アメリカの心理学者であるA.マズローが、自己実現理論を唱え、以後の教育界に大きな影響を与え続けている。
マズローは「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」という仮説を立て、そこに至るまで、欠乏欲求と呼ばれる下位の欲求を満たしながら成長するという。
また「人は元来自己実現に向かう性質があり、それは本能である」とし、「その環境をつくることが即ちカウンセリングである」としたのが、同じくアメリカの心理学者カール・ロジャーズである。
この説は非常に的を射た理論で(人口に膾炙しすぎて誤解も多いが)、わかりやすく、多くの場面で指針となり得るように思う。
自然学校の目指す「人づくり」も、「自己実現的人間を作ること」と言い換えて差し支えないだろう。
しかし、経済的にも社会的にも厳しい時代と言われる現代において、ただやみくもに「自己実現」と言われても、プレッシャーにしか感じられない層が少なからずいるのが現実ではないだろうか。
不登校やひきこもりという現象は、自己実現に向かえないからこそ陥っている状態であるとも言える。
最終的な目標は「自己実現」であるにせよ、マズローの欲求段階説通りに、所属と愛に飢えている人には寄り添い、低次の承認を欲している人は褒めてあげる、ということが必要ではないかといつも考え続けている。
その見極めと対応こそが耕英寮の肝だとも感じている。
「自己実現」とは、自己に潜在する能力を最大限に引き出すことである。
ロジャーズの言うように、人間は一己一己がユニークな存在であり、それぞれの自己実現がある。普遍的にこれで良しというのがあり得ない。
だからこそ難しく、それだけに面白味もあり、そして何よりその子が楽しそうに何かに取り組み始めた時、疲れや迷いがいっぺんに吹き飛ぶほどの喜びを感じる。
S君は中断していた書道を再開した。
今朝は散歩の時に雪で滑ったボランティアさんを見て、自発的にスコップで階段を作っていた。
これがむらなく継続的にできたら、彼はもうどこへ行っても大丈夫という気がする。
いくぞう
2013年01月23日
2013年01月06日
帰省
私の実家は秋田県の横手市というところだ。
ここは豪雪地帯で、耕英よりも多い雪が降る。帰省ても雪だらけ。
帰りは吹雪で車の運転が怖いくらいだった。
太平洋側へ抜けたらだいぶ穏やかになり、松倉校の近くはご覧のように美しい里山の姿も見えた。
ただし、耕英に戻るとまた日本海側の天気。
ここは宮城よりも、秋田の天気に近い。
さて、本日は帰省していた寄宿生が1名戻った。
「自分の課題としっかり向き合いたい」と、頼もしい発言をしてくれた。
なんだかずいぶん成長したような気がする。親御さんも、だいぶ落ち着いたようだと仰っていた。
戻るなり厳しい寒さで大変だろうが、ここの冬を乗り切れたのなら、それだけで大きく成長するような気がする。
遠い春を待ち望むのもまた、楽しいものであるということを感じてほしい。
いくぞう
ここは豪雪地帯で、耕英よりも多い雪が降る。帰省ても雪だらけ。
帰りは吹雪で車の運転が怖いくらいだった。
太平洋側へ抜けたらだいぶ穏やかになり、松倉校の近くはご覧のように美しい里山の姿も見えた。
ただし、耕英に戻るとまた日本海側の天気。
ここは宮城よりも、秋田の天気に近い。
さて、本日は帰省していた寄宿生が1名戻った。
「自分の課題としっかり向き合いたい」と、頼もしい発言をしてくれた。
なんだかずいぶん成長したような気がする。親御さんも、だいぶ落ち着いたようだと仰っていた。
戻るなり厳しい寒さで大変だろうが、ここの冬を乗り切れたのなら、それだけで大きく成長するような気がする。
遠い春を待ち望むのもまた、楽しいものであるということを感じてほしい。
いくぞう
2012年12月05日
耕英寮facebookページを作りました
耕英寮のfacebookページを作りましたのでご覧ください。
http://www.facebook.com/Kurikomakoueiryo
facebookでは日常の出来事を、ブログでは活動理念や教育方針などを交えた記事を書いていこうと思います。
ブログのほうも引き続きよろしくお願いいたします。
いくぞう
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facebookでは日常の出来事を、ブログでは活動理念や教育方針などを交えた記事を書いていこうと思います。
ブログのほうも引き続きよろしくお願いいたします。
いくぞう
2012年11月20日
卒寮
立て続けに寄宿生2名が卒寮した。
4か月ほど滞在したH君と、半年滞在したらいくんだ。
お別れということで、アーチェリー大会を行った。
H君は少しずつだが確実に成長したと思う。
まだまだここにいてできることもあったと思う面もあるが、行き詰ったり迷ったりしたらここでの生活を思い出してほしいと思う。
らいくんは本当に見違えた。
背も伸びて、私が追い越されそうな勢い。
やり残した「冬山に登る」のと「スノーシュートレッキング」に参加するために冬にまた来ることを約束してくれた。
どこまでが自然な成長で、どこまで私たちがアシストできたのか。どこまで仲間である他の寄宿生との関わりで成長したのか。
それをはっきりさせるのは不可能だろう。おそらくそれぞれが相互作用的に働いて、彼らを成長させてくれたのだろう。
何年か経って、更に成長した姿を見せてくれることを楽しみにしたいと思う。
さて、耕英では18日に雪が降った。
今現在もちらちら降っているが、この時期こんなに積もるとは思ってもいなかった。
子どもたちは元気に雪でボールを作り、野球をしていた。
厳しい耕英の冬を越せそうかな?
