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再開? [2012年09月07日(Fri)]
ご無沙汰しています。

久しぶりにブログを開いてみたら、もう1年近くも放置してたんだって、自分でも驚いてしまいました。それでも日々何名かの方が覗いてくださっているようで、嬉しくも申し訳なく、恐縮です。。

更新できなかった理由はいろいろあって、たとえばiPadメインで使うようになってパソコンを開かなくなったこと、あと正直ツイッターに関心が移っていたこと、震災後なにかと慌ただしかったこと、でも最大の理由は、心の中で一番大きな位置を占めていた心配ごとを伏せて、楽しいことやキレイごとを書くのが苦しかったこと。

実は昨年のお正月に大切な友人に癌が発覚して、ずっと闘病してたんだけど年末に亡くなってしまったんです。病気が分かったのは私たちが一緒にヨーロッパに行って、九州に行って、そのたった2ヶ月後のことです。その後の東日本大震災。本当に悪夢のような2011年でした。

夏の関西旅行、高知旅行は確実に私を癒してくれたし、友人も旅の話を聞きたがっていました。いつもどおりに笑って過ごして、ブログも楽しみにしてるよって言ってくれたけど、それでも楽しいこと書くのは辛いなって思いました。かといって苦しいことを苦しいともなかなか言えず。。

多くの人に癌の怖さを知って早めの検診を受けてほしい、って言ってました。友人のブログ、
http://ameblo.jp/flower255/ ぜひご覧ください。闘病中の思いもできごとも、辛い中でいっぱい書いてくれています。

晴れ いのちとは心が感じるものだからいつでも会えるあなたに会える

何度も何度も、この歌を反芻しています。万智さんありがとうございます!

サグラダファミリア教会が完成したらまたバルセロナに来ようって約束したことが、叶えられなくなったわけじゃないと思いたい。いつだって私は大切な人たちと一緒に生きているのだし、命の壁を越えても同じことだと、信じることにします。


♪ 僕は走っているだろう  君と走っているだろう
  あいだにどんな距離があっても
  僕は笑っているだろう  君と笑っているだろう
  あいだにどんな時が流れても

荒野より http://youtu.be/ia1HWtcQLwQ?t=1m

毎日を大事に、大切な人たちと共に生きて、またその記録も兼ねてブログ続けていけたらいいなと思います。
ありがとうございます♪ [2011年05月30日(Mon)]
おとといの夜から仙台では雨が降り続いています。 八乙女駅が水没したって聞きました…。 土砂災害など気をつけましょうね!

ブログの更新久しぶりですが、実は震災以降、光のVDSL装置が壊れたらしく、お家のネットがつながりません。。 だから今は友人宅でこっそり更新中です。

5月。 ゴールデンウィークは関西に帰省して、たくさんの友人、親族一同、ご近所さんたちからビックリするくらいたくさんの支援物資を頂きました。 ありがとうございます! 仙台に直送してもらった物も合わせて、すでに段ボール20箱くらい、避難所になっている気仙沼の中学校に運んでもらっています。

震災当初、私はみよちゃん以外に何も失ってはいないのに、たくさんの仲間が「何が必要?なんでも送るからね」って言ってくれました。 不便なことは多々あったけど、ガソリンや新しいリスなんて送ってもらえないし…。 要らないって言っても言っても、送るよ送るよって言ってもらううちに、みんなの支援の気持ちをここで止めちゃうのはダメなんじゃないかって気になってきました。 関西のみんなから見ても、私のいる場所は支援の中継基地になれるはずです。

ニュースにもなってたけど、あの混乱の中、被災地に支援物資を送るにも様々の規制があって、必ずしも善意の物資が被災地の方に届いたとは限らないみたいです。 もし、みんなに協力をお願いするなら絶対にムダにはしたくないって思いがありました。

そんな時、3月まで私が簿記を教えて頂いてたO先生が、気仙沼の避難所に通って地域の方を支える活動をやってるらしいって聞きました。 さっそく連絡して、関西の仲間たちがぜひ支援したいって言ってくれてるんですが…って話をしたところ、いまうちの避難所では喪服や春夏用の服なんかが不足している、ぜひ協力してほしいって言ってくれました。(ちなみに今は必要なもの、長靴・カッパ・Tシャツみたいです。---まだまだ全然片付けとか進んでいないみたい。)

その時に聞いたお話だと、行方不明の方々が見つかって、日々どこかで法要をやってるんだけど、喪主の方でも喪服がないからジャージとかを着てるってことでした。 支援物資に喪服って、私も先生から聞くまで全然思いもよらなかったです。 震災直後に全国から集まった毛布や冬服で倉庫は満杯で、自治体としてはそれ以上に物資の受け入れができなくなっていて、本当に今必要なものが被災地に届けられないって新聞にも書いてありました。 先生が直接届けて下さるならそれに越したことはないです。
(協力してくれたみんなへ、O先生はホント信頼できる人だから安心してね♪)

4月末に改めてみんなに支援への協力を依頼しました。 こちらからお願いしているのに、ちょっとでも力になれるなら嬉しい!とか、届けてくれてありがとう!とか、みんなそういう感じなので、今さらながら私はなんていい友だちを持っているんだろうって感じ入ってました。 

とにかく数がたくさん必要だから新品じゃなくてもいいってことでしたが、ほんとに状態のいいものばっかりだって、後日、先生がとっても感激して言ってくれました。 被災地に届くものの中には、ひどいのだと油とか醤油とかついてたりするのもあるそうです。 そういうのはムダに人の心を傷つけるだけなのにね。。 

心やさしい友人たちは、それでも新品を買って送ってくれたり、フリーマーケットに出品する予定だった服をこちらに回してくれたり、中にはダンナさんのお気に入りをこっそり入れてくれたりした人も。 みんな自分の家族とか、職場の仲間とか、お友だちにも声を掛けてくれて、実際には何人の方が協力してくださったのか、全然私にもわかりません。 

友人を通じて大阪・堺の方々にもたくさんの協力を頂いたそうです。 おかげでパンプスやストッキングもたくさんお届けすることができました。 お話したことのない昔の同級生や、面識のなかったご近所さんからもご協力頂きました。 母は大量のアイロンがけや仕分け作業に私以上に尽力してくれました。 年若いいとこたちからは貴重な子供服も。 いろんな方の熱意に打たれて、私も作業用に手袋200人分送らせてもらいました。 

皆様の温かいご支援に、改めて御礼申し上げます。 とともに、被災地に足を運ぶと、まだまだ無限に支援が必要だなって痛感します。 さらにさらに色んな形で協力できたらいいですね!

