CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
<< 2013年04月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
ヤベーのミックス(馬鹿が戦車でやってくる!ヤァ!ヤァ!ヤァ!) [2013年04月30日(Tue)]
 欧米諸国では憲法自体を時代に併せて改憲しているところも多数ある。安倍そーりは28日、1952年のサンフランシスコ講和条約発効から61年を迎え「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を東京都内の憲政記念館で開いた。安倍そ−りは戦後復興の歴史を振り返り「本日を一つの大切な節目とし、たどった足跡に思いを致しながら、未来へ向かって希望と決意を新たにする日にしたい」と表明した。天皇、皇后両陛下が出席したが、お言葉は述べなかったという。
 何で60年目ではなく、61年目が節目なんだ?と疑問に思う。普通だったら60年目が節目だろう?61が素数だから節目なのか、全くわかんねー、何のため?
 翌29日は、ニコ動のイベントで安倍そーりや、石破かんじちょー、何故か3年B組出身の三原純子なんかが、洗車で遊んでいる。何でこの時期に自衛隊を軍隊化しなきゃいけないんだ?何で憲法を改正しなきゃいけないんだ、まったくワカンネーぞ!
001.jpg

これが、そーりの言う「美しい国」のスタイルなの?

601736_149584758547581_1882616166_n.jpg

馬鹿が戦車でやってくる!



 右寄りな思想で、市民が幸せになった験しはない。誰もが知っているのに何で歴史は繰り返すんだ?何のための政府なのか、誰のための首相なのか?「美しい国」って、もっと別の捉え方があるんではないか?
 だーひょーりじが敬愛する、故・植木等の父親・植木徹誠は「戦争は集団殺人だ」という話を、お子さんたちにもするし、檀家へいってもする、で、そのたびに警察へ検束される、ということのくりかえしだった。出兵する檀家の子供たちに絶対死んで帰ってきてはダメだといい、また相手も殺すなと説いて、何度も逮捕されたという。
 日本だけ軍事的に強くなっても、何も代わりはしない。一部の人たちが喜ぶだけ。こんな社会を作るために市民は税金を収めているわけじゃない!
 情けなくなる今日この頃である…アベノミクスは長く続かない、ヤベエのがミックスして押し寄せてきそうだ…

ここで清志郎の名言

いつからこの国はこんなにもセコイ人間の集まりになってしまったんだ。あっ! また誰かムカついたかな?
マイ箸VS割り箸!現場を知らない人たちから文句を言われて… [2013年04月29日(Mon)]
 マイ箸と割り箸、どちらが環境にいいのか!?
マイ箸を持っている人が環境に優しいというが、果たして本当だろうか?環境省が割り箸を使用して食事した場合に対して、木製のマイ箸で食事した場合のCO2削減効果を出した試算は以下のとおり。

(前提)マイ箸は1日1回1年間使用すると仮定する。
○割り箸製造時のCO2排出量は1膳あたり
 割り箸1膳:7.5g×木材の二酸化炭素排出係数0.1=0.75g
○ マイ箸製造時に出るCO2排出量は
 マイ箸1膳:15g×0.1=1.50g
※ ただしマイ箸は毎回洗うので洗浄時に出るCO2は0.072gとされている。
 マイ箸を1日1回使うとして
 1.5g÷365日+0.072g=0.076g
 という計算で、
割り箸が1日あたり0.75g、マイ箸が0.076gなので差し引き0.674gの二酸化炭素が削減できるという計算である。

しかし割り箸をまとめて乾燥させバイオマスの燃料として燃やしたらどうなるであろう?というのが、だーひょーりじたちが考えた、今回の作戦。

例えば、マイ箸で給食を食べていた1つの町の小中学校合計1,000人が、その地域の間伐材や端材で作った割り箸を1年間で週5日で40週間使ったとする。
7.5g×1,000人×5日×40週=1,500,000g=1.5tの木材がバイオマスで電気を作る燃料となる。

割り箸は自然破壊だという人もいるが、日本の場合、建材にならない余ったところを割り箸の材料にしていた。「もったいない精神」で使えるところは使おうという無駄のない仕組みだった。しかし人件費が高騰してきて、外国産の割り箸が安いという理由で、割り箸を作るためだけに木を伐採するようになり、そのような流れが「マイ箸=正義」を助長した。中国に代表されるように割り箸を作るために木を切り、充分な乾燥させないで割り箸を製造するのでカビが生える。カビを防止するために薬品を混入する。日本製の割り箸は、そういった安い外国産割り箸に押され多くの割り箸製造業者が廃業を余儀なくされたという。こういった流れが割り箸のイメージを悪くしていった。
今、日本で流通している国産材割り箸は2〜3%程度。話が横道に逸れたが、この割り箸が地域で生産され、使われた後に地域でまとめて回収されバイオマスの原料になれば、経済的にも採算がとれ、学校単位で取り組めば地域の子供たちにも森林を守ることを割り箸を使うことで参画できるのではないかと考えたわけです。