いくぞう
4か月ほど滞在したH君と、半年滞在したらいくんだ。
お別れということで、アーチェリー大会を行った。
H君は少しずつだが確実に成長したと思う。
まだまだここにいてできることもあったと思う面もあるが、行き詰ったり迷ったりしたらここでの生活を思い出してほしいと思う。
らいくんは本当に見違えた。
背も伸びて、私が追い越されそうな勢い。
やり残した「冬山に登る」のと「スノーシュートレッキング」に参加するために冬にまた来ることを約束してくれた。
どこまでが自然な成長で、どこまで私たちがアシストできたのか。どこまで仲間である他の寄宿生との関わりで成長したのか。
それをはっきりさせるのは不可能だろう。おそらくそれぞれが相互作用的に働いて、彼らを成長させてくれたのだろう。
何年か経って、更に成長した姿を見せてくれることを楽しみにしたいと思う。
さて、耕英では18日に雪が降った。
今現在もちらちら降っているが、この時期こんなに積もるとは思ってもいなかった。
子どもたちは元気に雪でボールを作り、野球をしていた。
厳しい耕英の冬を越せそうかな?
いくぞう
2012年11月13日
動物たちも冬支度?
2012年11月11日
大根の季節
ドイツからウーフの制度を使って来てくださっていたフランキーが、昨日大阪に旅立った。
真面目な顔でジョークを言う非常に楽しい方で、「小学生も自分のような年配者も同等に意見を言い合える自然学校の民主主義は素晴らしい」と仰っていただいた。
サドベリバレースクールのような民主主義をと常々思っているので、この言葉はとてもうれしかった。
さて、耕英は大根の季節である。
近所の農家さんより規格外のものなどを大量にいただける。
そのまま食べたり、切り干し大根などの保存食にしたり、状態が比較的悪いものは家畜のえさにしたり・・・
さまざまな用途で使わせていただいている。
寄宿生と一緒に洗って干して切ってと、5,60本の大根を処理した。
この週末は普段森のようちえんに参加してくれている方が遊びに来てくれた。
かわいらしい耕英寮生をパチリ
食器洗いがいつの間にか洗顔になっていた。
いくぞう
真面目な顔でジョークを言う非常に楽しい方で、「小学生も自分のような年配者も同等に意見を言い合える自然学校の民主主義は素晴らしい」と仰っていただいた。
サドベリバレースクールのような民主主義をと常々思っているので、この言葉はとてもうれしかった。
さて、耕英は大根の季節である。
近所の農家さんより規格外のものなどを大量にいただける。
そのまま食べたり、切り干し大根などの保存食にしたり、状態が比較的悪いものは家畜のえさにしたり・・・
さまざまな用途で使わせていただいている。
寄宿生と一緒に洗って干して切ってと、5,60本の大根を処理した。
この週末は普段森のようちえんに参加してくれている方が遊びに来てくれた。
かわいらしい耕英寮生をパチリ
食器洗いがいつの間にか洗顔になっていた。
いくぞう
2012年11月07日
遅い稲刈り
2012年11月02日
冒険ウォーク2012秋・リベンジ編 最終日
10月26日
深夜2時ころ須川到着。すでに到着していたメンバーは車で仮眠をとっていた。
私もしばし休憩。
4時半ころ起きて準備をし、5時にスタート。
最後はまたくりこま山を越えて自然学校へと戻る。
相変わらず風は強かったが、晴れていて気持ちがいい。
いわかがみ平に着くころには気温も上がり、上着を脱がなければ暑いくらいだった。
戻ったら、残った寄宿生やスタッフやボランティアさんたちが、パーティーの準備をして待っていてくれた。
あんなに苦労したのに、戻り時間はほぼ予定通りの12時半だった。不思議なものだ。
今回の経験がどう生きるか。それは誰にもわからない。
何か困難なことに遭遇した時に、あの時頑張ったという記憶がエネルギーとなって支えてくれるであろうことを願わずにはいられない。
「なぜわざわざつらいことをやるのか」と言ったSくんは、振り返りで「あきらめなければ楽しいこともある」と言っていた。
つらい時にその気持ちを思い出せればいいなと思う。
