白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい [2007年05月02日(水)]
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「白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい」 白川静(監修) 認定NPO法人・文字文化研究所(編) 小山鉄郎(著) 共同通信社 2006年12月20日刊
連休です。積んどいた本を一冊、読み上げました。 監修の白川静先生は、立命館大学の教授を務めた漢字研究の第一人者です。認定NPO法人・文字文化研究所の理事長の時代には、「文字講話」を行い、漢字ブームに火を付けました。おしくも、2006年10月30日に亡くなりました。 著者の小山さんは、元共同通信社の編集委員兼論説委員で、認定NPO法人・文字文化研究所(京都市)の理事です。 生前の白川先生の講話をNHK教育の番組「視点・論点」で見たことがあります。漢字の成り立ちを非常に分かりやすく解説しているご老人程度にしか思っていなかった。お亡くなりになって本屋さんの追悼コーナーに数冊が置いてあり、そこに編集・認定NPO法人と記されていた一冊を手にしました。 一読。 あの番組で、白川先生が漢字は1つ1つ覚えなくてもいい。体系付ければ簡単に覚えられる。戦後の漢字の簡略化により、漢字そのものの生い立ちが分からなくなってしまったと、言われていた。その意味が、分かりすぎるほど、よく分かりました。 例えば「右」と「左」。右の口は、口ではなく、神への祝詞を入れる器「サイ」である。そして、ナは手の形が変化したもの。ようするに、サイを右手に持った形である。サイは右手に持ったのです。 左のエは、エではなく、棒状の呪術の道具である。ナは手の形。ようするに、呪具を左手に持った形である。呪具は左手に持ったのです。 私たちは、学校で、右は口(くち)で左はエ(え)と教えられました。右手にサイ、左手の呪具でおまじないをしている形から、右という字、左という字が生まれたと教えられたら、どんなに分かりやすいことか。おなじないの風景で、そんなのを見た記憶あるでしょう。 同様に巫という字は、人人の部分が左右の手、エの部分が呪具。左右の手で、呪具であるエを奉じている形である。非常に分かりやすい。 右と左で「ナ」の書き順が違うのも、何となく納得できるし。右を左より優れたものとする意味も、祝詞を入れる器「サイ」を献じる手と見ればこそ納得できるのです。 白川先生の最大の功績は、口は耳口の口ではなく、「サイ」であることを大量の古代文字の分析から発見したことにある。告、史、辞、事、これらの口は、全てサイであり、神とのつながりの中から生まれた字です。 器の大は旧字では、犬であり、四つのサイの真ん中に犬を置いた字であり、犬は清めのための生け贄を表している。器とは儀礼の時に使用される、清められた「うつわ」が元の意味です。 もともと人の正面からの形を表す「大」と区別するために、犬の耳を表す「、」が付けられたのに、その「、」を戦後の漢字改革の中で取ってしまったから意味が分からなくなってしまった。 戻、突、臭、もその1つ。その中で、嗅、獄、献、伏、黙、状は犬のままです。就に至っては犬が崩れています。臭には点がなく、嗅には点がある、同じ「におい系」でおかしいと思いませんか。 白川先生は、こうした一貫性のない漢字改革に真っ向から反対していました。「誤りを正当として生きなければならないという時代を、私は恥ずべきことだと思う」と白川先生は著書「字統」の中で書かれ。著者の小山さんも同感しています。黒澤も同感します。 認定NPO法人・文字文化研究所さん、頑張ってください。 ![]() ![]() |
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