そうそう、作家の島田雅彦先生が発起人の復興書店って、ご存知ですか?
先生って呼ぶのは私が大学時代に講義を受けてたからだけど、なんせネット上にあるその書店では、作家の方が自著をサイン付きとかで寄贈して、その書店から本を買ったらその代金分を復興の義援金にしてもらえるっていう話です。

万智さんも賛同されて本を提供されていて、私も1冊GETしました♪ 発売から30分後くらいに見たら残り1冊しかなかったから、選択の余地もないまま『ひまわりの日々』を購入。 金額的にはホント微々たるものだけど、大好きな万智さんと一緒に支援ができるってすごくすごく嬉しいですね♪




わたボコリみたいな翼でも  木の芽みたいな頼りない爪でも…  

まだまだいくらでも、できることはたくさんあるハズですね。。
その後。 [2011年04月11日(Mon)]
大きな余震が続いて、ホント怖いですね。。
仙台は桜が満開です。 でも天気は雨…今日のお花見は中止になりました。

先日、電話をくれた関西の友人が、まだ避難所にいるの〜?って聞いてきたので、そういや報告もしてなかったっけって驚きました。 心配だけかけてそれっきり…ごめんなさい。

私の周りだけ見ると、徐々に普段の生活を取り戻しつつあるようです。 私は学校の終了を待たずに、とり急ぎ震災関連の職に就きました。 被災された方が1日も早く生活再建ができることを願って仕事をがんばってます。 九牛の一毛にもならない程のことでも、できることをやるだけ。 できることしかできないけど、誰かの役に立ってるって信じたいです。

3月11日の話は前回記述の通り。 忘れないうちに翌日以降のこと、書いておきます。 

12日は明るくなってすぐそれぞれ家に帰り、横になって寝ました。 そして、哀しくもみよの最期を知りました。 お昼すぎ、水道が使えるようになりました。 午後、連絡の取れなかった帰宅困難者のLが訪ねてきてくれて一安心。 

家にはそのまま食べられそうな物がほとんどなくて、避難所でもらってきたんだけど、その日はちくわ1袋とがんもどきだけでした。 頂けるだけ本当にありがたいって思いながら、次の支給の見通しはたってないって聞いて不安になりました。 

避難所で一緒に寝る予定だったリツさんも誘って、Lと3人で私の家で川の字になって眠りました。 避難所から家までの夜道の暗さ、しみじみと見上げた月の形を今もはっきり思い出せます。 家の中でも懐中電灯を使いました。 すでに使い切ったつもりだったガスボンベをだめもとでコンロにセットして火をつけてみると弱々しい火がついたので、あたたかいお茶を飲みました。 その感激ったらないです。

13日は、あれ、何したんだっけ? 思い出せないけど遠くに行ったりはしなかったハズ。 食料を探し求めてかけずりまわって、ふだん買わないような栗きんとんとか、キウイをGETしました。 友人がどこかで、チーズケーキを買ってきてくれました。 

そうそう、区役所とか行ってみたんだった。 区役所は自家発電なのか、電気がついてて、ケータイの充電に並ぶ人の行列が尋常じゃなかったです。 テレビが見られたので夕方までしばらくの間、多くの人たちに混じってニュースを見ていました。

暗くなる前に避難所に戻って、また夜は3人で私の家に帰りました。 私たちは、それぞれがGETした食料を分け合って食べられたんだけど、その日私たちの避難所ではちくわ1袋とロールケーキ1口分しかもらえなかったようです。 ご近所のお豆腐やさんのお豆腐も配ってたけど、数が少なくてもらえない方が多かったみたい。 その頃には、ニュースでもっと悲惨な思いをしてる方々の情報も入ってきつつあったので、不満を言う人はいなかったけど、一部の人は無言で取り合いしてるような光景も…。

夜11時半くらい、布団に入っていたら、ブー!!ってすごい音が鳴って、同時に照明がつきました。 地震のあとブレーカーを落としたりしてなかったから…本当はだめなんだろうけど。。 急に明るくなって、すごく嬉しかったです。 こんな時間にも誰かが電気の復旧作業をしてくれている、そのことにすごい感謝の気持ちが湧いてきました。 さっそくケータイとipadを充電して、電気ポットでお湯を沸かし、3人でコーヒーを飲みました。 

そのころ外から何かの音が聞こえてきたので、ドアをあけると、近所のマンションからすごい大音量で「11階が火事です、避難してください」って放送が何度も何度も繰り返されてました。 煙も炎も見えないし、消防車の到着は遅かったし(きっと出動が多すぎたのかな?)、本当?って思いながら、でも心配でしばらく外にいました。 マンションの住人の話じゃ、11階からスプリンクラーなのか、水がダダ漏れになってるってことでした。

消防車が来ても放水する感じじゃなかったので、1時間くらいして家に帰りました。 しばらく3人でテレビに釘付けだったけど、リツさんとLが寝ちゃってからケータイでメールチェック。 たくさんの人からの心配や励ましの言葉をもらって、胸いっぱいで本当に朝まで眠れませんでした。 すぐに返事をしたいけど、あまりに真夜中なので、朝方つくように送信予約したくらい。

