じゅらくだい倶楽部の活動展示を行っています(2月16日(火)〜2月26日(金))[2010年02月17日(水)]
「聚楽第」この字をどう読むか知っていますか?じゅらくてい、じゅらくだいともいわれます。
文献にも二通りの読みが記されています。この聚楽第跡と思われる所に住んでいる、歴史好きなメンバーの集りが「じゅらくだい倶楽部」の方々です。
聚楽第は関白になった豊臣秀吉の政庁兼邸宅としてつくられたものです。

「聚楽第」の場所ですが、色々な文献、屏風等から推測すると、本丸は、北は一条通、南は下長者町通、東は大宮通、西は裏門通の範囲と思われます。そして、北の丸、西の丸、南二の丸、外堀を含むと約26万uの広さがあり、その造りは邸宅とも城とも判断がつきません。

実際「聚楽第」の跡だと思われる場所に建てられた石碑や寄贈された庭石は残っているようですが、明確な遺構は残っていないようです。謎の建物、それが聚楽第なのです。
そこで、聚楽第を知るために「じゅらくだい倶楽部」のお話を聞きに来られませんか??
=活動紹介ミニ講演会のお知らせ=
◆2月23日(火)12:00〜12:50
◆府庁NPOパートナーシップセンター(京都府庁旧本館1階)
〜内容〜
「聚楽第」の着工から破却に至る8年間を、年代ごとに当時の記録等を参考に説明します。特に、天正16年の後陽成天皇の聚楽第への行幸を詳しくご紹介したり、楽焼と聚楽第との関係についてもお話するかもしれません。
お話に興味のある方、歴史好きの方は是非お越しください。
京都府庁から近いところに「聚楽第」はあった。若干驚きました。歴史はおもしろです。
文献にも二通りの読みが記されています。この聚楽第跡と思われる所に住んでいる、歴史好きなメンバーの集りが「じゅらくだい倶楽部」の方々です。
聚楽第は関白になった豊臣秀吉の政庁兼邸宅としてつくられたものです。

「聚楽第」の場所ですが、色々な文献、屏風等から推測すると、本丸は、北は一条通、南は下長者町通、東は大宮通、西は裏門通の範囲と思われます。そして、北の丸、西の丸、南二の丸、外堀を含むと約26万uの広さがあり、その造りは邸宅とも城とも判断がつきません。

実際「聚楽第」の跡だと思われる場所に建てられた石碑や寄贈された庭石は残っているようですが、明確な遺構は残っていないようです。謎の建物、それが聚楽第なのです。
そこで、聚楽第を知るために「じゅらくだい倶楽部」のお話を聞きに来られませんか??
=活動紹介ミニ講演会のお知らせ=
◆2月23日(火)12:00〜12:50
◆府庁NPOパートナーシップセンター(京都府庁旧本館1階)
〜内容〜
「聚楽第」の着工から破却に至る8年間を、年代ごとに当時の記録等を参考に説明します。特に、天正16年の後陽成天皇の聚楽第への行幸を詳しくご紹介したり、楽焼と聚楽第との関係についてもお話するかもしれません。
お話に興味のある方、歴史好きの方は是非お越しください。
京都府庁から近いところに「聚楽第」はあった。若干驚きました。歴史はおもしろです。



