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「個展 忌野清志郎の世界」いよいよ本日閉幕! [2013年05月26日(Sun)]
 4月26日から開催してまいりました「個展 忌野清志郎の世界」いよいよ本日、閉幕です!この1ヶ月近く、清志郎というアーティストがどんな人だったのか、様々な文献やネットで、だーひょーりじは探してきたんですが、いやあ奥が深い。
 いたずら小僧みたいな面もあり、確信犯的な面も持ち、何といっても豊かな音楽性と感受性、歌と絵と行動と自転車で自らを表現しつつも、やりたいことをやってきた大人としての魅力を改めて思い知らされました。
 動員的には、当初の目標には届かなかったものの、来ていただいたお客様には大変満足頂いております。清志郎の生き様の一挙手一投足に、どんなことを感じるか?人それぞれですが、今、そしてこれからの日本に必要な「何か」が感じられる企画だと自負しております。
 今日で清志郎のことをネットに書き込むのはおそらく最後になりますが、大人として次の世代に何かちゃんとしたものを伝えることは本当に大切なことだと、だーひょーりじは思っています。清志郎が生涯をかけてロックでそれを伝えたように…
 「愛し合ってるかい!」
単純だけど、これが大事。難しいことなんか、いらねぇ。僕たちができること、私たちができること、1人の力は小さいかもしれないけど、みんなで今の社会や仕組みを変えていく動きを忘れてはいけません。
 長い間、清志郎ネタにお付き合いいただいてありがとうございます。未見の方は本日までですので、是非みやざきアートセンターにご来場ください!
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みんなー、ありがとう!愛し合ってるかい!Baby!
反原発と反核 [2013年05月25日(Sat)]
 発売中止問題にまで発展したRCのアルバム「COVERS」の中の「LOVE ME TENDER」は、反原発のソングだと世間では捉えられているが、実はこの歌詞には一言も「原発」という歌詞は出てこない。「核なんかいらね〜」というが、一度も原発(もしくは原子力発電所)という歌詞は出てきていない。
 「COVERS]では「SUMMER TIME BLUES」に続けて「LOVE ME TENDER」が演奏されており、聴く側は、1曲目で「反原発ソングだ!」というイメージが出来上がって、その後の「LOVE ME TENDER」まで反原発をイメージしてしまう。「SUMMER TIME BLUES」のパフォーマンスで先入観を作り上げ、当時のメディアも忌野清志郎を反原発ロックの申し子として騒ぎ立てた。
 この状況を忌野清志郎氏は冷ややかに受け取め、アンサーソングを作っている。そのタイトルはズバリ、「君はLOVE ME TENDERを聴いたか?」だ。この曲は、フルバージョンがCD化されていなかったが、最近になってニコニコ動画にフルバージョンが掲載され話題になっている。この曲がつくられた背景をwikipediaから引用する。
ライブアルバム『コブラの悩み』には、同アルバム中唯一のスタジオ録音である「君は Love Me Tender を聴いたか?」がアルバムラストに曲の冒頭部分のみ収録されている。この曲は、発禁問題を引き起こした「Love Me Tender」に対するセルフ・アンサーソングであるが、核心部分を語ろうとする「あの歌は、反…」という歌詞のところで音声が途切れ終わっている。なお、1988年のクリスマス武道館ライブではこの曲がフルバージョンで披露された。内容は、「反原発ロック」などというレッテルを貼られた曲に対するシンパシーや、たかが一曲の歌ごときにレコード会社やマスコミなどの大企業が政治力まで使い圧力をかけてくることやことほどさように大騒ぎすることの愚かさ、日本の社会の未熟さを皮肉った内容となっている。結局フルバージョンはCD化されていない。