あとでこまっちセンパイより、なんでいっちゃんには返事をして私に返事をくれないの?なんて言われちゃったのですが、本当にメールくれたこと知らんかってんもん。。 全部のメールが届いたわけじゃないみたいです。 ほかにもそんな風にご立腹の方がいたら、そんな事情なのでホントごめんなさい。 許してください。。

万智さんの無事もこの夜に知りました。 良かった、本当に。 お仕事で東京に行かれてたそうです。 何度も何度も、万智さんが海辺にいるはずがないって思いながら、でもたしか川の近くって言ってたし…なんて余計な心配をしてました。 だって東北には万智さんほど旧くからの知り合いって他にいないから、なんちゃって。 

みよについて書いておきます。

みよちゃんは震災の5日前、5歳のお誕生日でした。 人間の歳にすると、リスは最初の1年で20歳になり、それから毎年10歳ずつ年をとるそうなので、つまり還暦を迎えたばっかりでした。 

私は今もみよの本当の最期を知りません。 仙台では、震災の2日前にも大きな地震があったのですが、その日の夜からみよの元気な姿を見ていないんです。 寒い時期、巣箱に籠りっきりで出てこないことはよくあるので、震災の翌日、決定的にそのことを知るまでは巣箱に隠れて大好きな布にくるまって食っちゃ寝食っちゃ寝してると思ってたから。

この震災でたくさんの動物たちが亡くなったって聞きました。 津波じゃなくても。 小さな小さな心臓がドキドキドキドキして、本当に怖かったんだと思います。 助けてあげられなくて悔しいです。 

みよちゃんとは震災の1週間後に永遠のお別れをしてきました。 それはもうボロボロに泣きました。 お墓参りに行っては泣き、YouTubeを見ては泣き、今も若干涙目です。

他の人には何万匹もいるリスのうちの1匹だろうけど、私にはそれはそれは特別な…って星の王子様のキツネみたいだけど、本当にかけがえのないリス、っていうかみよちゃんです。

前にもアップしたかもしれないけど、これが私の愛するみよの在りし日の姿です ↓↓↓

震災のこと。 [2011年04月01日(Fri)]
お久しぶりです。 震災から半月以上が経過しましたが、皆様いかがお過ごしですか?

私は仙台でたったひとり?の家族である、シマリスのみよちゃんを震災で喪いました。 だけど元気です。 家も家具も無事でした。 でも4月のトルコ旅行は立ち消えました。

あらためまして、この度の震災で犠牲になられた方々に、心よりご冥福をお祈りいたします。 また、たくさんの大切なものを失くされて、深い悲しみと不自由な境遇の中を強く耐え忍んで生活されている多くの方々が、1日も早く心の平穏を取り戻されることをお祈りするとともに、微力でも行動することを誓います。

震災の後、たくさんの友人・知人からお見舞いのメールや電話をいただきました。 ありがとうございます! 電気が通ってケータイが使えるようになった夜、メールを見て胸がいっぱいになって眠れませんでした。 正常に受信できてないものもあったみたいで、個別にお返事できなくてすみませんでした。 

大きな地震のあと、まっ先に連絡をくれるのはいつも決まって関西の友人たちで、ともに阪神大震災をくぐり抜け、ともに生き、ともに乗り越えてきた仲間たち。 みんな震災の恐ろしさと、非常時の人の温もりを知っていて、それはもう熱烈に!支援したいって気持ちを伝えてくれました。 私は被災地の住民のひとりとして心からお礼を言いたいけれど、でも関西人のはしくれとしては、みんなと気持ちをひとつに少しでも阪神の時のご恩返しを東北の方々にしたい思いです。 八紘一宇、一緒にがんばろうねっ!

3月11日、午後2時46分。 たまたま学校が休みだったので、あの時間は家にいました。 2時までパチンコしてたんだけど、3時半に歯医者の予約をしてたので、帰ってきてご飯を食べ終わったのと同時くらいに揺れが来ました。 仙台に来てから大きな揺れにはずいぶん慣れちゃったけど、途中から明らかにいつもと違うぞってわかりました。 

私はガラスケースに入った博多人形が壊れないように押さえながら、上からエアコンやシーリングファン付きの重い照明器具が落ちてこないかと怯えていました。 たまたま大丈夫だったけど、私のとった行動は正しいはずがないです。 机の下にもぐるなり、玄関のドアを開けておくなり何かやるべきことが他にあったはずなのに。 このままじゃダメだって思いながら、それでもそこから動けずにいると、次第に電球の灯りが萎むように消えていき、すこし揺れがおさまってきました。買ったばかりの薄型テレビが落っこちてました。

カーテンをあけたら外の光は明るくて、まずは在宅率の高い大阪の祖母に連絡。 直後ならつながるってのは、大きな地震を何度か経験するうちに学んだことです。 「きっと大きなニュースになるハズだけど、無事なので心配しないでいいよ。みんなに伝えてて。」って言ったら、やっぱりその後すぐ、ケータイは不通になりました。 祖母が家におってええんかいなって言うので、それもそうだと思って外に出たところ、ご近所の方たちも道路に出ておられました。 

近々すごく大きな地震が来ることを、宮城の人たちはみんな知っていました。 他の地域の方は驚くだろうけど、ほんとにそれは事実です。 3年以内に99%以上の確率で来るって言われた時から、もう3年は過ぎています。 けどあの揺れに驚かずにいられたでしょうか。 

ご近所を見渡したところ、崩れた家などはないように見えました。 私は来たるべき宮城県沖地震への心構えとして、絶対にご近所の人を助けるんだ!(←かつて自分が助けてもらったように)って思ってたけど、結局なにもできず。。 でも最初に言葉を交わしたご近所さんが、ひとり暮らしで昨日まで入院してたっておっしゃるので、この人を不安にさせないぞって心に決めました。 なぁんて善人ぶって、ほんとは自分が心細かっただけにちがいないのですが、、その時はそう思っちゃったんですね。