 先ほどの1.5tの乾燥した割り箸を燃焼させて得られる熱量は、木材1kgにつき7.92MJ
7.92MJ×1,500kg=11,880MJ の熱を出します。
1kwの発電をするのに必要な熱量は3.6MJなのでMJをkwに変換させるには係数0.2778を乗ずると…
 11,880MJ×0.2778=3,300.264Kw =約3,300kwの発電を起こすに必要な熱量が得られる計算となります。

1kwの発電に要する重油の量は約0.23ℓで、975.2gのCO2が発生すると言われているので
0.23ℓ×3,300kw=759ℓの原油が節約でき
975.2g×3,300kw=3,218.160g=3,218kg=約3.2tの排出量が計算上、削減できるのです。

1年間マイ箸を使ったとしたら、
0.072g×1,000人×5日間×40週=14,400g=14.4kg
マイ箸を使うだけで14.4kgの二酸化炭素の増加。

端材や間伐材の地域材で割り箸を作り、それで発電したら約3.2tの二酸化炭素の削減に繋がる。
これはあくまでも計算上の数字で、もちろんバイオマス発電によって排出される二酸化炭素もあるし、移動で排出されるCO2もあるのですが、こんな数字も出てくるのです。

まあ、こんな計画を、だーひょーりじたちはユネスコエコパークに認定された綾町で試験的にやってみると、かんきょーしょーに出してOKをもらったわけですが、かんきょーしょーさんが頼んだ外部有識者からアドバイスをいただきました。貴重なご意見というか、素晴らしいご意見で、だーひょーりじは頭を悩ませています。
以下が、頂いた貴重なご意見

県産材利用の割りばしを使う方が、マイ箸を使うよりCO2排出を抑えられるとの説明が全く理解できない。計画そのものが疑問。マイ箸を使い、県産材は別の用途に利用するというのが、正しいやり方ではないか。(技術的にやる意味がない)

全く理解できず、意味もないと言われたのですが、はてさてどーしましょうかねぇ?
余談ですが
ティッシュペーパー2枚と割り箸1膳、どちらが木を使っているか知っていますか?割り箸もティッシュペーパーも木からできており、だいたい同じ量の木を使っているんです。マイ箸を使ってティッシュ2枚で拭くと、割り箸と同じ量の木を捨てていることになるんです。割り箸はうまく仕組みを作れば再利用できるのですが、ティッシュは再利用できません。そんなことは有識者だから当然ご存知ですよねぇ…
e0102445_15435175.jpg

マイ箸使って環境に優しいと信じ込んでいる人は、ティッシュペーパーは使っていませんよね?

長文ですいませんでした。あまりにもハラワタが煮えくり返ったもので…(*´▽`*)
最後に清志郎の名言
いいかい、気をつけろよ。だまされんなよ。腐った奴らが増えているんだ。自分を見失わないで欲しいんだ。
だーひょーりじ偽オレンジ号を購入! [2013年04月28日(Sun)]
 自転車をやってる新人君が、新しい自転車を購入したので古い自転車を売りに出すというので、だーひょーりじが購入してやる!と言い切りました。これで部活がぐんと進むはず!
img_474084_10373321_0.jpg

写真は本物のオレンジ号!「個展 忌野清志郎の世界」で展示しています!
清志郎の比類なき才能!オリジナルと訳詩の絶妙な関係 [2013年04月27日(Sat)]
 セブンイレブンのCMで使われている「デイ・ドリーム・ビリーバー」だが、これがモンキーズというバンドの1968年のヒット曲のカヴァーであることを知っているのは多分40代半ば以上の人だろう。

そんでもって、以下が原曲の歌詞
「Daydream Believer  / The Monkees 」

Oh, I could hide 'neath the wings
Of the bluebird as she sings.
The six o'clock alarm would never ring.
But it rings and I rise,
Wipe the sleep out of my eyes.
My shavin' razor's cold and it stings.

Cheer up, Sleepy Jean
Oh, what can it mean
To a daydream believer
And a homecoming queen.

You once thought of me
As a white knight on a steed.
Now you know how happy I can be.
Oh, and our good times start and end
Without dollar one to spend.
But how much, baby, do we really need.

Cheer up, Sleepy Jean.
Oh, what can it mean.
To a daydream believer
And a homecoming queen.
これを直訳すると…
彼女のように歌ってくれる青い鳥の羽の下に隠れられたら
6時の目覚まし時計は鳴らんのだろう
でもそれはやっぱり鳴り、僕は起きなきゃいけない
僕は眠い目をこすり そして
やっぱりカミソリは冷たくてヒリヒリする・・・

「はりきっていこう、ねぼすけジーン!」なんて
白日夢を見てる男とミス・キャンパス気取りの女にゃ
なんの意味がある?

