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夏の思い出 A
もう2ヶ月以上も前のことになっちゃいましたが、今日こそは四万十川の思い出を綴ろうと思います。…。
7月の終わり頃、マツコ・ゴツコと念願の四万十川に行ってきました。2月某日、マツコ一族の集いの席で高知行きたいって話をしたのがきっかけ。高知のおばあ様のお家に泊めて頂いたりして、4日間の楽しいふれあい旅行になりました。 万智さんの第2歌集『かぜのてのひら』を知らない人はいないでしょうけど(…知らない人はこんなブログ読む前にぜひそっちを読んでくださいネっ)、そのタイトルになったのがこの一首。 四万十に光の粒をまきながら川面をなでる風の手のひら (〜かぜのてのひら〜)私はこの短歌が大大大好きで、その他の四万十川や高知にまつわる万智さんの短歌もエッセイも大好きなので、四万十川といえばそれはそれは憧れの地だったわけです。 6月のはじめ頃だったかな、私の夏休みは8月いっぱいまでって決めた途端、四万十川に行くなら今だ!って思いつき、マツコに電話をしたところ即OK。彼女は仕事を休まなきゃいけないのに、その身軽さを嬉しく思いました。でも2人で電車で行くなら回れる場所が限られちゃうなぁって思っていたら、病気療養のために休職中のゴツコのことを思い出しました。ダメもとで電話したら行きたいって言うので、大阪から3人で車で行くことになりました。(結果的に運転は2人が全部してくれたのですが。) 出発前日、大阪のゴツコ邸に泊まりに行って、パパママに数年来の胸のつかえを聞いてもらって、ひとしきり恋のから騒ぎもして案の定夜更かしをして眠りました。 第1日目、おにぎりを作って、9時前に出発して、明石海峡大橋を渡って、淡路島を過ぎて、大鳴門橋を渡って、四国に入りました。まずは徳島の大歩危小歩危を目指してたんだけど、途中どのあたりだったかな、あんまりにも吉野川が美しいので、川を見ながらおにぎりを食べました。観光地でもなんでもないところでこの絶景って!四万十川まで行って、やっぱり吉野川の方が良かったなんてガッカリするかもなぁって、ちょっと思ったくらいです。でも絶景の種類がちがってたので、やっぱりどっちも出会えて幸せな川でした♪ 巨岩に寝っころがって、ヘン顔の写真を撮り合ったりして、長時間その川岸にいました。ホントは香川で讃岐うどん食べてから行こうかなんて言ってたんだけど、そんなことしなくて良かったです。香川・愛媛にはまた改めて訪れたいと思います。 そして大歩危峡に行きました。そのあたりには妖怪が住んでいるらしいです。妖怪のお土産がいっぱい売ってて、売店のお姉さんに聞いたらナントカっていう妖怪がいますよって教えてくれたんだけど、2か月経ったら忘れちゃいました。子泣き爺みたいなんだったっけ?で、舟くだりをしました。白い岩がずーっと斜め45度くらいに続いてて、大自然は神様の芸術作品だねって感心しながら見てました。小歩危ってのは舟くだりでUターンしたあたりのことなのかな。大歩危は大股で歩くと危ないところ、小歩危は小股で歩くと危ないところだそうです。 妖怪ソフトを食べてから、近くのかづら橋に行きました。日本三大奇橋に選ばれているそうですが、植物の蔓を編んで橋にしているらしいです。私は高いところとかホント苦手なんだけど、でもせっかくだから歩きました。予想通りビビりまくりました。後ろから、小さな子どもを片手で抱えてヒョイヒョイと歩いてくるステキなパパがいて、思わず声をかけてしまいました。彼はこの旅で出会った男前NO.2です。ちなみに男前NO.1は明石大橋のサービスエリアで写真を撮ってくれた人、NO.3は四万十川の舟くだりの船頭さんです。 橋を渡り終わってから河原に出て、男前ファミリーが水と戯れている様子をほのぼの見ながら、岩を登ったり降りたりして遊んでました。私は奈良でケガした足がまだ若干痛かったんだけど、それでも楽しみをガマンするよりは痛いのをガマンしようと思いました。そうそうこの3人のメンバーで前回会ったのは去年12月の秋田だったけど、その時も私は事故の直後で傷だらけだったのです。でもケガ人の私じゃなくて病人のゴツコでもなくて一番健康なマツコが登った岩から降りられないって大騒ぎしてました。怪しげな集金係の案山子に駐車料金を払ってそこを出発したのは、もう夕方の5時くらいだったかな。 一路高知へ。伯母さんのお家に着いたのはたしか7時過ぎ。5ヶ月ぶりの再会によく来たねぇって大歓迎してくれて、酒蔵を改造したおしゃれな居酒屋に連れてってくれました。四万十川と同じくらい楽しみにしていた高知のカツオ!思い出してもヨダレが出ます。高知じゃ近ごろ、塩で食べるのが流行りだそうで、塩とタレと両方ごちそうになりました。魚でいちばん好きなのは鯛よりマグロよりカツオだって、今の私なら迷わず答えるでしょう。 居酒屋を出てから夜のはりまや橋を見せてくれるっていうので歩いていると、よさこい祭りの練習をしている人たちをたくさんたくさん見かけました。2週間後に本番を控えていたようで、鳴子を手にみんな一生懸命でした。あー本番の時に来れば良かったなんて言ってたら、またいらっしゃいって伯母さんが言ってくださるので、あつかましくもまたいつか本当にお邪魔したいです。 踊らねば見えない空があるのだと少女は言えり「よさこい祭り」 (〜こんにちは、ふるさと〜)はりまや橋は日本の観光地の中ではガッカリスポットの定番みたいに言われてますが、あんなに有名なのに大したことないやんって思ったらガッカリだけど、一見フツーの橋があんなにも有名になったのはすごいことだと思います。語り継がれる悲恋の物語に、やっぱり多くの人の胸を打つものがあるってことですよね。 伯母さんは翌日以降の旅行プランを細かく考えてくれていて、無計画な私たちはおかげ様で充実の旅ができました。旅の記念に鳴子もプレゼントして頂いて、私とゴツコはそれを握っては伯母さんから教わったヨイヨイヨイをやってました。おばあ様のお家では「ごっくん」ていうむちゃおいしいジュースを頂いて気づけばもうすっかり高知が大好きになっていました。 未来ばかり言いて故郷は言わざりき君を育てし高知この町 (〜かぜのてのひら〜)2日目、最初は7月にオープンしたばっかりの幕末志士社中に行きました。マツコ・ゴツコは「龍馬伝」を見てたらしくて、軽くレキジョな私よりもなんか分かってる風で悔しかったです。でも龍馬のコスプレをやったり、中岡慎太郎と一緒に写真撮ったりして楽しかったです。コスプレが嬉しくて後から来たお客さんにもオススメして着るお手伝いとかしてたら、後からスタッフの人だと思ったって言われました。 龍馬って幕末の志士の中でもダントツの人気があるような気がするんだけど、そんなにそんなに、たとえば松陰先生よりも尊敬されるほどの人なんだろうかって、私はまだまだ勉強不足なんだけど思ってしまいます。龍馬はなんか天運を持ってる人って気がするんですよね。最近、孫社長を敬っている私は、孫さんは松陰先生みたいだなって思っちゃうくらいなのに、でも社長は松陰先生のことにはぜんぜん触れないで龍馬にぞっこんみたい。やっぱり龍馬は行動して成功して目に見える形で時代を動かしたからなのかな。志に惚れるなら松陰先生じゃない?…まぁいいや。 そこから桂浜に行って、龍馬記念館に行って、高知城に行って、市内を散策して、夕食を食べて、龍馬の生家跡に行って帰りました。 桂浜を見ながら、この海が龍馬の志や世界への憧れを育んだんだねって友が言ってました。私は震災後、何度か被災地の海を見たけど、観光としては久しぶりです。でもやっぱり津波のことは考えてしまいました。怖いんじゃないけど、心が静寂になったのを感じました。でもそんな話はしないで、万智さんの海の短歌を2人に教えてあげました。 今日までに私がついた嘘なんてどうでもいいよというような海この旅でいろいろ万智さんの短歌を教えてあげたけど、2人ともこの短歌がいたく気に入ったようでした。マツコなんかiPhoneで写真を撮って、その短歌を添えてツイッターで万智さんに送ったりしてました。万智さんも喜んでくださったみたいで、私もうれしいですっ。 龍馬記念館での一番の思い出は、龍馬のチーズケーキを食べたことです。でもバカバカしすぎるその楽しさを伝えられる気がしないので詳細は割愛します。龍馬記念館の屋上は伯母さんの観光イチ押しスポットらしくて、潮風に吹かれながら思い思いの時間を過ごしていました。 高知城で学んだ驚くべき事実。板垣退助ってさぁ、「板垣死すとも自由は死せず」って叫んで亡くなったって思うでしょ?ところが、実際はその後もけっこう長く生きておられたらしいです。学んだことで覚えてるのはそのくらいで、あとは天守閣に登って殿様ごっこをやってました。 あとは歩いてる途中でよさこい練習中の小学生を体育館の横から覗き見したり、市民で賑わう市場でおみやげを物色したりしました。伯母さんおススメの料理屋さんにごはん食べに行って、食後は伯父さんの車で龍馬の生家に立ち寄ってもらって(真っ暗だったけど…)無事に2日目も終了。 あれ、旅はまだ半分なのに長くなっちゃいました。なかなか四万十川にはたどり着けませんが、また次回に。やっぱりいろいろ覚えてるうちに書いておきたいですね。。
夏の思い出 @
お久しぶりです♪ 想定外の災害つづきですが、皆さんのご無事を願ってます!