以下がその歌詞

『「君はLOVE ME TENDERをきいたか?」作詞作曲 忌野清志郎

君はLOVEMETENDERをきいたかい 僕が日本語で歌ってる奴さ
あの歌は反原発の歌だって みんな言うけど
違う違う それは違うよ あれは反核の歌じゃないか
よくきいておくれよ 核は要らないって歌ったんだ
それとも原子力発電と核兵器は おんなじ物なのかい
発電所では 核兵器も作ることができるのかな
まさかまさか そんなひどいことしてるわけじゃないよね
灰色のベールのその中で またそんなコトしてるのかな

君は「LOVE ME TENDER」をきいたかい 僕のうたれた替え歌さ
あんなに小さな声で歌ったのに みんなに聞こえちゃったみたい
誤解誤解しないで 彼女へのLOVESONGなのに
反原発ロックなんて そんな音楽があるとは知らなかった
ただのロックじゃないか なんか変だな
レコード会社も、新聞もテレビも雑誌もFMも 馬鹿みたい 何を騒いでたの

清志郎はただ歌いたい歌を歌っていただけ。だけど周りが騒ぎ過ぎちゃう。確信犯としてやっている面もあるが、実は社会が清志郎の歌に踊らされていただけなのかもしれない。
今のJPOPで、心に残る歌がどれだけあるだろう?そんなことを考えてしまう…

そんな清志郎の全てが展示!「個展 忌野清志郎の世界」みやざきアートセンターでいよいよ明日まで!お見逃しなく!
真のグローバル社会とは? [2013年05月24日(Fri)]
 2003年にノンフィクション・ライターの 長谷川昇一さんが、清志郎にインタビューした。デビューから、将来までを清志郎が淡々と語った。

※出典:真っ直ぐ、前をーー
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 その年の4月22日、日本武道館で開催された地球規模の保護・保全を訴える「アースコンシャス・アクト」コンサート。事前の進行段取りを無視して、「海辺にいたらタダで拉致して連れていってくれるよ〜」と叫ぶ、「あこがれの北朝鮮」を、そして、パンク調にアレンジした「君が代」を主催者の反対をも無視して、確信犯で演奏し、放送差し替え騒動を起こしたばかりだった。

「ミュージシャンになりたいっていうのは、早いうちから思ってましたね。昔はオーディションがいっぱいあって、いろいろ受けてたらほとんど受かっちゃうんですよ。で、高校3年の夏休みに東芝音工(現・東芝EMI)からレコードを出せることになって、大学受験をやめたんです。自信? えぇ、ものすごくありましたね。でもね、順調なデビューを果たしたものの、すぐに、“暗黒時代”が訪れたんです。
 最初のアルバムは売れないわ、仕事を干されて3年以上もレコードを出せないわ……。でも、そんなときでも自信はあった。“これ以上稼がないと一人前じゃない”とか、そういうこと考えなかったから。
 高校時代の同級生が大学に行っていたり、就職していることについても、不安やあせりはなかったなぁ。“みんな、普通だな”と思ってた。別に普通でいいのかもしれないけど、僕はイヤだった。50人ぐらいの集団が机を並べてみんなで座っているという状態がホントにイヤだったんですよね。大学もそうだと思ってたし、サラリーマンになっても机がたくさん並んでて、そこにみんなで座ってるのかと思うと、とても、そっちには行きたくなかった」

 先日の武道館の騒動を尋ねると…
「“こんなこと歌ったら、みんなビックリするだろうな。オレだけだろう、こんなこと歌うのは”、そんな喜びが大きいですよね。こないだの『君が代』にしても、狙い通り(笑)。自分のホームページでその経緯を書いたんだけど、僕はいつもの歌を歌っただけなのに。あのホームページはね、わざと冷静なトーンで書いたんだ。
 あそこで怒りをぶちまけると、“忌野、根に持つタイプだな”とか思われるじゃない(笑)。一種の犯行声明? 違う、違う(笑)。
 でもね、問題にしたいのは、FM東京側の言う、『君が代』は電波には乗せない。『あこがれの北朝鮮』は演奏すら認めない、という点。民主国家として、これでいいのかって。事前の打ち合わせで、演奏してはダメだって言うから、“だったら出ません”って言ったんだけど、どうしても忌野清志郎に出てほしいみたいで(笑)。
 だから、別の曲をやるってことにしてね、一応、リハもやったんですよ、納得させるためにね(笑)。演奏中の心境? そりゃ楽しくてしょうがないですよ。
 業界から抹殺される不安? うーん……、婦女暴行とかやんなければ大丈夫かな(笑)」