君は僕のことを白馬の騎士と思ってた
(それが違うってわかっても、それなりに)
君は今、僕がどれほど幸せかわかってる
金を大して使わなくったって
それなりに楽しい一日が始まり、終わるもんだ
でも、やっぱり金は必要だけどね・・・

これが清志郎(THE TIMERS)の手にかかると、全く違う曲の内容になっている。それも日本語がしっくり馴染んでいてこれはもう別物になっていて、それも素晴らしい内容になっている…

もう今は 彼女はどこにもいない 朝はやく 目覚ましがなっても
そういつも 彼女と暮らしてきたよ ケンカしたり 仲直りしたり

ずっと夢を見て 安心してた 僕は デイ・ドリーム・ビリーバー
そんで 彼女は クイーン

でも それは 遠い遠い思い出 日がくれて テーブルにすわっても
ah 今は彼女 写真の中で やさしい目で 僕に微笑む

ずっと夢を見て 幸せだったなぁ 僕は デイ・ドリーム・ビリーバー
そんで 彼女は クイーン

ずっと夢を見て いまもみてる 僕は 
デイ・ドリーム・ビリーバーそんで 彼女は クイーン

ずっと夢見させてくれてありがとう 僕は デイ・ドリーム・ビリーバー
そんで 彼女は クイーン

今の若い人たちには、この日本語の歌詞に馴染んでいるだろう。ちなみにTHE TIMERS版の歌詞に出てくる「彼女」とは、清志郎が母親のことを想って書いた歌詞だそうです。
清志郎の夢 [2013年04月26日(Fri)]
 忌野 清志郎のファンクラブ会報誌に載っていた記事から…
あるトークショーのファンからの質問コーナーで清志郎「今までで一番感動した事はなんですか?」と聞かれた時の言葉が素晴らしい。
以下、転載

あの〜こう,曲を作って,レコーディングして,バンドの仲間とツアーに出てみんなの前で歌を歌うってのが僕の夢でね,それをずっと実現してきたわけなんだけど,それいくらやってもずっと夢なんですね.
 またその夢を実現するためにね,ずっと同じ事やってるわけだ,同じ様な。

 夢を次々に実現していくエネルギー、ずっと同じ事の繰り返しかもしれないけど、いくらやってもやり足りない。地味だけど、素晴らしい、そんな夢を自分も持てたたらいいなぁヽ(*´з`*)ノ
imagesCAM4OGBW.jpg

「個展 忌野清志郎の世界」では物販コーナーも充実。いろんなグッズ、書籍販売中です!
みやざきアートセンターにて開催中!
危ない世の中 [2013年04月25日(Thu)]
 昨日未明、AP通信のツイッターアカウントが、ハッキング被害に遭った。米ホワイトハウスで2度爆発がありオバマ大統領が負傷したとする偽のニュースが流れ、米金融市場は一時混乱に陥った。AP通信の広報担当、ポール・コルフォード氏はすぐにツイートが偽のニュースであることを確認。ホワイトハウスのカーニー報道官は情報が流れた直後、オバマ大統領は無事だと記者団に述べた。
 米金融市場は情報が流れてから3分以内に軒並み急落したが、その後値を戻した。この3分間で、一次365億ドルの時価総額を失った。
自分の金なのに、自分の金じゃない…マネーゲームのためのお金。お金って本当は何なんだろう?人が喜んでもらうための交換する際の道具だったはずなのに、今は金のためにみんな働いている。

ここで忌野清志郎の名言
「世界中が働いてる かせいだ金を使うために 」
20091126062823.png

写真は「い・け・な・い・ルージュマジック」のPVより坂本教授と清志郎。このPVで登場するばらまかれた一万円札はすべて本物。撮影に際し厳重に管理されたが、撮影終了後に確認したところ、どこを探しても数万円分の一万円札が最後まで見つからなかったそうだ。

「個展 忌野清志郎の世界」みやざきアートセンターで絶賛開催中!
「個展 忌野清志郎の世界」本日開幕! [2013年04月24日(Wed)]
 本日午前10時より「個展 忌野清志郎の世界」いよいよ開幕です!
キング・オブ・ロック、バンドマンとして知られる忌野清志郎。ミュージシャンとしての一面だけでなく子供の時から描き続けた絵画、マンガ、絵本、衣装や楽器、有名カメラマンが撮ったポートレイト等で、知られざる一面(多面)を知ることのできる展覧会が、みやざきアートセンターで本日より5月26日まで開催されます。
603851_440180519392946_161990973_n.jpg