備えあれば憂いなしは昔の話かな。備えて備えて、それでも油断しないでいましょうね。 前回の更新が7月3日ということは…、夏の思い出はやっぱり今年のサラダ記念日から書かないとね! 今年のサラダ記念日(7月6日)は私はツイッターを1日に何度も何度も見てました。トレンドにたぶん半日以上「サラダ記念日」が入ってて、いろんな人のつぶやきを見てニヤニヤしてました。たくさんの人が自分の好きな万智さんの短歌をツイートしてて、とっても興味深く見てました。 好きな万智さんの短歌を一つとかって言われても私には選びきれません。 が、せっかくだからツイートしました。でももし今日だったら、ちがう短歌を選ぶかも。今、ふとよぎる好きな歌。 長崎の梨の甘さや君が血につながる果実切り分けている (〜チョコレート革命〜) 「たすけて」といえばあなたは会いに来てくれるだろうかくれぬだろうか (〜かぜのてのひら〜) 8日から、関西の若者4人が来るっていうんで、サナちゃんやイクさんたちと一緒に多賀城に炊き出しに行ったり、津波に負けずに相馬で稲を育ててる私の卓球仲間のT氏の田んぼを見せてもらいに行きました。避難所では避難されてる方の人数が少なくなるに伴ってボランティアも減ってるみたいです。T氏は去年まで稲を育ててた家の前の田んぼが津波をかぶっちゃったので、離れた場所を借りて今年も田植えをしたとのこと。無事でいてくれて、それだけで嬉しいです。稲が元気なのも本当によかった〜。 翌週はペロリと関西旅行に行きました。一生忘れられないであろう、高松塚古墳。私は自転車で下り坂に急ブレーキでつんのめって、転んだら頭上から自転車が降ってきて、人生最大の大ケガをしました。。。顔や腕のキズはいっこうに跡が消えません。おかげでお嫁にいけない言い訳ができました。痛みをガマンしてガマンしてそれでも登った甘樫の丘では感極まって、やまとは国のまほろばって呟いて力尽きても悔いはないくらいでした。古典とかで習った大和三山もきれいに見えました。満身創痍の女帝気分。 石舞台古墳は思ってたよりめちゃくちゃ大きくて、天気も良かったので空に映えてキレイでした。石室にも入ったけど、こんな所でも地震が怖かったです。もしもの時でも、よりによって蘇我馬子と同じお墓に入るのだけはカンベンです。聖徳太子が生まれたっていう橘寺とか飛鳥大仏が有名な飛鳥寺とかにも行きました。その時代の歴史小説を読んでて、すごく行きたいって思った法興寺っていうお寺、ガイドブックにも載ってないからもうなくなったんだと思ってたら、その後身がいまの飛鳥寺だそうです。ここから日本の仏教が始まったんだなぁって、朝日に祈るような気持ちで新しい日本、災害に強い町になりますようにって祈りました。 明日香村から奈良市に行って、興福寺と奈良国立博物館の仏像館に行きました。興福寺って言ったら阿修羅人気で今でこそ大人気だけど、昔ってそうでもなかったことないですか?関西に住んでた頃、たまに友人たちと東大寺とか正倉院展とかに行っても、目の前の興福寺に行ったことはなくて、仙台に来てから仕事で行ったのが初めてでした。そして初めて行った時ステキな仏像ばっかりいっぱいあって、なんで今まで来なかったんだろうって思ったくらいです。今年行ったら拝観料が高くなってたような。 奈良は昨年の平城京1300年にあわせてずいぶんと様変わりしてました。ちょうど奈良博が夜間入場できる日だったから、夜に新しくできた仏像館に行ったんだけど、初めて興福寺の国宝館に行った時くらい感動しました。いろんなお寺の仏像があったけど、その中でも勝林寺ってお寺の十一面観音様には痛みも忘れて吸い込まれちゃいました。傷だらけであこがれの奈良ホテルにご宿泊。 奈良ではほかにも東大寺・春日大社・唐招提寺・薬師寺・法起寺・中宮寺・法隆寺に行きました。初めて行った唐招提寺には、いつだか仙台の展覧会で観た鑑真和上像を見たくて行ったのに、1年のうちで和上像が見られるのはほんの数日らしくて見られず。でも和上のお墓があるお庭(なんていうんだっけ?)に美しい苔が敷きつめられてて幽遠な感じでした。薬師寺から徒歩すぐでした。薬師寺に行くなら寄らなきゃ損だと思います。 薬師寺は東塔が修復のため見られないって何かで聞いた気がして、東塔ないならやめとこうかって言いながらそれでも行ったんだけど、あれ、普通に見られました。かつて薬師寺のお坊さんからくり返しお話を聞いたので、つい受け売りで道連れに説明したくなっちゃいます。薬師三尊の薬師如来様はお医者さん、日光菩薩は日勤の看護婦さん、月光菩薩は夜勤の看護婦さん。24時間休みなく心の病気も身体の病気も治してくれますよ、って。なので友の病気快復と自分のケガの快復を祈りました。 ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲 (佐佐木信綱)日本で一番古い塔は? →法隆寺 日本で一番高い塔は? →東寺 では日本で一番美しい塔は? →「薬師寺!」って言わされるのが修学旅行生の常でした。 そんなお坊さんの話、私は大好きです。 だけどやっぱり一番好きなお寺って聞かれたら法隆寺かな。大ケガしながらもバカみたいに長い距離を歩いたので、法隆寺あたりが一番辛かったけど、それでも私が大恩を感じてる夢違観音様にお目にかかって心が軽くなりました。バカみたいに歩いた理由は初の法起寺に立ち寄ったからなんだけど、先日のレキジョの会で、レキジョたちが刀自古郎女(とじこのいらつめ)って人について語ってて、私はさっぱり話についていけず、次回は話に混ざりたいので勉強してゆかりのあるお寺に行ってみたってわけです。 法起寺は遠くの道路からでもきれいな三重塔が見えていて、前から一度は行ってみたかったんだけど、誰にゆかりがあるかなんて知らなかったです。で、行ってみたら小さなお寺で、係のおっちゃんが、ここは法隆寺と一緒に、日本で最初の世界遺産だとか教えてくれたので、聖徳太子の奥さんが住んでたって聞いたんだけど?って言ったら、そんなん聞いたことないなぁって言ってました…。でもその場所が昔、岡本の宮って呼ばれてて色んな人が住んどったから、奥さんもいてはったんかなぁって。レキジョたちに刀自古の絵葉書とかお守りとかでもお土産に買いたかったけど、お土産はひとつも売ってませんでした。他にお客さんもいなかったので、おっちゃんはめっちゃ親切にしてくれました。っていうか、私のケガが足も顔もハンパない惨状だったので、旅行中に会った人はみんな親切にしてくれたんだけど。。 あとは京都に行って、祗園祭りの宵山と山鉾巡行を見ました。祗園祭は貞観地震・貞観大津波の年にはじまったそうですね。鎮魂と復興を祈願して行われた御霊会が祇園祭の起源とされてるみたいです。今年は関西でも、お寺とか神社とかその他あらゆるところで東北地方を応援してもらってるのを実感しました。今年流行のひんやりタオルを首に巻いて、山鉾見てました。見ていて面白いかって言ったら私はそうでもないんだけど、昔ながらの伝統行事を京都の人たちが大切に大切に守り伝えてはることが貴く美しいって思います。長刀鉾とかはしかし迫力ありますよ。 ほかには修学院離宮、延暦寺、日吉大社、大原などに行きました。修学院離宮がすっごく広くて驚きました。将来、本当に大好きな人たちだけで集団生活したいなぁって時々思うんだけど、あんな場所がいいなぁ。延暦寺では災難続きの私にペロリが厄除け守りを買ってくれました。本格的厄払いに行きたいと思うこの頃です。大原は大学時代にセンパイやO24君と、秋に寂光院行きたいねって話してたその夏に、放火により寂光院全焼っていう悲しすぎる事件があって流れてしまったので、10年くらいたってようやくお参りしてきました。 三千院は「女ひとり」の歌でしか知らなかったけど、ほんとに恋に疲れた時に癒してくれそうな場所でした。写経の部屋で、書き終えてお供えするときに、なんと正座ができました。左のひざ周辺に南部せんべい2枚分くらいのあざができててそれはそれは痛かったんだけど。関西の神様仏様ありがとうございますって思ったら、その直後に三千院で正座をなさってる観音様を見たんです。