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孫へ[2006年12月05日(Tue)]
孫へ

古宇田昌子 

きみは、このごろおばあちゃんにいじわるなことをいいますね。

たとえば、わたしがきみのうちへいくとすぐ
「わるいけどおばあちゃんいつかえるの?」
とききます。それは、おばあちゃんに
「しゅくだいやった?」とか「はやくねるのよ」なんていろいろいわれるのがいやなので、さきまわりして、おばあちゃんにごちゃごちゃいわさないくふうだろうとおもいます。

ママにたしなめられていますけど、でもおばあちゃんは
「賢君、おとなになったわね」
とよろこんでいます。それはきみが
「もう、ようちえんじゃないよ」
とこころのなかでおもいはじめているからです。

そのしょうこに
「ぼくももう二年生だもの」
とよくいいました。

そこでおばあちゃんも賢君にあれこれいいたいのをがまんします。
いつだったか賢君に
「しゅくだいのことはママになん回もいわれてるんだからわかってる!おばあちゃんまでいわないでよ」
といわれたことがありました。

そのときから、わたしは賢君にあれこれいうのはやめようとけっしんしました。

ママもこのごろよくわかってきたとみえて、だまっているようです。おばあちゃんもあなたのようすをみていますが、やっぱり「がまん」はただしかったようです。

ところで賢君、あばあちゃんがいつもかんしんしていることですが、あなたは「ありがとう」とよくいいます。とてもかんじがいいです。それとちょってしゅくだいのことになりますが「本よみ」がじょうずですね。とくに「きもちをこめてよむ」のがじょうずです。本はたくさんよむといいです。学校のとしょしつからかりてくる本もおもしろいですね。

これからもたくさんかりてきておああちゃにもよませてください。

おばあちゃんはほんとうは「賢ちゃん」とよびたいのですが、きみのきぼうで「くん」とよぶことになりましたね。これもきみが「おおきくなった」ことをじかくしたあらわれでしょう。

このあいだ賢君から「どうしてむかしのテレビドラマをみるの?」ときかれました。「ぼくはすぎたことより“みらい”のほうがすきだよ」ともいいましたね。あなたがよくいう「もう二十一世紀だよ」ですものね。

賢君がうまれた時からずーっとあなたをみてきました。どんなひとになるのかな。たのしみです。

げんきのいい賢君!
みらいのほうがすきな賢君。
ときにはちょっとたちどまって、ゆっくりまわりをみまわしてください。わたしのおねがいです。

おばあちゃんより


「一度きりのラブレター 母さんへ」[2006年11月27日(Mon)]
(52歳)神奈川県

秋のたそがれ時の空を見ていると何故か無性に人恋しくなります。今私が一番会いたい人、声を聞きたい人、ただ黙って側にいて欲しい人、それは母さんあなたです。読んでくれますか? 一度きりのラブレターです。

今年平成十一年一月三日、家族全員で久しぶりに迎えたお正月。とても元気でとても嬉しそうな母さんを見て皆が安心し、まだまだ十年位はと思っていました。母さん自身もそう感じていたことでしょう。

それなのにわずか三日後の一月六日心筋梗塞にて誰にも別れを告げることなく永眠してしまった母さん。まもなく一年忌です。早いものです。私の頭の中には胸の中にはいつも母さんの元気な姿が生きています。四人の子供を育てながら病気がちの父さんの看護、朝早くから家内業(軍手の手袋織り)を始め、夜は遅くまで暗い電球の下で内職をして毎日が時間に追われて忙しそうな母さんを子供心にも偉いなと思っていました。

夏祭りが近づいた頃、盆踊りが好きな私たちのために浴衣を縫ってくれましたね。白地に赤い小さな金魚が描かれていて今にも泳ぎだしそうな可愛い柄でした。八月、小学校で盆踊り大会が始まります。新しい浴衣を着ます。帯はピンクと青色のしぼりの三尺帯。それをキュッと締めて背中で大きく結んでもらいます。赤い鼻緒のついた下駄をはき、早く早くと母の手を取り学校へと急ぎます。だんだんと近づいてくる太鼓やレコードの音...もう私の心は踊っているのでした。

やぐらを囲んで二重、三重になっている踊りの輪の中にそっと入ります。身振り手振りも母さんのようにはいきませんが、自分なりにそれらしく夢中で追いて踊ります。九時になると子供は帰らなければいけないので、惜しみながら学校をあとにします。汗をかいた身体に田んぼを渡る夜風がとても気持ち良く、母さんと手をつないで帰るのです。昨日のことのようにハッキリと覚えています。

