CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

遠州(静岡県西部)・静岡県大好きガイド

遠州(静岡県西部)・静岡ってどんな所?
関東在住人から見た、静岡の魅力をご紹介!
綺麗な海から美味しいうなぎ・メロン・お茶・いちご・スイーツなどなど盛り沢山!
静岡にハマり静岡に魅了された人が書き綴る、県内のグルメ・レストラン情報・観光を中心とした情報ブログ!
特に大好きな県西部に位置する、浜松・磐田・袋井・掛川・菊川・御前崎・牧之原市近辺を中心とした情報を載せて行きたいと思います。





<< 2011年05月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
腹の上がぽにょ
いま、何が起こっているのか (05/21)
キンさん
静岡の方言とは? (02/18)
だらだら
静岡の方言とは? (08/12)
お茶おちゃ
常葉菊川が決勝進出へ!!!!! (08/19)
最新トラックバック
謹賀新年 (01/04)
目標 (05/15)
いま、何が起こっているのか [2011年05月19日(Thu)]
震災から、2月以上が経過致しました。
その間、あまりに言葉を失う出来事ばかりでした。
以降も余震、誘発地震、被曝・・・あまりに多くの問題があり
現在進行形で起きていることばかりです。
未だにどのように受け止めてよいものかと思いますが
一日も早く、被災地が復旧・復興することをお祈り致します。

人にはそれぞれ立場や経験が異なるものです。
いま自分を含めた社会で起きていることの、真実を知り
検証、考察していく過程でも、その影響は出てくることでしょうが
ここではこれから、公開されている情報を中心に、私なりの考察や意見を書いてくつもりです。

調べて、考えて、自己の意思で判断・行動する自由
シンプルなことですが、この3点がいまの日本では危機的状況にあると思います。
紙の上(法律上)では、私たちはそれを行使する権利を持っているはずですが
残念ながら、今の日本では、その権利が危機的、絶望的な状況であると感じています。
特にここ数年はおかしいと思っていましたが、それは私だけではないはずです・・・

実際、私たちは真実をどれだけ知っている、知らされているのでしょうか。
「これが事実だからね!」と与えられた内容=事実という風になっている風潮になっているのではないでしょうか・・・
本来、私たちには「知る権利」というものがあるはずです。
ところが、そこが侵害されているばかりだけでなく
自ら考えること、検証すること、良くも悪くも疑うことをしなくなっている。
与えられた情報を、そのまま受け入れてしまう。
いわゆる、「思考停止」です。

本来、私たちは、「知る」「考える」「決める」・・これらのことは
憲法で保障されているものであるはずなのですが・・
今まさに・・・それが目に見える形となって表れているのだと思います。
たとえばですが

事実を追及したら「まだわからない」と言い
検証をしようとすると「自分達の認めること以外は嘘、煽るな」と言う

放射能の危険性を問うたら「ただちに影響はないから怯えるな」と言い
自発的にリスク回避・管理をしようとしたら「それは風評被害だ」と言う

これは言いかえると、
「俺達の言う事だけ聞いて、考えるな」
「それ以外は余計なことだから黙ってろ」
ということではないでしょうか。

これは大変に恐ろしいことです・・・


数年ぶりに書くことにしました [2011年05月19日(Thu)]

実に久しぶりにブログを再開させることとなりました。
「静岡の方言とは?」にてコメントを頂いていた、キンさま、だらだらさま
せっかくいらして頂いていたのに、お返事を出来なくて申し訳ありませんでした。
この場にかえて、お詫びいたします。

学部を卒業し、大学院に入ってからというもの
毎日がとても忙しく、追われて過ごしておりました。
仕事と大学院での授業、そして論文執筆と勉強を並行して行っていたため
私生活はじめ、このブログも手を付ける状況ではありませんでした。

そんな怒涛の日々も少し落ち着いて、いま自分を見直すとともに
どのように日々過ごしていくかを、考えていこうと思いました。
そんな矢先に、東日本大震災が起こりました。

この数年間、目の前にあることだけで精一杯というか
「消化しながら生きている」日々を送っておりました。
しかし、あの3月11日からは、「生きている」ではなく
「生かされている自分」がいるのだと思うようになりました。

自分の中では、自分の意思で生きているつもりで
傍目には充実した毎日を送っていたのかもしれません。
でも、それはただ日々を消化していただけで
自分では生きているつもりになっていたのかもしれない、と思うようになりました。

そうした日々のなかで、私は「考える」ということをしなくなっていた気がします。
(考えているつもりだったのかもしれませんが)

自分がどれくらい「生かされる」のかはわかりませんが
今一度「考える」ことをしていこうと思います。



| 次へ