めずらしいですよね。今後、足が痛くて正座できない人には三千院をオススメしたいと思います。 なんか、関西だけで長くなっちゃって、夏の思い出はまだまだ書きたいのだけど、次回にします。 あ、そうそう、私が人生で初めて覚えた短歌は、これまた大好きな歴史マンガより、 天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも (阿倍仲麻呂)なんだけど、その三笠山が春日山のお隣だってのを今年初めて知りました。「春日なる」って言ってるのにね、子どものころなんか意味はほとんどわかんなかったから。 私はこれを覚えた年に百人一首のカルタを買ってもらって、全然意味はわかんないのに全部おぼえました。小学校二年生の冬休みです。いま思うと、万智さんの短歌がこんなに大好きだなぁって思えるのも、子どもの時に意味わかんなくても三十一文字のリズムになじんじゃったからかもしれません。それもこれも、まんが人物日本史と出会えたおかげです。 小学2年生の万智さんの息子さんも、カルタで四字熟語やことわざをたくさん覚えておられるそうです。意味がわかんなくても、覚えとくことにすっごい意味があるのかもしれませんね。二十数年たって、あの時百人一首おぼえて良かったなぁーって私は心からそう思います。
◆安曇野は
かよちゃんが家に来てからなぜか私の金運が上昇しています。 ちょっとだけ毛色が金色がかってるんですよね。 本当にすばらしいリスです、ありがとうっ!
思いがけない収入があったので、2割を支援に、その他に新しい原付やデジカメやキッチンマットなんかを衝動買いしてました。 そして夏休み♪ 今は旅行の計画とか考えてるのが一番の楽しみです。 新しい原付はホンダのトゥデイで、安い方から3番目だったんだけど、最近は街で原付を見るたびに自分のが一番カッコ良く見えて優越感に浸っています。 新車のうちだけだろうけど。 収納とか加速とかは不満もあるけど、これまでの事故車に比べたらとにかくキラキラ輝いていてステキです。 12月の事故の過失割合は7:3と言われ、交渉術を持ってないのでハイって言いました。 たぶん治療費以外に5万円くらいはもらえると信じています。 修理見積もりが5万ちょっとで、靴とか手袋とか使えなくなり、さらにコートのボタンが取れたってのはどの程度が補償の対象になるんだかわかんないけど。。 引っ越し前の忙しい時に、本当に不便な思いをしたんですって言ったら金額が変わったりするのかな。 話は違うけど、原発で避難されてる方たちの迷惑料って月12万だっけ? あれはひどいですね。 新しい原付を買ったその足で、映画「阪急電車」見に行きました。 GWに旧友から聞くまで勘違いしてたんだけど、今津線って今津駅から宝塚駅までなんですね。 私は西宮北口〜今津が今津線で、西宮北口〜宝塚が宝塚線だと30年も思っていたのに…。 ちなみに宝塚線は宝塚〜十三の区間みたい。 映画は今津線をめぐる物語で、なんかどれもあり得そうで可笑しかったです。 阪急電車はどの区間でも同じ色の車輌だから、子どもの頃からそれがつまらないと思ってたけど、今はそれがふるさとの色って気がして変わらないでほしいと思います。 ところで、最近ネットのニュースで被災地の扇風機不足について書いてあった、その件で。 先月、O先生から連絡が来て、気仙沼の人は扇風機を買いたくても電器屋さんにも1台もなくて買えないとのこと。 仙台でまとまった数を安く買える店を知らないかって言うので、いろいろ探してみました。 ところが!驚くことに仙台でも安いのは全然買えません。 どこもかしこも品薄といううよりは品切れ。 まれにお一人様1台限りって安いのが売られてても、被災地に送るためでもなんでもダメなものはダメ、1台以上は売れないらしいです。 ヤマさんのご主人がコジマ電気にお勤めだって聞いてたのを思い出して、厚かましいお願いをしてみたら、被災地に送るのならなんとかって、20台用意してくれました。 感謝! 気仙沼の支援団体の方が50台送りたいって事だったので、他の量販店やらホームセンターにも聞いてみたけど、一番安くて3980円とかで断念。 私には関西があるじゃないか!って気がついたのが遅かったんだけど、さっそく実家の近くのコジマ電気芦屋店に電話してみたら、1980円ですぐに100台でも出せるって言ってくれました。 そして送料も激安にしてくれることに。 支援団体の方たちへのお届け分を発送してから、追加で52台を私たちの仲間からお届けしました。 被災者に優しい電器屋さんはコジマ電気ってことなんだろうか。たまたまかな。 でもほんとまだまだ扇風機がなくて困ってる方がたくさんいらっしゃるようなので、支援でお探しの方は、西日本で探してみるのもいいと思います。 今回のことは、私がお店の方と話をして、支払いは母に代わりに行ってもらってできたことなんだけど、西にはまだ物があるんだとしたら、きっとやりようはあるハズですね。 沿岸部はハエの異常発生で窓も開けてられないそうです。 チーム日本、助け合いましょう♪ 夏バテの私ですが、さらに今年は夏カゼをひきました。 熱はないけど1週間くらい鼻水が止まらず、でもようやく治りそうな感じになってきました。 家にいて今さらながら基本の料理の練習をしています。 次回の炊き出しに向けて、兼花嫁修業です。 そして家に籠って「鳥人戦隊ジェットマン」全51話を見返しました。 バカにする人は、凱のカッコ良さを見てから言ってほしい。 あとはツイッターで孫正義社長の支持派と反支持派のバトルを見て楽しんでいます。 モチロン私は大絶賛の支持派です。 あと友人のススメで朝の連ドラ「おひさま」を見てます。 唯一それが私の早起き?の動機づけとなっています。 あれ、安曇野のお話みたいですね。 万智さんお気に入りのミネラルウォーターは「安曇野山水」。…って16年前の情報だけど。 安曇野は今いっせいの夏となり水流れ光流れる大地 (〜こんにちは、ふるさと〜)四万十川に行ったら、その次は安曇野と尾瀬にも行ってみたいなぁ。
◆早朝の 他
クライストチャーチでまたも大地震…!? 前回の地震から4カ月足らず。。
日本も油断できませんね! こないだ石巻に行った時、昨年ふと思いつきで石巻小旅行に行ったことを思い出しました。 ブログを見直したら、あーそうだったそうだったってなりますね。 サイボーグ009の像とかは、ボランティアの方たちがキレイにしてくれたってテレビで見ました。 このブログには書かなかったけど日和山公園には、津波の恐ろしさを忘れるなっていう石碑があったことを覚えています。 ネットで調べてみたら写真がありました⇒http://twitpic.com/4ziqqe 50年前のものみたいですが、こんなにもくっきり。 悲しいことだけど、いろんな形で未来に伝えていかなきゃって思います。 あの時の日和山公園からの眺望、やさしい海だったのに…。 何気ない毎日も特別な一日も、過ぎたことはぜんぶ取り返しがつかないから、最近のできごとを忘れないうちに記録しておこうと思います。 5月、ONUが東京で絵を展示するっていうんで見てきました。 デザインフェスタっていう、いろんなアーティストがブースを出してるビッグイベント。 ごちゃごちゃしてるから私が好きそうじゃないよってONUが言ってたわりには楽しかったです。 伝統工芸の実演とかもあって、職人さんの器用さにおそれ入りました。 それから半年ぶりにチョンホ様とお食事。 私が10年間ずーっと会いたかったってのは言葉のあやで、どうしてもお会いしたい!って思うことがこの10年の間に何回かあったっていう方が正しい気がするけど、今回お話しててその会いたかった理由がちょっとわかった気がしました。 たぶん、私の周りにはいないタイプの義士なんじゃないかな。 行方知れずだった年月にも、弱い心をどれだけ支えてもらっただろうかって思います。 5月後半は主に沿岸部に行ってて、前回書いた通り。 あ、月末に2回、プロ野球楽天戦を見に行きました。 阪神戦は前前職場のおじさんたち、否、上司たちと。 