家族での旅行などは一度もありませんでしたが、母さんと一緒に行った盆踊り、縁日で買ってもらった綿菓子のことなど私にとっては最高の楽しみでした。私も結婚し家庭を持ち親となり、母さんのことが分かるようになりました。看護婦として今も働いています。家庭、子供、そして仕事と忙しい日々ですが、母さんの時と違い、自分の趣味も出来るし、家族で旅行をしたりと今の私は幸せであることをつくづく感じます。

感謝すべきでしょうね。もうすぐ一九九九年も終わろうとしています。この一年は心の中に大きなふさぎようもない位の空洞が出来てしまったようです。もう少し母さんとあちこち旅行がしたかった、もう少しゆっくり話がしたかった...悔いることばかりです。

私、母さんの娘としてこの世に生を受けたこと嬉しく、深く深く感謝しています。ありがとう。まだまだ書きたいこと、沢山ありますが、この辺で筆を置きます。父さんと会うことが出来ましたか。会いましたら私は幸せですと伝えて下さい。そしてありがとうと...

Dear お父さん、お母さん[2006年11月24日(Fri)]
Dear お父さん、お母さん

 今の私が大好きなもの、自分に合うと思うものを中学生の頃に見つ
けられたのはすごく大きいと思うよ。

大好きな今の趣味で特技のパソコンに出会えてから、もう6・7年も
経つけど、今でも変わらず大好きだよ。

お姉ちゃんがエレクトーンを買ってもらった時、お母さんが「あなた
にはパソコン買ってあげる。」

当時まだ小学生だった私にどうしてパソコン買ってくれたんだろう。

今考えれば不思議だけど、あの時、「パソコン」を選んでくれてあ
りがとう!!

教室に通わせてもらう時も、お母さんが最初言ってくれたよね。

それまでは、特に得意なもの、好きなものがなかった私だけど
パソコンに出会うことがなかったら、きっと「何もできない」って思
い続けてたと思う。

好きだけじゃなくて、すごく自分の支えになってる存在なんだよ。

本当に2人には感謝してます。これからももっと上を目指して頑
張るんで応援して下さいね。

七十二歳のラブレター[2006年11月13日(Mon)]
七十二歳のラブレター


 サァ、今日の仕事も終わったかな、「もう一度読み合わせを――」と時計を見る。今までの緊張が少しづつ弛み、心地よい。

 この日本橋の筆耕会社に週一回伺う様になって丸六年。何も出来なっかたのに、いろいろと御指導を戴いた。

一、レイアウトは正しく把握して中心線上を曲がらない
一、誤字がない
一、汚れに気をつける
一、一時間の出来上がり枚数など

 表彰状、のし袋、封筒の宛名書きの毛筆筆耕で、田を耕す様に毛筆で字を耕すのだと聞く。辞書を片手に根気がいるが、最初の目標の一万枚はクリア出来、三万枚もどうやらかしらと思う。とにかく六十六歳からの手習いで、上達は望むべくもないが好きな仕事であり、解らない字が有る時でも辞書を牽く事が少しも億劫でない。時に知人のお孫さんのご結婚のご依頼があると、もうそんなお年頃になられたかと、心がはずみ打ち合わせの刻が楽しくなる。

 七十二歳も過ぎた高齢者ではあるけど、お江戸日本橋に出社する時は、やはり多少の姿形を気にしながら家を出る。昼ともなれば同僚と美味しい食事に歩くことも格別だが、一日が終わって見直しの際、思うような字が書けていない時の苦しさは限りない。

 六年も前に家事を退き、やれやれと思ったが暇がありすぎて困った上のシルバーライフである。お仕事をして居る時、自動車の騒音等は全く気にならない。フッと気が抜けて窓越しに青空があるとホッとする。

 十一月の半ば頃より年賀状の宛名書き。企業よりの依頼の各自責任枚数を納期に合わせる事は十二月一ぱい忙しい。いろいろなイベント、ダンスコンテストの記名の時は、競技を見せて頂けるのも楽しい。

 巻物の様な上申書、弔詞等も専門にされる方も、体力のいる仕事となる。いづれの場所でも緊張の連続であるけれど、左右に居られる同僚も、黙々と筆を運ぶ。

 五万枚に目標を持ってゆきたいのだが、体力がどこまでついてゆけるか、まさに「迂まず、弛まず、急がず」にである。

 こんな自由な道を歩かしてもらって居る事は暖かい家族の心づもりに他ならない。程よい距離で、あまり干渉せず、時折必要とされる時を心待ちにして、毎朝佛前に「今日も穏やかに過ごさせて戴けます様に」と合掌する時、両親の写真を見ながら、六月に誕生した曾孫を含む二十一人の家族への感謝をこめた、ささやかなラブレターとしたい。