 この“騒動”を振り返ったとき、それまでの淡々と語っていた、清志郎の顔に初めて、表情のようなものが宿ったという。

話に出てくるホームページ上で、清志郎はこう語っている。
「ファンのみなさん、僕はぜんぜん平気で、何とも思っていません。どうぞ、心配しないでください。また僕のコンサートに来てください。僕はいつでも手を抜いたりしません。君のためにいっしょうけんめい歌うよ」

「なんだか、気恥ずかしいですな(笑)。まぁ、自分ではある程度、そうですね。半分ぐらいは大人だと思っているんですけど(笑)。まぁ、80までには大人になりたいですけどね。今の若者の印象? イヤな感じは全然しないですよ。素直ですよね、みんな。今、若い人も、大人になると楽しいことが終わっちゃうふうに思っている人が多いと思うけど、“そうじゃないんだ”っていうのを、僕は言いたいですね。
 若い頃は、30代、40代に対して、頭が固まっちゃってるというか、“古いな”と思ってましたね。でも、よく見れば、“大人になるのも悪くないな”と思えるような人はたくさんいると思いますよ。
 さっきのFM東京の件にしても、会社の体質っていうのはあるかもしれないけど、社員全体がそういうわけでもないだろうしね」

 「大人」が尻込みしてしまう、反核、反戦、君が代、北朝鮮問題なども、清志郎は「少年」だからこそ、堂々と言えるのだ。「王様は、裸だ!」と。

 それにしても、なぜ清志郎だけが、問題になるのか? なぜ、彼だけが、騒ぎを起こすのか? ジャパニーズ・ラッパーが、いくら挑発的なリリックを並べても、社会を揺るがす一大事にはならない。清志郎の“言葉”はなぜ、そんなに届くのか?

「言葉が届かないっていうことは問題ですよね。いろいろ原因はあると思うんですけど、やっぱり、いちばんはリズムだと思う。リズムのことをしっかり考えないとね。言葉が抜けるようなリズム、声が抜けるような感じ。そこがいちばんだと思いますね」

 インタビューの後半、50問にわたる、一問一答取材を試みた。たとえば、こんな風に。

――“頭のいい人”って、どんな人ですか?
「最後に笑う人でしょうね」
――“バカな人”ってどんな人ですか?
「背伸びしてる人、かな」
――あなたは何のために生まれたのですか?
「生きるためですね」
――日本の好きなところはどこですか?
「温泉がたくさんあるところですかね」
――日本の嫌いなところはどこですか?
「後先考えず、自然を破壊してしまうところ」
――あなたは国のために戦えますか?
「戦えません」
――戦争について、どう思いますか?
「もういいかげんになくなってほしいです」

 そんなやり取りの中で、いかにも“らしい”フレーズがあった。「生まれ変わるなら何人(なにじん)になりたい?」という質問に対して、彼はこう答える。

「何人っていうか、国っていうものがなくなってくれればいいと思いますね。生まれ変わる頃には」

 その理由を聞く。

「国っていうものが、地方都市みたいになっちゃえば、地球っていう、1個のものになると思うんですよね」

 そう答えたあと、ちょっと照れて「国連みたいな考え方って言うんですかね」と笑った。清志郎は、ジョン・レノンの『イマジン』を自ら清志郎流に訳詞して歌っている。最後の質問を投げかける。

――あなたは一体、誰ですか?
「忌野清志郎です」

 国がなくなればいい…ジョン・レノンの「イマジン」と同様、国益で争ったり、経済的にグローバル化を目指す企業が勝ち残るよりも、人間が自然と生きていける社会。争いもなく、平和と愛に満ちた暮らしができる社会。夢みたいな話だと馬鹿にすればできるのだが、それを平然と言ってのける清志郎。こんなオトナが増えることが、本当のグローバル社会っていえるんじゃないだろうか?