去年からチケット予約をお願いしていたアラレ先輩が、まさかの私は楽天側で見るから〜って話で…。でも久々に会ったハナ様や震災当日避難所でお会いしたチーターさんがお元気そうで、阪神負けちゃったけどまぁ良かったです。 2度目はステキな男前から頂いた広島戦のチケット、で女友だちと観戦。 モチロンどっちかって言ったら楽天を応援してました。 この日は勝利。 6月に入ってからはレキジョの集いに向けて、飛鳥時代の勉強をしています。 俄か勉強なので私はレキジョかどうかわかりませんが、日本史は子どもの頃から好きなのでそう名乗ってみたい気もして。 小説とか読んでてもその時代は兄妹とかおじさん、おばさんとかでも結婚したりして、相関図がなかなか頭に入りません。 準備万端にしてから飛鳥パーティに臨みたいと思います♪ 先日、大相撲がご近所に慰問に来てくれました。 私が常日頃「抱かれたい男bP」て公言している九重親方も来られてました。 サインをもらって、握手してくださいっては言えたけど、さすがに抱いてくださいっては言えませんでした…。 けど何も言わずに抱きついてるオバチャンたちもいて羨ましく見てました。 現役時代の千代の富士に、ムリな話だけど会いたいなぁ。。 それでも感激して自慢しまくったけどね。 力士たちが帰っていくバスを見送りながら、おとなりにいた方が、ありがたいねぇ、家がないことも忘れたっておっしゃってました。 東北と大相撲、これから一緒に復興していけたらいいなって思います。 きのう、ご近所さんがインターネットについて教えてって言うので、説明に行ったら、「パソコン」と「インターネット」の違いを分かってもらうまでに1時間以上かかりました。。電気屋さんで聞いてもわかんないからって。私も最大限努力して、分かったって言ってはくれたけど、その後も??ってなることばっかりだったので、疲れきってしまいました。 だけど光の契約するそうです。 毎月も安くないんだから、試しに私の家でやってみたらどうですか?って言ってみたけど、それはいいって。わからないことあったらまた来てねって。 なんだかんだの話で毎回4時間以上帰らせてくれません。。 震災以前、ご近所づきあいってなかったんだけど、ありすぎるのもなんだかなぁって感じです。。 最近楽しみなことは、ようやく原付を買い替えること。 そして7月に飛鳥と祇園祭と高知に行くことです。 甘樫の丘に立って大和が国のまほろばかどうか見てきます。 京都では初の大原が楽しみ。 高知では行き当たりばったりの旅を楽しんできたいと思います。 トルコに行けなくなった分、今年は日本を堪能します♪ 西日本の方はぜひ東北にお越しくださ〜いっ。 早朝の祇園を行けばうっすらと鰹のだしのにおいがよぎる (〜かぜのてのひら〜) 見上げれば同じ角度に見下ろせる伎藝天その深きほほえみ (〜短歌の旅〜) 未来ばかり言いて故郷は言わざりき君を育てし高知この町 (〜かぜのてのひら〜)
◆いのちとは
前回、とてもとても大切なことを書き忘れてましたっ。
みよちゃんが亡くなって、悲しみに沈んでいた私ですが、4月29日に新しいシマリスを迎えました ![]() 名前は、かよちゃん。 今年の3月23日生まれの女の子です。 ケージから出すと、肩に乗ったり、頭に乗ったり、大はしゃぎでメチャクチャ可愛いんだけど、容赦なく噛みつくのでちょっと困っています。。 お家のネット回線が回復したら、写真アップしますね。 * * * 5月後半、仕事が一段落したので長年のお付き合いのH氏の炊き出しボランティアに同行して、石巻・多賀城・いわき・東松島に行ってきました。 私の家も津波の被害があった場所から5キロほどしか離れてないんだけど、震災後どうしても様子を見に行く気になれませんでした。 阪神大震災の後、1カ月以上してからだけど、東灘区から西宮まで2号線を歩いた時の惨状が今も目に焼き付いていて、今回も見てしまったら残るだろうなぁって思ったから。 けどH氏が遠く新潟から何度も足を運んでくれているのに手伝わないわけにいかない!って、支援物資の件もそうだけど、また自発的とは言えない理由からお手伝いをさせてもらうことになりました。 H氏は阪神大震災の当日に京都から我が家まで様子を見に来てくれた恩人?です。 被災地の瓦礫の撤去などはかなり進んでいるようですが、それでもまだまだテレビで映されてるように全く片付いていないところも多々あるみたいです。 いわきで1日だけ瓦礫の片付けのボランティアもさせてもらいましたが、そのSさんて方のお家だけでも1日20人がかりで、もう1週間以上作業してるってことでした。 何万世帯ものお家が、いつになったら片付けられるんだろうって考えたら気が遠くなります…。 でも今は大切なものを探しながらの作業ができるけど、地区によっては期日を決めてそれ以降はぜんぶ重機でさら地にしちゃうそうです。 作業中に泥の中から出てきた片方だけの靴を見て、お家の方が「後でもう片方も出てくるかもしれないから取っておいて」っておっしゃいました。 「28センチの靴なかなかないんだぁ」って。 同じ所から電柱とか出てくるような場所です。 見つけるのは難しいし、洗っても履けるんだろうか?って感じで胸が痛くなりました。 私は16年前、玄関が崩れて2階の窓から助けてもらって、もちろん裸足だったので、近所のY口さんがくれたアディダスの緑色のスニーカーをずーっと履いていました。 誰かがくれなきゃきっと何日か裸足でいたんだってことに、今さら、この年になって気がつきました。 Sさんはご先祖様のお位牌を見つけたいっておっしゃってたけど、その日は探し出せず。 でも帰る間際に私が仏壇のローソク立てを発見しました。 この辺りかも!って言ってきたけど、その後お位牌が見つかってたらいいなぁって思います。 前日はボランティアの方がお母様の形見の指輪を泥の中から見つけてくれたそうです。 いわきでは原発から避難されてる方にも会いました。 東電の社員の方らしくて、皆さんに申し訳ないっておっしゃってたけど、この人が悪いハズないのに…って、また複雑な心境になります。 その方も自宅にいつ戻れるか分からなくて本当にお気の毒なのに、やっぱりテレビだけだと私はそこまで思いが至らないので、ほんとに状況を知るには現地に行くしかないんだなって思いました。 全国からのボランティアの方たちは離れた所に宿をとって、来るだけでも大変な思いをされているみたいです。 もし私のリアル友だち(とそのお友だちまで)が宮城にお越しの際は我が家をどうぞ使ってくださいネ! 炊き出しは避難所に行くときもあれば、空き地でやる時もあって、人数とかメニューその都度ちがいます。 そろそろH氏のお手伝いじゃなくて、少人数の避難所からでも仙台の仲間でさせてもらおうって、一緒に何度か参加した仙台のイクさんたちと話をしている所です。 一緒におうちまで食事を運ぶ時とか、避難所でお食事をご一緒させてもらう時とかに地域の方々とお話している中で、私も震災で被災して仮設にも住んでたんです、なんて言ったら、ちょっと通じるものがあるような、ちょっと表情がほぐれるようなそんな感じが度々あって、つらい話を聞くこともあるけど、私が元気な姿を見せることで、家をなくしても何年かしたらへらへらできるんだって思ってほしいです。 だけど、同じ被災者でも決定的に私が分かち合えない悲しみもあって、ご家族を震災で亡くされた方々に、かける言葉が見つからないです。。 先週東松島に行った時も、明るくお話なさってたご婦人が、身内だけで13人亡くなって…っておっしゃった時、本当に何も言えなくなってしまいました。 急に黙られても相手も困るだろうのに、、未熟な自分が申し訳けなく思います。 どうすれば良かったかな、誰か教えてください。。 いのちとは心が感じるものだからいつでも会えるあなたに会える声に出せなかったけど、万智さんのこの歌をこの方に届けたいなぁって思いました。 店長も、みよちゃんも、いつでも会えるもんね。
ありがとうございます♪
おとといの夜から仙台では雨が降り続いています。 八乙女駅が水没したって聞きました…。 土砂災害など気をつけましょうね!