父さん母さんへの手紙[2006年11月05日(Sun)]
父さん母さんへの手紙

父さんが亡くなる少し前、私は高校生だった娘と病床のあなたを見舞いました。あなたは孫娘にかすかな笑顔を向けて、彼女の薔薇色の頬に自分の若き日を重ねたのか、一筋二筋涙を流していましたね。

やつれた頬を伝うあなたの涙は今でも私の胸をえぐるけれど、父さん、その涙に私は娘のすこやかな成長を確信しました。なぜなら、あなたはいつも私たちの心身の健康を祈っていてくれたから...。

あるとき母さんは鶴を折っていました。私が近づくとあなたはそれを隠してしまった。何の願いだったの、母さん。ほどなくして、おそらく何羽も折れないまま急に逝ってしまい、そしてきっと願いもかなわなかっただろうと思うと、私も一緒に折ればよかったと辛くて仕方ありませんでした。

でも母さん、私もあなたを真似て鶴を折りました。娘の安産を願って千羽を完成させました。今、娘は無事男の子を産み、あふれる乳を赤子に含ませています。母さんありがとう。私は願いがかないましたよ。

父さん母さん、あなたたちの存在も愛情も当たり前としか思わなかった、今より未熟だった頃、振り返ればとても大きな愛をありがとう。亡くなってからしか言えないのは悲しいけれども、いつの日かあなたたちのそばに行けたとき、この、たぎる感謝の気持ちと言葉を浴びせることでしょう。どうぞ照れずに聞いて下さいね。


新聞屋の女房殿へ[2006年10月29日(Sun)]
新聞屋の女房殿へ   三友雄治(50歳)埼玉県

おかげさまで21世紀の正月を無事に迎えられそうです。もう何回目のお正月でしょうか。ねぼすけのあなたと再婚してもう11年たちますね。あの頃はいろいろ大変だったですね。ちょうどむずかしい年頃の子二人かかえての再婚でした。上が17の男の子で、下が13歳の思春期の女の子。二人の子と私の間にはさまれて、ずいぶん泣きもしたでしょう。成人するまでは戦争だったですね。「積み木崩し」とでもいってもいいくらいに。

それに、ねぼすけのあなたが新聞屋の女房になるなんて、それこそなんとかの舞台から飛びおりる気持ちだったんでしょう。ずいぶんと無理したんでしょう。

私が、今こうして孫の世話できるのもあなたの心の大きさと忍耐のおかげでした。

子供達二人ともかわいい孫を産んでくれました。なによりの親孝行でしょう。あなたにとっても、私にとっても。

朝2時に起きて私を送り出し、そして帰る6時30分には朝食の支度と、そのやせの体にどんなパワーがあるのか、ただただおどろくばかりです。夜は夜で8時頃には寝てしまう私に気を使って、テレビの音を小さく小さくして見たり、ドアの開け閉めとか歩く音、それにフロに入るのにも気を使って、小さな体をより小さくしてきたのですね。すみませんでした。心の中ではいつも感謝していたんですけどね。夕飯も仕事を5時に終えて帰ってすぐしたくしなければなりませんでしたね。本当にあなたがタフで良かったと思いますよ。10年目の感謝をこめて安物ですけど、指輪を贈らせていただきました。よろこんでいただけたでしょうか。そのうちそのうちでいつも流れていますけど、今度は温泉にでもゆきましょう。新聞屋の女房も休みなしで、日曜も祭日も早起きで苦労かけていますから、たまにはいいでしょう。孫がかわいいのはわかりますが、こちらも振り向いてくださいよ。でも孫のかわいさには、私も負けちゃいますけど。

あと何十年くらしてゆくのか、先はまだまだ長いですが、これからは少し手を抜くことも覚えた方がいいと思います。なんでもかんでもいっしょうけん命すぎるので、体の方も心配なんですよ。たまには好きなカラオケも行きましょう。笑顔と声を出すのは体にずいぶんいいみたいですから。

これから寒い寒い冬になります。早起きはつらいでしょう。たまにはねぼうしてもおこりませんから。今から楽しんでもらわなくてはこりますよ。私もたまには休みをもらいますから、命のせんたくしてください。

よくぞここまで内助の功でいて下さいました。今度のバースデイにはいっぱいのバラと大きな大きなケーキ用意します。本当にありがとう。心より深く感謝申し上げます。早めに新聞屋の女房から解放してあげますからももう少しがんばってください。あなたからはいろいろ学びました。教えられました。まさにあなたは幸福の黄色い星でした。ありがとう。そしていつまでも元気で。

亭主より
大好きなKちゃん、何してますか?[2006年10月29日(Sun)]
大好きなKちゃん、何してますか?