「個展 忌野清志郎の世界」5月26日まで、みやざきアートセンターにて開催中! お見逃しなく!
清志郎・大人の対応 番外編〜原発賛成音頭〜 [2013年05月22日(Wed)]
 アルバム「COVERS」で東芝EMIが発売中止にした件で、相当やりあったが、後に清志郎は「原発賛成音頭」という曲を作っている。「サマータイム・ブルース」で反原発の旗手みたいな扱われ方をしているが、反原発の人がこの歌を聞いたらどう思うだろう?少なくとも「原発反対」を高らかに歌っていた人が、180度転換したような内容の歌詞で歌えば、何なんだあいつは?ってなことになるだろう。(ちなみにこの曲はアルバムには収録されていない、ライヴのみ)



原発賛成音頭

さあさ皆さん聞いとくれ  原発賛成音頭だよ
これなら問題ないだろう みんな大好き原子力
それ 原発賛成(原発賛成)

嬉しい原発 楽しいなあ
日本の原発世界一
何に危険はありません みんな仲間さ原子力
それ 原発賛成 (原発賛成)
   原発賛成 (原発賛成)

今日も綺麗な雨が降る 排気ガスなど出やしない
安全第一守ります
最高なんだよ 原子力
それ 原発賛成(原発賛成)
   原発賛成(原発賛成)

賛成:反対の対立からは何も生まれない。押してもダメなら弾いてみな!清志郎からまだまだ学ぶことが多い。
清志郎・大人の対応2 [2013年05月19日(Sun)]
 THE TIMERS で最も有名なお騒がせ事件がこの1989年の「FM東京〜夜のヒットスタジオ事件」。
清志郎は、以前にテレビ番組「夜のヒットスタジオ」でガムを噛みながら登場し、ガムを吐き出したことがあるが、それをさらにエスカレートさせたような事件。
「ヒットスタジオR&N」出演時、リハーサルでやっていた曲「偽善者」を、本番で違う曲にすり替えて演奏したのだ。

♪ FM東京 腐ったラジオ
  FM東京 最低のラジオ
  なんでもかんでも放送禁止さ〜
  FM東京 汚ねえラジオ
  FM東京 政治家の手先
  なんでも勝手に放送禁止さ〜
 謎の覆面ロックバンド(ハッピにサングラス、ヘルメット。時として覆面着用)、忌野清志郎によく似た?ボーカル、ZERRY(画像右)がRCサクセションみたいなバンドとはわけが違うぞという勢いでやってくれました。タイマーズというと、「ヒットスタジオR&N」(よく言われる”夜のヒットスタジオ”ではなく深夜番組)での有名な放送事故、「お○○こ野郎事件」が有名ですが、この原因は、CDの中の「土木作業員ブルース」が、FM東京で放送自粛・また、「谷間のうた」という曲(♪〜甘い香りに誘われて ツボミにそっとキスをする 岸辺の草ムラさわってたら〜♪というもの)を、FM仙台が放送禁止の判断をしていた。それがアノ、世にも恐ろしい「お○○こ野郎事件」に発展する。

FM東京 ざまあみろぃ〜♪。
うーん、言っっちゃいましたね。前にもある女性歌手が、この言葉をTVで言ってしまって問題になりましたが、こんなに何度も、確信犯的に連呼したのは清志郎だけでしょうね。
 TIMERSこのCDは東芝EMIから出てるんですが、前出の反核アルバム「カバーズ」はダメでこれはOK。タイマーズのタイマーって「大麻」なんだとハッキリ歌ってるんですが…