「歩く」という単純な行為に、その人の人間性が如実に現れると感じた。
今回の反省点を生かし、来年度以降も継続して行いたいと考えている。
それまでに私が解決しなくてはならない課題は「リスクと冒険の判断基準を明確に持つ」ことだろう。
具体策を講じて前進したい。
いくぞう
深夜2時ころ須川到着。すでに到着していたメンバーは車で仮眠をとっていた。
私もしばし休憩。
4時半ころ起きて準備をし、5時にスタート。
最後はまたくりこま山を越えて自然学校へと戻る。
相変わらず風は強かったが、晴れていて気持ちがいい。
いわかがみ平に着くころには気温も上がり、上着を脱がなければ暑いくらいだった。
戻ったら、残った寄宿生やスタッフやボランティアさんたちが、パーティーの準備をして待っていてくれた。
あんなに苦労したのに、戻り時間はほぼ予定通りの12時半だった。不思議なものだ。
今回の経験がどう生きるか。それは誰にもわからない。
何か困難なことに遭遇した時に、あの時頑張ったという記憶がエネルギーとなって支えてくれるであろうことを願わずにはいられない。
「なぜわざわざつらいことをやるのか」と言ったSくんは、振り返りで「あきらめなければ楽しいこともある」と言っていた。
つらい時にその気持ちを思い出せればいいなと思う。
「歩く」という単純な行為に、その人の人間性が如実に現れると感じた。
今回の反省点を生かし、来年度以降も継続して行いたいと考えている。
それまでに私が解決しなくてはならない課題は「リスクと冒険の判断基準を明確に持つ」ことだろう。
具体策を講じて前進したい。
いくぞう
2012年11月01日
冒険ウォーク2012秋・リベンジ編 2日目
10月25日
朝1時起床。相変わらずの天気でやはり寒い。
1時半出発予定だったが、士気が上がらず1時間遅れの2時半出発となった。
2日目の宿泊地でテントを張るのは、このスケジュール・気候ではつらいだろうというつかちゃんの判断で、サポートカーを出してもらい不要な荷物を預けた。夜はサポートカーで車中泊に変更したのだ。荷物の重さが半分以下となり、背中に羽が生えたようだ。なんともありがたい。
そして1日目で離脱したS君もこの便で合流した。頭痛は完全回復し、最後まで歩ききろうという気持ちになっているようだ。
この日の行程はかなり厳しい。昨日も厳しかったが、この日は45キロほど歩かなければならず、そればかりか川原毛までの道は上り基調である。
案の定、「足が痛い」しか言わなくなっているH君のペースが遅い。歩き始めだけかと思ったが一向にペースがあがならい。時速にして1キロくらいだろうか、このペースではどこかでもう1泊しなければ自然学校に帰れなくなってしまう。
一度みんなを止めて話し合いの場を作った。どうするのか…
H君はあきらめるつもりはさらさらない。こだわりが強くて曲がったことが嫌いなH君は、それが短所だが長所でもあるのだ。弱音を吐きながらも、決してあきらめようとしない気持ちに心を打たれた。
誰からも案が出ない中、合流したばかりのS君から「ここから引き返そう」という意見が…
それだけはない。ヒマラヤの8000メートル級を登っているのならともかく、今回はたとえ途中で歩けなくなっても、前進あるのみなのだ。立ち止まってもいいしどんなにスローでもいい。しかし後退だけは論外である。
結局誰からも案が出なかったため、また2班に分かれて進むことにした。
あきらんとらいくん、S君、K君の班、そして私とH君の班である。
2歩歩いては立ち止まるH君に肩を貸しながら歩く。いつもはあまのじゃくなH君が、素直に頼ってくるのがなんとも愛くるしい。
ペースは一向に上がらないが、一生懸命歩き続ける。時速は変わらず1キロ。川原毛まではなんとしても連れて行って、あとはその時考えようと漠然と考えていた。
川原毛までの道の途中、あきらんたちとすれ違った。
もっと距離が離れているかと思ったのだが、らいくんの足の調子もよくないようでペースが落ちているようだ。そこまでの差はない。それでも距離にして15キロくらいは離れていたと思う。