で、ご近所リツさんと一緒に近くの小学校に行くことにしました。 新居のそばには徒歩5分圏内に小学校2つと高校が1つ、さらに自衛隊の駐屯地もあって、昨年末に引っ越す際にも避難所にはこと欠かないなって思ったけど、まさかすぐお世話になるなんてね。 小学校に入る前、近くのファミマに飲み物を買いに行きました。 停電でレジは使えず、おつり出せませんって言われました。 けど投げ売り状態だったから500円でペットボトルのお茶4本をGET。 

ファミマに一緒に並んでた女性がへんなことを言いました。 「私たちは津波が来るから家族と一緒に中野栄からここまで避難してきたのよ。 でも10メートルの津波が来たらここだって安心できないわよ」って。 私は余震が怖かったけど、津波なんか関係ないと思ってました。 周囲は誰も慌ててないし。 だけどその後ラジオで聞いた津波の被害は私たちを震撼させました。 おかしいのは私たちの方だったのね、って、リツさんも言ってました。 あの女性のご家族がとっさの判断で行動なさったことに、今となっては尊敬の念を抱かずにはおれません。

体育館に入って隅の方に椅子を並べて座ってました。 照明が落ちてこないかしら、窓が割れたらガラス降ってくるねなんて言いながら、時間がたつのは早かったです。 急に大雪が降ってきたのは知っているけど、すぐそばの海側の街の様子はわからなかったです。 明るいうちに家から布団を持ってきて、ケータイがつながらないことにイライラしてました。 みよが巣箱の中で短い命を散らしたことを、まだその時の私は知りませんでした。

夜、小学校で前の職場の上司に遭遇。 私が声をかけたら、停電してるけど今から家に寝に帰るっていうので、無理に引き止めて朝まで一緒にいてもらいました。 この方が職場で唯一、動物占い・チーターの男(←こじかの私と相性が良い)ってのを思い出して、たしかにある意味すごい運命の人だったと思いました。 ご町内には会社の人たちがたくさん住んでるって聞いてたから、もっと皆さんに会えるかと思ってたのに、みんな真っ暗な中避難しなかったのかな?

避難所でアルファ米のご飯と、保存用のクラッカーをもらいました。お水も。誰がいつの間に準備してくれたのかはわからなかったけど、配るのは小学生や中学生たちが積極的にやってくれました。 ワンセグのケータイで電池残量を気にしながらテレビを見て、誰かのラジオに耳を澄ませ、聞こえてくる被害の状況に慄きながら、それぞれの海辺の親戚や友人の安否を案じながら眠れない夜を過ごしました。 日頃お付き合いのない方々なのに、自分より年配のお二人がいてくださったのは本当に心強かったです。 

その夜の気分を、後日短歌にして万智さんにツイッターで見て頂いたらほめてくれました♪ ほんとですよ。 でも友人Yが言うには、万智さんもこんな時にダメ出しはできへんやろって、、まぁたしかに、、それでもほんと嬉しいです!! 阪神大震災のあと、崩れた家の中から 『かすみ草のおねえさん』 を取り出したことを思い出しました。 万智さんの言葉があれば、私はこの震災も乗り越えられる、それは確信のあることです。

私の3・11はこんな日でした。 1・17並みに生涯忘れられない日になるでしょう。
震災にまつわる様々のことはキリがないので、また少しずつ記録しておこうと思います。 



何度でも、みんなでつよくつよく、生きていきましょうね。
ツイッター。 [2011年02月21日(Mon)]
すこしだけ、あたたかくなってきましたね。 雪じゃなくて雨が降るくらいに。 このまま春になってくれたらいいなぁ。

チョコレートBOXで紹介されてましたが、万智さんのツイッター、皆さんはもうご覧になりましたか?? 私はツイッターって、自分には無縁のものと思ってたけど、万智さんがはじめたのなら!って、さっそく自分のアカウントを作ってみたけど、まだ使い方がよく分からないので、ちょっと勉強してから?なにかつぶやいてみようと思います。

1日に何回か万智さんがつぶやくと思ったら、気になって仕方ないですネ。 イベント情報とかもつぶやいてくれたら嬉しいけど、なんせつぶやきだもんね。 つぶやくってなんだろ。。 もしもだけど、私が街ナカをうろうろしている時に、万智さんが「メディアテークなう!」なんてつぶやいたらさぁ、それは公表したから会いに行ってもいいってことなのか、ひとり言なんだから返信する以上の反応はしちゃいけないのか?そんなルールってあるのかな。。 万智さんがそんな風にはつぶやかないだろうけど…もしもの話です。 

先日の12日、東京に遊びにいってきました。 ゴセイジャーショーは例のジェットコースター事故で中止になり、やむなく葛西臨海公園の水族館に変更になりました。 この水族館、東北の中学生が修学旅行でよく行くんですね。 私も何度かご一緒させてもらったことがありますが、今回は仕事じゃないので、すみからすみまで隈なく見てきました。 龍ってほんとにいるんですね! ほんとにシェンロンみたいな龍(でも、小さくて手足に葉っぱがついてるみたいなの)がいるんですよ! 3歳のUキ君がうつぼをじ〜っと見てるので、怖くないの?って聞いちゃった。 キレイな色のお魚がいっぱいいるのに、なんでうつぼをそんなに見るんだか、子どもに戻ってもう一度世界を見てみたいです。

ランチを食べて解散してから、時間があったので、ジャイアンの青山オフィスに電撃訪問。 ひっこし祝いに高級ベッドをくれるって言いながら、ぜんぜん送ってくれないので催促に行ったものの、会えず…。 仕方がないから雨の中、青山から六本木まで歩いてみました。

ヒヨコ 強引な言葉待ちいる我のため雨もっと強く降れ六本木  (〜かぜのてのひら〜)

だからやっぱり六本木は雨じゃなきゃね! だってだって、チョンホ様は来てくださらなかったのだから。。 雨雨降れ降れもっと降れ わたしのいい人つれて来い♪(〜八代亜紀〜)