問題の曲は2曲目の「偽善者」2分17秒から始まります。

 で、なんで清志郎が大人の対応かというと2002年に出版された「ブーアの森」という環境絵本。清志郎が絵を描いた絵本ということで当時話題になり、みやざきアートセンターで開催中の「個展 忌野清志郎の世界」でも、その原画が全て展示してあるのですが、問題はこの絵本の出版社がFM東京出版だというのが凄い!ここまでケンカ売っていて是々非々で仕事はやっちゃう!大人の対応ですなぁ。と、だーひょーりじは関心してしまうわけです(^O^)
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絵本「ブーアの森」の表紙

ZERRYのヘルメットも「個展 忌野清志郎の世界」で展示してま〜す!
清志郎・大人の対応1 [2013年05月18日(Sat)]
 清志郎は右でも左でもない。ただ自分の歌いたかったことを歌ってきただけだ…こういう結論にだーひょーりじは達したわけですが、それを裏付けるインタビューが「FMファン」(89年)に掲載されている。

出典「清志郎が教えてくれたこと」より
忌野清志郎「オレは歌で意味が伝わるとは思っていない。伝わるヤツはいるだろうけどさ。わけもわからず踊ってるだけのヤツもいる」
今井智子 「そうすると、一部には伝わるという可能性に賭けるわけですか」
忌野清志郎「そうそう。それと、やっぱり自分が歌いたいというのがある」
と、サラリと語っている。

 そういえば「THE TIMERS」の「デイドリーム・ビリーバー」はセブンイレブンのCMソングとして有名だが、実は最初にこの曲をCMソングに起用したのはエースコックだったのを覚えているだろうか?

 ここで起きたのが「エースコック事件」。エースコック事件食品メーカーエースコックが、CMにTHE TIMERSの「ディドリームビリーバー」を起用した。普通ならクライアントを誹謗することはダブーなはずだが、清志郎はこんな曲をつくりライブで演奏した。

エースコック ぶたぶた 子豚
エースコック お腹がすいたな
でもあんまり食うと 体に毒だぜ
エースコック 化学調味料

やっぱり清志郎は歌いたいことを歌詞にして歌ってたんだと思う。金はもらっても魂は売らないぜ!

         
冬の十字架事件その2 [2013年05月17日(Fri)]
 そんでもってポリドールから発売中止となった「冬の十字架」だったが、結局インディーズ系のレコード会社から販売されることになる。以下が、発売決定を知らせる当時の新聞記事。

パンク風「君が代」発売
1999年9月6日(読売新聞より)

独立系レコードから22日 − 忌野清志郎さん

 ロック歌手、忌野清志郎さん(48)は五日、都内のコンサートで、パンクロック風に編曲した「君が代」を 収録しているという理由で、ポリドールが発売中止としたCDアルバム「冬の十字架」を、独立系レコード会社の スイム・レコーズから、二十二日に発売することを明らかにした。
 このCDは、忌野さんが率いるバンド「リトル・スクリーミング・レビュー」の三枚目のアルバムで、「君が代」 を含め七曲が収録されている。
 忌野さんは、所属事務所を通し、「僕だったら、こんなアレンジで『君が代』を歌うよという一つの提案で、 どこに問題があるのかわからない」とコメントしている。