ブログの更新久しぶりですが、実は震災以降、光のVDSL装置が壊れたらしく、お家のネットがつながりません。。 だから今は友人宅でこっそり更新中です。 5月。 ゴールデンウィークは関西に帰省して、たくさんの友人、親族一同、ご近所さんたちからビックリするくらいたくさんの支援物資を頂きました。 ありがとうございます! 仙台に直送してもらった物も合わせて、すでに段ボール20箱くらい、避難所になっている気仙沼の中学校に運んでもらっています。 震災当初、私はみよちゃん以外に何も失ってはいないのに、たくさんの仲間が「何が必要?なんでも送るからね」って言ってくれました。 不便なことは多々あったけど、ガソリンや新しいリスなんて送ってもらえないし…。 要らないって言っても言っても、送るよ送るよって言ってもらううちに、みんなの支援の気持ちをここで止めちゃうのはダメなんじゃないかって気になってきました。 関西のみんなから見ても、私のいる場所は支援の中継基地になれるはずです。 ニュースにもなってたけど、あの混乱の中、被災地に支援物資を送るにも様々の規制があって、必ずしも善意の物資が被災地の方に届いたとは限らないみたいです。 もし、みんなに協力をお願いするなら絶対にムダにはしたくないって思いがありました。 そんな時、3月まで私が簿記を教えて頂いてたO先生が、気仙沼の避難所に通って地域の方を支える活動をやってるらしいって聞きました。 さっそく連絡して、関西の仲間たちがぜひ支援したいって言ってくれてるんですが…って話をしたところ、いまうちの避難所では喪服や春夏用の服なんかが不足している、ぜひ協力してほしいって言ってくれました。(ちなみに今は必要なもの、長靴・カッパ・Tシャツみたいです。---まだまだ全然片付けとか進んでいないみたい。) その時に聞いたお話だと、行方不明の方々が見つかって、日々どこかで法要をやってるんだけど、喪主の方でも喪服がないからジャージとかを着てるってことでした。 支援物資に喪服って、私も先生から聞くまで全然思いもよらなかったです。 震災直後に全国から集まった毛布や冬服で倉庫は満杯で、自治体としてはそれ以上に物資の受け入れができなくなっていて、本当に今必要なものが被災地に届けられないって新聞にも書いてありました。 先生が直接届けて下さるならそれに越したことはないです。 (協力してくれたみんなへ、O先生はホント信頼できる人だから安心してね♪) 4月末に改めてみんなに支援への協力を依頼しました。 こちらからお願いしているのに、ちょっとでも力になれるなら嬉しい!とか、届けてくれてありがとう!とか、みんなそういう感じなので、今さらながら私はなんていい友だちを持っているんだろうって感じ入ってました。 とにかく数がたくさん必要だから新品じゃなくてもいいってことでしたが、ほんとに状態のいいものばっかりだって、後日、先生がとっても感激して言ってくれました。 被災地に届くものの中には、ひどいのだと油とか醤油とかついてたりするのもあるそうです。 そういうのはムダに人の心を傷つけるだけなのにね。。 心やさしい友人たちは、それでも新品を買って送ってくれたり、フリーマーケットに出品する予定だった服をこちらに回してくれたり、中にはダンナさんのお気に入りをこっそり入れてくれたりした人も。 みんな自分の家族とか、職場の仲間とか、お友だちにも声を掛けてくれて、実際には何人の方が協力してくださったのか、全然私にもわかりません。 友人を通じて大阪・堺の方々にもたくさんの協力を頂いたそうです。 おかげでパンプスやストッキングもたくさんお届けすることができました。 お話したことのない昔の同級生や、面識のなかったご近所さんからもご協力頂きました。 母は大量のアイロンがけや仕分け作業に私以上に尽力してくれました。 年若いいとこたちからは貴重な子供服も。 いろんな方の熱意に打たれて、私も作業用に手袋200人分送らせてもらいました。 皆様の温かいご支援に、改めて御礼申し上げます。 とともに、被災地に足を運ぶと、まだまだ無限に支援が必要だなって痛感します。 さらにさらに色んな形で協力できたらいいですね! そうそう、作家の島田雅彦先生が発起人の復興書店って、ご存知ですか? 先生って呼ぶのは私が大学時代に講義を受けてたからだけど、なんせネット上にあるその書店では、作家の方が自著をサイン付きとかで寄贈して、その書店から本を買ったらその代金分を復興の義援金にしてもらえるっていう話です。 万智さんも賛同されて本を提供されていて、私も1冊GETしました♪ 発売から30分後くらいに見たら残り1冊しかなかったから、選択の余地もないまま『ひまわりの日々』を購入。 金額的にはホント微々たるものだけど、大好きな万智さんと一緒に支援ができるってすごくすごく嬉しいですね♪ わたボコリみたいな翼でも 木の芽みたいな頼りない爪でも… まだまだいくらでも、できることはたくさんあるハズですね。。
その後。
大きな余震が続いて、ホント怖いですね。。
仙台は桜が満開です。 でも天気は雨…今日のお花見は中止になりました。 先日、電話をくれた関西の友人が、まだ避難所にいるの〜?って聞いてきたので、そういや報告もしてなかったっけって驚きました。 心配だけかけてそれっきり…ごめんなさい。 私の周りだけ見ると、徐々に普段の生活を取り戻しつつあるようです。 私は学校の終了を待たずに、とり急ぎ震災関連の職に就きました。 被災された方が1日も早く生活再建ができることを願って仕事をがんばってます。 九牛の一毛にもならない程のことでも、できることをやるだけ。 できることしかできないけど、誰かの役に立ってるって信じたいです。 3月11日の話は前回記述の通り。 忘れないうちに翌日以降のこと、書いておきます。 12日は明るくなってすぐそれぞれ家に帰り、横になって寝ました。 そして、哀しくもみよの最期を知りました。 お昼すぎ、水道が使えるようになりました。 午後、連絡の取れなかった帰宅困難者のLが訪ねてきてくれて一安心。 家にはそのまま食べられそうな物がほとんどなくて、避難所でもらってきたんだけど、その日はちくわ1袋とがんもどきだけでした。 頂けるだけ本当にありがたいって思いながら、次の支給の見通しはたってないって聞いて不安になりました。 避難所で一緒に寝る予定だったリツさんも誘って、Lと3人で私の家で川の字になって眠りました。 避難所から家までの夜道の暗さ、しみじみと見上げた月の形を今もはっきり思い出せます。 家の中でも懐中電灯を使いました。 すでに使い切ったつもりだったガスボンベをだめもとでコンロにセットして火をつけてみると弱々しい火がついたので、あたたかいお茶を飲みました。 その感激ったらないです。 13日は、あれ、何したんだっけ? 思い出せないけど遠くに行ったりはしなかったハズ。 食料を探し求めてかけずりまわって、ふだん買わないような栗きんとんとか、キウイをGETしました。 友人がどこかで、チーズケーキを買ってきてくれました。 そうそう、区役所とか行ってみたんだった。 区役所は自家発電なのか、電気がついてて、ケータイの充電に並ぶ人の行列が尋常じゃなかったです。 テレビが見られたので夕方までしばらくの間、多くの人たちに混じってニュースを見ていました。 暗くなる前に避難所に戻って、また夜は3人で私の家に帰りました。 