で、夜の東京タワー計画は、急きょコマツ一族と一緒に六本木ニューハーフショーを鑑賞することになり、それはそれでメチャクチャ楽しかったです。 親族14人だっけ?全国から集まってニューハーフショーを観ようっていう心意気に感服。 そこにこんな通りすがりの私を混ぜてくださる寛大なお心に感謝します! 高知にお住まいのおばさんに、四万十川を見たいって言ったら、おいでおいで案内するわよ〜って。 なんてステキなマダムでしょう!!! 多くの人は「そういうのを社交辞令と言うのだから、本気にしてはいけません!」と、よく私に忠告してくれるのですが、モチロン私は本気です。 

ヒヨコ 四万十に光の粒をまきながら川面をなでる風の手のひら  (〜かぜのてのひら〜)

四万十川といったら万智さん、万智さんといったら四万十川でしょう!! 私の中では橋本高校と同じくらい、行かなきゃならない場所です(?) センパイ、いつにしよっか〜?

高知に行くのが楽しみすぎて大騒ぎしてたら、パパが春日井にも遊びに来てねって言ってくれました。 パパの卓球好きは耳にしてたので、勝負してくださいっと試合を申し込み。 何年もやってないともうボロ負けだろうなぁ。。 パパは自宅練習用に卓球マシーンを開発しちゃったそうです。 バッティングセンターの脇にあるようなのじゃなく、パパ製作のマシーンは変化球をくりだすそうです。 高知の次はいつかおじゃましたいですっ。

一族と別れて、センパイとお茶して、私はあっさり帰ってしまったのですが、翌日銀座で万智さんのサイン会があったらしい。 そうと知っていれば…、、、チョコレートBOXとあわせて、今後はツイッターも要チェックですね注意
今年もお世話になりました。 [2010年12月31日(Fri)]
ご無沙汰しています。 皆さまはお変わりありませんか。
私にはと〜っても慌しい12月でしたが、今は実家でこたつに入って探偵ナイトスクープなんかを観ています。 そうそう、きのうは三宮に行って、万智さんが親しくされてるらしいセンター街の眼鏡屋さんで、万智さんが作詞された「ハイサイOKINAWA」のCDを買いました。

何から書くか迷うとこだけど、最近引っ越したんですよ♪ 仕事を辞めましたとか、事故に遭いましたとか、私の12月はそれはそれは波瀾万丈だったけど、いろんな面で2011年は心機一転あたらしい自分に生まれ変わろうと思います花

前回以降のトピックス、自分のために記録しておくと、11月に日帰り関西で「地球交響曲」の監督やご出演の方のお話を聞きに行きました。地球にある生物すべてがお互いに響きあって影響しあっていることを胸に刻んで生きていこうと思いました。

翌週ONUのお家で鍋パ!ONUお手製のクリスマスケーキがおいしかったです。ギャー主査のK-POPダンスが楽しみだったけど、それは新年に持ち越し。 

引越しを思い立ったのも11月。何事にも慎重な私が?珍しく即断をくだしてとんとん拍子にことが運びました。  

12月、クマ先輩がユニセフの映画上映会に誘ってくれて、行く途中に一緒に光のページェント初日の点灯を観ました。とってもキレイでしたね!そしておそろいのクマを買いました。

それから、ずっと行ってみたかった万智さんお気に入りっていう国分町の「桃水」にルパンが連れてってくれました。ごちそう様!どういうつながりだか分かんないけど、このお店の名前は江國香織さんが付けられたそうです。きのうの眼鏡屋さんとかでもそうだけど、お店の方に万智さんのこと尋ねてみたりする勇気はなくて、熱意のワリにはへっぴり腰な私でしょう。。
 
15日に事故。ご心配かけましたがもうずいぶん快復してます。バイクで死ななかったのは魔除けのイヌ(←マレーシアみやげ)のおかげ?へんな物もってるからだって説もありますが。。

傷だらけのまま豪雪の月山を越えて、週末には秋田県本荘のぁりちゃんの結婚式に参加させてもらいました。もこみち風のダンナさんがカッコ良い!東北(秋田?)の結婚式の文化にもちょっとびっくりでした。万歳三唱とかがね。さそり座A型の会の3人で関西弁をしゃべくりたおして、思う存分ヘン顔を披露しあって楽しい2日間でした。花嫁の実家に泊まらせてもらって、きりたんぽもごちそうになって、ほんとお世話になりました。 

引越し前日、職場の送別会をしていただきました。30歳になったら辞めますって1年以上前から宣言してたので、それまでは頑張ろうって思ってやってきたけど、最後までちゃんとやりました!とは全然言えなくて、仕事の面ではいろいろ申し訳ないきもちのままなのですが…。でもほとんど女性ばっかりの職場がこんなに楽しいとは、入社当時は思いもよらなかったです。引越し前夜だったのに結局2次会も夜中までご一緒させてもらいました。皆さんとのご縁はこれからも大切にしていたいです。 

23日に引越し。業者にお願いしたんだけど、急きょタナ様にもお手伝い頂いてありがとうございました!段ボールを運んでくれたナベ君やステキな照明器具をくれたMっちにも感謝!あ、引越し先は仙台市内です。言っとくけど万智さんのご近所に、とかじゃないですよ(←みんなに聞かれるので)。ていうか万智さんちなんて知らないし。。 

24日も大忙しで前の部屋の立会いとか、ネットの解約とか、病院行ったりしてから出勤しました。ネットの解約で以前の職場に行ったら、懐かしいWTBさんに会いました。今の原チャに乗れるのもおうのさんとWTBさんのおかげです。事故ったこととか報告して、かわいい来年のカレンダーをいただきました。お登勢さんやジムさんに会いたかったけど、ほんと時間なかったので…年明けに会いましょう!家に帰ったらティファールの湯沸しケトルが置いてありました。サンタさんが来たんだ♪って嬉しくなりました。