 ということで、予定通りに発売されることになったわけだが、清志郎は著書「瀕死の双六問屋」の中で、こう書いている。
 「まさか、という感じでしたね。もう情けないっす。業界が。それで、”だめだこりゃ”と思って、インディーズで出そうって。」と言うわけで、SWIM RECORDSから出ました。ジャケは、清志郎の国立の実家だそうです。この著書の中では、何故曲の終わりに「アメリカ国家」が演奏されてるかにも言及してます。「君が代」はまた、次のアルバム「夏の十字架」−ラフィータフィーにも、「君が代 LIVE」として収録されてます。実はこの「夏の十字架」も発売中止にもう少しでなる騒動に…
 『夏の十字架』は、インディーズ商人の実態を揶揄した「ライブ・ハウス」という曲中で暗に批判されたライブハウス・下北沢QUEのオーナーが激怒、同店と系列関係にあるUKプロジェクトの逆鱗に触れインディーズからも販売中止という前代未聞の事態となる。奇しくも、同曲が批判するインディーズ業界の問題点が実証された形となる。同アルバムは、最終的にSWIM RECORDSから発売された。この中の「ライブ・ハウス」という曲が新たな騒動の震源地。この辺のことも「瀕死の双六問屋」に詳しく書かれてます。
 でも清志郎はそんなに反体制派だったのであろうか?発売中止は、周りがあわてて決めたことであって、清志郎は自分が素直に歌いたい歌を歌っているだけのようにしか、だーひょーりじは思えないんだけどねぇ…
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アルバム「冬の十字架」のジャケット

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アルバム「夏の十字架」のジャケット
冬の十字架事件その1 [2013年05月16日(Thu)]
 「冬の十字架」は清志郎が99年、自らが率いるバンド「リトル・スクリーミング・レビュー」で発売した(されるはずだった)アルバム。全7曲、収録時間34分というミニアルバムだが、これが「COVERS」と同じように発売中止になった。「人間のクズ」など名曲が入っているのだが、2曲目に収録されている「君が代」が問題だったのだ。
 今も引きずっている「国歌」と「国旗」の問題。清志郎はその「君が代」をROCKに大胆にアレンジして歌った。それがレコード会社の重鎮たちの怒りを買った。

当時の新聞記事を紹介してみよう

パンク風「君が代」発売中止
読売新聞 1999,8,17

ポリドールが決定 --- 「見解分かれ、一方の側に立てぬ」
忌野清志郎さん憤激 --- 「ロッカーの使命だ。納得できぬ」
 ロック歌手の忌野清志郎さんがポリドールから発売を予定していたアルバムCDが、編曲された「君が代」 を収録しているとの理由で発売中止になったことが十六日、分かった。
 このアルバムは、忌野さん率いるバンド「リトル・スクリーミング・レビュー」の「冬の十字架」。「君が 代」は全七曲のうち二曲目に収められている。歌詞やメロディーは基本的に原曲のままだが、パンクロック 風に大胆に編曲されている。十月発売予定で、既にジャケット写真も出来上がっていた。ところが、最近に なってポリドール側が「君が代」を外してほしいと要望、忌野さん側が拒否したところ、十一日に発売中止 が決まったという。
 忌野さんは、「社会的に関心を呼んでいる『君が代』を歌に反映させるのはロッカーの使命。詩やメロデ ィーに手は加えておらず納得できない」と話している。
 これに対してポリドールの菅谷憲・邦楽制作本部長は、「政治的、社会的に見解が分かれている重要事項に 関して、一方の立場によって立つかのような印象を与える恐れがあり、発表を差し控えた」と説明している。
 忌野さんは十一年前、反核・反原発の姿勢を歌詞に織り込んだレコードが問題視され、東芝EMIからシング ルなどを発売中止にされたことがある。

