでもかってくらいに置いてあって、見ていて楽しかったです。 

以前、東北各地でよくキャンプをやってたんだけど、ご飯を炊くときに飯盒じゃなくてお釜でやろうって話になり、家にお釜を持ってる人を探したら、あっちこっちの家にあったんですね。 自分が生まれてから1度も使ってるのは見たことないって人もけっこういたので、それでも大切にしまってあることが嬉しいって思いました。 仲良くしてもらった主催者の方が遠くへ行っちゃって、しばらくキャンプに行ってないから、夏になるとうずうずします。 誰かキャンプに誘ってください♪

田舎の広いお家にはまだまだ何があるかわかりません。 友人のお家の物置には「かまおとこ」っていう、ばかでっかいお面があるそうです。いつかご先祖様が作ったのと、お父様が作ったの。 そうして伝承されてることがとっても貴いことに思えます。

「たかむろ水光園」には日帰り入浴できる温泉がありました。 小諸からの筋肉痛に始まって、相当疲れもたまっていたので、入浴してみました。 気持ちよくて長風呂したかったんだけど、時間も気になるので1時間もいなかったくらいで外に出ました。 

自転車 それから駅方面に戻って、「とおの昔話村」と「城下町資料館」に行きました。
昔話村では、語り部の方から昔話を聞きました。 もうず〜っと聞いていたかったです。 50年後にもし生きてたら語り部やりたいくらい気にいりました。 地元の人がやった方がいいに決まってるけど、私はふるさとの昔話をなんにも知りません…。

あ、地元の昔話、1つだけ思い出しました。 母校に向かう山道の道路の真ん中にでっかい岩があって、あの岩を動かそうとすると死人が出るとか。。 だからそこだけは岩をはさんで片側車線になってるって。 仙台ではね、太白山の頂上に大男が住んでいて、その長い手は海まで届くらしいです。 どんだけ〜っ。

ほかにも遠野では町の色んなところで、民話にまつわる碑なんかを見ることができます。 

私は「キツネの関所」ってところで、みよちゃんにおみやげの栗を拾いました。 帰ったらみよちゃんはたいそう喜んでくれました。

(←写真はその栗と真田の六文銭の袋です。)

万智さんの足跡を辿る旅の終わりに、栗の実っていうのはいいですね。 最後もやっぱり万智さんの短歌。

ヒヨコ みちのくに宮澤賢治を訪ねればどんぐりの実が旅のピリオド

3日間、万智さんが27〜29歳の頃に訪ねられた町を廻りました。 奥日光に行けなかった予想外の出来事はいまやどうでもよくなってます。 またいつだって行けると思うから。 結果として大満足。 

万智さんみたいに歌を詠んだり、ステキな言葉にはできないけど、おなじような瞬間にふっと心が揺れたりするような、そんな感性をもちたいです。 また機会を作って、こんな旅をしたいなぁって思いました。 人に話すと友だちいない子って思われがちだけど、まぁそれでもいいんです(笑) 万智先生と「同行二人」、私の心なんて勝手にそう思ってるんだから。。
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