と言っても、いま昼の3時前だから営業まわってますね、きっと。車の運転気をつけて、でも避けられない事故もなかにはあるから、そういうニュースを聞くたび無事でありますようにと思うよ。

わたしはこのとおり、ラブレターを書いてるよ。「人生最高のラブレター」を募集しているのをKちゃんの日経から切り取っておいた。いまなら言葉にできるかなと思ってたんだけど、書き始めるとムズカシイ。出さないけど、Kちゃんに向けて書いてみようかなと思った。

わたしがいま、すごく思っていること書いてもいい?出さないから許可をとる必要はないか...ふふ。

最近ね、電話でKちゃんと話してる時とか、そっちに行ったり、うちに来てくれたりすると、ふと思うことがある。ふと思い付いて、ちょっと考えてしまうことがある。正直に言うよ。どうして、わざわざ別々のところに帰ってるんだろう?って思うの。

Kちゃんはどう思ってるのかな?

でもそんなこと言ったってむずかしいよね。もし、同じところに帰ろうとするんだったら、例えばわたしは親にいわなくちゃいけないしとか、現実的なことが山ほどあるし。ラブレターぽくなくなるから、ここでは言わないことにしますね。

Kちゃんは優しい人だね。時々わたしに「自分の時間がないんじゃないか」って言ってくれたりする。

でもねKちゃん、それは違うんですよ。そういうのを尊重してくれようとするのは、うれしいようでうれしくない。わたしは他の人が尊重してくれなくても、やりたいことがあったら、自分だけの時間くらいつくれるよ。

これまで、何回かそういう事を話す機会があったよな気がするけど、わたしの言いたいことは伝わってない気がする。説明するの、下手かなあ?わたしはKちゃんといる時が、どこで何してても一番楽しいの。

だから、いっしょにいる。いられることを前向きに考えて欲しい...っていうとちょっとまわりくどいね。

書き直す。正直に言えばいいんだ。わたしはKちゃんといっしょに暮らしたいんだよね。

ただ、何回か自分から言ってみようかなと考えたんだけど、やっぱり、やっぱり、それはKちゃんの口から聞きたい。もし、このまま時間がすぎるのなら、1日も早くと思います。

もし、わたしのことで考えてもらえるなら1つだけ。わたし、もう若くないヨ。

じゃあKちゃん、これからも仲良くしようね。

私を見つけてくれてありがとう[2006年03月30日(Thu)]
私を見つけてくれてありがとう 原信田綾子(23歳)


争いごとが嫌いでいつも笑っている。だからいつの間にか笑顔が私のチャームポイントになっていた。笑顔が素晴らしいっていつも言われていた。

でもずっと、自分の気持ちに嘘をついていた。怒りたくても怒らず、泣きたいのに泣かず、いつも自分の気持ちを抑えていた。抑えるために笑っていた。我慢していればうまくいっていたから。「何も言わず黙っていればいんだ」ってずっとそう思っていた。

だけど、嘘ばかりついていたから心がすごく疲れていた。心までは嘘をつけなかった。一人の時はいつも暗い顔をしていて、夜、布団に入ると何も考えていないのに涙が流れ出す。泣ける映画を観たくなったり、本を読みたくなったり。「涙を流したい」って心が叫んでいた。それでも、いつも笑っていた。

つらい時や悲しい時程、私の顔は心とは逆に笑顔に変わる。とても、嫌な癖。

あなたに会ってから、私は、変わったと思う。変わったと言うよりは、「本当の私でいられる」と言った方が、正しいかもしれない。泣きたいと思うことも、夜、知らない間に涙が流れ出すこともない。ものの価値観や、思っていること考えていることが同じで、一緒に泣いたり笑ったりが出来る。こんなに幸せだと感じたことはない。「私の笑顔を見ていると幸せな気持ちになれる」
と、あなたが一度言ったことがある。