「KING OF ROCK」の異名を取る忌野清志郎。少年時代から描いた絵画、レコードジャケットやポスター、そして衣装、ステージ写真やポートレイト、本展のために編集されたスペシャル映像などで辿る「忌野清志郎」という比類なき個性。
 日本を代表するロック・ミュージシャン忌野清志郎。RCサクセションとしてデビューした1970年から2009年に旅立つまでの多彩な音楽活動の中から生み出された名曲の数々は、世代を超えて多くの人々に愛され続けています。その才能は音楽に留まらず、画家、俳優、文筆家としても活躍しました。 特に絵画については、高校時代は美術室に出入りし、一時は本気で美術の道に進もうかと考えていたほどで、油彩やイラスト、スケッチなどを描き続けていました。この展覧会は生前、清志郎本人の意向によって計画されたもので、タイトルは自身で名付け、タイトル文字も自筆のものです。静物画、知人のポートレイト、自画像などの絵画作品からは、ミュージシャンとして見せる表の表情とは別の、パーソナルで親しみ深い世界が垣間見え、そこからも、あの「愛しあってるかい?」という言葉が聞こえてくるようです。 過激な清志郎、ド派手な清志郎、温かい清志郎、無邪気な清志郎…「忌野清志郎という世界」を創りあげるすべてがここに集結します。

【展示内容】
■ 絵画/自画像、家族を描いた作品、静物画、絵本原画、CD・グッズ、ファンクラブ会報のためのイラスト、スケッチブック、学生時代の作品、etc.
■ 音楽/ツアーおよびレコードポスター、パンフレットなどのツアーグッズ、ファンクラブ会報、LP、ステージ衣装、アクセサリー、愛用の自転車etc.
■ 写真/様々なフォトグラファーによる忌野清志郎が被写体の写真
■ 映像/スペシャル映像をシアター形式で上映(7種類日替わりにて上映)
【物販内容】
■ 作品集「忌野清志郎の世界」
■ 忌野清志郎のCD、DVD、書籍
■ Tシャツやポストカードなどのオリジナルグッズ
■ 横尾忠則作「未完の清志郎」ポスター

入場料:大人700円(前売500円)/中高生400円(前売300円)
小学生以下無料

是非、ご来場ください!お待ちしています!!!
帰れない二人 [2013年04月23日(Tue)]
 1973年、井上陽水のアルバム『氷の世界』がミリオンセラーと-なる。 「心もよう」「白い一日」「氷の世界」などの名曲・ヒット曲満載のアルバムである。 その中に、「帰れない二人」と「待ちぼうけ」と言う2曲の曲が、-当時まだ無名の あるミュージシャンとの共作でつくられました。 その、ミュージシャンにとって『氷の世界』からの印税は、まだ売-れないで不遇でいる、彼をずいぶんと支えたという。 2009年5月8日、 陽水はこの日、自身のコンサートで急遽、この「帰れない二人」を-歌う事にした。 1週間前の5月2日に、58歳で逝った、この歌のもうひとりの制-作者を想いながら…。36年前、陽水のアパートで、まだ20代前半の売れる-前の二人が、 ギターを弾きながら作った曲だった…。


そのもうひとりの製作者とは忌野清志郎!清志郎はよく「不遇」って言われてた時代、あの印税にはびっくりしたらしいけど、清志郎はアパートの押入-れの布団の間に隠しながら使ってたとかいう伝説もあります。
清志郎と小田和正 [2013年04月22日(Mon)]
 ロックンローラーなRCサクセションとコーラスワークのオフコース。清志郎と小田和正が率いるそれぞれのバンド。音楽性も風貌も違う2人だが何故か共通点がある。
 清志郎がRCサクセションとして、小田和正がジ・オフコース(後のオフコース)としてデビューしたのは1970年。奇しくも二組とも東芝音工(→東芝EMI→現・EMIミュージック)に所属していた。
ある時、清志郎は小田に手紙を送った。
その内容は「オフコースの『僕の贈りもの』が好きです」というものだった。清志郎の後日談によると、彼は「僕の贈りもの」のコード進行が好きだったそうだ。
あるラジオ番組で清志郎と小田和正の対談が実現してる。
以下がその概要

1996年2月15日 BAY-FM「ベイファクトリー 小田和正スペシャル」から
出典:l'odeur du vin

忌野清志郎をゲストに迎えて

司会:さてここで古くからの友人でもいらっしゃいます、忌野清志郎さんにお越しいただいています。

忌野:こんばんわー!忌野です!(笑)

小田:友人てねぇ、友人ていわれてもね、お互いに多分困ると思うよ。当時からよく顔見知りっていうね。
RCは、70年3月、何でデビューしたの?

