祖父の生きた道[2018年09月24日(Mon)]
何年も前に亡くなったじーちゃんのことを、知らないなと思う今日この頃。
いや、亡くなったばーちゃんのことも知らない。
いやまて、なくなった両方のじーちゃんばーちゃんのこと、私はよく知らない。
もっと知りたい。
私にとって、父方の祖父は「種田山頭火みたいな人」。
あちこちへ行って、いろんな働き方をした。
だから父は、外国で生まれた。
私の見る限りでは、働いているのを見たことがない。
(だってまぁ、昔は退職年齢早かったもんね。)
私が小学生だった頃、最寄り駅から家まで歩いて&突然やって来た。
今検索したら、小一時間はかかる距離だ。
お客さんの来ない家だったから、よく覚えてる。
「もし留守じゃったら、一体どうしたんじゃろう」と子どもながらに思った。
何回か、私に手紙をくれた。
詩のような、祭りのことが書かれたような手紙。
急に、サンゴのネックレスをくれた。
そういえば、私の父も、息子に急に水晶をくれたなぁ(笑)
設計士だったという祖父。
塩田で働いた時もあった祖父。
父に、母に、伯母に、聞いてみよう。じーちゃんのこと。
これ、記録することが好きな孫(私)の使命かもね。
いや、亡くなったばーちゃんのことも知らない。
いやまて、なくなった両方のじーちゃんばーちゃんのこと、私はよく知らない。
もっと知りたい。
私にとって、父方の祖父は「種田山頭火みたいな人」。
あちこちへ行って、いろんな働き方をした。
だから父は、外国で生まれた。
私の見る限りでは、働いているのを見たことがない。
(だってまぁ、昔は退職年齢早かったもんね。)
私が小学生だった頃、最寄り駅から家まで歩いて&突然やって来た。
今検索したら、小一時間はかかる距離だ。
お客さんの来ない家だったから、よく覚えてる。
「もし留守じゃったら、一体どうしたんじゃろう」と子どもながらに思った。
何回か、私に手紙をくれた。
詩のような、祭りのことが書かれたような手紙。
急に、サンゴのネックレスをくれた。
そういえば、私の父も、息子に急に水晶をくれたなぁ(笑)
設計士だったという祖父。
塩田で働いた時もあった祖父。
父に、母に、伯母に、聞いてみよう。じーちゃんのこと。
これ、記録することが好きな孫(私)の使命かもね。