クリスマスは最後の出社日で、なごり雪がしんしんと降ってました。 土曜日だし遅番だしであんまり皆さんに会えなかったけど、私はお別れと思ってないので仰々しいお別れをしないくて済んだだけその方が良かったです。ONUは得意のケーキを作って来てくれました。そしてネコ先輩がチャングムのDVDをなんと全話分くださいました。 今年1年バルセロナに行ったり、初恋のチョンホ様に再会したり、引越をしたりっていう、いつでもできそうなのにしてこなかったことを、私にさせてくれたのはチャングム!って思います。説明はできないけど、ほんとそんな気がするんですねー。クマさんも本を下さったり、ドリさんは雪の帰り道を車で送ってくれました。皆さんとまたお会いできる日を楽しみにしていますっ♪

ヒヨコ いのちとは心が感じるものだからいつでも会えるあなたに会える  (〜たんぽぽの日々〜)

万智さんのこの短歌を見てから、どんな別れも悲しくないような気がしてきました。だから淋しくないってわけじゃないんだけど、淋しいんだけど、なんていうか、、やっぱり淋しいですね。チョー淋しいです。

新居に段ボールを山積みのまま27日朝に帰省して、その日からさっそく母や祖母たちと京丹後にカニを食べに行きました。でっかいカニと温泉、今年も良い1年だったなぁとしみじみ。

大阪の祖父母や旧友たちに会って、いつもの感じで今年も終わろうとしています。これから父の旧友が来てくれるらしく、その後は兄のお家に行って、初詣に行って、また親戚たちにあいさつをしたら2日の夜に仙台へ帰ります。 関西のみんなも仙台のみんなも、ちょっとだけ広くなった新居にぜひ遊びに来てくださいっ♪ 新居は今までとガラっと雰囲気をかえて、まるで30代の女性の部屋(!)みたいにする予定なのでお楽しみに〜。

本当に今年1年も色んな方にお世話になりました。ありがとうございました!
皆さんも良い新年を迎えられますように。 2011年もどうぞよろしくお願いいたしますサル


ipad [2010年06月23日(Wed)]
流行の物にはとんと疎い私ですが、先日ipadを買いました。
今はそれでブログを書いているところです。パソコンの方が断然入力しやすいけど、いつでもどこでも為替相場がチェックできるので、とっても気にいってます。
さっそく色んなアプリをダウンロードしてみました。
たとえば『太鼓の達人』『産経新聞』『パチンコ手帳』『指差しスペイン語会話』『フィンガーピアノ』などなど。 産経新聞はなぜだかわかんないけど、無料で毎日の新聞がほとんどそのまま読めるみたいです。 パチンコ手帳は日々の戦績をグラフで見たりできます。
無料のアプリが色々あるので、迷ったら落としちゃえって感じです。
まわりに持ってる人はまだ少ないようで、ぜんぜん自慢してないのに(?)みんなにわ〜きゃーって言われて悪い気はしないです。

ipadはアップル社の製品なので、裏面にはかわいいリンゴのロゴ。 あ、そういや万智さんのパソコンデビューはMacintoshだって。 空中でマウスを動かして、矢印が動かな〜い って困ってた頃の万智さん、いや、あの時代の誰にとっても、今日の無線高速インターネットはまさに魔法だろうと思います。 万智さんのマックデビューについては『俵万智のハイテク日記』を要参照です。ipadを使いこなして、私は魔法使いになります。

ここまで書いてけっこう疲れちゃいました。 おもしろいアプリとかあったらまたご紹介します。それでは、おやすみなさい。
OCO。 [2010年02月09日(Tue)]
今さらなんだけど、私の苗字オシオっていうんですけど、こないだ会社に届いた私宛のFAXに「OCO」って書いてあったんですよ〜。 日本語を話せる外国人のお客様だったので、「カタカナでもひらがなでもいいからオシオって書いて送ってください」って言ったら、「英語でもいいですか?」っておっしゃるので、いいですよって言ったんです。 「OSHIO」かと思いきや「OCO」だったから笑った〜。

…って、これは去年の話なんだけど、今ごろなんでそんな話かっていうと、FX用語の「OCO」ってあるんだけど、最近FXデビューした私は、このOCOの重要さを痛感しているところです。 痛感って、ホント痛いんです。 取引を開始する段階で、こんだけ利益を出した時点で決済するっていう予約の注文と、逆にこれだけ損失出たところで決済するっていう予約の注文をいれるのがOCOなんだって。 本では読んでたんだけど、ついつい成り行きで注文しちゃうとヒドイ目に遭うので気をつけましょう。

そんなわけで、寝ても覚めても為替相場が気になる1週間でした。 どれだけヤバイ状態かは持ち直したら発表します…って、持ち直さない可能性も多分にあるので、悩むところです。 1晩でいいから、誤報でいいから、日本の経済がもうダメだみたいなニュース流れないかな。 しかも世界中で! とか言ってる自分が情けないなぁ。。

さて! こないだの日曜日は、仙台国際センターで万智さんがお話されるって聞いて行ってきました。 子どもの生活習慣を考えるフォーラムで、「早寝・早起き・朝ごはん」の大切さを教わってきました。 万智さんは、母親の立場で子どもを早く寝かせるってことが難しいってお話されてて、うちでは寝る前に子どもと絵本を読むのを習慣にしてますだって。  

万智さんが脳トレ考案者の川島先生に、質問された中でもたくさん勉強になりました。 寝すぎも寝不足も脳には良くないことで、自分に必要な分だけ睡眠とれてるかっていうのは、休みの日にいつもの時間に起きれるかってことが一つの目安になるらしいです。 (前日もいつもの時間に寝たとして。) 私はたぶん足りないです…。 あとね、朝ごはんはおかずの品目多いほうがいいそうですよ。 食べないなんてもってのほかで、バカになるって川島先生がおっしゃってました。 で、パンよりはご飯がいいんだって。 

