広島に行った最初に眼についた「原爆展」そして峠三吉詩集、あとでゆっくり読もうと買いもとめたが、なるべく避けてきたと言った方が正しいかもしれません。
峠三吉は爆心地から3000メートルの自宅で被爆し、ガラスの破片創と数か月の原爆症?だけで生き残った、と書かれています。その後まるで記録を取るかのようにこれでもかこれでもかと詩をかきつづけた。
8月6日
あの閃光が忘れえようか!
瞬時に街頭の三万は消え
おしつぶされた暗闇の底で
5万の悲鳴は絶え
渦巻く黄色い煙がうすれると
ビルディングは裂け、橋は崩れ
満員電車はそのまま焦げ
涯てしない瓦礫と燃えさしの堆積であった広島
やがてぼろきれのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳しょうを踏み
焼け焦げた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列
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そしてこの詩集のあとがきに峠三吉は書いています。
「私はうす暗い広島療養所の一室でこの稿をまとめた。
まとめてみながらこのことに対する詩をつくる者としての
6年間の怠慢と、この詩集があまりに貧しく、この出来事の
実感を伝えこの事実の実体をすべての人の胸にうち広げて
歴史の進展における各個人の、民族の、祖国の、人類の
過去から未来への単なる記憶でない意味と重量をもたせることに
役立つべくあまりに力弱いことを恥じた。
中略
私が唯このように平和への願いを詩に歌っているというだけの事で
いかに人間としての基本的な自由をまで奪われねばならぬごとく
時代が逆行しつつあるかということである。
私はこのような文学活動によって生活の機会をほとんど無くされて
いるということは勿論、有形無形の圧迫を絶えず加えられており、
それはますます増大しつつある状態である。
このことは日本の政治的現状が、いかに人民の意志を無視して再び
戦争へと引きずられつつあるかということの何よりの照明にほかならない。
1951.6.1
まさに朝鮮戦争からベトナム戦争へとつながる時期ではないでしょうか?
人間の歴史は愚道の歴史かもしれません。もう考えている時間などないのかもしれない。人間が立ち直れる最後のチャンスをまたしても逃すのだろうか?