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下関地区文化遺産調査(その2) [2016年11月25日(Fri)]
こんにちは。交通文化振興財団 事務局です。
前回に引き続き下関地区調査の様子をご紹介します

下関駅からバスで唐戸市場へ移動し、「旧内務省下関土木出張所下関機械工場乾船渠」へ赴きました。1914(大正3)年に建造されたドックで、主に関門海峡でしゅんせつ作業をする船の整備等に使用されました。下関市の有形文化財に指定されています。
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唐戸市場の立体駐車場の隣にあります
柵越しではありましたが、その姿と現況を確認することができました。現在、水抜きの作業が行われており、上部から3段目までが露出した状態でした。
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柵に囲まれています

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水抜き作業中でした

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全景
 

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機器類も残されています

現存では日本最古級のコンクリート造の乾船渠であり、関門海峡整備の歴史遺産であることから適切な形での保存が望まれます。
   
唐戸桟橋から船に乗って対岸の門司港へ。約5分の短い船旅でしたが、潮流信号や行き交う船舶などの見所があります。
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様々な船が行き交います

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「潮流信号」4は潮の速さが4ノットを表します


門司港到着後、「旧大連航路上屋」へ。こちらは、1929(昭和4)年に、「門司税関1号上屋」として建設され、国際旅客ターミナルとして使用された建物です。中国大連との往来の拠点であったため、「大連航路上屋」と呼ばれるようになりました。現在は、展示室やホールなどを備えた施設として整備されていますが、入り口や階段、2階のコリドーなどに往時の面影を残しています。
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外観(玄関側)

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外観(コリドー側)

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階段の装飾

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2階のコリドー


現在の「旧大連航路上屋」は海から離れていますが、かつては建物の10m先は海でした。海から離れた場所に残された繋船柱がその事実を物語っています。
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「旧大連航路上屋」の隣にある門司港湾合同庁舎敷地内には今もレール敷が残されています。このレールは、船と上屋の2階をつなぐ門型の移動デッキのためのもので、本来は上屋の前まで続いていました。乗船客はこのデッキを渡って上屋の2階より船に乗り込みました。
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この「旧大連航路上屋」ですが、当初の役目を終えたのちは倉庫などとして使用されていたようです。平成18年より改修工事が進められ、現在の利用に合わせた整備がなされると同時に、歴史を感じさせる装飾は可能な限り原形のままで保存・修復されました。なお、整備の様子は上屋内においてパネルで紹介されています。
  
その他、旧大阪商船ビルや門司港駅構内の関門連絡船連絡通路跡、小森江駅付近の関門トンネル立坑跡などにも立ち寄り、小倉から大阪へと戻りました。
   
後日、当財団が所蔵している資料を整理していると、ふと一枚の古い絵葉書が目に留まりました。門司港の「郵船ビルヂイング」。現在の「門司郵船ビル」です。数日前に目の当たりにした、建物と意外な形での再会となりました。
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郵船ビルヂイング絵葉書


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現在の門司郵船ビル
Posted by 交通文化振興財団事務局 at 16:44 | 文化遺産調査 | この記事のURL