生活習慣といえば、先日、朝の苦手な私に上司から「万智さんもお子さんがいると頑張って早起きしてるハズだから、あなたもがんばりなさい」的なことを言われ、「そーですねぇ。けど万智さんも東京で一人の時はお昼まで寝てたみたいですよ」って言い返した(?)ところ、「作家は早起きしなくたっていいの。あなたは作家じゃないんだから。」って、もっともなことを言われました。。

さらに昨夜は長電話友だちと話してた時に、私が名残惜しくて電話を切れないでいると、「万智さんと一緒に、早寝・早起き・朝ごはんやるんじゃないの?」って諭されました。 ハイその通りって言って切りました。 みんな話がうまいんだからっ。

シンポジウムの中で、さっすが万智さん♪と思ったこと。 タレントの勝俣さんが子育ての楽しいお話をたくさんしてくれた中で、子どもに本の読み聞かせをしてますみたいな話があり、自分が子どもの時は寝るときにおばあちゃんから物語を聞かせてもらったんだけど、桃太郎でも浦島太郎でもほんとの話とぜんぜん違うから、大きくなってからビックリした。 だから子どもには正しい話を本で知ってほしい、っていうような話をされたんですね。 「だから子どもには…」っていうのは冗談半分と思うけど、その話の途中で万智さんがマイクを手に取った瞬間、さっすが万智さん♪と思いました。

期待どおりっ。 「寝るときに物語を聞かせてもらうって、とってもステキなこと。 いちばん贅沢な読み聞かせ(読んでないけど)だと思うなぁ」って。 万智さんが口をはさんでくれなかったら、心にちょっとモヤモヤが残ったかもしれません。 桃太郎も浦島太郎も誰が言い出した話か知らないけど、それを聞いた人、本を読んだ人の心に残ってたぶん何百年も語り継がれてきたんだもんね。 正しい話、原作と内容があってるかなんて、たぶん大した問題ではなくて、この話をあなたに伝えたいっていう思いがよっぽど大事なんだと思います。 

昔話に限らず、たとえば万智さんも絵本の読み聞かせの中で、勝手に言葉を変えてみたりってことをよくされてるんですよね(『かーか、んはぁい1・2』 参照) アレンジとかするのはやっぱり、一緒に本を読む時間をより豊かなものにしたいって気持ちの発露なんだろうから、その心こそ貴いんだよなぁって気がします。 なんせ、あの勢いのある勝俣さんのトークに割って入った万智さんの一言が、私を感動させました。

ところで、その日曜日の夜のこと。 実は金曜の朝に出勤してからずっと家をあけてたんだけど、家に帰ったらなんと! トイレの便器の中の水が凍ってたんです。 こんなの2月の瀋陽でしか見たことない。 けどあれは屋外のトイレだっけ。 我が家の寒さは「絶対おかしいよ」って同僚に言われてたんだけど、さすがに自分でもおかしいって思いました…。 とっさに、みよちゃんが冬眠しちゃったんじゃないか?とか、水道管凍結してるんじゃないか?とか、不安が襲ってきたんですが、どちらも大丈夫でした。 今日のお昼に聞いたところでは、土曜日の仙台、最高気温が -4℃だったんだって。 みよちゃん、よく起きててくれました☆

春が待ち遠しい今日このごろ。 皆さまもあたたかくしてお過ごしください。


最後になりましたが、ニュースで見たんだけど、万智さんとも親交の深くていらっしゃった作家の立松和平さんが昨日お亡くなりになったそうです。 謹んでご冥福をお祈りいたします。

「万智の交遊録」第36回 ⇒ http://gtpweb.net/twr/mguest36.html
ミナミの帝王。 [2010年02月02日(Tue)]
このところFXの勉強に明け暮れていたんですが、きのう満を持して?FXデビューしました笑い
会社に行く前に2万円の証拠金で1万ドルを買って、夜に帰ってからパソコンを開いて決済すると5050円増えてました。 働かなくてもお金が増えるなんてね…あの人が働かないのも分かる気がする、って思いながら、でも私は少なくても確実な収入を得ていたいと思います。 

先日、病気の時に思いついた競艇の勝利の方程式は、実際にお金をかけたら全然うまくいきません。 当たっても配当が低かったりするので、もうやめようと思います。 競艇をやるにあたっては、オッズに惑わされるな!と自分に言い聞かせてやってたら、さっぱり成果がないので、FXはできるだけ成功してる方たちのマネをしてやろうって計画です。 だからってレバレッジ400倍とかはまさかやりませんよ。 身の程をわきまえて、小額でコツコツ。

ところで、こないだチャンネルNECOではじめて『ミナミの帝王』見たんですが、もっとえげつない話やと思ってたら、なかなか笑えるドラマでした。 目先の上手い話に釣られてついつい借金までしてしまう情けない人々には呆れ返っちゃいます。 利息が10日で1割っていう萬田金融の血も涙もない取り立てにハラハラするんだけど、最終的には借金の裏にある事件を萬田はんが解決して借金をチャラにしてくれるんですね。 人情とかやなくて、事件を糸口に他のヤツからもっと金を出させるっていう話。 3話しか見てないからいつもそうかはわかりませんが。 一見正義の味方のようでいて、絶対そうじゃないんだけど、なんせ面白いドラマでした。

いつだって私の流行は推移しやすいものなんだけど、たぶんここ10日くらい、一番の興味はズバリお金だと思います。。 (あ、すごく困ってるからとかじゃないですよ、念のため。) 前に自営業やってる友人Mっちが「俺は金儲けしか興味がねえんだ!」みたいに言ってたのを聞いて、「ほんまにコイツいやなヤツやなぁ」と思ったのに…こういう興味関心は、あんまり人に言わない方がいいのかも?

