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協働パネル展 都城会場の為田さん [2009年03月03日(Tue)]
【投稿 レポーターS

 県民との協働パネル展の宮崎会場は、
かなりガッカリしましたが、都城会場は期待できます。

 会場の都城大丸の担当者が為田さんだからです。

 NPO法人宮崎県ノルディックウオーキング協会
チラシ持ち込み(企画参加も?)します。

 それでは、2006年2月の、為田さんへのインタビューを
ご覧ください。

   「ちまちまイベント」が効く!

 NPOと企業の人が、交互に登場するNPOパートナー・リレートーク。
宮崎駅前商店街を元気にする取り組みをした宮崎大学の根岸ゼミの
酒井祐介さんのリクエストは、都城大丸ショッピングモールのイベント
担当の為田和代さん。

 いつのまにか2時間すぎていたインタビューを、コメントとエピソードで
紹介します。

 「自分が歩いて楽しい街にしたい。
  福岡や熊本なら、街に行けば『見せてくれる』ものがある。
 都城では、自分でやらないと、誰も見せてくれないと
 気づいたんです。」

 為田さんは、10年前、熊本から都城に引っ越した。子育てサークル
に入り、子育て支援センター天神で、情報誌「えぷろん」をサークルの
お母さん達と発行している。

 市役所から「まちづくり委員会」の呼び出しがあった。行ってみると、
委員は、ひとりだけだった。仲間を誘ってもいいと言われたので、
もう一人誘って、「まちづくり委員会」を始めた。

 「街中探検隊」という情報誌をつくった。商店街を取材した。
気になるイスがあった。いろんな色を塗りたいと思った。家族総出で
作業すると言ったら、オーナーの了解が得られた。商店街に我が家の
優先席ができた。

 オーバルパティオの広場が好きだった。ここで、ビアガーデンをしたい
と思った。毎月、ここで飲み会をしたメンバー21名で、異業種サロン
「ケミストリー倶楽部」をつくった。第一線の現役世代、社長さんたちが
集まっていた。
 3年前、都城市で、「都城まちづくり株式会社」の職員を募集した。
応募者250名の中から、女性6名が採用になった。為田さんも採用
された。会社は、指定管理者制度が導入された「ウエルネス交流
プラザ」に応募した。競争もなく、指定管理者になった。

 為田さんは、ケミストリー倶楽部のメンバー達と一緒に何かした
かった。「ウエルネス交流プラザ」の運営が中心となる「都城まち
づくり株式会社」の事業とは違う感じがしたので、個人でやった。

 商店街のショーウィンドーを4箇所借りて、ショーウィンドー美術館
を始めた。身内扱いをしてくれた商店街の人から、場所は無料で
借りた。商店街に、都城で活動する人たちの居場所ができた。

 「ウエルネス交流プラザ」オープンまでの1年間の準備期間は、
市役所に通った。わざと離れた場所に駐車場を借りて、商店街を
観察しながら出勤した。それが「まちづくり」の仕事だと思った。
 
 「都城まちづくり株式会社」の仕事が、「ウエルネス交流プラザ」
の運営にしか見えなくなり、2年前に会社を辞めた。
辞める時に、仕事で関わっていた「都城大丸」に挨拶に行った。
うちで働かないかと言われた。また何も街に関われないという
ジレンマに陥りたくなかったので、まず街を遊ぶ為の企画書を
社長に提出した。

 企画書を見た社長から、全部やっていいと言われた。
その時から、「野放し」とも「放し飼い」とも言われるやり方が
許される仕事が始まった。

 街を会場にしたイベントはあるけど、街を使ったイベントはなかった。
1日に何万人が集まるイベントより、毎日、何百人かが集まる方がいい
と思った。

 吹奏楽のアンサンブルの練習を街の中でやった。小学校、中学校の
各1チームが、10箇所を回る。
子どもたちが、自己紹介して演奏を始める。7分間のステージに、
立ち止まる人が出てきた。

 街の中で練習していたグループが、今度は、300席の交流プラザの
ステージに立つ。次は、1500席の総合文化ホールMJのステージ。

 街中が遊び場になり、練習場所になる。センターモールの広場が
ストリートになる。最初に出した企画書が、ひとつづつ実現していく。

 最初に、会社の肩書きをはずして街に入り込む。街の人と一緒に
苦労する。仕事に入る前につきあいがあるから、誰に相談すれば
いいか、すぐわかる。

 会社の企画になれば即決できる。決定がスピーディーだから、
熱が冷めないうちにカタチになる。三セクではこうはいかない。
市役所や県庁では、もっと大変。

 宮崎県の「女性100人委員会」に参加したが、「提言の後」が
見えないので、ガッカリしている。小さいことでいいから、
「すぐできること」をやりたかった。

 今の街には、「ちまちまイベント」が効くと思っている。

 「ここでしかできないイベント」にこだわっている。同じイベント
でも、やり方を変える。じゃんけん大会なら、子どもたちが
勝つまでやる。負けたら、もう一度、後ろに並んでもらう。

 キャラクターショーは、子どもが受け身になるから、やらない。
マジックショーでは、最後に、子どもたちにもできるマジックを
教えてもらった。

 ハロウィンの時には、為田さん自ら、シンデレラの衣装を着た。
ホンモノにこだわって手づくりしたが、「ディズニーの絵本と同じ」
と気づいた子がいて、嬉しかった。

 日向の商店街の方が訪ねてこられたこともある。都城だけで
なく、日向や宮崎駅前でもハロウィンをやった方が盛り上がる
と思っている。

 「お金をかけずにやるイベントもたくさんある。」と為田さんは言う。
予算をかけたイベントを一度だけやるより、毎週でも、毎月でもできる
ことを捜した方がいい。商店街の人がお金を出さなくてもできるイベント
を考えたらと「教え子」の酒井さん(宮大生)にも言った。

 そんなイベントは、お金はかからないけれど、人脈と経験がいる。
子育てサークルから始まった10年間で、為田さんには「人脈と経験」が
できた。今度は、イベントコーディネーターを育てたいと思っている。
宮崎大学に(酒井さんが)ポスターを貼る。

 「街が元気になる」イベントをしませんか?

 為田さんのご指名は、みやざき子ども文化センター代表の片野坂さん
でした。今度、宮崎でも、オセロ大会をやってください。8セット貸しますよ
という伝言を聞いてから、子どもたちを集めてのオセロ大会の話が30分
続きました。

 お役所や企業にNPOの人が行くと、補助金や協賛金の話ではないか
と警戒されるようですが、都城大丸センターモールではそんな心配は
無用です。為田さんは、絶対、ノーとは言わないそうです。難しいことでも、
「こうすればできる」と提案してくれます。

 他の企業やお役所にも、そんなコーディネーターがほしい!
自分もなりたい!と思いました。
                        【街が元気だネット 事務局S】
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