最年少のK君が一番元気で、その笑顔に癒される。
お互いの健闘を誓い、私とH君は再び歩き始めた。
近くにいると弱音が出てくるようになってきたので、100メートルくらいの間隔を保ちながら先行して歩く。少し歩いては立ち止まり、それでも決して歩みを止めようとしないH君に、もはや何も言う必要はなかった。
川原毛に到着してこの疲れているけれど穏やかな顔。本当によく頑張った。
「足の痛みは治まらないが、もう慣れた」とH君。下りはわずか2時間で下まで。スタートから川原下までは14時間かかったから、この異常に早いペースは完全復活を思わせた。
小安温泉郷を越え、桂橋にさしかかる手前でつかちゃんがパンやおにぎりを持って来てくれた。本当にありがたい。
しかしその直後、H君のペースががくっと落ちる。徐々に立ち止まる回数が多くなり、長くなり、ついには一歩も動けなくなってしまった。
「足が痛い。もう歩けない」
あんなに頑張っていた彼がこう言うのだから、本当に限界なのだろう。下りでの異常とも言えるペースを抑えるべきだったのだろうか。
つかちゃんに引き返してもらい車で回収。無念のリアイヤとなった。
私はひとりで歩くのを再開。歩くのは好きだ。
私が歩くとき必ず思い出すのは、数年前のクルム伊達公子の試合である。
招待選手としてウィンブルドンに出場した彼女は、当時世界ランク1桁の選手相手に1セットアップ。パワーテニス全盛の時代に、持てる経験とテクニックを駆使して老獪に戦ってみせたのだ。
この試合は結局、彼女が途中で足を痛めて逆転され、最後はボロボロになって負かされた。
しかしこの熱い試合は、多くの人に勇気や元気を与えてくれたと思う。私もこの試合のことを思い出すたびに、胸が熱くなる。
今回は寮生たちの頑張りも思い返しながら、須川までの残りの12キロほどをハイペースで歩いた。
いくぞう
朝1時起床。相変わらずの天気でやはり寒い。
1時半出発予定だったが、士気が上がらず1時間遅れの2時半出発となった。
2日目の宿泊地でテントを張るのは、このスケジュール・気候ではつらいだろうというつかちゃんの判断で、サポートカーを出してもらい不要な荷物を預けた。夜はサポートカーで車中泊に変更したのだ。荷物の重さが半分以下となり、背中に羽が生えたようだ。なんともありがたい。
そして1日目で離脱したS君もこの便で合流した。頭痛は完全回復し、最後まで歩ききろうという気持ちになっているようだ。
この日の行程はかなり厳しい。昨日も厳しかったが、この日は45キロほど歩かなければならず、そればかりか川原毛までの道は上り基調である。
案の定、「足が痛い」しか言わなくなっているH君のペースが遅い。歩き始めだけかと思ったが一向にペースがあがならい。時速にして1キロくらいだろうか、このペースではどこかでもう1泊しなければ自然学校に帰れなくなってしまう。
一度みんなを止めて話し合いの場を作った。どうするのか…
H君はあきらめるつもりはさらさらない。こだわりが強くて曲がったことが嫌いなH君は、それが短所だが長所でもあるのだ。弱音を吐きながらも、決してあきらめようとしない気持ちに心を打たれた。
誰からも案が出ない中、合流したばかりのS君から「ここから引き返そう」という意見が…
それだけはない。ヒマラヤの8000メートル級を登っているのならともかく、今回はたとえ途中で歩けなくなっても、前進あるのみなのだ。立ち止まってもいいしどんなにスローでもいい。しかし後退だけは論外である。
結局誰からも案が出なかったため、また2班に分かれて進むことにした。
あきらんとらいくん、S君、K君の班、そして私とH君の班である。
2歩歩いては立ち止まるH君に肩を貸しながら歩く。いつもはあまのじゃくなH君が、素直に頼ってくるのがなんとも愛くるしい。
ペースは一向に上がらないが、一生懸命歩き続ける。時速は変わらず1キロ。川原毛まではなんとしても連れて行って、あとはその時考えようと漠然と考えていた。
川原毛までの道の途中、あきらんたちとすれ違った。
もっと距離が離れているかと思ったのだが、らいくんの足の調子もよくないようでペースが落ちているようだ。そこまでの差はない。それでも距離にして15キロくらいは離れていたと思う。