FXの本には「大儲けしようなんて思ってはいけません」「大負けしないことが大事です」みたいなことがよく書いてあります。 根は慎重な方なので大丈夫だろうって思うけど、「儲かった時に調子に乗らない」・「損したときにヤケを起こさない」と決めて、さらに勉強を重ねてやってみようと思います。 

ヒヨコ 昆布はもう引き上げようよささやかなことにも確かにあるタイミング  (〜プーさんの鼻〜)

引き上げるタイミング、大事ですよね。 って、これは彼との最後の晩餐の歌だっけ。
今夜はオーストラリアドルの為替相場から目が離せません。 
スキーの結末。 [2010年01月21日(Thu)]
前回書いてたとおり、先週の金曜日にへスキーに行ってきました。
場所は宮城蔵王のえぼしスキー場。 午前9:00、岩沼駅からタヌキ号で出発。

スキー場でウェアとか板とか借りたらなんと8000円もするらしいのだけど(高すぎですよね!)、途中に1軒レンタルショップがあったから立ち寄ってみると5800円で借りられました。 ラッキー♪

着いた時には青空で、風もおだやかで、これはいけそうな気がするって思いました。
ハリキリタヌキは「最初だから頂上まで行こうよ!」…って、ふつう「最初は下の方で1回すべってみよう」って言うんじゃないんかなぁ。 地図を見ると頂上からも初級コースだけで降りられそうなので行ってみることにしました。 

ゴンドラで上がって行く途中、「蔵王+ゴンドラ…あ、『錦繍』!」って思いました。 『錦繍』は万智さんもお好きな小説でって、前にも紹介したと思うんだけど、主人公の2人(離婚した元夫婦)が蔵王のゴンドラに乗り合わせて再会するんですよ。 その時は全然話もしないんだけど、その後2人が手紙のやりとりをするの。 万智さんが東北の紅葉を見て、『錦繍』読みたくなったっておっしゃるので(←'09.11『家庭画報』参照)、私もつられて?お正月帰省したときに読み返してきました。 久々に読んだら西宮が舞台の小説やったんかぁ。 「生きることと死ぬことは同じことかもしれない」って、そういえば去年私も似たようなことを思ったことがありました。

…スキーをこれから楽しむぞって時に話が逸れましたが(あ、ちなみに小説の蔵王は山形側です)、とにかくゴンドラを降りたところで、はじめて板をはきました。 私には初めてのカービングとかっていう板がちょっと短いやつ。 長いのよりもすべりやすいです。 タヌキは4万円で新調したっていう新品の装備を装着。 かっきー!

おそるおそるだけどすべりはじめると、体は覚えてるものですね。 次のリフト乗り場まで2人とも転ばず行けました。 でもリフト乗り間違ったみたいで、初回は頂上には行けず。。 リフトがまたコワいんだけど、タヌキのトークで気が紛れます。 リフトを降りて滑りはじめて1分もしないで気が付きました。 なに、このこ私よりもできないんじゃないの?って。 2人で行こうって誘ってくる度胸とか、全部自前の道具を揃えてるあたり、かなりできるんだろうなって思ってたので、これは意外でした。 不安な反面、でもほっとしました。 私のせいでスイスイ行きたいのに行けないとかだと悪いなって思っちゃうから。

平日のスキー場はすごく空いてて、大学生くらいの子たちか、おじさまたちばっかりでした。 若い子はほぼスノボ、おじさまたちはスキー、みんな上手いっ。 ど素人の2人連れなんてうちらだけやねって言いながら、仲良く「ハ」の字でおりていきました。 「助けてあげれないからケガしないでよ」って言ったら「大丈夫だよー、緊急の時は113よろしくっ」って…。 ん?緊急の時は113? 聞いたことがあるようなないような。。 113に連絡するほどの緊急事態って、スキーで勢いあまってNTTの電柱に衝突して、電柱折っちゃいましたっていうケース? 普通は113じゃないやろーと思いながら、119ならこんな山でも来てくれるんかな?と不安になりました。 いざとなったら話題のドクターヘリが来るのかな。

途中ちょっと急な傾斜もありましたが、ぐんにゃぐんにゃ蛇行しながらなんとか下までおりてきました。 2度目は頂上まで行って一気に下まで。 レストハウスでお昼を食べてからも5回くらいゴンドラ乗ったかな? 最後まで「ハ」の字は崩せず、上達したかはさっぱりわからないんだけど、楽しく気持ちよくすべることができました。 私はスキーはもう一生やらない予定だったのに、タヌキに熱烈に誘ってもらったおかげで、またいい思い出ができました。 きっと今回が人生最後のスキーになるでしょう。

夕方になって、近くのチーズ工場に行きました。 試食し放題だよ〜って聞いたので、クリームチーズをいっぱいいっぱい食べました。 お礼に1個買いました。 帰りはスキー場のすぐ近くのMっちの別荘にお茶飲みに行こうかって言ってたんだけど、電話したら「あと1時間だけそこにいて」って言うので、もう帰りました。

タヌキの安全運転で岩沼駅まで送ってもらい、ケガもせず無事に戻れてよかったね〜、今日はありがと〜なんて言って別れたのは良かったんですが、それから10分もしないうちに私の容態が急変!? 年末に引きつづき、また風邪をひいたらしいのです。。 家に着く前にもう動けなくなって、駅前の生協の椅子にすわりこんで1時間。 ようやく家にたどり着いて、翌日もその翌日も寝たきりになってました。 ルパンが看病に来てくれて、ご飯も少し食べられたりして、ほんとに助けてもらいました。 

日曜日は会社を休んでしまい、月曜日に出社したら、タヌキが気を遣ってわざわざいたがきでみかんを買って来てくれました。 強引に誘われてスキーに行ったのはマチガイないけど、風邪を引いたのはまったくもってあんたのせいじゃないよって! タヌキはスキーに行ったその晩から東京に行ってきて、しかも次の週末は今度は安比(岩手)へスキーに行くそうです。 26歳、向かうところ敵なし!ってかんじ。

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