私たちは、それぞれがGETした食料を分け合って食べられたんだけど、その日私たちの避難所ではちくわ1袋とロールケーキ1口分しかもらえなかったようです。 ご近所のお豆腐やさんのお豆腐も配ってたけど、数が少なくてもらえない方が多かったみたい。 その頃には、ニュースでもっと悲惨な思いをしてる方々の情報も入ってきつつあったので、不満を言う人はいなかったけど、一部の人は無言で取り合いしてるような光景も…。 夜11時半くらい、布団に入っていたら、ブー!!ってすごい音が鳴って、同時に照明がつきました。 地震のあとブレーカーを落としたりしてなかったから…本当はだめなんだろうけど。。 急に明るくなって、すごく嬉しかったです。 こんな時間にも誰かが電気の復旧作業をしてくれている、そのことにすごい感謝の気持ちが湧いてきました。 さっそくケータイとipadを充電して、電気ポットでお湯を沸かし、3人でコーヒーを飲みました。 そのころ外から何かの音が聞こえてきたので、ドアをあけると、近所のマンションからすごい大音量で「11階が火事です、避難してください」って放送が何度も何度も繰り返されてました。 煙も炎も見えないし、消防車の到着は遅かったし(きっと出動が多すぎたのかな?)、本当?って思いながら、でも心配でしばらく外にいました。 マンションの住人の話じゃ、11階からスプリンクラーなのか、水がダダ漏れになってるってことでした。 消防車が来ても放水する感じじゃなかったので、1時間くらいして家に帰りました。 しばらく3人でテレビに釘付けだったけど、リツさんとLが寝ちゃってからケータイでメールチェック。 たくさんの人からの心配や励ましの言葉をもらって、胸いっぱいで本当に朝まで眠れませんでした。 すぐに返事をしたいけど、あまりに真夜中なので、朝方つくように送信予約したくらい。 あとでこまっちセンパイより、なんでいっちゃんには返事をして私に返事をくれないの?なんて言われちゃったのですが、本当にメールくれたこと知らんかってんもん。。 全部のメールが届いたわけじゃないみたいです。 ほかにもそんな風にご立腹の方がいたら、そんな事情なのでホントごめんなさい。 許してください。。 万智さんの無事もこの夜に知りました。 良かった、本当に。 お仕事で東京に行かれてたそうです。 何度も何度も、万智さんが海辺にいるはずがないって思いながら、でもたしか川の近くって言ってたし…なんて余計な心配をしてました。 だって東北には万智さんほど旧くからの知り合いって他にいないから、なんちゃって。 みよについて書いておきます。 みよちゃんは震災の5日前、5歳のお誕生日でした。 人間の歳にすると、リスは最初の1年で20歳になり、それから毎年10歳ずつ年をとるそうなので、つまり還暦を迎えたばっかりでした。 私は今もみよの本当の最期を知りません。 仙台では、震災の2日前にも大きな地震があったのですが、その日の夜からみよの元気な姿を見ていないんです。 寒い時期、巣箱に籠りっきりで出てこないことはよくあるので、震災の翌日、決定的にそのことを知るまでは巣箱に隠れて大好きな布にくるまって食っちゃ寝食っちゃ寝してると思ってたから。 この震災でたくさんの動物たちが亡くなったって聞きました。 津波じゃなくても。 小さな小さな心臓がドキドキドキドキして、本当に怖かったんだと思います。 助けてあげられなくて悔しいです。 みよちゃんとは震災の1週間後に永遠のお別れをしてきました。 それはもうボロボロに泣きました。 お墓参りに行っては泣き、YouTubeを見ては泣き、今も若干涙目です。 他の人には何万匹もいるリスのうちの1匹だろうけど、私にはそれはそれは特別な…って星の王子様のキツネみたいだけど、本当にかけがえのないリス、っていうかみよちゃんです。 前にもアップしたかもしれないけど、これが私の愛するみよの在りし日の姿です ↓↓↓
震災のこと。
お久しぶりです。 震災から半月以上が経過しましたが、皆様いかがお過ごしですか?
私は仙台でたったひとり?の家族である、シマリスのみよちゃんを震災で喪いました。 だけど元気です。 家も家具も無事でした。 でも4月のトルコ旅行は立ち消えました。 あらためまして、この度の震災で犠牲になられた方々に、心よりご冥福をお祈りいたします。 また、たくさんの大切なものを失くされて、深い悲しみと不自由な境遇の中を強く耐え忍んで生活されている多くの方々が、1日も早く心の平穏を取り戻されることをお祈りするとともに、微力でも行動することを誓います。 震災の後、たくさんの友人・知人からお見舞いのメールや電話をいただきました。 ありがとうございます! 電気が通ってケータイが使えるようになった夜、メールを見て胸がいっぱいになって眠れませんでした。 正常に受信できてないものもあったみたいで、個別にお返事できなくてすみませんでした。 大きな地震のあと、まっ先に連絡をくれるのはいつも決まって関西の友人たちで、ともに阪神大震災をくぐり抜け、ともに生き、ともに乗り越えてきた仲間たち。 みんな震災の恐ろしさと、非常時の人の温もりを知っていて、それはもう熱烈に!支援したいって気持ちを伝えてくれました。 私は被災地の住民のひとりとして心からお礼を言いたいけれど、でも関西人のはしくれとしては、みんなと気持ちをひとつに少しでも阪神の時のご恩返しを東北の方々にしたい思いです。 八紘一宇、一緒にがんばろうねっ! 3月11日、午後2時46分。 たまたま学校が休みだったので、あの時間は家にいました。 2時までパチンコしてたんだけど、3時半に歯医者の予約をしてたので、帰ってきてご飯を食べ終わったのと同時くらいに揺れが来ました。 仙台に来てから大きな揺れにはずいぶん慣れちゃったけど、途中から明らかにいつもと違うぞってわかりました。 私はガラスケースに入った博多人形が壊れないように押さえながら、上からエアコンやシーリングファン付きの重い照明器具が落ちてこないかと怯えていました。 たまたま大丈夫だったけど、私のとった行動は正しいはずがないです。 机の下にもぐるなり、玄関のドアを開けておくなり何かやるべきことが他にあったはずなのに。 このままじゃダメだって思いながら、それでもそこから動けずにいると、次第に電球の灯りが萎むように消えていき、すこし揺れがおさまってきました。買ったばかりの薄型テレビが落っこちてました。 カーテンをあけたら外の光は明るくて、まずは在宅率の高い大阪の祖母に連絡。 直後ならつながるってのは、大きな地震を何度か経験するうちに学んだことです。 「きっと大きなニュースになるハズだけど、無事なので心配しないでいいよ。みんなに伝えてて。」って言ったら、やっぱりその後すぐ、ケータイは不通になりました。 祖母が家におってええんかいなって言うので、それもそうだと思って外に出たところ、ご近所の方たちも道路に出ておられました。 近々すごく大きな地震が来ることを、宮城の人たちはみんな知っていました。 他の地域の方は驚くだろうけど、ほんとにそれは事実です。 3年以内に99%以上の確率で来るって言われた時から、もう3年は過ぎています。 けどあの揺れに驚かずにいられたでしょうか。 ご近所を見渡したところ、崩れた家などはないように見えました。 私は来たるべき宮城県沖地震への心構えとして、絶対にご近所の人を助けるんだ!(←かつて自分が助けてもらったように)って思ってたけど、結局なにもできず。。 でも最初に言葉を交わしたご近所さんが、ひとり暮らしで昨日まで入院してたっておっしゃるので、この人を不安にさせないぞって心に決めました。 