パンク風「君が代」発売中止
朝日新聞 1999,8,18
忌野さん側「納得できない」
 歌手の忌野清志郎さん(48)が十月十四日に発売を予定していたアルバムCDが、パンクロック版「君が代」 を収録しているという理由で、急きょ発売中止になった。決断を下したポリドールは「見解の分かれている 重要事項に関して一方の立場に立つ印象を与えるおそれもあるため、差し控えるのが適当と判断した」と説 明している。
 このアルバムは忌野さんが率いる「リトル・スクリーミング・レビュー」の「冬の十字架」。「君が代」 は全七曲の二曲目に録音されていた。歌詞やメロディーは原曲を生かしながら、パンクロックに編曲されて いるという。
 忌野さんの音楽事務所によると、国会での国歌・国旗法案審議が大詰めを迎えたころ、ポリドールから「 政治的なものを出したら動く団体があるかもしれない。問題が起きたら乗りきる余裕がない。『君が代』を 抜いた六曲でなら」と言われた。忌野さんが「アルバムとしてのパワーが落ちる」と拒否し、十一日に発売 中止を通告されたという。
 事務所側は「考える材料を提供したいと思った。パンク調にしただけ。納得できない」と反発。自費出版 も検討している。
 忌野さんは、一九八八年にも反原発をテーマにした「ラブ・ミー・テンダー」を、発売中止にされたこと がある。

 と全国紙で読売と朝日が取り上げている。清志郎は何故この曲を入れたかったのか?清志郎は反戦や反核を歌っていたが、何故に「君が代」だったのだろう?

朝日新聞に記事が掲載された同日に行われたイベントで、清志郎はレコード会社に対する不満を爆発させるように「君が代」を歌った。

パンク風「君が代」だゼー
読売新聞 1999,8,18

忌野さん イベントで歌う
 十月発売予定のアルバムにパンクロック風に編曲された「君が代」が収められているとの理由で、ポリド ールから発売中止を通告されたロック歌手の忌野清志郎さん(48)は十七日夜、横浜市港北区の横浜アリーナ で行われたイベント「ピア・ミュージック・ファンデーション・スペシャル」に出演、問題となった「君が代」 を初披露すると共に同社への不満を訴えた。
 計六組の出演者のうち、最後に舞台に登場した忌野さんは「おれをロッカーと知っているなら契約するな 」と同社を批判した後、一曲目に「君が代」を歌った。続く曲でも同社を非難する内容に一部歌詞を変えて 歌い、不満を表していた。


結局、右の方々たちには神聖なる国家をパンク風にして茶化してと文句を言われ、左の方々たちからは、清志郎って反戦や反核を歌ってたけど愛国心の塊じゃんみたいなことを言われることになった。だーひょーりじは、清志郎が自分の持つ才能で、世間に対しボールを彼流の形で投げてみたと感じているんですが?その真意はいったいどこにあるのでしょうか?
不確かなメロディー [2013年05月15日(Wed)]
 清志郎がいろんなユニットを組んで音楽活動を広げていったことは前にも書いたが、2000年〜2001年にラフィータフィーというユニットを結成した。アルバム『ラフィータフィー』製作時のメンバーを中心に結成したバンドでメンバーは清志郎が(ボーカル)、ジョニー・フィンガーズ(キーボード、ギター)藤井裕(ベース)、上原"ユカリ"裕(初代ドラム)、宮川剛(二代目ドラム)、武田真治(サックス) !という面々だ。
※ 武田真治は俳優の武田真治と同一人物。大島渚監督の「御法度」黒沢清監督「回路」の後が参加した時期?「徹子の部屋」で紹介された自転車で東京 - 鹿児島間(1,422km)を10日かけて走り、清志郎らバンドのメンバーと共に鹿児島の温泉に入った。