最年少のK君が一番元気で、その笑顔に癒される。
お互いの健闘を誓い、私とH君は再び歩き始めた。
近くにいると弱音が出てくるようになってきたので、100メートルくらいの間隔を保ちながら先行して歩く。少し歩いては立ち止まり、それでも決して歩みを止めようとしないH君に、もはや何も言う必要はなかった。
川原毛に到着してこの疲れているけれど穏やかな顔。本当によく頑張った。
「足の痛みは治まらないが、もう慣れた」とH君。下りはわずか2時間で下まで。スタートから川原下までは14時間かかったから、この異常に早いペースは完全復活を思わせた。
小安温泉郷を越え、桂橋にさしかかる手前でつかちゃんがパンやおにぎりを持って来てくれた。本当にありがたい。
しかしその直後、H君のペースががくっと落ちる。徐々に立ち止まる回数が多くなり、長くなり、ついには一歩も動けなくなってしまった。
「足が痛い。もう歩けない」
あんなに頑張っていた彼がこう言うのだから、本当に限界なのだろう。下りでの異常とも言えるペースを抑えるべきだったのだろうか。
つかちゃんに引き返してもらい車で回収。無念のリアイヤとなった。
私はひとりで歩くのを再開。歩くのは好きだ。
私が歩くとき必ず思い出すのは、数年前のクルム伊達公子の試合である。
招待選手としてウィンブルドンに出場した彼女は、当時世界ランク1桁の選手相手に1セットアップ。パワーテニス全盛の時代に、持てる経験とテクニックを駆使して老獪に戦ってみせたのだ。
この試合は結局、彼女が途中で足を痛めて逆転され、最後はボロボロになって負かされた。
しかしこの熱い試合は、多くの人に勇気や元気を与えてくれたと思う。私もこの試合のことを思い出すたびに、胸が熱くなる。
今回は寮生たちの頑張りも思い返しながら、須川までの残りの12キロほどをハイペースで歩いた。
いくぞう
2012年10月27日
冒険ウォーク2012秋・リベンジ編 前日〜1日目
冒険ウォークリベンジ!
寮生から思いもよらないチャレンジブルなやり直し案を受け、嬉しい反面とても不安・心配になった。時期が遅れればそれだけ条件が悪くなる。山の季節はもう晩秋なのだ。
10月23日
案の定出発当日は前線が通過し、大荒れの天候となった。
こういう時の経験や知識の薄い私は、冒険とリスクマネジメントの境界が難しくかなり迷った。安全第一は当然だが、つらいことや多少の危険がなくては冒険とは言えないからだ。
最終的には代表判断でやむなく1日延期となった。
前回も私の見立てが甘く、途中でリタイアさせてしまったと反省している。安易に「次がある」と考えていたが、こうなってくるとそれも危うい。今回行けなければもう山越えは危険すぎてできないだろう。せっかくの「同じ道を行きたい」という寮生の希望を曲げて、コース変更をしなければならなくなる。
それに前回参加できたT君が、学校の都合で今回は来られなかった。
彼にもぜひつらいことをやり遂げて自信にしてほしかったから、とても申し訳ないことをしてしまった。
しかし後悔ばかりもしていられない。1日ずらして出発することに決めた。
メンバーは、私、スタッフのあきらん、らいくん、S君、H君、K君の6名。年齢にバラツキがあってペース配分に苦慮することになりそうだ。
10月24日。
前線は抜けたが寒気が入って恐ろしく寒い。風も強く雨も降っている。
朝の4時15分ころ、いわかがみ平からスタートした。
一番年下のK君はまだ5年生。彼にとってはのっけから厳しい登山となった。
5合目あたりからだろうか、雪が見え始め、山頂付近はご覧の有様だ。
須川に抜けてからS君が頭痛を訴え、私の携帯電話は不具合で起動せず…
トラブルだらけだが進むしかない。
S君は激しい頭痛のため、耕英に残ったスタッフにサポートカーを出してもらった。
「それでも歩きたい」というのを止めた末なら良いのだが、車で休んで回復を待つという案にも首を横に振るばかり。
「ここでリタイアしたら腰抜けと言われるよ」とゆさぶっても無理だと言う。