なぁんて善人ぶって、ほんとは自分が心細かっただけにちがいないのですが、、その時はそう思っちゃったんですね。 で、ご近所リツさんと一緒に近くの小学校に行くことにしました。 新居のそばには徒歩5分圏内に小学校2つと高校が1つ、さらに自衛隊の駐屯地もあって、昨年末に引っ越す際にも避難所にはこと欠かないなって思ったけど、まさかすぐお世話になるなんてね。 小学校に入る前、近くのファミマに飲み物を買いに行きました。 停電でレジは使えず、おつり出せませんって言われました。 けど投げ売り状態だったから500円でペットボトルのお茶4本をGET。 ファミマに一緒に並んでた女性がへんなことを言いました。 「私たちは津波が来るから家族と一緒に中野栄からここまで避難してきたのよ。 でも10メートルの津波が来たらここだって安心できないわよ」って。 私は余震が怖かったけど、津波なんか関係ないと思ってました。 周囲は誰も慌ててないし。 だけどその後ラジオで聞いた津波の被害は私たちを震撼させました。 おかしいのは私たちの方だったのね、って、リツさんも言ってました。 あの女性のご家族がとっさの判断で行動なさったことに、今となっては尊敬の念を抱かずにはおれません。 体育館に入って隅の方に椅子を並べて座ってました。 照明が落ちてこないかしら、窓が割れたらガラス降ってくるねなんて言いながら、時間がたつのは早かったです。 急に大雪が降ってきたのは知っているけど、すぐそばの海側の街の様子はわからなかったです。 明るいうちに家から布団を持ってきて、ケータイがつながらないことにイライラしてました。 みよが巣箱の中で短い命を散らしたことを、まだその時の私は知りませんでした。 夜、小学校で前の職場の上司に遭遇。 私が声をかけたら、停電してるけど今から家に寝に帰るっていうので、無理に引き止めて朝まで一緒にいてもらいました。 この方が職場で唯一、動物占い・チーターの男(←こじかの私と相性が良い)ってのを思い出して、たしかにある意味すごい運命の人だったと思いました。 ご町内には会社の人たちがたくさん住んでるって聞いてたから、もっと皆さんに会えるかと思ってたのに、みんな真っ暗な中避難しなかったのかな? 避難所でアルファ米のご飯と、保存用のクラッカーをもらいました。お水も。誰がいつの間に準備してくれたのかはわからなかったけど、配るのは小学生や中学生たちが積極的にやってくれました。 ワンセグのケータイで電池残量を気にしながらテレビを見て、誰かのラジオに耳を澄ませ、聞こえてくる被害の状況に慄きながら、それぞれの海辺の親戚や友人の安否を案じながら眠れない夜を過ごしました。 日頃お付き合いのない方々なのに、自分より年配のお二人がいてくださったのは本当に心強かったです。 その夜の気分を、後日短歌にして万智さんにツイッターで見て頂いたらほめてくれました♪ ほんとですよ。 でも友人Yが言うには、万智さんもこんな時にダメ出しはできへんやろって、、まぁたしかに、、それでもほんと嬉しいです!! 阪神大震災のあと、崩れた家の中から 『かすみ草のおねえさん』 を取り出したことを思い出しました。 万智さんの言葉があれば、私はこの震災も乗り越えられる、それは確信のあることです。 私の3・11はこんな日でした。 1・17並みに生涯忘れられない日になるでしょう。 震災にまつわる様々のことはキリがないので、また少しずつ記録しておこうと思います。 何度でも、みんなでつよくつよく、生きていきましょうね。
ツイッター。
すこしだけ、あたたかくなってきましたね。 雪じゃなくて雨が降るくらいに。 このまま春になってくれたらいいなぁ。
チョコレートBOXで紹介されてましたが、万智さんのツイッター、皆さんはもうご覧になりましたか?? 私はツイッターって、自分には無縁のものと思ってたけど、万智さんがはじめたのなら!って、さっそく自分のアカウントを作ってみたけど、まだ使い方がよく分からないので、ちょっと勉強してから?なにかつぶやいてみようと思います。 1日に何回か万智さんがつぶやくと思ったら、気になって仕方ないですネ。 イベント情報とかもつぶやいてくれたら嬉しいけど、なんせつぶやきだもんね。 つぶやくってなんだろ。。 もしもだけど、私が街ナカをうろうろしている時に、万智さんが「メディアテークなう!」なんてつぶやいたらさぁ、それは公表したから会いに行ってもいいってことなのか、ひとり言なんだから返信する以上の反応はしちゃいけないのか?そんなルールってあるのかな。。 万智さんがそんな風にはつぶやかないだろうけど…もしもの話です。 先日の12日、東京に遊びにいってきました。 ゴセイジャーショーは例のジェットコースター事故で中止になり、やむなく葛西臨海公園の水族館に変更になりました。 この水族館、東北の中学生が修学旅行でよく行くんですね。 私も何度かご一緒させてもらったことがありますが、今回は仕事じゃないので、すみからすみまで隈なく見てきました。 龍ってほんとにいるんですね! ほんとにシェンロンみたいな龍(でも、小さくて手足に葉っぱがついてるみたいなの)がいるんですよ! 3歳のUキ君がうつぼをじ〜っと見てるので、怖くないの?って聞いちゃった。 キレイな色のお魚がいっぱいいるのに、なんでうつぼをそんなに見るんだか、子どもに戻ってもう一度世界を見てみたいです。 ランチを食べて解散してから、時間があったので、ジャイアンの青山オフィスに電撃訪問。 ひっこし祝いに高級ベッドをくれるって言いながら、ぜんぜん送ってくれないので催促に行ったものの、会えず…。 仕方がないから雨の中、青山から六本木まで歩いてみました。 強引な言葉待ちいる我のため雨もっと強く降れ六本木 (〜かぜのてのひら〜)だからやっぱり六本木は雨じゃなきゃね! だってだって、チョンホ様は来てくださらなかったのだから。。 雨雨降れ降れもっと降れ わたしのいい人つれて来い♪(〜八代亜紀〜) で、夜の東京タワー計画は、急きょコマツ一族と一緒に六本木ニューハーフショーを鑑賞することになり、それはそれでメチャクチャ楽しかったです。 親族14人だっけ?全国から集まってニューハーフショーを観ようっていう心意気に感服。 そこにこんな通りすがりの私を混ぜてくださる寛大なお心に感謝します! 高知にお住まいのおばさんに、四万十川を見たいって言ったら、おいでおいで案内するわよ〜って。 なんてステキなマダムでしょう!!! 多くの人は「そういうのを社交辞令と言うのだから、本気にしてはいけません!」と、よく私に忠告してくれるのですが、モチロン私は本気です。 四万十に光の粒をまきながら川面をなでる風の手のひら (〜かぜのてのひら〜)四万十川といったら万智さん、万智さんといったら四万十川でしょう!! 私の中では橋本高校と同じくらい、行かなきゃならない場所です(?) センパイ、いつにしよっか〜? 高知に行くのが楽しみすぎて大騒ぎしてたら、パパが春日井にも遊びに来てねって言ってくれました。 パパの卓球好きは耳にしてたので、勝負してくださいっと試合を申し込み。 何年もやってないともうボロ負けだろうなぁ。。 パパは自宅練習用に卓球マシーンを開発しちゃったそうです。 バッティングセンターの脇にあるようなのじゃなく、パパ製作のマシーンは変化球をくりだすそうです。 高知の次はいつかおじゃましたいですっ。 一族と別れて、センパイとお茶して、私はあっさり帰ってしまったのですが、翌日銀座で万智さんのサイン会があったらしい。 そうと知っていれば…、、、チョコレートBOXとあわせて、今後はツイッターも要チェックですね