忌野:曲?「宝くじは買わない」

小田:あー、宝くじか。

司会:忌野清志郎さんはRCサクセションとしてデビューされたのが、70年の3月。そして小田さんがオフコースとしてデビューされましたのが70年の4月。

忌野:先輩じゃん。

小田:(笑)

司会:殆ど同期。忌野さんの方が先輩(笑)

小田:あぁ、そっかぁ・・・

司会:70年の4月というのはですね私の生まれた年、月なんですよ!(笑)

小田:やめてよ(笑)

忌野:ほんとかい!

司会:忌野さんは私の生まれる前からお仕事をされていたということになりますね(笑)

小田&忌野:んー。

司会:深い歴史を感じますが。ということで25周年目を迎えられまして。

小田&忌野:あー。

司会:とういうことになりますよね。

忌野:もう26年ですね。

司会:先ほどもお話しになったところで、お二人はそんなに最近はお会いになっていない?

小田:みんなそんなに会ってないんじゃない?当時のね、いろんなバンドが出るコンサートが主体だったのね。1バンド1コンサートっていうのは何年か後からでね。それで楽屋にいつもいるわけで。で、大体いつも同じようなブッキングされてさ。だからだんだんその、どういうヤツかっていうのは、直には喋らないんだけども、仕草見てたり(笑)

司会:ステージでのね。

小田:とか、曲も覚えるじゃない?知らないうちに。そうすっと、なんかこう、直にしみ込んでくるっちゅかね。不思議な時代だったんだよ、ほんとに。

司会:デビューされて最初にお会いになったときのことを覚えてらっしゃいますか?

忌野:いつが最初だったかねぇ。

小田:覚えてないけどね。RCっていうのはね、ちょっと異様だったね。

司会:異様だった(笑)

忌野:オフコースっていうのはね、楽屋でよくね、コーラスの練習してた(笑)

司会&小田:あははははは(笑)

忌野:2人で(笑)

小田:とにかく異様でね。あの、だから、すっげーナイーブな感じがしたわけ。
俺が、俺たちが言うのもなんだけど。こいつら大丈夫かなっていう。なんか、過激なんだけど、ナイーブで。清志郎なんかはね、ほんとに青白いし、コイツ栄養失調じゃねーかっていうような、そういうようなナイーブ具合だったね。

司会:なるほど(笑)栄養失調じゃないかと心配するくらいナイーブな感じだったんですね(笑)

小田:おお。

忌野:そんな風に思っていてくれたんですね(笑)

小田:ただずっと俺、清志郎に関しては、過激なこと言おうが、俺は徒党を組むのは嫌いだとかちょっと最近みた記事ではね、それでもやっぱりね、コイツ、ナイーブだなって思っちゃうんだよね。

忌野:いやもう小田さんはね、人生の大先輩ですからね。

小田:ばかやろう、なんだよそれ(笑)

忌野:ほんとですよ。楽屋でもね、お兄さんっぽかったね。みんなのなかで。

小田:ほんとかい?

忌野:うん。

小田:いやぁ。

忌野:あの、上等なハーモニーっつうんですかね。そういうのをつねに楽屋の中で響かせて。・・・そんなにハモってどうすんだって思ってましたけどね(笑)僕は内心(笑)

小田:そうだろ?(笑)多分ね、その、受け入れなかったと思うよ。
多分にね、排他的な感じの人が多かったんだよ。

司会:寄せ付けない?

小田:なんかね、みんなだからね、寄せ付けないっていうよりは、シャイで。

司会:ああ、逆に打ち解けられないって感じで?

小田:うん、打ち解けられないって感じだね。だからあれだけしょっちゅう楽屋で、ほんとにどれだけ一緒にジョイントしてたかわからないけど、「おはよう」とか、「元気?」とか、「何食ってんの?」とかそういう会話はなかったな。

司会:一言もなし?!

忌野:なかったね。

小田:なかったよ。

忌野:でも、ほら、オフコースがお兄さんっぽかったじゃない。

小田:何年生まれだっけ?

忌野:俺?26年(笑)

小田:ちょっと下なんだ。

司会:ああそうですね。

忌野:だからね、とっつきにくかったの。

司会:清志郎さんの方からは。

忌野:僕は、デビューアルバムの「僕の贈り物」とか大好きでね。よく聴いてたんですよ、当時。

小田:へへへ。

司会:では早速、ここで出てきたようにここで一曲聴かせていただきたいと思います。では小田さんから曲紹介を。

小田:はい。「僕の贈り物」

曲終了。

司会:小田和正さんのセルフカバーアルバム「LOOKING BACK」から「僕の贈り物」をお送りしました。この曲は73年に2月にシングル、73年の6月に「僕の贈り物」というアルバムの中にも収録されていますし、88年に一度セルフカバーを試みられてて、今回は2回目ですね。

小田:そうすね。

CM

司会:お二人とも26年目になりまして、先ほどはデビュー当時の印象の話など伺ったのですが、最近はお二人ともソロ活動を中心にされていまして、最近の印象も昔とは変わったと思うんですけども。清志郎さんから見て小田さんというのはどんな感じですか?

