現在渡欧中の草津アカデミー事務局長の井阪 紘が、先に亡くなられたヴォルフガング・シュルツ先生の葬儀に参列しました。
本日、13日、11時から Kloisterneuburg で、Wolfgang Schulz の内輪の、家族だけの葬儀が行われました。
奥さんの Ulla Schulz から連絡をもらって、数人の友人が参列する、その一人、Werner Hink の車で、朝、9時半にピックアップしてもらって、参加するように‥。
今日は寒い朝でした。時々小雨が落ちてくる、そんな悲しい一日の始まりでしたが、家族は皆、気丈に悲しみをこらえて、振舞っておられるのが、印象的でした。
ヴォルッフィーとは、1月20日、オーストリア航空で一緒に成田をでて、ウィーンに着いたので、ビジネスラウンジで、前日、藤沢でコンチェルトを吹いた後、腰から下が急に痛み出して、昨夜は一睡もしていない、という話を聴く。とっさに、いつも持ち歩いている「ヴォルタレン」がかばんの中に9錠あるのを思い出し、すべて彼にあげる。機内で飲んで、よく寝るようにと、話をする。ウィーンのシュヴェヒャットでも、明日は病院にすぐ行ってくださいよ、と念を押して別れる。結果を聞きたい、というと22日、Gigerl(1区にある、シュタットホイリゲ)で夕方6時に会おう、と約束。顔を見たのはそれが最後でした。
22日に、朝、電話。体調が割るので、今日の約束はキャンセルと。でも、元気そうないつもの声。数日がたって、24日だと思っているが、正確ではないが、また、電話で、4月末からの Claudio Brizi とのレコーディングは、この体調では出来ないのでキャンセルしてくれる?と。ともかく、7月末までにもとの身体に戻すから、草津には必ず行くから、と。それで、電話を切ったのが、彼との最後の会話となった。
葬儀に身内の人はカメラなど、不謹慎で持参しないだろうと思って、僕は撮れるか、自信が無かったが、小さな RICOH CX-6 。それを持って参加した。御棺から、ヴォルッフィーの顔を拝むことは無かったが、その葬儀の様子を、多くの思い出をお持ちの友人、ファンに、との思い出、写真を少ししか、それも、解らないようにひそかに撮ったもので、変なアングルばかり。
お許しください。
40年にわたる友人が、こんなに、アッと、目の前から消えるとは、人生儚いものですね。
合掌。さよなら、ヴォルッフィー。
Hiroshi ISAKA