出典:映画瓦版

 このバンドで全国15箇所のライヴハウスでツアーを行った様子を撮った「不確かなメロディー」というドキュメンタリー映画が存在する。
 映画の中でバンドメンバーも語っているが、清志郎というのはひたすら前だけを見てまったく後ろを振り向かない。RC時代からのファンのために、昔の曲もライブで演奏しますなんてサービス精神はない。どんどんスタイルを変えていく。どんどん新しいことにチャレンジしていく。「RCを再結成してくんないかなぁ」と考えるのファンなんて、当時の清志郎は眼中にない。とにかく今この時間、自分にとって一番歌いたい歌を歌いたいように歌う。その結果古いファンが自分から離れていっても、まったく気にしない。その分、若いファンが新たに清志郎に熱狂するようになる。
 「プロのミュージシャンでもほとんどは流行の音楽に迎合したり、時流の音楽をただなぞっているだけ。自分がやりたい音楽はこれだと言い切れる人は、ほとんどいないんじゃないか」と語ってしまえる清志郎という人は、やっぱりすごい。こういう言葉をさりげなく拾ってこれる映画というのも、ちょっとすごい。この映画はビデオ撮影されているのだけれど、それが、マイクロバスでライブハウスを回るというツアーの規模にぴったりと合っている。武道館ライブをビデオで撮影してキネコしたらショボイ映像にしかならないかもしれないけれど、この映画はこれでいい。武田真治がすごく真面目に音楽活動している様子は、映画ファンにとっても貴重な記録映像だったりする……。

ドキュメンタリー映画「不確かなメロディー」予告編

余談だが、アルバム「ラフィータフィー」の4曲目に収録されている「太陽の当たる場所」(作詞・作曲−忌野清志郎) は、阪本順治監督で原田芳雄の遺作となった映画『大鹿村騒動記』の主題歌に起用された。
清志郎と斉藤和義 [2013年05月14日(Tue)]
 清志郎と斉藤和義(何と宮崎大学のN准教授と同級生という驚愕の事実!)。一見、接点のない二人だが実は一緒に曲を作ろうというところまで話が進んでいながら実現しなかったらしい。
今をときめくアーティストたちに影響を与え続けた清志郎。でも、後輩たちにも威張ることなくシャイな性格だったという。映画「ナニワ・サリバン・ショー」に斎藤が出演した際に受けたインタビューで斎藤はこう語っている。
出典:マイナビニュース

 最初に清志郎に会った時、斉藤は緊張してほとんど話すことができなかったという。緊張しつつも、付き合い、話をしていくなかで印象に残っているシーンを次のように語った。

「こっちが緊張しちゃって、そんなに仲良く喋ったってわけでもないんですけど、ライブイベントの打ち上げでご一緒させてもらったときに、ここには書けないようなブラックジョークをとても言う人で。それがすごい笑えちゃうんです。発売禁止になったCDについて聞いたときは『ああいうのを10年に1回くらいやっといた方が、そのあと人気が続くからいいんだ』とか(笑)。まあ、それも照れ隠しなんでしょうけど。本人が本気でやっていることだったりしても、そういうふうにうまく茶化して話題にしちゃう凄さ。ソウルフルというか、根っからのミュージシャンって感じがしますね。清志郎さんがTVブロスで連載していた『ロックの双六問屋』というコラムが、すごく好きだったんですけど、その双六問屋の中で、僕の似顔絵を清志郎さんが書いてくれて。ちゃんと吹き出しもついていて。それは嬉しい思い出のひとつです」

 結果的に2006年のライブが清志郎との最後の共演になってしまった。今、共演できるならどんな曲がやりたいか?という問いかけに対して、こんな答えが返ってきた。
 「じつは清志郎さんと何度かお話させていただいたときに『今度、ぜひ一緒に曲作りたいですね』って話をしたりしてたんです。清志郎さんも『おう、やろうよ』なんて言ってくれていて。まあ飲んだ席での話だから冗談半分っぽかったけど、一緒に共作して、それを演りたかったっていう気持ちはあります。一度、清志郎さんの『ロックンロール研究所』というスタジオに勇気を振り絞って電話をしたことがあって。『今度遊びに行かせてください!』とお願いすると『おう!いつでも遊びにきてくれたまえよ!』なんて言ってくれて。結局そのときは行けませんでしたが、そこでふたりでガチャガチャ楽器いじりながら遊びたかったですね」
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「ロックの双六問屋」は単行本化される際に「瀕死の双六問屋」にタイトル変更。連載当時ボツになった原稿も採録されている。「個展 忌野清志郎の世界」物販コーナー(物販コーナーのみ入場無料)でご購入できます!
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