忌野:いや、あんま変わんないですね(笑)こうして見ても。

小田:んー。

司会:先ほど「僕の贈り物」の曲中にいろいろお話されていたんですが。

忌野:これね、僕ね、コード進行を教わったことがあるんですよ。小田さんに直々に。

司会:あら!そんなことも!

小田:それは最近だよね。これね、コイツ嫌がるかもしんないけど、いろいろいきさつがあってだな、ある時ね、俺んとこに手紙が来たんだよコイツから。

司会:清志郎さんから?

忌野:ほんと?

小田:それがどっか探せばあるから、僕は是非それを見つけ出したいと思っているんだけど。(清志郎は)忘れてっかもしんないけど。
それにね、僕はあの曲が好きですみたいなことが書いてあって、
で、その曲が、タイトルが書いてなかったから、なんのことか分からなかったんだけど。
で、ほら、さっき言ったようにナイーブで排他的でって感じだからさ、それがすごく意外で。あ、俺のこの曲・・・やっぱ自分の曲が好きだって言ってもらえるのはすごく嬉しいもんでね。そういうことを直に伝えてもらったっていうのはそれが初めてで。ファンの人は別としてね。結構、支えというと大げさだけども、ま、大げさじゃないかもしれないけど、ああ、そっかって。そういうのって一番嬉しいんだな。

司会:ああ、普通のファンのかたからというよりも、同世代の・・・

小田:そうすっと、ファンを軽く見てるみてるようですが、

司会:いやそんなことは!

小田:実はそうなんですよ(毒)

司会:そんな事はないですよ!(苦笑)

忌野:それはいつ頃?

小田:70年代。だから73年前後なんだろうね。覚えてないけど、その手紙捨ててはいないから、絶対そのうち見つけ出してみせますよ。

忌野:あは(笑)

小田:それはほんとにいい思い出になってますね。

司会:清志郎さん全然覚えてらっしゃらないみたいですけど(笑)

忌野:いや〜(笑)

小田:そういうもんでしょ(笑)

忌野:勢いで書いたんでしょうね。

小田:うん、多分そうだと思うよ。

忌野:でもほんとにね、好きだったな、アルバムは全部。とくにこの曲は大好きで。コード進行がいいなと思って。

小田:それでまあ、だんだんそれぞれ離れて、で何年か前坂本(龍一)とやったときに、全然違和感ないんだよな、ああいうのも。

司会:そうですね。私が初めて清志郎さんを見たのはあの頃からなんです。

小田:ああそう。

忌野:あの頃(笑)

小田:なんかやっぱり同じなんだよ、目線がさ。やっぱりシャイで、あんなことやってるくせに、ね、ふっきれてない感じ、どっかね(笑)
ふっきれなきゃできないことを、まあ本人はふっきれてるのかもしれないけど、どっかね、どっかツッパって、体制に対してなんかあるんだろうなっていう姿かたちね。
で、最近CMに出てきたでしょ?

司会:ええそうなんですよね(笑)

小田:おお、どうしちゃったんだろうと思いながら、どっかさ、なんかね、同じような匂いがして。なかなか素晴らしいですよ。

司会:清志郎さんはご自分のことですが、昔からどんな感じですか?坂本さんとご一緒にされた時の話でも。

忌野:いや〜、頑張ったんですけど(笑)

小田:あはは(笑)いや頑張ってたよ。

忌野:自分としては。

小田:うん、よかったよね。

忌野:いやいや、人生の大先輩なので、見透かされちゃってるなって気がしましたね、今。

小田:ああそう。

司会:ある意味こわい存在かもしれませんね。

忌野:んー。

司会:んーということで、終わってしまいましたが(笑)
さて今夜はですね、忌野清志郎さんの1月31日にリリースになりましたニューシングル「Good Loving」を持ってきていただいたんですけども。
前回このベイファクトリーに来ていただいたときは「君だけにわかる言葉」持ってきていただきまして。それに続く、シングル3部作の第2弾ということになりますね。

忌野:そうですね。

司会:今回もまた三宅伸治さんとの共同プロデュース。三宅さんとはほんとに最近ご一緒されてますけども、三宅さんとされてみて一番いい点というのはどういうところなのでしょうか?