子どもの生活習慣づくり発表会。
みなさま明けまして、お、遅いか…。。 今年もどうぞよろしくお願いいたしますっ
![]() 最近、新居にようやく光がつながりました ヨドバシの初売りでね、ついつい地デジ対応テレビを買っちゃったんだけど、26インチのLEDアクオスが、光の加入でなんと¥7500ですよ しかもエコポイント6000円分ついて、タダみたいに買えたってわけです。 イェイ! なので今日は新居からの初ブログをお届けします。予告もしないでヌケガケしちゃった気分なのですが、実は今日万智さんのお話を聴いてきました。 子どもの生活習慣づくり発表会 2月8日(火)17:20〜 会場:パレス平安 (仙台市青葉区本町1-2-2/ 022-265-5111) そうと知ってりゃ行きたかったのにって方には、ホントごめんなさい…。 子どもの生活習慣づくりについて、服部栄養専門学校の服部先生の基調講演や、川島隆太教授のビデオメッセージなどのあとに、万智さん他4名のパネリストによるシンポジウムがありました。 私は子育てをする立場じゃないので、今の自分と子どものころの自分を考え合わせながら拝聴していたのですが、子ども時代の生活習慣がどれだけ大事かっていうのは火を見るよりも明らかで、、、ほとんど宿題をやったことがない私は、この年になっても仕事でも勉強でも面倒なことはあとまわし、、片付けもいまだにできないままです。。 ぁ、親を責める気はないですよ。 絵本も読んでもらったし、子守唄も歌ってもらった記憶があるからね。 寝物語を聞かせてもらった覚えは…?? 祖父が広瀬中佐や爆弾三勇士の武勇伝とか楠正成の桜井の別れについて話してくれたのを覚えてます。 そういえば、私が子どもの頃に聴かされてメチャクチャ悲しい気分になった歌を昨年youtubeで見つけました。 「おうちわすれて」っていう童謡。 皆さんはご存知ですか? 歌いだしの、「おーうちーわすれーたこひばーりがー」ってとこしか覚えてなくて、なぜ悲しくなったのかも忘れてたんだけど、27年ぶり?くらいに聴いたらやっぱりめちゃくちゃさびしい歌ですね。 お母さんとはぐれて日が暮れていくなんて、子ども時代にはあまりにも怖ろしくて悲しすぎる話でしょう。 さて、今日はいっぱいいいお話を聴いてきたんだけど、興味のある方はどこかで調べてもらうことにして(?)、万智さんのお話の中からチラッとご紹介します。 ---教育委員会調べのデータで、子どもの内発的意欲が大切だっていう件に関して。 万智さんが子どもの頃から、勉強好きのお父様がよく「子どもは学校に行けていいなぁ」「勉強ばっかりできていいなぁ」ってことをおっしゃっていたらしく、勉強できることは嬉しいことって思ってた節があるかもって。 だから息子さんにも意識してそういう声かけをされたりしてるんだって。 ---「読書・手伝い・外遊び」について。 絵本を読んであげるのも手間がかかるし、いまの子たちはテレビゲームに読書の時間をとられている。 子どもに手伝ってもらうのもかえって時間がかかる場合が多いし、外で遊ぶと洗濯物も増えたり、池に落ちないかとかって心配も増えたりする。 そういう実情があっても、親が手間を惜しまない、アナログな姿勢で子どもと向き合うことが子どもの人間性を豊かにすることにつながっていくんじゃないかなぁって。 ---子どもの感受性を育むこと、子ども時代にいろんな体験することが大切って話で。 息子さんは、雨が降れば「雨の日は音がカッコイイ」って言ってずっと雨の音を聴いていたり、夏は炎天下の下で干からびたミミズを数えて喜んでみたり。 体験っていうのは特別なことじゃなく、ほんのささやかなことでも子どもは色んなことを感じとれる。 「しつけ・しつけ」って思いすぎて、「押しつけ」になってもよくないので、ゲーム感覚も取り入れたりするといいんじゃないかなぁって、さらっとうまいことおっしゃいますネ。 ちゃんとメモったわけじゃないので、もし間違ってたらごめんなさい。 *+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+:*+: ところで、最近の私はといえば、1月4日から学校みたいな所で簿記やお金にまつわることどもをお勉強しています。 前職の先輩から教えてもらって、なりゆき任せでここに来て、休養しながらちょっと知識もついたらラッキーって軽〜く考えていたら、勉強のむずかしいことったら…、、ぜんぜん休養にはなってませんが、、新しいこと色々教えてもらって、仲間もできて、そこそこ楽しくやっています。 この年でこんなに勉強漬けになるなんて、人生って〜〜不思議なものですね〜♪ (〜愛燦燦〜) しかもその教室が、7年前の勤務先と同じビルでしかも同じフロア。 こそこそしてよーと思ってたのに2日目にはさっそく支店長にバレちゃった。 気まずい理由はないので別にいいんだけど、仙台ってほんとせまいなぁって思うことがよくあります。 つい先日も東口でアキコ先生に出会って一緒にスタバったところです。 ほかに特筆すべきことは、4月に祖母と伯母と3人でトルコツアーに参加することになりました。 91歳と67歳と30歳で行く場合、いちばんしっかりしなきゃいけないのは誰でしょうね?? ちなみに私は伯母を頼りにしています。 それから、みじめだった話。 昨日の仙台は暴風警報でバイクの運転も危なっかしく、何度もハンドルをとられてヒヤっとしました。 家までたどり着けずに途中のラーメン屋で避難していたところ、まさかまさか、風でバイクが倒され、シートが開いて、手袋が両方風で吹っ飛ばされていきました。 この寒さの中、手袋なしなんて考えられない!って思っても店もないし…仕方なくボロ雑巾を両手に巻いて家に帰りました。 こんな惨めな思いは2度としたくないです。 ウィンカーも壊れちゃって、事故車はもっとひどい有り様になりました。。 近々楽しみなことは、今度の土曜日にI野ファミリーと後楽園遊園地でゴセイジャーショーを観ること。 そして夜はたまたま上京しているこまっちセンパイと東京タワーに上ることです。 東京タワーにはチョンホ様とお友だちも誘ってみたんだけど、来てくださるかどうか。 かもめはかもめ、クミョンはクミョン!? 孔雀や鳩や、ましてやチャングムには… もちろんそれでいいんだけどね。 あ、大事なこと忘れてた! 3月に東京で万智さんのお話聴けるチャンスがあるかも?…ないかな。。 3月9日、「シングルマザーズ」ってお芝居の後にお話なさるようなのですが、チケットとろうと思ったらもう完売っぽいから。。 行きたいなぁ。。。 ※急を要さない万智さん情報まだあるんだけど、「早寝・早起き・朝ごはん」のお話を聞いた日にあまり夜更かしもできないので(もう充分遅いけど)、こんどにします。 ではでは〜。
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ヨドバシの初売りでね、ついつい地デジ対応テレビを買っちゃったんだけど、26インチのLEDアクオスが、光の加入でなんと¥7500ですよ
しかもエコポイント6000円分ついて、タダみたいに買えたってわけです。 イェイ! なので今日は新居からの初ブログをお届けします。