これ程うれしい言葉はない。私は、この言葉を一生忘れない。

あなたといると心が安らぐ。女に生まれてきて良かったと初めて思った。今、私の笑顔に嘘はない。

私を見つけてくれてありがとう。

とてもうれしくて、涙が止まらない。あなたは、私にとってかけがえのないひと。
そして、私も、あなたにとってかけがえのないひとになりたいと思う。
かけがえのない君への感謝状[2006年03月10日(Fri)]
かけがえのない君への感謝状
三田信治郎(68歳)/埼玉県

いつもやさしく、笑顔がすてきな君と結婚してから、はや三十八年。

さまざまな苦楽を共にしながら送日してきたこの重みある歳月を回顧するにつけ、時の流れの速さに驚き、万感胸に迫るものがあります。

この間、君はいつも育児、炊事、家事の三じのあなた」として、全力で尽くしてくれました。特に、二人の子どもの良き母親として、他人に迷惑をかけることがない真面目さが取り柄の子に育ててくれました。

仕事が趣味のように、教職に専念するばかりの私であったので、家庭内のことはすべて君だけに任せっきり、その負担の過重であったことを思うにつけ、心が痛みました。遅ればせながら深くお詫びします。

お陰で二人とも立派に成長し、良き社会人、良き家庭人として幸せに独立した生活を送ることができるようになったことに安堵し感謝したい。

君の努力で、大きな成果をおさめるなか、私の四回に及ぶ入院生活(内科、外科各二回)、子どもたちの教育費、住宅ローンの返済、生活費等々は、日増しに困窮をきわめ、その救済のために、自ら病める時も休むことなく、ひたすら「三じ」を遂行したうえ、身を粉にしてアルバイトに必死の力をふりしぼってくれた君の献身的な姿には、頭が下がるばかりでした。

いつも、癒しと慰めと励ましを与えてください、と神に祈りました。

君の支えと激励のお陰で、大過なく、結婚後、定年までの三十年間と嘱託勤務の五年間、職務を遂行することができたことは、無情の喜びであり心から感謝しています。また、物心両面にわたり、言語に絶する苦労をかけたことを心からお詫びします。

日本一の良妻賢母である君に深謝します。

やがて迎える終焉にあたり、君に残された人生を、いっそうの自愛のうえ、長男の家族、長女の家族と連携を密にし、悔いのないよう有意義に、そして可愛い孫たちと楽しく過ごしてほしい、と念願しています。

二人だけの生活になってから、いままで楽しませてくれた芸術的な生け花、舌鼓をうつ美味い食事、古家にもかかわらず整理整頓された部屋での爽快な生活、君が奏でるエンジェルハープの音色、数少なかったが楽しんだ二人旅、かつての家族旅行の思い出等々は、愛しい君の姿とともにいつまでも私の心の中に宿ります。

君のようなすばらしい人と結婚できて本当によかった。

多くの迷惑をお詫びしつつ、このささやかな感謝状を贈ります。
今まで本当にありがとう。




父さん母さんへの手紙[2006年03月09日(Thu)]
父さん母さんへの手紙
佐藤恭子(53歳)/岩手県

父さんが亡くなる少し前、私は高校生だった娘と病床のあなたを見舞いました。

あなたは孫娘にかすかな笑顔を向けて、彼女の薔薇色の頬に自分の若き日を重ねたのか、一筋二筋涙を流していましたね。やつれた頬を伝うあなたの涙は今でも私の胸をえぐるけれど、父さん、その涙に私は娘のすこやかな成長を確信しました。

なぜなら、あなたはいつも私たちの心身の健康を祈っていてくれたから...。

あるとき母さんは鶴を折っていました。私が近づくとあなたはそれを隠してしまった。何の願いだったの、母さん。ほどなくして、おそらく何羽も折れないまま急に逝ってしまい、そしてきっと願いもかなわなかっただろうと思うと、私も一緒に折ればよかったと辛くて仕方ありませんでした。

でも母さん、私もあなたを真似て鶴を折りました。娘の安産を願って千羽を完成させました。今、娘は無事男の子を産み、あふれる乳を赤子に含ませています。母さんありがとう。私は願いがかないましたよ。

父さん母さん、あなたたちの存在も愛情も当たり前としか思わなかった、今より未熟だった頃、振り返ればとても大きな愛をありがとう。

亡くなってからしか言えないのは悲しいけれども、いつの日かあなたたちのそばに行けたとき、この、たぎる感謝の気持ちと言葉を浴びせることでしょう。どうぞ照れずに聞いて下さいね。
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