忌野:んー、あのー、それまではわりと自分でやってたんですけど、自分で歌いながら演奏しながらプロデュースもっていうのは非常に頭の切り替えが大変なんです。
それで、だから、ほんとに気のあった人にね、任しちゃった方が非常にやりやすいっていう。

司会:作品をつくるのに没頭できる。三宅さんはそんな相手なんですね。

忌野:うん、そうですね。

司会:プロデュースっていうのはやっぱりそれくら難しいもんなんでしょうかね。難しいというか、作品に没頭してしまうとなかなか見えない部分があるということなんでしょうかね。

忌野:んー、多分どっちかいっこならいいんですけどね。そうですよね?

小田:ふふん(笑)

司会:どうですか小田さんは?

小田:自分のことが一番わからないからね。やっぱり自分の顔を生で見れないのと同じように、鏡に映せば見えるんだけど、ルックスの場合はね。それがなかなか客観的には見れないからねぇ。人のことはすごく分かるんだよ。これでいいとか、そこはそんなに気にしないでいいとか。自分のことになると全く見えなくなるからね。
だから、アメリカの方は音楽が何年も進んでるわけじゃない。進みっぱなしかもしれないけど。そこの人たちがやっぱりセルフプロデュースする難しさを知ってるからどんな達人でもプロデューサーっていうのを置くじゃない。
それはやっぱり置いた方がいいっていうのを歴史の中で分かってっからなんだろうな。やっぱり一つ上にいけるっていう。ちゃんとしたプロダクトができるっていう。

司会:いい意味で自分を越えられる存在があるっていうことですよね。

小田:そうでなければ越えられないってことなんだよ。

司会:じゃあそうやって出来ました、1月31日にリリースされました、忌野清志郎さんのニューシングルをお聴き下さい。清志郎さん曲紹介を。

忌野:はい。じゃあ「Good Loving」を聴いてください。

曲終了

司会:さて、今年も2月はいりまして、始まったばかりといえば始まったばかりなんですけども。今年はお二人はどのようなアイデアをお持ちなのでしょうか?まずは清志郎さんから。

忌野:んー、ない(笑)えへへ、アイデア?

小田:3部作の第3弾っていうのがあるよね。(冷静)

忌野:さすが小田さん(笑)

司会:さすがー(笑)

忌野:そう、3部作の第3弾を春ぐらいに出すっていうのと、2月の20日から全国ツアーにでます。

司会:2月の20日・21日の、新宿の日清パワーステーションを皮切りにですね、
忌野清志郎ツアー1996 Little Screaming Revueというツアーがスタートしますね。

忌野:そうです。

司会:あの日清パワーステーションといいますと、清志郎さんにはちょっと狭いんじゃないかなと思うんですけど。ここを選ばれたのは?

忌野:好きな会場なので(笑)結構狭いところでねやってみたいなと、小編成にして。
もう一度この、お客の顔にツバがひっかかるような感じで(笑)やってみるのもいいかなと。だから今度のツアーはわりと小さいところばっかりなんですよ。

司会:それでLittle Screaming Revueというタイトルを。

忌野:そうですlittleがついちゃって。

司会:じゃあアコースティックな面も結構出る感じですかね?

忌野:そうですね。わりと。

司会:さて小田さんのほうなんですが、今年はどんなことを?

小田:僕はツアーもないすからね。まあ、地味に、人前にでないところでじわじわやりますよ(笑)

司会:ふふふ(笑)あのちょっとお伺いしたのですが、映画のアイデアが。

小田:うん・・・映画もね。あまり言うと自分で負担になるからあまり言いたくないんだけど。ま、出来るだけ早くやりたいですね。

司会:ええ。いまどれくらい進んでるんですか?

小田:どうだろう。後で振り返ったときに考えれば・・・3分ぐらいじゃない?3%ぐらい?一気に進む可能性もあるからね。3%ぐらいじゃないかな。でも0よりはいいからね。

司会:そうですよ、もちろん。
あの92年には「いつかどこかで」を発表されてまして、そちらでは、企画、脚本、監督、音楽と全てご自分でされたわけですけども、今回もそういった感じなんでしょうか?

小田:まあ、やるでしょうね。もし一番外れるとすれば、音楽の一部は外れるかもしれない。あんまり全部自分でやるっていうとね、もう大変だから。時間的にも。でも、わかんねーな。

司会:わかんねーな(笑)まだじゃあ始まったばかり。未定の部分が多いということですね。

小田:そうっすね。出来るだけ早く喋れるように頑張りますよ。

司会:はい。楽しみにしてます。
さて、最後になりましたが、今年のBAY-FMのステーションコンセプトというのが"Power of Dreams”ということで、夢の力。

小田&忌野:おおー。

司会:お二人の今後の夢、いまツアーの話も出ましたし、映画の話もでましたけど、今後どのような活動をされて行きたいか、あとご自分自身のことでもいいんですが、何か夢があったら是非教えていただきたいなと思うんですが。

