平凡に暮らす 2018
[2018年01月03日(Wed)]
希望を胸に、元気に
新年を迎えられたことに感謝しつつ、
本年も よろしくお願いします。
毎年 1月1日に
新しい手帳を開封し、
“今年仕様” に
ゴソゴソと つくりかえているのですが、
その際 目にした言葉がありました。
―― なにか「応急処置」のようなものばかりを、
欲しがってはいないかね?
たった1年でさえ、365日もあるのに。――
( セフティ・マッチ氏の炉辺談話より )
ちょうど、昨年末に
考えていたことがありました。
絵を描いたり
字を書いたり
モノをつくったり、など
一芸に 秀でている
障がいのあるひとを
目にする機会が
増えています。
それ自体は
とても いいことだと思います。
そこに映る
障がいのあるひとだけでなく
そのひとが
そこに至るまでに関わった
さまざまなひとたちの思いを想像すると、
我が事のように
うれしく思うこともあります。
そして、
「 障害を乗り越えて 」
「 共生社会に生きる 」などの言葉とともに、
障がいのあるひとは 皆、
非凡さを持ち合わせていないといけないかのような
空気が、とてもしんどく思うことも増えました。
障がいのあるひとたちは
「 非凡 」でなければならないのか と
思ってしまうことも。
障がいがあるからといって
非凡を目指す必要はないのです。
平凡に暮らすことを目指してもいい。
そこに、
自分の豊かさや幸せがあればいい。
何かに長けていないと意味がないかのような、
平凡に暮らす障がいのあるひとが
何もしていないかのような
捉え方を 社会にしてほしくない。
障がいのあるひとが、いくつになっても
「 応急処置 」のように
そのひとの行動を
なおす、ただす、を繰り返すのではなく、
目の前の障がいのあるひとを
みとめる、そんちょうする、を第一に
長い目でみて観察し、
必要であれば「 支援 」する。
障がいがあっても、
そのひとそのひとに生き方があります。
豊かさや幸せがあれば それでいい。
笑顔で そう思います。
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