時間的にも切迫してきたため、やむなく彼を残してとことん山キャンプ場へ出発した。
順調に歩いていたが、H君が足の痛みを訴えペースが落ちる。
2班に分かれてそれぞれのペースで歩くことにし、予定よりかなり遅れてキャンプ場へ到着した。
簡単な調理をして遅い夕食。ここのキャンプ場にはお風呂があるので、疲れた体を癒した。
K君は見るからに疲れている。
らいくんは元気だが、出発前からひざの痛みを訴えている。
H君の足の痛みは深刻で、もはや「足が痛い」しか言わなくなってしまった。
不安要素しかないと言っても良い。いつ、誰がリタイアしてもおかしくない状況だ。
テントを張って就寝。
予定では昼過ぎに到着し、夕方には寝て、深夜1時に川原毛地獄に発つはずだった。
出発時間を変更すると、その後の日程ががぜん厳しくなる。今日のペースを考えてもこの深夜1時という時間は遅らせることができない。子どもたちは3,4時間しか眠ることができない。
つらいだろうが、心を鬼にして起床時間を告げた。
いくぞう
寮生から思いもよらないチャレンジブルなやり直し案を受け、嬉しい反面とても不安・心配になった。時期が遅れればそれだけ条件が悪くなる。山の季節はもう晩秋なのだ。
10月23日
案の定出発当日は前線が通過し、大荒れの天候となった。
こういう時の経験や知識の薄い私は、冒険とリスクマネジメントの境界が難しくかなり迷った。安全第一は当然だが、つらいことや多少の危険がなくては冒険とは言えないからだ。
最終的には代表判断でやむなく1日延期となった。
前回も私の見立てが甘く、途中でリタイアさせてしまったと反省している。安易に「次がある」と考えていたが、こうなってくるとそれも危うい。今回行けなければもう山越えは危険すぎてできないだろう。せっかくの「同じ道を行きたい」という寮生の希望を曲げて、コース変更をしなければならなくなる。
それに前回参加できたT君が、学校の都合で今回は来られなかった。
彼にもぜひつらいことをやり遂げて自信にしてほしかったから、とても申し訳ないことをしてしまった。
しかし後悔ばかりもしていられない。1日ずらして出発することに決めた。
メンバーは、私、スタッフのあきらん、らいくん、S君、H君、K君の6名。年齢にバラツキがあってペース配分に苦慮することになりそうだ。
10月24日。
前線は抜けたが寒気が入って恐ろしく寒い。風も強く雨も降っている。
朝の4時15分ころ、いわかがみ平からスタートした。
一番年下のK君はまだ5年生。彼にとってはのっけから厳しい登山となった。
5合目あたりからだろうか、雪が見え始め、山頂付近はご覧の有様だ。
須川に抜けてからS君が頭痛を訴え、私の携帯電話は不具合で起動せず…
トラブルだらけだが進むしかない。
S君は激しい頭痛のため、耕英に残ったスタッフにサポートカーを出してもらった。
「それでも歩きたい」というのを止めた末なら良いのだが、車で休んで回復を待つという案にも首を横に振るばかり。
「ここでリタイアしたら腰抜けと言われるよ」とゆさぶっても無理だと言う。
時間的にも切迫してきたため、やむなく彼を残してとことん山キャンプ場へ出発した。
順調に歩いていたが、H君が足の痛みを訴えペースが落ちる。
2班に分かれてそれぞれのペースで歩くことにし、予定よりかなり遅れてキャンプ場へ到着した。
簡単な調理をして遅い夕食。ここのキャンプ場にはお風呂があるので、疲れた体を癒した。
K君は見るからに疲れている。
らいくんは元気だが、出発前からひざの痛みを訴えている。
H君の足の痛みは深刻で、もはや「足が痛い」しか言わなくなってしまった。
不安要素しかないと言っても良い。いつ、誰がリタイアしてもおかしくない状況だ。
テントを張って就寝。
予定では昼過ぎに到着し、夕方には寝て、深夜1時に川原毛地獄に発つはずだった。
出発時間を変更すると、その後の日程ががぜん厳しくなる。今日のペースを考えてもこの深夜1時という時間は遅らせることができない。子どもたちは3,4時間しか眠ることができない。
つらいだろうが、心を鬼にして起床時間を告げた。
いくぞう