小田:夢ね。僕?夢っていうとね、自分のやりたいことやってきたし、
映画にしても音楽にしても、やってけばいろんなことが延長線上にあるわけで。
夢っていうと難しいんだけどこうやって何年か前から、横の・・・コイツは徒党をくむのが嫌いだけども(笑)その横のつながりみたいのはほっとけば起らないわけでしょう?みんな歳とって死んでいくだけで。そういうことが結構楽しいんだよね。あの〜、僕は徒党を組みたいなってね。ただほら、のべつ幕なしにっていうのじゃなくて、やっぱり古い昔っから同じようにやり始めて同じように歳とってやった連中とメシ食ってるだけでも楽しいし、あと若いやつともなかなか接触する機会もなかったりすんだけど、自分でケツたたかないと、いいよってなるんだよね。
会うことによって会ってよかったなって思うことが多いからね。
それが夢っていうと変だけど、そういうことは凄く大切にしたいなって思うようになったんですよ。
だから、そっからなんか新しいものが、自分一人ではだいたい分かってるんだから、そこに一つなんかね、大人になってだね、うん。ま、一つの夢かも知れんね。

司会:一緒にご飯食べるのもそうですし、あと一昨年の奥尻島の救済コンサートでもお二人とも共演されてるんですよね。そういった横の繋がりを大切にされていきたいと。

小田:したいですね。

司会:清志郎さんは?

忌野:俺もそうする!

(一同爆笑)

小田:うそ〜(笑)

忌野:俺も横の繋がり大切にする。繋がり大切よ。

小田:一番ねぇ、そういうことはね(思ってないだろう)。

忌野:でもなんかね、ほんと、小田さんの言った感じってね僕もわかります、最近は。

司会:最近は(笑)

忌野:ほんとね、みんなそれぞれ頑張っているので、会ったときぐらいはね、仲良くしないといけないなぁと。

小田:会ったときくらいは(笑)

司会:じゃあお二人は今年は横のつながりを大切にしたいと。

小田:そうやってまとめるとまたね(笑)そういうことも大事だなと、うん。

司会:それもひとつあると。

小田:そうそう。

司会:ということで今夜はスペシャルゲストとして忌野清志郎さんをお迎えしてお送りしました。

忌野:どうもありがとうございました。

小田:どうもありがとう。

司会:どうも今夜はありがとうございました。



こんなことをお話されていました。
本当に清志郎さんは「僕の贈り物」が好きだったみたいですね。手紙を出したことは覚えていなかったけど、小田さんはそれをずっと覚えていて。なんだかいい話ですね。

 このラジオ放送の、1993年、泉谷しげるが札幌で開いた奥尻島救援ライブ「メッセージソングの日」に、清志郎と小田が参加した。泉谷・桑田佳祐を交えた4人で「春夏秋冬(泉谷しげる)」を歌おうとした時、小田は清志郎の手紙の話に触れた。その時、清志郎は照れながら「僕の贈りもの」の最初の部分を歌っていたそうです。
清志郎の日本酒!? [2013年04月21日(Sun)]
 清志郎の絵がラベルの日本酒がひっそりと発売されている。その名は「KING」熟成酒。今年は5月2日の前後10日間しか予約ができないというレアもの。発売しているのは西久保酒店というお店。大正12年に埼玉県の酒蔵より初代西久保重三が東京府西多摩郡箱根ヶ崎村(現東京都西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎)に西久保屋酒店を開店し今年2013年で90年を迎える老舗です。
こ店の80周年を記念して、2003年に店主の従弟である清志郎氏にラベルデザインを依頼して「記念酒」を造りました。アルバム「KING」と同時発売したものらしいです。
 酒は清志郎氏の母方のルーツをたどり滋賀県の「琵琶の長寿」醸造元池本酒造にお願いしてこの春大吟醸酒を特別に造って頂きました。日本一もろみ日数(醗酵期間)の長いこだわりの酒蔵です。
 清志郎の母「富貴子」の生家、栗原家は豊臣秀吉の家臣で滋賀県の琵琶湖西南岸の大津市堅田に住んでいた。大阪夏の陣(1615年)で落城となり逃げ延びて甲州に一時逗留し、そして武蔵の国富士山村(現東京都西多摩郡瑞穂町駒形富士山)に居住地を決定したとのこと。現在も栗原家には当時の鎧兜などがあるそうですよ。(´▽`)
以上、西久保酒店のウェブサイトより、もうすぐ5月2日です。今年が最後の年になるかも?ご予約はお早めに!
80king_2.jpg

| 次へ
プロフィール

石田達也さんの画像
最新記事
リンク集
http://blog.canpan.info/laputa/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/laputa/index2_0.xml
最新トラックバック