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ぼくの好きな“小林”先生 [2013年04月13日(Sat)]
♪劣等生のこのぼくに すてきな話をしてくれた――忌野清志郎には終生慕う先生がいた。東京都立日野高校で担任だった小林晴雄さんのことだ。RCサクセションの初期のヒット曲「ぼくの好きな先生」のモデルになった先生だ。
 《十八になる私の子供はギターのプロになるのだと申します。私どもには何が何だかわからなくなりました》69年11月のある日、朝日新聞にこんな身の上相談が載った。清志郎の母からの投稿だった。「大学に行っても4年遊ぶんだから、4年は好きなことをやらせてあげましょう」。気をもむ母を説得したのが、この小林先生だった。
高校時代にバンド「Clover」を結成。活動にのめり込み、欠席や遅刻が相次いだ。ただ、美術部顧問で、生徒の話にじっくり耳を傾ける小林先生にひかれ、絵画制作に熱中した。
 「勉強が嫌いだから絵描きになった」という先生は、職員室が嫌いで、美術準備室でいつも一人でたばこを吸っていた。美術部員でもない清志郎さんがショッキングピンクに染め上げた白衣を着て、放課後の美術室で黙々と絵筆を動かしていたのを美術部の後輩が覚えている。
 高校を卒業した70年にプロデビュー。2年後、「ぼくの好きな先生」が入った初アルバムを携えて美術室を訪れた。「先生のことを歌にしたんだ。迷惑でしたか」。先生は「照れくさかったけれど、やっぱりうれしかった」。
 ステージでは、派手な衣装やメークに身を包んでいる清志郎。でも、普段は静かな人。あのお化粧は照れ隠しでしているんだなと思っていたと先生や、同級生たちは思っていたという。 
小林先生と清志郎さんが最後に会ったのは2009年2月、美術部OB展の会場だったという。その時、清志郎と一緒に会場に行ったのが俳優の三浦友和。何と清志郎と三浦友和は、日野高校で同級生。どちらも小林先生が大好きだったという。
 人生を変えるような師に巡り合うってなかなかできない人もいる中で、小林先生は多くの人に影響を与えていたんだなあ…と思います。
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「個展 忌野清志郎の世界」は4月24日(水)より、みやざきアートセンターで開催!前売券絶賛発売中!

写真は東京都立日野高校の校門
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